慌てふためきながら逃げ惑う町民たち。海に囲まれた町から脱出するには岸まで続く桟橋を行くか、もしくは船に乗るしかない。
キーリたちドワーフとバルドの家族はそこらにあった船に乗って町からの脱出を試みる。
僕は船に乗りつつ、町全体を対象としてフバーハをかけた。とはいえこれは人にしか効果がないので、町が火の海に包まれるのは防げない。いくらフバーハで炎を軽減しても限界はある。いくらかは焼け死ぬかもしれない。
しかし、そこまで面倒を見ている余裕は僕にもなかった。上を飛んでいるドラゴンに対抗するには、僕の使える魔法では少々分が悪い。氷系と炎系はドラゴンには効かないし、爆発系は脆くなった建物の崩壊を早める可能性が高くて使いづらい。バギなんてもってのほかだ。火災旋風が起きたらこんな町一瞬で終わる。本当は雷系が使えたら良かったのだが、あいにく今の僕にはデインだって使えない。
この場で僕ができることといえば、飛んでスマウグの注意を引くか、ドラゴンに変身して戦うしかない。
そのうちドラゴンに変身するのは悪手だろう。スマウグが火を吐いてるのにもう一体ドラゴンが現れれば混乱は極まる。そんなことをすれば死体が増えるだけだ。
「キーリ、僕は魔法で空を飛べる。あいつの注意を引くから、そのうちに町の人たちを逃がせるか?」
「できると言いたいが、この町の住人じゃない俺たちの話を素直に聞いてくれるかどうか。それに人手も足りない」
「この町の町長か誰かに協力してもらえないかな?」
そう聞くと船に乗っていた女の子が前を指さして言う。
「あいつなら前にいる。自分だけさっさと逃げ出してるよ」
「そう言うタイプか。なら期待できないな。じゃあやっぱりキーリたちに頼むしかない。全部じゃなくていい。できるだけ頼む」
「仕方ない。そのかわりあのでかい虫野郎をしっかり引きつけてくれよ」
「ああ。任せて」
トベルーラ!
船を全く揺らさずに、まるで重力に逆らって浮かび上がったかのように空へ飛び上がる。正面にはスマウグが火を吹きながらこちらに向かってくるのが見えた。
相手は50メートルを優に超える体躯、大してこちらは1.8メートル程度。体格差だけでいえば犬と象だ。腕を振るわれただけで普通なら御陀仏になる。
けれど僕は竜王の息子、竜王の血と体を受け継いでいる。この小さな体でもそこに込められた力はスマウグに負けているとは思わない。
「ようやく出てきたか、キミの悪い力を宿した人間。だが所詮貴様もこの俺からすれば蟻と変わらん」
「へぇ、君は見る目がまるでないみたいだね。でもまあ仕方ないか、所詮財宝なんぞに目が眩むトカゲちゃんだもの。蟻なら蟻でいいさ、じゃあ蟻は蟻らしく少しずつ君を噛みちぎってあげるよ」
「ぼさけッ!」
「無駄無駄! 火は僕も得意なんだよ。お返しだ! メラゾーマ!」
スマウグが火を吐か終わった開いた口の中を狙って、メラゾーマを叩き込む。当然スマウグも火を吐くだけあってダメージはほとんどないが、思いがけない攻撃に怯む。
「貴様、魔法使いか!」
「ああそうだよ。飛んでるの見て予想できなかった?」
「黙れ! ドワーフといい、どこまでも俺様をイラつかせる奴らだ!」
「そりゃごめんね。わざとじゃないんだ。ヒャダルコ!」
「氷だと!? グオォォッ!」
ヒャダルコの氷が、熱のこもったスマウグの腹を瞬間的に冷やす。その温度差はたとえその皮膚が厚く硬かろうが多少の影響は出る。下が町じゃなかったらマヒャド使ったんだけどな。でもヒャダルコでもじゅうぶん。
僕はスマウグと戦い続けた。途中から僕に火が効かないと悟ったスマウグはその体で直接僕を叩き潰そうと攻撃方法を変えてきた。僕は蟻んこでトベルーラの移動速度は速いから攻撃は当たらないんだけど。
ただ、スマウグがいやらしいのは僕と戦う間にも町を焼くことはやめなかったところだ。僕が嫌がると思ってそれを続ける選択をしたのは、スマウグにもそれなりに考える力があったということになる。実際、それで焼かれそうな人を見つけては助けたことで、何度か危うい場面もあった。
けれどもう下にはほとんど人はいない。これなら少し強い魔法を使ってもいいか。
「マヒャド!」
「ガァァッ!? 今までより強い氷か! だが、火を使わない俺に氷は無意味だ!」
「チッ、やっぱりダメか」
ベギラゴン、マヒャド、メラゾーマはスマウグにほぼ効果がない。バギ系とイオ系は人が全くいなくなったといえない以上、相変わらず使えない。
倒されることはないけど、倒すこともできない。どちらも決定打に欠けた泥沼の状況になってしまっていた。
そんな時だ。町の中央、鐘のついた塔の上に一人の男が現れた。何をしているのかと思っていると、その男はスマウグに向かって矢で攻撃し始める。けれどその矢はスマウグの鱗に弾かれてしまって全く意味をなしていなかった。
塔はまだ奇跡的に燃えていなかったが、あんなことをしていればいずれスマウグにやられるか、したから来た炎に焼かれてしまう。僕はスマウグの攻撃を掻い潜って塔に向かった。
「何をしているんだ! そんな矢で攻撃しても無駄だ! 死ぬ前に塔を降りて避難して!」
「それはできない。この町は俺の町だ。あんたに任せて俺だけ逃げるなんてできるか」
「そうは言っても、その弓じゃあいつに傷ひとつつけられないじゃないか」
「ああ、この矢じゃ無理だ。せめてあの矢が……黒い矢さえあれば……」
「黒い矢? それがあっても同じでしょ」
「いや、あの矢は昔やつに傷をつけたことがある。奴の左胸、そこに鱗のない部分が一箇所あるだろう? あれは黒い矢が当たって鱗を剥がしたあとだ。あそこにもう一度黒い矢を当てることができれば、奴は仕留められる」
そんなものがあったかと思って、スマウグの方を振り返ってみる。すれ違った時の勢いに乗って遠くまで行っていたスマウグはすぐ近くまで迫っていた。そしてよく見ると弓の男が言うように、左胸に一箇所鱗のない場所があるのがわかる。
確かにこの男が言うことが本当なら、もう一度あそこに黒い矢を当てられればこの膠着した状況を抜け出せるだろう。けどその前に、あのスマウグの火からこの人を逃さないと。
「スマウグが火を吹いてくる。この塔にいたら焼け死ぬよ。僕が貴方を抱えて飛ぶから、次に弓を撃てそうなところ探して教えて。もしくは避難してもいい」
「わかった。場所を探す。あんたは「父さん!」なに!? バイン、何故ここに!?」
弓の男の言葉を遮ったのは、塔を登ってきた少年だった。その少年には見覚えがあった、バルドの家にいた少年だ。
「君はバルドの家にいた……てことは貴方がバルドか」
「ああそうだ……マズいッ! 後ろだ!」
「二人とも掴まれ!」
僕は弾のような勢いで少年とバルドを掴み飛び上がる。すると足元スレスレに炎が掠めた。けれど奴の炎はこんなものじゃない。首の角度を変えて炎の向きを調整してくるスマウグに対して、僕は飛びながら二人にフバーハを重ねがけした。
ダメだ。これじゃあバルドはともかく少年はやられる。仕方ない。
僕は二人を上に放り投げる。バルドの抗議の声を無視して、呪文を唱えた。
「ドラゴラム!」
僕の体は呪文によって一瞬にして巨大な竜に変わる。変身には数秒かかるけど、これなら一瞬だ。
「何っ! 竜だと!?」
驚くバルドとその息子を背中でキャッチして、腹でスマウグのブレスを受ける。
『しっかり掴まれ。振り落とされるぞ』
俺はバルドたちにそう言うと、スマウグの巨体では難しい旋回をしてから最高速でスマウグから距離をとった。
『よし、これで立て直せる』
「おい、これはどういうことだ! お前は奴の仲間だったのか!」
『そんなわけないだろ。これは竜に変身する魔法だ。それに竜だからと言った奴の仲間とは限らんだろ。決めつけるな』
「そ、そんな魔法があるのか。すまん、取り乱した」
『いい。それよりここからどうするか考えてくれ。この魔法は長くは続かないぞ』
これは本当だ。姿形はほとんど変身した姿と同じだが、何もかもが変身した時より劣っているうえ、この姿を維持できる時間もせいぜい一時間程度しかない。
「そうなのか。いや、しかし、黒い矢が無いことにはどうしようも……」
「父さん、これ! これでしょ、黒い矢」
「バイン! お前これを俺に届けるために来たのか! でかした、これならなんとかなる!」
「でも父さん、弓はあるの?」
「弓? しまった、さっきので落としたのか!」
少年の機転で黒い矢は手元に来たのに、今度はそれを撃つための弓を落としたらしい。だけど弓ならなんとかなる。
『バルド、俺の背のどこかに魔法の鞄がある。その中に大弓が入ってるはずだ。大弓でも使えるか?』
「あ、ああ使える」
『よし、じゃあ探せ! そのあいだ俺は奴から逃げ回る。でもいつまでもは逃げられない。時間はあまり無いぞ』
「わかった。バイン、お前も手伝ってくれ」
「わかったよ父さん」
俺の背中で鞄を探す親子、迫るスマウグを避ける俺。避けるたびに大きく揺れてそれほど広くないはずの捜索範囲でも手こずる。
ようやく鞄が見つかっても今度は大弓を取り出すのに一苦労して、取り出したら今度は矢を正確な場所に撃つために飛び方を安定させろと、注文をつけられた。
「忌々しいニセモノが。役立たずの人間ニ匹を背中に乗せて何をするつもりだ?」
『この状況でまだわからんのか。お前を倒すんだよ』
「笑わせるな。そんな蟻以下の輩に何ができる」
『後ろのやつに聞いてみな』
そう言って俺は背中がよく見えるように体を動かしてスマウグに見せてやる。
「フッ、弓矢なんぞで俺様が……まて、それは黒い矢か」
その問いに今度はバルドが答える。
「ああそうだ。お前の左胸の鱗を削いだ黒い矢だ。そして俺はその矢を撃った男の子孫。名はバルド」
「ふん、黒い矢だと。そんなもの、撃たせる前に切り刻めばいい!」
「来るぞ!」
『わかっている。お前ら落ちるなよ!』
突っ込んでくるスマウグに対して、こちらも真正面から突っ込む。体格差から正面で当たればこちらが負ける。スマウグもそれがわかっているから顔がどことなくニヤついていた。
もちろんただ突っ込むわけがない。ある地点で俺は翼を止めて窄めると左回りで回転した。これにより重力と空気抵抗による減速でスマウグの左斜め下十数メートル地点を通過する。
そして計算していた通り、回転した背中が再び空を向く時、バルドはその恐るべき技量で高速の中、正確に黒い矢を鱗の剥がれた部分に撃ち込んだ。
「ギャアァァァッ!!」
凄まじ声量の悲鳴が湖に鳴り響く。それはまさしくスマウグの断末魔だった。
スマウグの体は糸が切れたように落下し始め。やがて燃え盛る町の一角に墜落した。
その後、しばらく上空からスマウグが再び動き出さないかと警戒したが、奴の体は少しも動くことはなかった。