第95話 落ちる空
アフリカタワー上空
アステリオンのコックピットを警報音が満たしていた。
右腕部、応答なし。
脚部駆動系、停止。
姿勢制御、機能低下。
メインスラスターも出力が安定しない。
メメントモリの砲撃を真正面から受け止めた代償は大きかった。
「……よく持ったよ」
レイナスは操縦桿から手を離した。
二年以上、自分と共に戦ってきた機体。
まだ完全に死んだわけではない。
だが、今ここで動かせる状態でもなかった。
眼下ではアフリカタワーから剥離した無数の構造材が、地球へ向かって落下を始めている。
レイナスはハッチを開いた。
『レイナス!?』
通信からフェルトの声が飛ぶ。
「アステリオンはもう動かない。ここで放棄する」
『でも、その高度からどうするつもり!?』
「決まってるだろ」
シートベルトを外す。
ハッチの向こうには地球。
そして落下していく無数の巨大構造物。
「下まで行く」
『レイナス!』
スメラギの声が割り込む。
『本気なの!?』
「機体が動かないんじゃ仕方ないだろ」
レイナスはハッチの縁に立った。
「アステリオンは回収できるなら頼む。無理なら後回しでいい」
『待ちなさい!』
「大丈夫だ。こういうのは慣れてる」
『何に慣れてるのよ!』
「生身で宇宙に放り出される方」
『安心材料になってないわよ!』
「だろうな」
口元だけで笑う。
そして。
レイナスはアステリオンを蹴った。
◇
青白い光が人の身体を包む。
《アニマ》。
身体だけではない。
周囲の空気ごと薄い膜のように包み込み、真空と極端な環境変化からレイナスを守る。
眼下へ向かって落ちる。
巨大な外壁片が横を通過した。
レイナスは空中で身体を捻った。
足元に《アニマ》の足場を作る。
蹴る。
一気に加速。
「まず一つ!」
右手を振り抜く。
《アニマソード》。
青白い刃が巨大な構造材を切断した。
だが、大きな破片を二つにしただけでは意味がない。
切断された破片へ左手を向ける。
「《アニマスフィア》!」
複数の光球が放たれる。
次々と命中。
破片がさらに細かく砕け、大気圏突入で燃え尽きる大きさまで分解されていく。
そのままレイナス自身も落下を続ける。
次。
さらに次。
《アニマソード》で切り。
《アニマスフィア》で砕く。
さらに巨大な構造物へ両手を向ける。
「《アニマブラスト》!」
青白い奔流が直撃。
数百メートル級の構造物が中央から吹き飛んだ。
破砕。
分散。
残った大型破片へ追尾する《アニマスフィア》が殺到する。
一人。
MSすら使わず。
生身の人間が、落ちてくる空そのものを破壊しながら地球へ降下していく。
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
「……本当に行っちゃった」
クリスティナが呆然としていた。
フェルトはすぐに気持ちを切り替える。
「レイナス、降下継続! 周辺の大型破片を次々に破壊しています!」
スメラギは全体状況を見る。
レイナス一人でも異常な速度で破片が消えている。
だが。
それでも足りない。
アフリカタワーは巨大すぎる。
剥離した構造物は広範囲へ拡散していた。
「全機、メメントモリから離れて!」
スメラギが通信を開く。
「目標変更! ピラー破片の迎撃を最優先!」
『了解!』
刹那。
ティエリア。
アレルヤ。
ライル。
各機が一斉に降下へ移る。
「ラッセ、オーライザーは00と接続したまま!」
『了解!』
00ライザーが巨大な破片へ向かう。
セラヴィーの砲撃が構造物を粉砕。
ケルディムが精密射撃で危険な破片を撃ち抜く。
アリオスは高速で破片群の間を飛び回る。
だが、出撃したのは彼らだけではなかった。
◇
プトレマイオス2・格納庫
「GNアーチャー、出ます!」
マリーの声。
最終調整を終えていたGNR-101A――GNアーチャーが発進する。
その後ろ。
二機のGN-X IIIがカタパルトへ移動した。
一機にはニール・ディランディ。
そして、もう一機にはルイス・ハレヴィ。
どちらも、この機体で戦場へ出るのは初めてだった。
『ルイス、本当に行くの?』
沙慈の声が通信から聞こえる。
「うん」
ルイスは操縦桿を握る。
GN-X III。
かつてアロウズに所属していた頃にも見慣れた機体。
操縦系統にも馴染みがある。
それでも、再びMSに乗ることには僅かな抵抗があった。
だが今回は違う。
「今度は、誰かを殺すためじゃないから」
『……』
「落ちてくるものを壊すだけ。下にいる人を守るために」
沙慈は少し黙った。
やがて。
『分かった』
穏やかな声が返る。
『気をつけて、ルイス』
「うん」
ニールからも通信が入った。
『無理して俺についてくる必要はない。自分が確実に撃てるものだけ狙え』
「分かりました、ニールさん」
『それで十分だ』
二機のGN-X IIIが発進。
GNアーチャーも後を追った。
◇
アフリカタワー降下軌道
アリオスが巨大構造物の間を駆け抜ける。
ビームが走る。
破片が砕ける。
その近くをGNアーチャーが通過した。
「アレルヤ!」
『マリー!』
「こちらは任せて!」
GNアーチャーが変形。
高速で落下する破片へ追いつき、射撃。
一つ。
二つ。
三つ。
危険な大きさの構造物を正確に砕いていく。
『さすがだね』
「ソーマが積み重ねたものも、私の力だから」
マリーは次の目標を捉える。
戦うことが好きになったわけではない。
それでも、自分の持つ力を何のために使うのかは、自分で決められる。
「こういう使い方なら、迷う必要はありません」
『うん』
二機が左右へ分かれ、次の破片群へ向かった。
◇
別方向。
ニールのGN-X IIIが破片群へ突入する。
「まさか俺まで、こいつに乗ることになるとはな」
照準。
射撃。
一発で構造材の接合部を撃ち抜く。
分離した破片へ続けて二射。
「まあ、使える機体があるなら贅沢は言ってられないか」
さらに射撃。
長年ロックオン・ストラトスとして磨いてきた射撃能力は、機体が変わっても衰えない。
「狙い撃つぜ!」
次々と危険な破片を撃ち抜いていく。
その近く。
ルイスも照準を合わせる。
手が僅かに震えた。
モニターに映るのは地球。
その上にある都市。
そこには人がいる。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせる。
敵はいない。
ガンダムを殺す必要もない。
復讐でもない。
自分の意思で。
守るために引き金を引く。
GNビームライフルが構造物を撃ち抜いた。
「当たった……!」
『ルイス、次が行くぞ!』
ニールの声。
「はい、ニールさん!」
次の破片へ向かう。
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
それでも。
まだ足りない。
フェルトが落下予測を更新する。
「危険区域が広すぎます!」
スメラギは戦術モニターを見つめる。
ソレスタルビーイングだけでは処理しきれない。
だが、この空域には戦力がある。
大量に。
敵味方という線を一度消してしまえば。
「通信回線、全チャンネル開いて!」
「全チャンネル?」
「この空域にいる全軍へ!」
クリスティナがすぐに回線を開く。
スメラギは息を吸った。
「こちらソレスタルビーイング、プトレマイオス2!」
通信が連邦軍へ。
アロウズへ。
周辺の全機へ届く。
「現在、アフリカタワーから大量の構造物が落下しています!」
落下予測図が共有される。
「このままでは地上に甚大な被害が出る!」
スメラギは続けた。
「今だけ所属も立場も関係ない!」
「地上へ落下するピラー破片の破壊に協力して!」
◇
連邦軍――マスラオ
グラハムが通信を聞く。
眼下では既に、無数の構造物が大気圏へ向かっている。
「言われるまでもない!」
マスラオが加速。
ビームサーベルを抜く。
巨大な構造物へ接近。
「このような時に軍服の色を気にしている場合か!」
斬撃。
破片を切断する。
『全機、ソレスタルビーイングに協力する!』
『了解!』
周囲の連邦軍部隊も動いた。
マスラオを先頭に、GN-X IIIが次々と降下へ入る。
◇
アロウズ艦隊・旗艦
同じ通信をカティも聞いていた。
「クジョウ⋯」
オペレーターたちが彼女を見る。
「大佐……」
上層部から救助命令はない。
ソレスタルビーイングは敵性組織。
だが。
カティは迷わなかった。
「私の指揮下にある全機へ通達」
ブリッジに声が響く。
「ピラー破片の迎撃を最優先とする」
「しかし、上層部からは――」
「今この瞬間、地上へ落ちようとしている構造物以上に優先すべきものがあるのか?」
「……ありません」
「ならば動け!」
「了解!」
カティはさらに通信を開く。
「パトリック!」
『はい、大佐!』
「聞いていたな?」
『もちろんです!』
「地上へ落ちる破片を一つでも多く破壊しろ」
『任せてください! 大佐のためなら――』
「地上の人間のためだ!」
『もちろんそっちもです!』
「なら行け!」
『了解です、大佐!』
パトリックの機体が飛び出す。
アロウズ全軍が動いたわけではない。
カティの指揮下にある部隊だけ。
それでも戦力としては大きい。
◇
地球へ向かって落ちる、無数の破片。
その中を。
00ライザー。
セラヴィー。
ケルディム。
アリオス。
GNアーチャー。
二機のGN-X III。
マスラオ。
連邦軍。
そしてカティ麾下のアロウズ。
ほんの少し前まで敵同士だった機体が、同じ方向へ銃口を向けていた。
ビームが走る。
刃が閃く。
構造物が砕ける。
そして。
その中心を、一人の人間が落ちていた。
◇
「次!」
レイナスが《アニマ》の足場を蹴る。
MSより遥かに小さな身体は、レーダーで追うことすら難しい。
だが。
破壊している量だけは桁が違った。
《アニマソード》。
巨大構造物を分割。
《アニマスフィア》。
複数の破片を同時追尾。
さらに別方向。
「《アニマブラスト》!」
巨大な青白い光が空を走る。
落下していた外壁ブロックが消し飛んだ。
『レイナス! 東側に大型破片!』
フェルトの誘導。
「見えてる!」
身体を反転。
足場を蹴る。
一気に横へ。
落ちながら。
壊す。
さらに落ちる。
また壊す。
レイナス一人が担当している範囲だけで、落下予測地点が次々と消えていく。
スメラギはその数字を見ていた。
「……とんでもないわね」
原型を保った巨大構造物が、地上へ届く前に次々と細分化されていく。
全てを防げるわけではない。
小さな破片。
迎撃を抜けた構造物。
衝撃。
被害そのものをゼロにはできない。
それでも。
最初に算出された被害予測とは比較にならないほど減っている。
レイナスが最も危険な大型破片を片端から消しているからこそ、他の機体は残る破片へ集中できる。
そこへ連邦軍。
カティの部隊。
全てが加わった。
「落下予測、さらに減少!」
フェルトが声を上げる。
「大型構造物、残り僅か!」
「最後まで気を抜かないで!」
スメラギが叫ぶ。
◇
やがて。
最後の大型破片が砕けた。
細かくなった構造材が大気圏へ突入し、無数の光となって燃えていく。
流星のような光景。
だが、それが人工物だったことを知る者たちにとって、美しいなどと思えるものではなかった。
「主要破片の処理……完了」
フェルトが息を吐く。
「地上への被害はあります。でも……当初予測を大幅に下回っています」
完全には守れなかった。
それでも、レイナスを中心に全軍が破片処理へ動いたことで、被害は本来想定されたものより格段に小さく抑えられた。
スメラギも大きく息を吐く。
「各機、状況確認を――」
その瞬間。
警報。
「え?」
クリスティナが顔を上げる。
「攻撃!?」
ビームが走った。
狙われたのはケルディム。
『何っ!?』
ライルが回避。
続いてセラヴィー。
00ライザー。
アリオス。
破片処理を終えたばかりのCB各機へ、複数のアロウズ機が攻撃を開始する。
「何やってんのよ!」
クリスティナが叫ぶ。
スメラギの表情が険しくなる。
マネキン大佐の部隊じゃない!」
別系統。
カティの指揮下にないアロウズ部隊。
つい先ほどまで地上へ落下する破片を処理していたCBを、救助活動が終わったと見るや攻撃対象へ戻した。
◇
アロウズ艦隊・旗艦
「攻撃を中止させろ!」
カティが叫ぶ。
「こちらの指揮系統ではありません!」
「この状況で何を考えている!」
つい先ほどまで、同じ目的で人命を救っていた相手。
その直後に攻撃。
カティの拳が固く握られる。
だが。
彼女より先に、その怒りを行動へ移した者がいた。
◇
マスラオ
一発のビームが00ライザーへ向かう。
マスラオがその射線へ割り込んだ。
剣で受け止める。
そのまま発射元へ向き直る。
グラハムの中で、これまで積み重なってきたものが一気に噴き出した。
改竄された報告。
隠蔽。
スイール。
メメントモリ。
アフリカタワーすら巻き込んだ砲撃。
そして今。
人命を守るために共闘した相手へ、救助が終わった途端に銃口を向ける。
「……もう我慢ならん!」
マスラオが加速した。
『少佐!?』
部下の声。
「これ以上、彼らのやり方に付き合うつもりはない!」
マスラオがアロウズ機へ突撃する。
ビームサーベルが振るわれた。
武器を切断。
続けて脚部を斬り飛ばす。
「グラハム・エーカー少佐! 独自の判断で行動する!」
『少佐、それは――!』
「処分なら後で受ける!」
別のアロウズ機がマスラオへ銃口を向ける。
グラハムは迷わない。
「だが今は――」
一瞬で間合いを詰める。
「目の前の間違いを止める!」
◇
『グラハム!?』
00ライザーから刹那の声が飛ぶ。
『何をしている!』
「見れば分かるだろう、少年!」
マスラオがアロウズ機のライフルを斬り飛ばす。
「今だけは君たちの敵ではない!」
『……』
「勘違いするな! ソレスタルビーイングへ加わるつもりはない!」
別方向からビーム。
マスラオが回避する。
「だが、今のアロウズを見過ごすつもりもない!」
刹那は一瞬だけ黙った。
「了解した」
「ふっ、それでいい!」
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
「スメラギさん!」
クリスティナが叫ぶ。
「グラハム少佐がアロウズと交戦しています!」
「見えてる!」
予想外の行動だった。
だが今は、そこに構っている余裕はない。
「全機、戦闘は最小限! 離脱を優先!」
『了解!』
「ルイスとニールは先に戻って! マリーもGNアーチャーで援護しながら後退!」
『分かりました!』
『了解!』
『了解しました!』
各機がプトレマイオス2へ向かう。
その時。
フェルトが気づいた。
「待ってください」
「どうしたの?」
「レイナスは……」
モニターを見る。
アステリオンは放棄。
レイナス本人は。
「まだ降下しています!」
◇
青白い光が地球へ落ちていく。
レイナスは最後の大型破片を破壊した後も、そのまま降下を続けていた。
周囲には既にMSの姿も少ない。
大気が濃くなっていく。
「さて」
レイナスは下を見る。
地上まではまだ遠い。
アステリオンは使えない。
自分は無傷。
なら問題は一つだけ。
「このまま生身で最後まで降りるのも面倒だな」
その時。
視界の端。
一機のアロウズ機が通過した。
レイナスの目が止まる。
「……」
少し考える。
イアンとの約束が脳裏を過ぎった。
――これ以上、敵のMSを持って帰ってくるな。
「……人生ってのは、守ろうとした約束ほど早く破る羽目になるらしい」
足元に《アニマ》の足場が生まれる。
レイナスが笑った。
「悪いな、イアン」
蹴る。
青白い光が、アロウズ機へ向かって一直線に飛んだ。
◇
その後――プトレマイオス2
アフリカタワー周辺から離脱したプトレマイオス2。
その近くを、一機の黒赤のMSが飛んでいた。
マスラオ。
ブリッジのモニターにグラハムの顔が映る。
『しばらく同行させてもらう』
スメラギが腕を組む。
「加入するつもりはないんでしょう?」
『無論だ』
即答だった。
『私は連邦軍人だ。その立場を捨てたつもりはない』
「アロウズを攻撃しておいて?」
『その件については弁明するつもりもない』
グラハムの表情は真剣だった。
『だが、確認しなければならないことが増えた』
メメントモリ。
アロウズ。
連邦政府。
そして、その背後にいる存在。
『君たちは、私が知らないものを随分と見ているらしい』
スメラギは少し考える。
「分かったわ。ただし、こちらの指揮下に入ってもらうつもりもない」
『望むところだ』
その時。
別の通信が割り込んだ。
『プトレマイオス2、聞こえるか?』
フェルトが目を見開く。
「レイナス!」
『回収頼む』
スメラギが嫌な予感を覚えた。
「……何で帰ってくるつもり?」
一拍。
『MS』
ブリッジが静かになった。
スメラギが目を閉じる。
「敵の?」
『元・敵の』
「同じよ!」
通信の向こうで、レイナスが笑った。
『ここに置いて帰って後味の悪い仕事にするより、イアンに怒鳴られる方がまだマシだ』
格納庫では。
大破したアステリオンをどう回収するか頭を抱えていたイアンが、まだ何も知らずにいた。
さらに一機。
格納庫の悩みの種が増えようとしていることを。