第87話 疑念
西暦2312年春――地球連邦軍・軌道エレベーター軍施設
セルゲイ・スミルノフ大佐は、端末に表示された命令書を無言で見つめていた。
内容そのものは珍しくない。
物資輸送に伴う航路制限。
連邦軍所属艦艇への一時的な管制変更。
指定宙域への接近禁止。
問題は、その理由だった。
記されていない。
「……またか」
セルゲイが呟く。
ここ最近、同様の命令が増えていた。
発令元は連邦軍ではない。
独立治安維持部隊アロウズ。
組織上、連邦軍とは異なる指揮系統を持つ彼らが、軍の輸送網や施設へ要求を出すこと自体はある。
だが、今回は規模が違った。
複数の大型輸送船。
大量の資材。
そして、航路そのものを一時的に封鎖するほどの警戒態勢。
「大佐」
部下が声を掛ける。
「輸送部から問い合わせが来ています。積荷の確認が取れないため、通常手続きでは許可できないと」
「当然だ」
軍が輸送を支援する以上、中身も目的地も不明では困る。
「アロウズ側の回答は?」
「機密指定です。照会権限も制限されています」
セルゲイの眉が僅かに動く。
「私の権限でもか」
「はい」
「……そうか」
セルゲイは再び命令書を見る。
以前なら、アロウズの権限が強いというだけで処理していたかもしれない。
だが、今は違う。
マリーから連絡を受けた。
彼女が生きていることを知った。
そして自分自身も、アロウズの在り方へ疑問を抱き始めている。
「この輸送に関する記録を残しておけ」
「しかし、機密指定が――」
「我々が正式に受領した命令まで破棄する必要はない。通常の記録として保管しておけ」
「了解しました」
「それ以上はするな」
セルゲイは部下を見た。
「これは私の疑問だ。部下を巻き込むつもりはない」
部下は一瞬だけ黙り、敬礼して退室した。
一人になったセルゲイは、航路図へ目を移す。
大量の物資。
不明な目的地。
異常なまでの情報統制。
軍人として長く生きてきた。
大規模な作戦には、それに見合った準備が必要になる。
そして準備が大きくなればなるほど、痕跡も増える。
「何をしている……アロウズ」
答えはない。
だが、その疑問はもう消せなかった。
◇
地球連邦軍・別施設
「少佐。例の件ですが」
グラハム・エーカーは、部下から差し出された端末を受け取った。
「分かったか?」
「一部だけです」
表示されたのは、アロウズによる戦闘報告。
グラハムが以前から独自に保管していた記録と照合したものだった。
民間被害。
作戦時刻。
交戦地点。
そして公式報告。
一致しない。
「やはりな」
グラハムは画面をスクロールする。
「こちらが保存していた原本と、現在登録されている記録では内容が異なります」
「改竄された時刻は?」
「特定できません」
「そうか」
驚きはなかった。
既に疑っていたことだ。
問題は、誰が。
どの権限で。
何のために行っているのか。
部下が周囲を気にしながら声を落とす。
「少佐。これ以上調べるのは危険では?」
「危険だろうな」
「でしたら――」
「だからやめる、という理由にはならん」
即答だった。
グラハムは窓の外を見る。
連邦の旗。
統一された世界。
かつてソレスタルビーイングが武力介入によって求めたものとは違う形で、人類は一つの政府の下へ集められた。
だが。
その裏側で記録を捻じ曲げ、民間人の犠牲すら覆い隠している者がいる。
「私は軍人だ」
グラハムが言う。
「命令に従う義務はある。しかし、命令の名を借りれば何をしても許されるという話ではない」
「……はい」
「それに」
僅かに笑う。
「気になることを放置するのは性に合わん」
その時、別の情報が端末へ届いた。
グラハムが目を通す。
「航路封鎖?」
「アロウズからの要請です。複数の宙域で同様の措置が行われています」
「理由は?」
「機密です」
グラハムの表情から笑みが消える。
「輸送船の数は?」
「確認できるだけで十二隻。それ以外にもあると思われます」
「積荷は?」
「不明です」
「行き先もか」
「はい」
しばらく沈黙が続いた。
グラハムが端末を置く。
「通常の航路情報だけで構わん。輸送船がどこから来て、どこで記録から消えるのか調べろ」
「分かりました」
部下が去る。
グラハムは一人、表示された航路図を見る。
「さて……」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「君たちも、これを追っているのかな」
脳裏に浮かんだのは、青白い光を纏う男だった。
◇
アロウズ所属艦・作戦室
カティ・マネキンは、届いたばかりの作戦資料を前に眉を寄せていた。
アロウズに所属して以降、納得できない命令を目にする機会は増えた。
それでも軍人である以上、命令の背景を理解し、与えられた戦力で最善を尽くす。
そのために必要な情報まで伏せられることは、指揮官として看過できない。
「……これだけか?」
「はい」
部下が答える。
カティはもう一度資料を見る。
指定宙域の警戒。
民間船舶の排除。
連邦正規軍を含む未承認艦艇の接近阻止。
それだけなら、重要施設の防衛任務として理解できる。
だが。
「防衛対象が記載されていない」
「機密指定とのことです」
「それは見れば分かる」
カティの声が僅かに低くなる。
「私が聞いているのは、何を守るのかも知らされずに、どう防衛計画を立てろというのかということだ」
部下は答えられない。
カティも答えを期待してはいなかった。
表示を切り替える。
周辺宙域。
航路。
配置予定の部隊。
さらに、大量の輸送船。
「この輸送船団は?」
「こちらも詳細は開示されていません」
「積荷もか?」
「はい」
「……そうか」
カティは椅子へ背を預けた。
情報が足りない。
いや。
意図的に与えられていない。
自分はアロウズの作戦指揮官だ。
それでも知らされない何かがある。
「厄介だな……」
小さく呟く。
戦場では情報の不足が兵を殺す。
それを知らない人間が上にいるとは思えない。
ならば。
これは失策ではない。
最初から、自分たちへ知らせるつもりがないのだ。
扉が開いた。
「大佐!」
聞き慣れた声に、カティは顔を上げる。
パトリック・コーラサワーが立っていた。
「何だ、パトリック」
「次の任務が決まったと聞きまして!」
「耳だけは早いな」
「大佐の任務なら当然です!」
いつも通りだった。
カティは僅かに息を吐く。
「今回は警戒任務だ。まだ戦闘と決まったわけではない」
「了解です! 何が来ても俺が大佐を――」
「パトリック」
「はい!」
「まだ何も来ていない」
「……はい」
勢いだけは削がれた。
カティは再び資料へ目を落とす。
「それと、勝手な行動はするな。今回は特にだ」
「もちろんです!」
その返事をどこまで信用するべきか。
カティは考えるのをやめた。
パトリックが退出する。
作戦室に再び静寂が戻った。
カティは輸送記録を見つめる。
「何を隠している……」
独立治安維持部隊アロウズ。
その内部にいながら。
自分にも見えていないものがある。
それだけは。
はっきりしていた。
◇
ソレスタルビーイング宇宙整備拠点・プトレマイオス2
「また増えたな」
レイナスが言った。
ブリーフィングルームの大型モニターには、絹江と留美が集めた情報が重ねて表示されている。
昨日まで数本だった輸送記録が、さらに増えていた。
留美が資金から。
絹江が企業と物流から。
それぞれ別の経路で追った情報が、少しずつ一つの形を作り始めている。
スメラギが表示を拡大した。
「問題はここね」
複数の輸送船が途中までは通常航路を使用している。
そこから先。
航路記録が途切れる。
ティエリアが複数の記録を並べた。
「消失地点は一致しない。だが、輸送経路には一定の傾向がある」
地球周辺の立体図が表示された。
複数の点。
それを見ていたレイナスが眉を寄せる。
「地上へ降りてないな」
「ああ」
「宇宙に何かある」
刹那が言う。
ティエリアが頷いた。
「少なくとも、地上施設への輸送と考えるより自然だ」
留美が別の記録を表示する。
「さらに、輸送に使われた企業の一部が、宇宙建造物用の資材を大量に受注しています」
スメラギが画面を見る。
「コロニー建設?」
「公表されている建設計画には該当するものがありません」
「なら軍事施設か」
刹那が言う。
「可能性は高いでしょう」
まだ決め手はない。
しかし、隠された巨大建造物が宇宙のどこかに存在する。
少なくとも、その可能性は高まっていた。
レイナスは表示された資材一覧を見る。
構造材。
耐熱材。
大型エネルギー設備。
高出力粒子制御機器。
「イアン。これだけで何を作ってるか分かるか?」
技術的な確認のために呼ばれていたイアンが、端末を睨む。
「分かるわけないだろ。用途が広すぎる」
「候補くらいは?」
「宇宙要塞、大型艦の建造設備、粒子関連の研究施設……組み合わせ次第ならいくらでもある」
スメラギが尋ねる。
「兵器は?」
イアンが黙る。
数秒。
「……否定はできない」
室内の空気が変わった。
「ただし、これだけで何を作ってるか決めつけるなよ。資料が足りん」
「そこは分かってる」
レイナスが答える。
「ただ、見つけた時に驚かない程度には覚悟しておいた方がよさそうだ」
その時。
ブリーフィングルームの扉が開いた。
「失礼します」
マリーだった。
「どうしたの?」
スメラギが尋ねる。
マリーは端末を手にしていた。
「大佐から連絡がありました」
全員の視線が集まる。
「セルゲイ大佐から?」
「はい」
端末には短い文章だけが残されていた。
具体的な積荷も。
目的地も。
作戦名もない。
アロウズによる大規模な物資輸送。
それに伴う複数航路の規制。
セルゲイ自身にも詳細は開示されていない。
スメラギが端末を見る。
「時期が一致する」
留美も記録を確認する。
「こちらで追っている輸送と重なります」
ティエリアが立体図へ情報を追加する。
新たな点が増えた。
「軍内部からも同じ動きが確認されたわけか」
レイナスがマリーを見る。
「セルゲイ大佐は、俺たちがこれを調べてるって知ってるのか?」
「いいえ。詳しいことは伝えていません」
「なら、向こうも独自に引っかかったわけだ」
「たぶん」
マリーは少し不安そうに端末を見る。
「大佐……大丈夫でしょうか」
レイナスはすぐには答えなかった。
セルゲイとは立場が違う。
連邦軍に残り、その内部から自分にできることをしようとしている。
「無茶をする人には見えなかったけどな」
「はい」
「だからこそ、自分で引き際は考えてるだろ。こっちから余計な情報を渡して危険を増やす方がまずい」
マリーが頷く。
「分かりました」
スメラギは地図を見つめる。
金。
物資。
航路。
連邦軍内部からの情報。
別々だった点が、確実に繋がってきている。
「次は場所ね」
「何を作ってるか分からなくても、場所さえ掴めれば調べようはある」
レイナスが言う。
留美が頷いた。
「輸送業者側から、さらに追ってみます」
「絹江さんにもお願いするわ」
刹那が立ち上がる。
「場所が分かれば、俺が行く」
「まだ待って」
スメラギが止める。
「見つけても、いきなり突入するわけにはいかないわ。相手の規模も目的も分からない」
刹那は黙る。
レイナスが地図を眺めたまま言う。
「俺も今回は賛成だな」
刹那が振り返る。
「お前もか」
「お前もって何だよ」
「先に行くと言うと思った」
「場所も分からない、戦力も分からない、何が置いてあるかも分からない。それで突っ込んだら調査じゃなくて遭難だろ」
刹那は数秒考え。
「そうだな」
「そこで素直に納得されると、普段の俺がどう見えてるのか気になるな」
誰もそこを拾わなかった。
レイナスは少しだけ眉を寄せたが、スメラギは構わず表示された航路へ視線を戻す。
「とにかく、情報収集を優先するわ」
誰も異論はなかった。
ソレスタルビーイング。
セルゲイ。
グラハム。
そして。
アロウズの内部にいるカティ・マネキン。
立場も。
見えている情報も違う。
それでも彼らは、それぞれの場所から同じ違和感へ近づき始めていた。
世界の裏側で隠されているものは。
少しずつ、その痕跡を隠し切れなくなっていた。