ネールリナ無名編纂集   作:ユクリパ

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鉄の匂いのする朝

ユニフォール歴2364年。

 

帝国北部の工業都市、その外れ。

 

そこに、ネールリナ帝国で初めて建設された戦車工場があった。

 

朝六時。

 

正門が開く。

 

作業服姿の労働者たちが、眠そうな顔で工場へ入っていく。

 

「おはよう」

 

「おはよう」

 

「今日寒いな」

 

「昨日よりましだ」

 

そんな会話を交わしながら、それぞれの持ち場へ向かう。

 

工場の中では、すでに何人かが機械を動かしていた。

 

照明が点く。

 

天井クレーンが動く。

 

鋼板を引きずる音がする。

 

そして、

 

ガン、ガン、ガン、ガン――

 

リベットを打つ音が響き始める。

 

戦車工場の朝だった。

 


 

「側板、持ってこい!」

 

「右側か?」

 

「右!」

 

「左側は?」

 

「まだ来てない!」

 

「じゃあ右だけだ!」

 

クレーンで鋼板が運ばれてくる。

 

車体側面用の装甲板だ。

 

作業員たちはそれを作業台へ載せる。

 

「穴、合わせろ」

 

「はい」

 

鋼板に開けられた穴を別の部品と合わせる。

 

「……合わない」

 

「何?」

 

「一個ずれてる」

 

「もう一回見ろ」

 

若い作業員が定規を当てる。

 

「やっぱりずれてます」

 

班長がやって来た。

 

「どっちが?」

 

「こっちです」

 

「昨日の穴開けだな」

 

「そうだと思います」

 

班長はしばらく穴を眺めた。

 

「……昨日の班に持っていけ」

 

「今日の分、止まりますけど」

 

「止めるしかない」

 

鋼板が一枚、脇へ退けられる。

 

その間にも、別の場所では作業が進んでいる。

 

この工場では、こういうことが珍しくなかった。

 

戦車を作るのは初めてなのだ。

 

図面を見ても、どこまでが許容範囲なのか分からないこともある。

 

新しい治具を使えば、使い方を間違える。

 

測定器の目盛りを読み違える。

 

部品を左右逆に持ってくる。

 

そして、組み立ててから気付く。

 

「これ、逆じゃないか?」

 

「……逆だな」

 

「外せ」

 

「今から?」

 

「今からだ」

 

そんな会話が、一日に何度も起きる。

 


 

少し離れた場所では、リベット打ちが始まっていた。

 

赤熱したリベットが火ばさみで運ばれてくる。

 

「来た!」

 

穴へ差し込む。

 

反対側で作業員が受ける。

 

「打て!」

 

ガンッ!

 

ガンッ!

 

ガンッ!

 

潰れたリベットの頭が鋼板をしっかり固定する。

 

「次!」

 

また一本。

 

「次!」

 

もう一本。

 

ガンッ!

 

ところが、

 

ガンッ――

 

鈍い音がした。

 

「……止めろ」

 

「何?」

 

「今の変だ」

 

打ったばかりのリベットを確認する。

 

「頭が潰れ切ってない」

 

「もう一回打つ?」

 

「駄目だ。冷えてる」

 

「じゃあ?」

 

「抜く」

 

工具を持ってくる。

 

打ち込んだばかりのリベットを外す。

 

「熱いうちにやれって言っただろ」

 

「持ってくるのが遅かったんです」

 

「言い訳するな」

 

「すみません」

 

新しいリベットが運ばれてくる。

 

今度は素早く差し込む。

 

ガンッ!

 

ガンッ!

 

「よし」

 

仕事は進む。

 

誰も特別に驚かない。

 

ミスをする。

 

直す。

 

またミスをする。

 

直す。

 

その繰り返しだった。

 


 

午前十時。

 

休憩時間。

 

作業員たちは工場の隅で水を飲んでいた。

 

若い作業員が手を振る。

 

「痛ぇ……」

 

「どうした?」

 

「昨日、ハンマーで指を打った」

 

「昨日の話を今するな」

 

「腫れてる」

 

「見せろ」

 

「嫌だ」

 

「じゃあ放っておけ」

 

「そうする」

 

「悪化したら医務室行けよ」

 

「分かってる」

 

少し離れたところでは、別の作業員が図面を覗き込んでいた。

 

「これ、何の部品だ?」

 

「知らん」

 

「車体内部だろ」

 

「見れば分かる」

 

「取り付け方が分からない」

 

「班長に聞け」

 

「怒られる」

 

「聞かないで間違える方が怒られるぞ」

 

「……それもそうか」

 

図面を持って班長のところへ行く。

 

「ここなんですが」

 

「どれ」

 

「この部品、こっち向きですか?」

 

班長が図面を見る。

 

「……こっちだ」

 

「やっぱり逆でしたか」

 

「お前、昨日も逆につけてたな」

 

「昨日は別の部品です」

 

「そういう問題じゃない」

 

周囲から笑い声が上がる。

 


 

昼過ぎ。

 

工場の奥では、完成間近のMT-64が一台、台座の上に載っていた。

 

まだ履帯は取り付けられていない。

 

砲塔もない。

 

車体だけなら、大きな鉄箱にしか見えない。

 

若い作業員が眺める。

 

「これ、本当に戦車になるんですかね」

 

隣の作業員が答える。

 

「なるらしいぞ」

 

「らしい?」

 

「俺たちは作るだけだからな」

 

「軍人が乗るんだろ?」

 

「そうらしい」

 

「戦うのか?」

 

「戦車なんだから戦うだろ」

 

「なるほど」

 

若い作業員は車体を眺めた。

 

「俺、戦車って初めて見た」

 

「俺もだ」

 

「外国にはあるんだろ?」

 

「あるらしい」

 

「見たことある?」

 

「ない」

 

二人はしばらく黙って車体を見る。

 

帝国初の本格量産戦車。

 

しかし、工場の労働者にとっては、まだ「新しく作り始めた機械」に過ぎない。

 

それ以上のことを知っている者は少ない。

 

レーテが何を書いたのか。

 

その手記にどんな装甲車両が描かれていたのか。

 

どんな技術が記されているのか。

 

そんな話は、工場の現場まで降りてきてはいなかった。

 

知っているとしても、

 

「昔の皇帝が、戦車について何か書いていたらしい」

 

その程度だった。

 

「ところで、これ何キロあるんだ?」

 

「知らん」

 

「軽戦車だから軽いんじゃないか?」

 

「それ、答えになってないぞ」

 

また笑う。

 


 

午後三時。

 

砲塔が運ばれてくる。

 

クレーンがゆっくりと動く。

 

「もっと右!」

 

「こっち?」

 

「逆!」

 

「分かりにくい!」

 

「お前が下から見てるからだ!」

 

「じゃあ誰が見るんだよ!」

 

「俺が見る!」

 

「最初からそうしろ!」

 

砲塔が少し揺れる。

 

「止めろ!」

 

全員が動きを止める。

 

「……揺れすぎだ」

 

「吊り方を変える?」

 

「そうする」

 

一度降ろす。

 

吊り具を付け直す。

 

再び持ち上げる。

 

今度は安定している。

 

「よし」

 

「下げろ」

 

「ゆっくり」

 

「もっとゆっくり!」

 

砲塔が車体へ近づいていく。

 

「止めろ!」

 

ぴたり。

 

「もう少し左」

 

「こっち?」

 

「二寸」

 

「二寸ってどっちだ!」

 

「お前から見て左!」

 

「最初からそう言え!」

 

周囲から笑い声。

 

やがて砲塔が所定の位置へ収まった。

 

「入った!」

 

「よし!」

 

作業員たちが息を吐く。

 

しかし次の瞬間。

 

「……待て」

 

班長が砲塔を覗き込む。

 

「砲塔リング、ずれてる」

 

「また?」

 

「まただ」

 

全員が黙った。

 

「外すぞ」

 

「今から?」

 

「今からだ」

 

ため息が漏れる。

 


 

夕方。

 

ようやく砲塔が正しい位置に収まった。

 

今度は問題ない。

 

35mm速射砲も取り付けられる。

 

砲身が固定される。

 

照準装置が取り付けられる。

 

内部の機器も一つずつ確認される。

 

「ボルト」

 

「締めた」

 

「本当に?」

 

「……確認する」

 

「お前さっき締めたって言っただろ」

 

「締めたと思った」

 

「思ったじゃない。確認しろ」

 

「はい」

 

確認する。

 

一本、締まっていない。

 

「……あった」

 

「ほらな」

 

「すみません」

 

「いいから締めろ」

 

カチャ。

 

カチャ。

 

「よし」

 


 

夕方六時。

 

完成検査。

 

検査担当が車体の周囲を歩く。

 

リベットを一つずつ確認していく。

 

コン。

 

コン。

 

コン。

 

「ここ」

 

「はい」

 

「頭が少し潰れてる」

 

「打ち直します」

 

「こっちも」

 

「はい」

 

また工具が入る。

 

古いリベットを抜く。

 

新しいものを差し込む。

 

ガンッ!

 

ガンッ!

 

「よし」

 

また次。

 

コン。

 

コン。

 

「問題なし」

 

ようやく検査が終わる。

 

作業員たちは疲れた顔で車体を見る。

 

今日一日かけて作った一台。

 

まだ完璧ではない。

 

明日、試運転をすれば別の問題が出るかもしれない。

 

エンジンが止まるかもしれない。

 

変速機がおかしくなるかもしれない。

 

履帯が外れるかもしれない。

 

どこかから油が漏れるかもしれない。

 

それでも、一台は一台だった。

 


 

帰り際。

 

若い作業員が完成した車体を振り返る。

 

「明日は何するんです?」

 

「次の車体」

 

「また最初から?」

 

「また最初から」

 

「大変ですね」

 

「仕事だからな」

 

二人は工場を出る。

 

外はもう暗い。

 

背後から、まだ音が聞こえる。

 

ガン。

 

ガン。

 

ガン。

 

夜勤の班が作業を続けている。

 

誰かがまたリベットを失敗する。

 

誰かが穴の位置を間違える。

 

誰かが部品を逆向きに取り付ける。

 

誰かがそれを見つける。

 

そして直す。

 

その繰り返し。

 

帝国初の戦車工場は、まだ完成された工場ではなかった。

 

戦車を作る技術も。

 

設備も。

 

作業員の経験も。

 

何もかも、発展途上だった。

 

それでも一台ずつ作っていく。

 

失敗して。

 

直して。

 

覚えて。

 

また作る。

 

その積み重ねによって、工場は少しずつ「戦車を作れる工場」になっていった。

 

そして翌朝。

 

また正門が開く。

 

作業員たちが入ってくる。

 

「おはよう」

 

「おはよう」

 

「昨日の車体、どうなった?」

 

「試験場に持っていった」

 

「壊れなかった?」

 

「まだ分からん」

 

「じゃあ今日分かるな」

 

「そうだな」

 

作業員たちは持ち場へ向かう。

 

照明が点く。

 

クレーンが動く。

 

鋼板が運ばれる。

 

そして、

 

ガン。

 

ガン。

 

ガン。

 

また一日が始まった。

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