ユニフォール歴2356年。
帝国北東部の小さな農村。
人口は三百人ほど。
村の中央には神殿と共同倉庫があり、その隣に武装信徒共同団の詰所が建っている。
詰所といっても、大きな軍営ではない。
木造の建物と武器庫、それに訓練用の小さな広場があるだけだった。
そこに所属する者たちも、普段は農民である。
朝になれば畑へ行き、家畜の世話をし、薪を割る。
ただし、村の共同団員である以上、腰にはいつでも身分証を携帯し、詰所から呼び出しがあれば仕事を中断して集まることになっている。
その朝も、夜明け前から一人の農夫が起きていた。
窓を開ける。
冷たい空気が入ってくる。
外はまだ薄暗い。
鶏の鳴き声が聞こえた。
朝食を済ませ、家族に声を掛ける。
「昼には戻る」
「今日は訓練?」
「午後から」
「なら、畑を先に頼むよ」
「ああ」
農夫は外へ出た。
今日は共同団の当番日だった。
日の出とともに畑へ向かう。
土は少し湿っている。
昨夜、雨が降った。
農夫は鍬を入れながら、隣の畑の様子を見る。
「今年は少し遅いな」
「雨が多いからな」
隣で作業していた村人が答える。
二人とも共同団員だった。
だが、農作業をしている間はただの農民である。
誰も軍人らしい顔をしていない。
鍬を振る。
土を起こす。
雑草を抜く。
種を確認する。
武装信徒共同団という名前だけを聞けば物々しいが、実際の生活はこんなものだった。
村を守るためには、まず村の畑を維持しなければならない。
食料がなければ、武器を持っていても意味がない。
それは共同団の教官から何度も教えられていることだった。
午前十時。
詰所の鐘が鳴った。
農夫は鍬を置いた。
「行くか」
「行こう」
詰所へ向かう。
集まったのは二十数人。
農作業をしていた者。
牧畜をしていた者。
木工をしていた者。
村の運送を担当している者。
全員、普段は別々の仕事をしている。
しかし、集合すると隊列を作る。
共同団の責任者が人数を確認する。
「本日は基本訓練。装備点検、射撃、負傷者搬送。それから消火訓練」
「了解」
返事が揃う。
まず武器庫へ向かう。
銃を取り出す。
一本ずつ確認する。
弾倉。
照準具。
機関部。
銃身。
油。
異常がないか確かめる。
農夫は銃を持ち上げ、少し眉をひそめた。
「重いな」
「昨日も持っただろ」
「昨日より重く感じる」
「それは歳だ」
「まだそんな歳じゃない」
周囲から笑いが起きた。
訓練は厳しい。
しかし、軍隊とは少し違う。
ここにいる者たちは職業軍人ではない。
明日になれば、また畑へ戻る。
だから訓練の目的も、敵を倒すことだけではない。
村人を安全に避難させること。
火災を止めること。
負傷者を運ぶこと。
道路を確保すること。
必要なら武器を取って村を守ること。
そうしたことを一つずつ覚える。
昼前。
射撃訓練が始まった。
標的へ向かって数発。
銃声が農地の向こうへ響く。
村の子供たちが遠くから眺めている。
「上手くなったな」
「前よりは」
「前はもっとひどかった」
「余計なことを言うな」
また笑い声。
射撃が終わると、今度は負傷者搬送の訓練になる。
担架を二人で持つ。
走らない。
段差では声を掛ける。
「上げる」
「上げる」
「下ろす」
「下ろす」
何度も繰り返す。
実際に戦闘が起きた時、負傷者を放置しないための訓練だった。
そして、それ以上に重要なのが災害時だった。
この地域では春先の洪水や冬の大雪によって道路が塞がれることがある。
その時、共同団は軍事組織というより、村の救援隊になる。
午後。
突然、詰所の鐘が鳴った。
今度は訓練用ではない。
短く、連続して鳴る。
全員の顔が変わった。
「火事だ」
村の外れから煙が上がっている。
農家の一軒で火が出たらしい。
共同団員は武器を置き、消火用の道具を持って走った。
バケツ。
水桶。
斧。
梯子。
火元に近づく。
屋根から煙が出ている。
「人は?」
「全員外に出た!」
「隣の家を離せ!」
指示が飛ぶ。
水を運ぶ。
屋根を一部壊す。
燃えている部分を切り離す。
火が隣家へ移らないよう、周囲の人間を下げる。
村人たちも集まってくる。
共同団員だけではない。
老人も、若者も、農作業を中断した者も、水を運ぶ。
神殿からも伝承官が来て、避難した家族の面倒を見る。
泣いている子供を抱き上げる者。
家財を運び出す者。
怪我をした人間を手当てする者。
誰かが命令しなくても、それぞれが自分の出来ることを始める。
武装信徒共同団の仕事は、銃を撃つことだけではない。
こういう時に最初に動ける人間がいること。
それも共同団の役割だった。
一時間ほどして、火は消えた。
家はかなり焼けた。
しかし、隣家への延焼は防げた。
共同団員たちは地面に座り込む。
服は煤だらけ。
顔も黒い。
誰かが咳をした。
「今日は射撃より疲れたな」
「そりゃそうだ」
「銃よりバケツの方が重かった」
「だったら明日は鍛錬だな」
「勘弁してくれ」
疲れた笑い声が起きた。
夕方。
神殿では短い祈りが行われた。
火事に遭った家族の無事。
村人たちの安全。
そして、今日も大きな災いを避けられたことへの感謝。
伝承官が静かに語る。
「我々が守るものは、武器でも土地でもありません」
皆が聞いている。
「ここで暮らす人々と、その暮らしです」
農夫は黙って聞いていた。
今日一日を思い返す。
畑。
訓練。
射撃。
火事。
消火。
それから祈り。
全部、別々のことに見える。
けれど、共同団にとっては同じことだった。
村を守るということは、村人が明日も畑を耕せるようにすることだ。
武器を持つことも。
火を消すことも。
病人を運ぶことも。
雪で塞がった道を開けることも。
すべては同じ目的につながっている。
夜。
農夫は家へ戻った。
家族が夕食を用意していた。
「遅かったね」
「火事があった」
「大丈夫だった?」
「家は焼けた。でも、人は無事だ」
妻が小さく息を吐いた。
「それならよかった」
夕食を食べる。
外では風が吹いている。
遠くで、共同団の詰所の灯りがまだ見えていた。
農夫は窓からそれを見る。
明日の朝になれば、また畑へ行く。
鍬を持つ。
土を耕す。
作物を育てる。
そして、もし鐘が鳴れば、また詰所へ向かう。
この村には職業軍人はほとんどいない。
大きな兵営もない。
けれど、何かあれば立ち上がる人間がいる。
それで十分だった。
農夫は窓を閉めた。
明日は朝が早い。
武装信徒共同団の一日は、こうして終わる。
そして翌朝には、また農民としての一日が始まる。