爽やかな風が吹く緑あふれるホビット村。ビルボの家の隣に作られた大きい人用の小さな家の前で、昔に植えた木と地面に突き刺した自分の杖の間でハンモックを張り、木漏れ日を浴びながら目を閉じてゆったりする。
隣にはビルボが椅子と机を持ってきて、一年前の大冒険を一冊の本に書き連ねている。カリカリと鳴る羽ペンの音は心地よく、つい眠ってしまいそうだ。
僕は過去から戻った後、しばらくのんびり休むために再びこのホビット村へとやってきた。ワタルーラの時間の誤差の確認も兼ねた試験的意味合いもある。
「それにしても、三年見なかった間にまた凄い体験をしたね、竜二郎」
「んー、確かに凄い体験はしたけど、僕としては調整したはずなのにワタルーラに三年近くも誤差が出た方がキツイよ。また修正の日々を繰り返すことになるし」
ワタルーラで移動した際に発生する時間の誤差、その誤差をなくすために未来や過去に飛んで検証した。そして改良を繰り返した結果、今度こそ誤差なく移動できるようになったと思っていたのに、中つ国に飛んでみればまだ数年単位で誤差があった。つまりまだまだ改良の日々は終わらないってことだ。
「それでもこの前は20年、今度は3年なんだからだいぶ良くなった方じゃないかな?」
「そうなんだけどね、この先のことを思うとちょっとだけ憂鬱だよ。ところで本の執筆は順調そう?」
「ゆっくりやってるからまだまだだかかるよ。今はゴブリンの洞窟の話を書いてる」
「そっか、その辺は僕も知らないから、ちょっと気になるな」
「それは僕だって同じだよ竜二郎。君は僕らと合流するまで何をしてたのかとか、スマウグとどう戦ったのかとか、あとスマウグと大魔王とじゃどっちが強かったかも聞きたいな」
「それ聞いたら執筆の参考にするの?」
「もちろん!」
「僕の話が本に載るのか。なんか不思議な感じだなぁ。じゃあ最初からでいい?」
「最初からよろしく!」
「わかった。あれは未来から帰ってしばらく、ビルボに会うためにホビット村にワタルーラした僕は、ビルボの家の扉をノックしたところで、ギャムジーさんにしばらくビルボが留守にしてることを聞いたんだ……」
◇
「ギャムジーさん、ビルボが留守ってどこに行ったの? しばらくってことはホビット村から近い場所に行ってるってわけじゃないんだよね?」
昔見た時よりも少しばかり歳をとった様子のギャムジーさん。ビルボが庭師として雇っている人で、前回僕はあまり話す機会はなかったけど、その少しの会話でも真面目な善人だと感じるような人だ。
この時は前回来た時からそこまで時間が経っているとは全く考えていなかった。ホビットは見た目の老化が分かりにくい。あってもせいぜい5年くらいだと思っていた。実際には20年間隔が開いていたわけだけど、ほんのちょっとしか会っていなかったのにギャムジーさんが覚えていてくれたなんて、もうほとんど奇跡的だった。
「はい、竜二郎様。旦那様は魔法使いとドワーフと共に旅立たれました。行き先は存じませんが、魔法使い様からは竜に奪われた王国を取り返しにいくとだけ聞いております」
「ドワーフと魔法使い? それに竜か。なんだか凄いことになってるな」
ビルボは確かに他のホビットとは違って、好奇心旺盛というか、人間やエルフなんかとも普通に話すし、ホビット村の近場の村に出向いてそう言った人に話を聞きにいくこともあった。僕も一度ビルボについて行って、この世界の人と交流したことがある。
しかし、ビルボにドワーフの知り合いが居たとは知らなかった。しかもギャムジーさんの話じゃ十人以上いたという話だ。
「魔法使いというのは噂のガンダルフさん?」
「はい、そうでございます」
ガンダルフさんは確か、時々ホビット村に来て花火大会を開いてくれる魔法使いだった筈である。僕は会ったことはないが、灰色のガンダルフと呼ばれているらしく、その名の通り見た目が灰色なんだとか。髪とか服とかね。
「私は心配です。どう考えてもビルボ様があのような野蛮なドワーフ共についていく理由がわかりません。ガンダルフがついているとはいえ、竜から国を取り返すなど、いくらトゥックかの血筋とはいえ危険すぎます」
「確かに、ビルボは戦士じゃないし、魔法使いでもない。勇気とすばしっこさはあるけど、竜相手じゃどうにもなりそうにないね」
ドワーフ達は突然ビルボの家を訪ねてきて、ビルボも同意のもと旅立った。ビルボは確かに好奇心の強いホビットだけど、同時にホビット特有の慎重さも持ち合わせている。
ドワーフは聞いた話では脳筋タイプ、無理やり連れて行こうとすればビルボは乗らずに残るか、もしくは隙を見て戻ってくるだろう。ところがギャムジーさんによると既に出発してから三ヶ月は経っている。となると、説得したのは魔法使いのガンダルフ一択。
「なぜガンダルフさんはビルボを勧誘しに来たんだ?」
「おそらくあそこから何か財宝でも盗ませるつもりなのでしょう。ドワーフは鈍重、魔法使いは背が高い、ビルボ様は素早く竜に見つからずに宝を持って来られる」
「聞いてた話じゃガンダルフさんは財宝とか興味なさそうな印象だったけどなぁ」
「ガンダルフはそうでしょう。ですがドワーフは違います。奴らは財宝に目がない、そしてその財宝によって破滅へ向かう。そういう種族です穴掘りドワーフは。外のことに疎い私たちホビットでもドワーフの国エレボールの噂は耳にしますから、奴らの役深さは相当なものです」
「じゃあビルボ達はそのエレボールに?」
「おそらくは。ガンダルフはドワーフの帰郷ついでに石を取りに行くとかなんとか誤魔化していましたが、噂によるとエレボールは竜に奪われたと聞きます。エレボールは竜に奪われたドワーフの国、そこから石一つでも持ち出すなら、それは竜と対峙するということに他なりません」
「ということはガンダルフさんは貴方にドワーフの国を取り返しに行くとハッキリ行ったわけではないんだね?」
「はい。ですが、ドワーフ達の様子から考えても十中八九当たっているかと思います。かなり興奮している様子でしたから」
ギャムジーさんの言うことがその通りなら、ビルボはかなり危ない橋を渡っていることになる。ガンダルフさんとドワーフ十数人がいくら強くても、ビルボを庇いながら竜とは戦えない。
最悪、ビルボは帰って来られない。
僕は迷った。ビルボは望んで冒険に出た。それは彼が必要とした自分で選んだことだ。僕が行って彼を助けたとして、彼の欲した体験を損なうかもしれない。
ビルボの友人として助けに行くべきか、それとも信じて待つべきか。
「竜二郎様、ビルボ様を助けに向かっていただけませんか」
「僕もそうしたいけど、彼がそれを望むかどうか……」
「ビルボ様のことを思うのはご友人として当然です。ですが、死んでしまっては何もかも終わりです」
「それはそうだが……」
「……では言い方を変えます。これは俺からの依頼だ。俺はビルボの旦那が死んだら庭師の仕事を失う、それはまだ今の段階じゃ困るんだ。だから俺から頼む。竜二郎の旦那、どうかビルボの旦那を助けに行ってやってくれ。ビルボの旦那の命と俺の仕事先を守ってくれ!」
「わかった。それじゃあ食料と水、薬草なんかも欲しい。必要なものを用意してくれ」
「わかりました。すぐに用意します」
「ああ、口調はさっきのでいいよ。僕は客人で君の主人じゃない。それにこれからは同じくビルボの身を案ずる友人として付き合いたいしね」
「わかった。それじゃあアンタにはこの口調でいかせてもらうぞ。あとで文句とか言うなよ?」
「言わないよ。でも、用意は大急ぎでよろしく」
「任しとけ。5分で終わらせる」
◇
「とまあ、こんな感じで中つ国に来てすぐ君を追いかけることになったわけだ」
「凄いな。君はハムと友人になったんだ。僕はそんな口調で話してもらったことがない」
「え、そこ?」
「ここまでの話の中ではそこが一番気になる。僕もハムに砕けた口調で話してもらえないか聞いてみようかな」
「それはやめといた方がいい。ハムが可哀想だ」
「なんで?」
「ハムが仕事に誇りを持ってるからだよ。主人に対してタメ口で話すなんて酷だ」
「そう? なら仕方ないな。じゃ、続きをよろしく」
以前のビルボならもう少し遠慮したのに、ビルボはあの冒険の後からずいぶん逞しくなったらしい。ドワーフ達と過ごした日々はすっかり彼を変えてしまった。
もちろん良い方にね。
「喜んで。それから僕はトベルーラで……」