LLM物語   作:hmm

7 / 7
灰色都市の『空白』- [超能力]

 世界には、能力者と呼ばれる人間がいる。

 昔は、奇跡と呼ばれた。

 

 空を飛ぶ者。炎を生み出す者。傷を癒やす者。壁をすり抜ける者。機械に触れずに動かす者。数      秒先の未来を見る者。人の夢に入り込む者。

 

 能力の種類は、あまりにも多かった。

 そして今では、それらは珍しいものではない。

 

 人口の約八割が、何らかの能力を持っている。

 能力を持つことが特別なのではない。

 

 能力を持ちながら、何にそれを使うのか。

 それこそが、この世界で人間を分けるものだった。

 

 

 炎を操れる少年が消防士になり、炎を操れる犯罪者が銀行を焼く。

 

 

 記憶を読む能力者が裁判所で真実を探し、別の記憶を読む者が他人の秘密を売る。

 

 

 未来予知を持つ者が事故を防ぎ、未来予知を持つ者が競馬で財産を築く。

 

 

 能力は善でも悪でもない。

 包丁と同じだ。

 

 料理に使う人間もいれば、誰かを傷つける人間もいる。

 

 ただし、一つだけ違うことがあった。

 

 この世界では、能力は本人の心と深く結びついていた。

 だから、使うほどに能力は変質する。

 

 

 癒やしを繰り返した者は、次第に「傷つく前の状態」を作れるようになる。

 

 

 盗みを繰り返した者は、やがて「盗む」という概念そのものを扱えるようになる。

 

 

 能力の進化は、才能ではなく、生き方によって決まる。

 そして――その事実を知る者は、ほとんどいなかった。

 

 ◆

 

 午前七時三十分。

 

 灰島市立第一高等学校。

 校門前に設置された巨大な表示板には、今日の能力犯罪発生件数が表示されていた。

 

 《昨日の市内能力犯罪発生件数 十三件》

 《軽犯罪 九件》

 《重犯罪 四件》

 《死亡者 〇名》

 

 「平和だなー」

 

 そう言って、制服姿の少女が表示板を見上げていた。

 

 桐生灯。十七歳。

 

 能力――《空白》。

 

 その能力を説明するのは難しい。

 灯自身にも、完全には分かっていない。

 分かっているのは、彼女が触れたものから「何か」を一時的に消せるということだった。

 

 色。

 

 音。

 

 温度。

 

 匂い。

 

 記憶。

 

 場合によっては、存在しているという認識さえ。

 ただし、灯自身はその能力を滅多に使わない。

 使えば使うほど、自分の記憶まで曖昧になるからだ。

 

「十三件を平和って言う人、初めて見た」

 

 隣で少年が言った。

 黒い髪。

 眠そうな目。

 名前は相馬蓮。

 灯の幼馴染であり、クラスメイトだった。

 

「死者ゼロなら平和でしょ」

 

「昨日、駅前で電車止まったけど」

 

「事故じゃないならいいじゃん」

 

「能力者が線路を透明にしたせいで、運転士が線路を認識できなくなったんだぞ」

 

「それは犯罪じゃん」

 

「軽犯罪だって」

 

 蓮はため息をついた。

 

「だから平和じゃない」

 

「じゃあ何?」

 

「普通」

 

 灯は少しだけ考えて、

 

「普通なら、もっと平和だね」

 

 と言った。

 

 二人は校舎へ向かった。

 その日も、最初は普通の一日になるはずだった。

 少なくとも、灯はそう思っていた。

 

 ◆

 

 午前八時四十五分。

 

 一時間目の授業が始まってから十二分後。

 校内放送が鳴った。

 

『全生徒は、その場で待機してください』

 

 教師が振り返る。

 

『校外からの不審者侵入を確認しました。能力警備局が対応します。生徒の皆さんは教室から出ないでください』

 

 教室がざわついた。

 

「また能力犯罪?」

 

「学校に?」

 

「この前の商店街みたいなやつ?」

 

 教師が慌てて生徒を落ち着かせようとする。

 

「静かに。警備局が来るまで、この教室から出ないように――」

 

 ――その瞬間だった。

 

 窓ガラスが、音もなく消えた。

 割れたわけではない。

 窓というものが、最初からそこになかったかのように消えたのだ。

 

「え?」

 

 教師が固まる。

 次の瞬間、二階から何人もの生徒が悲鳴を上げた。

 

「飛んでる!」

 

 誰かが叫んだ。

 校庭の上空に、少女が一人浮かんでいた。

 

 灰色のコート。

 

 白い仮面。

 

 長い髪。

 

 彼女は、校舎から十メートルほど離れた空中で止まっていた。

 その背後には、何か黒い線が走っている。

 空間に描かれた亀裂のようだった。

 

『……見つけた』

 

 少女が呟く。

 

『《空白》』

 

 灯の背中が冷たくなった。

 

「……なんで」

 

 ――知られている。

 

 灯の能力を。

 

 それだけじゃない。

 

 あの女は、灯を探してきた。

 

『桐生灯』

 

 名前を呼ばれた。

 

 教室中の視線が灯へ集まる。

 

「桐生?」

 

「灯?」

 

 灯は立ち上がった。

 

「私……?」

 

 仮面の少女は答えなかった。

 代わりに右手を上げた。

 

 そして――指を鳴らした。

 

 世界が一瞬、黒くなった。

 

 窓も。

 

 机も。

 

 人も。

 

 音さえも。

 

 すべてが消えた。

 

 正確には、「見えなくなった」。

 

 誰も何も認識できない。

 闇の中で、灯だけが立っていた。

 

 いや。

 

 一人ではなかった。

 

「……お前」

 

 蓮の声がした。

 灯は手を伸ばす。

 

「蓮!」

 

「俺がいる」

 

 声はする。

 だが姿が見えない。

 

「動かないで」

 

「分かってる」

 

 ――その瞬間。

 

 闇の向こうから、別の声が聞こえた。

 

『能力者の皆さん』

 

 女の声。

 

『あなたたちは、自分たちが何者なのか知らない』

 

 灯の心臓が跳ねた。

 

『あなたたちの能力が、どこから来たのか』

 

『なぜ能力に進化があるのか』

 

『なぜ人間だけが能力を持つのか』

 

『なぜ能力者が増え続けているのか』

 

 校内のどこかで、何かが爆発した。

 

 轟音。

 

 教師の悲鳴。

 

 生徒の泣き声。

 

 だが灯には何も見えない。

 

『すべて、嘘だ』

 

 そして暗闇が晴れた。

 少女はいなかった。

 校庭には大きな黒い穴が空いている。

 校舎の壁には、巨大な文字が残されていた。

 

 ――「能力は人間のものではない」

 

 ◆

 

 その日の午後。

 

 学校は閉鎖された。

 

 警察。

 能力犯罪対策局。

 国家能力管理院。

 

 三つの組織が学校を取り囲んだ。

 生徒たちは全員帰宅させられた。

 

 灯だけは違った。

 

 校内の会議室に呼び出されていた。

 

「桐生灯さん」

 

 正面に座った男が言った。

 

 三十代後半。

 黒いスーツ。

 

 胸元には能力犯罪対策局の紋章。

 

「名前は?」

 

「……桐生灯です」

 

「能力は?」

 

「《空白》」

 

「具体的に」

 

「触れたものから、何かを消します」

 

「何を?」

 

「いろいろです」

 

「例えば?」

 

「音とか、色とか」

 

 男がメモを取る。

 

「記憶も?」

 

 灯は黙った。

 

 男の手が止まる。

 

「……記憶も消せるんですね」

 

「条件があります」

 

「何です?」

 

「私より強い記憶は、完全には消せません」

 

「強い記憶?」

 

「本人にとって重要な記憶です」

 

 男はしばらく灯を見た。

 

「今回の犯人について、何か心当たりは?」

 

「ありません」

 

「白い仮面の女は?」

 

「知りません」

 

「彼女はあなたを名指ししました」

 

「それは私にも分かりません」

 

 沈黙。

 

 男はペンを置いた。

 

「……一つ聞きたい」

 

「はい」

 

「君は能力を、どれくらい使ってきた?」

 

 灯は少し考えてから答えた。

 

「ほとんど使ってません」

 

「嘘では?」

 

「本当です」

 

「なぜ?」

 

 灯は目を伏せた。

 

「怖いからです」

 

「能力が?」

 

「違います」

 

 灯は自分の右手を見る。

 

「使っているうちに、自分のことまで消えそうだから」

 

 男の表情が変わった。

 

「どういう意味だ?」

 

「昔、私には妹がいました」

 

「……いました?」

 

「三年前に亡くなりました」

 

 灯は静かに続けた。

 

「そのとき、私は能力を使いました」

 

「何のために?」

 

「妹が死んだっていう記憶を消したかった」

 

 男は何も言わなかった。

 

「でも、完全には消えなかった」

 

「どうなった?」

 

「妹が死んだことは覚えてる」

 

「……」

 

「でも」

 

 灯は眉を寄せた。

 

「顔が思い出せません」

 

 ◆

 

 夜。

 

 灯は自宅の屋根に座っていた。

 街には無数の光が浮かんでいる。

 空を飛ぶ配達員。

 

 手のひらから電気を流して路面電車を動かす作業員。

 ビルの壁面に広告を直接映像として描く能力者。

 

 能力は、生活の一部だった。

 

 火を起こすライターなど、とっくに時代遅れだ。

 

 温度操作能力者がカフェでコーヒーを温める。

 記憶転写能力者が授業を映像化する。

 感情探知能力者が、商談相手の反応を確認する。

 

 便利な世界。

 

 豊かな世界。

 

 だが同時に、危険な世界。

 能力犯罪は年々増加していた。

 

 銀行強盗。

 

 誘拐。

 

 暗殺。

 

 記憶改竄。

 

 人格操作。

 

 街そのものを変形させる犯罪。

 その一方で、能力を人のために使う者もいた。

 

 災害救助。

 

 医療。

 

 建設。

 

 物流。

 

 犯罪捜査。

 

 世界は能力によって進歩した。

 

 そして同時に、能力によって壊れかけていた。

 

「眠れないの?」

 

 背後から声がした。

 

 蓮だった。

 

「勝手に入らないでよ」

 

「窓開いてた」

 

「それは入っていい理由にならない」

 

「でも屋根には来るだろ」

 

「ここ私の家」

 

「幼馴染の権利」

 

 灯は少し笑った。

 

 その笑顔は、すぐに消えた。

 

「ねえ、蓮」

 

「ん?」

 

「あの女の言ってたこと」

 

「能力の起源?」

 

「うん」

 

「気になる?」

 

「すごく」

 

 蓮は屋根に腰を下ろした。

 

「俺も」

 

「……でも、警備局が調べるよ」

 

「調べるだけじゃない」

 

「え?」

 

「学校の監視カメラ、全部消えてた」

 

「能力?」

 

「たぶん」

 

「誰が?」

 

「分からない」

 

 蓮は空を見た。

 

「でも、もっと変なことがある」

 

「何?」

 

「事件が起きる直前、俺のスマホにメールが届いた」

 

「誰から?」

 

 蓮はスマホを見せた。

 

 差出人不明。

 

 本文は一行。

 

 ――《空白が目を覚ます》

 

 灯の指が震えた。

 

「……何これ」

 

「知らない」

 

「返信した?」

 

「してない」

 

「削除は?」

 

「怖くてできない」

 

 灯はしばらく画面を見つめた。

 

 ――すると。

 

 新しいメールが届いた。

 

 ――《十二年前の事故を知りたいなら、旧第七区画へ》

 

 灯は息を止めた。

 

「十二年前……」

 

 蓮が灯を見る。

 

「何?」

 

「私が妹を失ったのは、三年前」

 

「うん」

 

「でも」

 

 灯は画面を握りしめた。

 

「十二年前にも、何かあった」

 

 ◆

 

 翌朝。

 

 二人は旧第七区画へ向かった。

 そこは都市開発から取り残された地域だった。

 

 高層ビルの影。

 

 使われなくなった工場。

 

 封鎖された研究施設。

 

 そして、誰も近づかない地下施設。

 

 入口には古い看板が残っていた。

 

 《国立能力研究機構 第七実験棟》

 

「研究施設……?」

 

 蓮が呟く。

 

「入って大丈夫かな」

 

「大丈夫じゃないと思う」

 

「じゃあ帰る?」

 

「嫌」

 

「即答」

 

 灯は扉に手を触れた。

 古い金属扉だった。

 錆びている。

 鍵もかかっている。

 

 ――灯が目を閉じた。

 

「《空白》」

 

 指先から、静かな感覚が広がる。

 鍵という存在から、「閉じている」という性質だけを消す。

 

 カチリ。

 

 扉が開いた。

 

「相変わらず便利だな」

 

「便利って言わないで」

 

「なんで?」

 

「これ、便利って思った瞬間にもっと使いたくなるから」

 

「……そっか」

 

 地下へ進む。

 階段は深かった。

 

 十メートル。

 

 二十メートル。

 

 三十メートル。

 

 そして最深部。

 

 そこには巨大な部屋があった。

 

 壁一面に端末。

 中央には透明なカプセル。

 

 その中には、一枚の古い写真があった。

 

 白衣姿の男女。

 研究員らしい。

 

 ――そして、その中央に。

 

 一人の幼い少女。

 

「……灯」

 

 蓮が呟いた。

 

「これ」

 

 灯は写真を見つめる。

 見覚えがあった。

 自分だった。

 幼い頃の自分。

 

 ――そして隣に、もう一人。

 

 妹。

 

「なんで……」

 

 灯の頭が痛む。

 写真の裏を見る。

 文字があった。

 

 《実験体A-00》

 

 《能力:空白》

 

 《適性:最高》

 

 《経過観察期間:七年》

 

 灯は震えた。

 

「実験……?」

 

 蓮が端末を見る。

 

「ここ、データ残ってる」

 

 画面を起動する。

 大量の記録が表示された。

 そして、その中に一つ。

 

 《能力発生源仮説》

 

 蓮が読む。

 

「能力は、生まれつきじゃない」

 

 灯は顔を上げる。

 

「……何?」

 

「もっと下に書いてある」

 

 蓮がスクロールする。

 

「能力とは――」

 

 その瞬間。

 

 部屋のスピーカーから声が流れた。

 

『ようやく来たのね』

 

 二人が振り返る。

 

 白い仮面。

 灰色のコート。

 

 昨日の少女が立っていた。

 

「あなた……」

 

『桐生灯』

 

「私を知ってる理由は?」

 

『知っているとも』

 

 少女は仮面を外した。

 

 灯は息を呑んだ。

 

 そこにあった顔は。

 

 幼い頃に見た記憶。

 

 写真の中にいた少女。

 

「……妹?」

 

 蓮が絶句する。

 

「でも、死んだんじゃ……」

 

 少女は笑った。

 

『死んだ?』

 

 その笑顔には、どこか悲しさがあった。

 

『違う』

 

 少女は胸元を押さえた。

 

『お姉ちゃんが消したの』

 

 灯は後ずさった。

 

『あの日、お姉ちゃんは私の死を受け入れられなかった』

 

 少女の瞳が揺れる。

 

『だから、《空白》を使った』

 

 灯の脳裏に断片的な光景が浮かんだ。

 

 血。

 

 炎。

 

 泣き声。

 

 小さな手。

 

 妹の声。

 

 ――お姉ちゃん。

 

 ――大丈夫だよ。

 

 ――私、怖くないよ。

 

 そして最後に。

 自分の手。

 妹に触れている。

 

『お姉ちゃんは、私を殺した』

 

「違う……」

 

『違わない』

 

「違う!!」

 

 灯の声が地下室に響いた。

 

『でも、殺したから終わったわけじゃない』

 

「……え?」

 

『お姉ちゃんの能力は、物を消す能力じゃない』

 

 妹が一歩近づく。

 

『《空白》は、世界から意味を消す能力』

 

 灯の呼吸が止まる。

 

『死という意味を』

 

『記憶という意味を』

 

『存在という意味を』

 

『因果という意味さえ』

 

 妹は笑う。

 

『お姉ちゃんが消したのは、私じゃない』

 

『私の「死んだ」という事実』

 

 灯の頭の中で、何かが繋がった。

 だから妹は存在している。

 だから記憶が曖昧だった。

 だから世界のどこにも、妹の死亡記録が残っていなかった。

 

 ――いや。

 

 残っていないのではない。

 灯が消したのだ。

 妹が死んだという意味そのものを。

 

「じゃあ……今までどこに」

 

『ここ』

 

 妹は研究施設の奥を指差した。

 巨大な機械があった。

 その中央には、何千本ものコードが繋がっている。

 そして、その装置の奥に。

 無数のカプセルが並んでいた。

 中には人間がいる。

 

「何……これ」

 

『能力を持つ人間』

 

 妹が言う。

 

『正確には、能力を「発生させる」ための人間』

 

 灯の顔から血の気が引いた。

 

『十二年前、この研究施設では人為的な能力の生成実験が行われていた』

 

『成功したのが、お姉ちゃん』

 

『そして、失敗したのが私たち』

 

「私たち……?」

 

『能力者は八割じゃない』

 

 妹が静かに言う。

 

『八割の人間が能力を持つようになった原因が、ここにある』

 

 蓮が画面を睨む。

 

「まさか……」

 

『世界中にばら撒かれた』

 

 妹の言葉が落ちる。

 

『実験装置から放出された能力因子が、大気や水、食物を通じて拡散した』

 

『だから子供たちは、生まれたときから能力を持つ』

 

『でも、能力の本体は――』

 

 妹が研究施設の床を指差した。

 床の下から。

 何か巨大な音がした。

 

 ドン。

 

 ドン。

 

 ドン。

 

 まるで。 ――心臓の鼓動のように。

 

 妹は笑った。

 

『あれが、能力の本体』

 

 ◆

 

 突然、施設全体が揺れた。

 警報が鳴る。

 赤い光が点滅する。

 そして、壁が割れた。

 

 そこから何かが這い出してきた。

 

 人間の形をしている。

 だが、人間ではない。

 体の表面に無数の目。

 腕が四本。

 

 そのすべてが別々の方向を指している。

 

 蓮が叫ぶ。

 

「何だあれ!」

 

 妹が答える。

 

『実験体』

 

 怪物が咆哮した。

 床が吹き飛ぶ。

 蓮は右手を前に出した。

 

 彼の能力は《反射》。

 

 触れた物体の運動を、そのまま別方向へ反射できる。

 飛んできた鉄片を受け止め、壁へ弾き返す。

 怪物が突進してくる。

 

「灯!」

 

「分かってる!」

 

 灯は右手を伸ばした。

 怪物に触れる。

 

 《空白》。

 

 灯が消したのは、「敵意」だった。

 怪物が止まる。

 何をすればいいのか分からなくなる。

 

「今!」

 

 蓮が走る。

 拳を怪物へ叩き込む。

 衝撃を反射。

 怪物は吹き飛んだ。

 

 だが――

 

 すぐに立ち上がった。

 

「効いてない!」

 

 妹が叫ぶ。

 

『こいつらには、能力がない』

 

「じゃあ何なの!」

 

『能力になる前のもの』

 

 怪物が口を開いた。

 そこから黒い霧が溢れ出す。

 灯は一歩下がる。

 

 霧に触れた瞬間。

 記憶が揺らいだ。

 

 学校。

 

 両親。

 

 蓮。

 

 妹。

 

 何もかもが薄くなる。

 

「灯!」

 

 蓮が腕を掴んだ。

 

「しっかりしろ!」

 

「私……」

 

 名前が思い出せない。

 

 自分の名前。

 

 家。

 

 学校。

 

 昨日何を食べたか。

 

 全部が消える。

 

 能力が暴走している。

 

 自分自身まで空白になっていく。

 

『お姉ちゃん!』

 

 妹が叫ぶ。

 

『私を思い出して!』

 

 灯は首を振る。

 

「……誰?」

 

 妹の顔が歪む。

 

『……そっか』

 

 一瞬。

 悲しい顔をした。

 そして。

 

『じゃあ、私が消した分を返す』

 

 妹の手が灯の胸に触れた。

 世界が反転した。

 失っていた記憶が、一気に戻ってくる。

 

 母。

 

 父。

 

 学校。

 

 毎日の食卓。

 

 雨の日。

 

 夏祭り。

 

 そして。

 

 妹。

 

 笑っている。

 

 泣いている。

 

 一緒に眠っている。

 

 一緒に喧嘩している。

 

 そして、最後の日。

 

 炎の中。

 

「……そうだ」

 

 灯は涙を流した。

 

「あなた……」

 

 妹が微笑んだ。

 

「美空」

 

 名前を呼んだ。

 

 妹――美空は、目を閉じた。

 

「やっと呼んでくれた」

 

 怪物が再び動き出す。

 だが今度は、灯は逃げなかった。

 

「蓮」

 

「何」

 

「私、一つだけ分かった」

 

「何を?」

 

 灯は怪物を見る。

 

「能力は、使い方を選ぶだけじゃない」

 

 右手を伸ばす。

 

「何を消すかも、自分で選ばなきゃいけない」

 

 怪物に触れる。

 

 そして――

 

 《空白》。

 

 敵意を消す。

 攻撃性を消す。

 恐怖を消す。

 

 それだけではない。

 

 怪物を怪物として認識するための「意味」を消す。

 

 怪物の身体から、黒い霧が抜けていく。

 巨大な肉体が崩れる。

 内部から、小さな子供が出てきた。

 

 裸足。

 痩せた身体。

 震えている。

 

「……子供?」

 

 灯は駆け寄る。

 子供は怯えていた。

 

「大丈夫」

 

 灯が手を伸ばす。

 子供は震えながら、その手を握った。

 灯は微笑む。

 

「もう大丈夫」

 

 ◆

 

 研究施設の上部では、爆発が起きていた。

 国家能力管理院が突入してきたのだ。

 

 警報。

 

 銃声。

 

 叫び声。

 

 能力の衝突。

 

 炎。

 

 氷。

 

 雷。

 

 重力操作。

 

 空間転移。

 

 透視。

 

 無数の能力が地下施設を包む。

 それは正義と犯罪の戦いなのか。

 それとも――。

 秘密を守ろうとする者と、秘密を暴こうとする者の戦いなのか。

 灯には、もう分からなかった。

 

 美空が言う。

 

「お姉ちゃん」

 

「何?」

 

「ここから出よう」

 

「うん」

 

「でも、その前に一つだけ」

 

「何?」

 

 美空は地下の最深部を指差した。

 そこには巨大な扉があった。

 今まで誰も気づかなかったほど、深い場所。

 扉には文字が刻まれている。

 

 《第一次能力発生源》

 

 灯の背中に悪寒が走った。

 

「……あれは?」

 

 美空が答える。

 

「能力の始まり」

 

「この施設じゃないの?」

 

「違う」

 

「じゃあ、あれは何?」

 

 美空は静かに言った。

 

「私たちが作ったものじゃない」

 

「……え?」

 

「私たちは、見つけただけ」

 

 灯は扉を見る。

 

「何を?」

 

「人間より前から、そこにあったもの」

 

 蓮が二人の背後に立つ。

 

「待って」

 

 彼は地下の奥へ目を向ける。

 

「それ、本当?」

 

 美空は頷く。

 

「たぶん」

 

「たぶんって……」

 

 ――その瞬間。

 

 扉の向こうから。

 声が聞こえた。

 

 低い。遠い。

 

 人間の声ではない。

 だが、確かに言葉だった。

 

『――遅かった』

 

 灯は息を止めた。

 美空の顔から笑みが消える。

 蓮は拳を握る。

 そして――。

 扉が開いた。

 中には、何もなかった。

 

 ただ。

 

 真っ黒な空間だけが広がっていた。

 

 光が入らない。

 音もない。

 壁も床も天井もない。

 

 まるで世界から切り離された「空白」。

 

 灯はその光景を見ていた。

 なぜか。

 懐かしかった。

 初めて見たはずなのに。

 ずっと昔から知っていたような気がした。

 

「……私」

 

 灯は呟く。

 

「これ、知ってる」

 

 蓮が見る。

 

「どこで?」

 

「分からない」

 

 胸が痛い。

 頭の奥で何かが叫んでいる。

 記憶ではない。

 

 本能。

 

 もっと古い何か。

 そして、黒い空間の奥で。

 何かが目を開けた。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 数え切れないほど。

 それは巨大な何かだった。

 

 人間より大きく。

 都市より大きく。

 世界よりも大きい何か。

 そして、それは灯を見た。

 

 声がした。

 

『ようやく、器が戻った』

 

「器?」

 

『そう』

 

 灯の足元に、ひびが入る。

 

『お前は、始まりではない』

 

『終わりでもない』

 

『お前は――』

 

 言葉が途切れる。

 

 ――直後。

 

 世界中で、同時に能力が発動した。

 

 空を飛んでいた人間が、一斉に地上へ落ちる。

 街灯が爆発する。

 病院の治癒能力者たちが突然能力を失う。

 銀行では、金庫を守る能力者の力が逆流する。

 海の上では、海面を凍らせる能力者が暴走し、巨大な氷の壁を作る。

 そして世界中の人間の頭の中に。

 

 一つの言葉が浮かんだ。

 

 ――「返して」

 

 灯は膝をついた。

 

「……何を」

 

 黒い空間の声が答える。

 

『すべてを』

 

 灯は震えながら立ち上がる。

 美空が隣に立つ。

 蓮も立つ。

 三人で、暗闇を見る。

 

 街の上では、まだサイレンが鳴っている。

 誰もこの出来事の意味を知らない。

 

 能力を正義のために使う者も。

 犯罪に使う者も。

 自分の生活のために使う者も。

 

 誰も知らない。

 

 自分たちが持っている力が。

 どこから来たのか。

 何のために与えられたのか。

 

 そして・・・

 

 誰のものなのか。

 

 灯は右手を握った。

 

 《空白》が、指先から滲み出る。

 

「美空」

 

「うん」

 

「蓮」

 

「何?」

 

「帰ろう」

 

 二人が頷く。

 けれど灯は、最後にもう一度だけ振り返った。

 

 暗闇の奥。

 

 巨大な何かがこちらを見ている。

 その姿は、まだ見えない。

 それでも灯には分かった。

 

 あれは敵ではない。

 味方でもない。

 

 そもそも。

 

 人間と同じ尺度で「敵味方」という言葉を使える存在ではない。

 

 ただそこにいる。

 ずっと昔から。

 人間が能力を知るよりも。

 この世界が今の形になるよりも。

 遥か昔から。

 

 ――そして今。

 

 それが目を覚ました。

 

 灯は歩き出した。

 世界は、今日から変わる。

 

 ――いや。

 

 本当は、とっくに変わっていたのだ。

 誰も気づかなかっただけで。

 

 能力とは、奇跡ではなかった。

 呪いでもなかった。

 贈り物でもなかった。

 

 それは、この世界そのものに隠された「何か」の一部だった。

 そして、その秘密を知る者たちが動き始める。

 

 能力を正義に使う者。

 能力を犯罪に使う者。

 能力を金のために使う者。

 能力を支配のために使う者。

 

 ――そして。

 

 能力を捨てたいと願う者。

 

 世界中の人間が、それぞれの答えを探し始める。

 その先に待つものが。

 

 救いなのか。

 

 滅びなのか。

 

 それとも、そのどちらでもないのか。

 

 まだ、誰にも分からない。

 ただ一つ確かなのは。

 

 桐生灯という一人の少女が、その中心に立ってしまったことだけだった。

 

 ――そして彼女はまだ知らない。

 

 彼女が「空白」と呼んでいた能力の本当の名前を。

 

 ――《世界から、不要なものを消す力》。

 

 その「不要なもの」の中には。

 もしかすると。

 人間そのものさえ含まれているのかもしれなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。