ユニフォール歴2365年。
帝国陸軍の地方駐屯地。
朝の鐘が鳴る。
兵舎の中で兵士たちが一斉に起き上がった。
「起きろ」
「分かってる」
「早くしろ。点呼に遅れるぞ」
眠そうな顔で制服を着る。
軍靴を履く。
ベルトを締める。
誰かが大きく欠伸をした。
「昨日の当直、誰だった?」
「俺」
「眠そうだな」
「眠いからな」
「正直だな」
笑いながら兵舎を出る。
いつもと同じ朝だった。
ただ一つ。
兵営の裏手から、普段は聞かない金属音が響いていた。
点呼が終わった後だった。
兵士たちが訓練場へ向かっていると、何人かが足を止めた。
「……何だ、あれ」
「知らないのか?」
「聞いたことはある」
「戦車だろ」
訓練場の端。
そこに一台の小さな装甲車両が停まっていた。
低い車体。
履帯。
小さな砲塔。
車体には新しい塗装が施されている。
まだ泥も傷もほとんどない。
MT-64。
最近になって部隊へ配備された、新型の軽戦車だった。
兵士たちは遠巻きに眺めている。
「思ったより小さいな」
「戦車ってもっと大きいと思ってた」
「これで戦えるのか?」
「知らない」
「知らないのかよ」
「俺は歩兵だぞ」
誰かが車体の側面を見ている。
「何トンあるんだ?」
「九トンちょっとだって」
「九トン……」
「重いな」
「戦車なんだから重いだろ」
「でも十トンないんだぞ」
兵士たちは顔を見合わせる。
これまで訓練場にあったのは、銃、機関銃、迫撃砲、野砲などだった。
戦車は違う。
自分たちの足で動くものではない。
エンジンで走り、履帯で土を踏み、砲塔を回して砲を撃つ。
それだけで、どこか別の兵器に見えた。
近くで整備員が作業している。
「触るなよ」
声を掛けられる。
兵士が慌てて手を引っ込めた。
「触ってません」
「今、触ろうとしただろ」
「……見てただけです」
「見るのはいい」
整備員は苦笑する。
「壊すなよ。まだ新しいんだから」
「そんな簡単に壊れるんですか?」
「機械なんだから壊れる」
その言葉に兵士たちは少し静かになった。
新型戦車だからといって、何でも勝手に動くわけではない。
むしろ新しい機械ほど、扱いに慣れるまでが大変だった。
午前。
通常訓練が始まる。
走る。
障害物を越える。
装備を背負って歩く。
だが、兵士たちの視線は時々訓練場の端へ向いた。
MT-64がそこにいる。
エンジンがかかる。
低い振動音が響く。
「始まった」
誰かが呟く。
車体がゆっくり動き出す。
履帯が土を噛む。
砂埃が上がる。
「速いな」
「小さいからじゃないか?」
「歩兵より速いのは確かだ」
MT-64は訓練場を一周する。
方向を変える。
再び走る。
その動きは、兵士たちが想像していたより軽快だった。
「戦車ってもっと鈍いと思ってた」
「これなら一緒に動けそうだな」
「だから軽戦車なんだろ」
「なるほど」
誰かが妙に納得した。
昼前。
兵士たちはMT-64の周囲に集められた。
今日は歩兵と戦車の協同訓練だった。
車長が説明する。
「この戦車は歩兵の後ろをただ付いてくるためのものじゃない」
兵士たちは黙って聞く。
「敵の機関銃陣地を黙らせる。移動する敵を追う。歩兵が進むための火力を提供する。そして必要なら、歩兵より先に移動して偵察する」
兵士の一人が尋ねる。
「装甲は強いんですか?」
車長は少し考えた。
「戦車だから無敵、ということはない」
「……ですよね」
「だから、勝手に前へ出るな。戦車にも見えない場所はある。歩兵にも見えない場所がある」
地面に簡単な図を描く。
「互いに補う」
兵士たちは頷いた。
MT-64は強い。
しかし、万能ではない。
それは兵士たちにも何となく分かった。
午後。
実際の協同訓練が始まる。
歩兵が先に進む。
MT-64が少し後方から追う。
地面が揺れる。
エンジン音が近づいてくる。
「右!」
声が飛ぶ。
歩兵が道を空ける。
MT-64が通過する。
その姿は大きくはない。
だが、9トンを超える鉄の塊が履帯で地面を踏みながら進んでくると、十分な迫力があった。
砲塔がゆっくり回る。
35mm速射砲が目標へ向く。
兵士たちは自然と姿勢を低くする。
発砲。
乾いた、しかし重い音が響いた。
標的が吹き飛ぶ。
「……」
一瞬、誰も喋らなかった。
その後、
「すごいな」
誰かが呟いた。
別の兵士が答える。
「これが配備されたのか」
「そうらしい」
「俺たちの部隊に?」
「そう」
兵士たちは戦車を見る。
ついさっきまで珍しい機械だったものが、急に自分たちの部隊の装備として現実味を持った。
訓練が終わる。
兵士たちは兵舎へ戻る。
食事をしながら、話題はやはりMT-64だった。
「乗ってみたい」
「歩兵だから無理だろ」
「一回くらいなら」
「勝手に乗ったら怒られるぞ」
「じゃあ戦車兵になればいい」
「今から?」
「無理だな」
笑い声。
別の兵士が言う。
「でも、あれがあると少し安心するな」
誰かが答える。
「そうか?」
「機関銃陣地とか、あれで潰せるんだろ」
「そういう話だな」
「なら、悪くない」
誰も大げさなことは言わなかった。
戦車が来たから勝てる。
そんな単純な話ではない。
ただ、自分たちの隣に新しい仲間が一つ増えた。
兵士たちにとっては、それくらいの感覚だった。
夕方。
MT-64は格納庫へ戻される。
整備員が車体を確認していく。
履帯。
車輪。
エンジン。
砲塔。
砲。
油漏れがないか。
異常音がないか。
兵士たちはその横を通り過ぎる。
「お疲れさん」
誰に言ったのか分からない。
戦車に向かって言ったようにも聞こえた。
「明日も動くぞ」
「そりゃ動くだろ」
「新しいからな」
「新しいからこそ整備するんだ」
整備員が言う。
「機械は新しくても、手入れしなければすぐ駄目になる」
「はい」
兵士たちは頷いた。
夜。
兵舎の灯りが消えていく。
今日も一日は終わった。
兵士たちは眠る。
走った。
撃った。
学んだ。
食べた。
笑った。
そして、新しい戦車を見た。
MT-64は、まだ駐屯地の中で少し浮いた存在だった。
誰も完全には扱い方を知らない。
戦車兵自身も、まだ新しい機械に慣れている途中だった。
歩兵も、どの距離でどう協同するのか覚えている最中だった。
それでも、明日にはまた動かす。
乗る者は乗る。
整備する者は整備する。
歩兵はその動きを覚える。
そして何度も訓練する。
そうやって、新しい兵器は少しずつ「珍しい機械」から「自分たちの装備」へ変わっていく。
夜の格納庫。
MT-64は静かに停まっている。
新しい鉄の車体には、まだ大きな傷一つない。
けれど、これから何度も訓練場を走り、泥をかぶり、整備され、修理され、兵士たちと同じ時間を過ごしていく。
その頃にはきっと、誰もそれを珍しいものとは思わなくなる。
ただの、
「うちの戦車」
になるのだろう。
翌朝。
また起床の鐘が鳴る。
兵士たちは起きる。
そして格納庫では、整備員がMT-64のエンジンを確認する。
新しい一日が始まった。