研究レポート:六面世界における魔法について 作:えびかま
『火を出す時と、水を出す時。俺は何を変えている?』
その下には、しばらく何も書かれなかった。
書けなかった、と言った方が正しい。
火を出す。
水を出す。
風を起こす。
土を盛り上げる。
違う。
それだけは分かる。
だが、何が違うのかと聞かれると分からない。
ディーンは最初、単純に魔力量の違いではないかと考えた。
火を出す時には少ない。
水なら少し多い。
土はもっと多い。
そういう違いが、感覚の差として現れているのではないか。
考えてみれば、確かめたことがない。
だから調べることにした。
問題は、魔力の量をどう測るかだった。
「魔力量を測りたい?」
魔力学の講師は、ディーンの質問を聞いて眉を上げた。
「はい」
「何のために?」
「火と水で、使ってる魔力が違うかもしれないから」
「それなら、同程度の規模の魔術を繰り返して、消耗までの回数を比較する方法はある」
「もっとちゃんと測れません?」
「ちゃんと、とは?」
「一回でどれくらい使ったか」
講師は腕を組んだ。
「簡単には無理だな」
「簡単じゃなかったら?」
「それでも難しい」
ディーンは黙った。
講師は説明を続けた。
魔力の総量そのものを正確に測定する方法は確立されていない。
魔道具の中には、一定量の魔力を受け取るものがある。魔力を蓄えるものも存在する。しかし、人間から流れ出た魔力を細かく数値化して、一回の魔術でどれだけ消費したかを正確に比較するような道具は、少なくとも学生が簡単に使えるものではない。
「じゃあ、みんなどうやって多いとか少ないとか言ってるんです?」
「経験的な比較だ。術者本人の消耗、発動可能な回数、必要とされる技量。そういったものを総合している」
「結構、雑ですね」
「だから研究する余地がある」
言われて、ディーンは少し黙った。
「……なるほど」
研究する余地がある。
その言葉は気に入った。
まずは教えられた通り、回数で比較することにした。
訓練場に同じ大きさの的を並べる。
小さな水球を作る。
一つ。
消す。
二つ。
消す。
三つ。
一定の大きさを保つ。
同じ距離。
同じ高さ。
できるだけ同じ時間だけ維持する。
十。
二十。
三十。
途中から眠くなってきた。
四十を超えたところで、帳面の数字が怪しくなった。
五十を過ぎた頃には、数えること自体が面倒になった。
それでも続けた。
限界までやって、その日は寝た。
翌日。
今度は火。
同じくらいの大きさ。
同じくらいの時間。
一つ。
二つ。
三つ。
途中で気づいた。
水球と火球の「同じ大きさ」に意味があるのか。
水はそこに物として存在している。
火は違う。
少なくとも、以前調べた時にはそうだった。
「……またこれか」
帳面に大きく斜線を引いた。
比較する条件そのものが揃っていない。
なら、一つの属性だけで調べればいい。
水に絞った。
小さな水球。
少し大きな水球。
さらに大きな水球。
発動できる回数を比べる。
大きなものほど早く疲れた。
これは予想通りだった。
『大きい水ほど魔力を多く使う』
書いた。
その翌日、同じ実験をした。
結果は少し違った。
さらに翌日。
また違った。
寝不足の日は早く疲れた。
朝から講義を受けた日も違った。
食事を抜いた日は、途中で腹が減って集中できなくなった。
前日に魔術を使っていれば、当然結果は変わる。
「人間、邪魔だな……」
呟いてから、自分のことだと気づいた。
それでも続けた。
朝に統一する。
前日は魔術を使いすぎない。
食事の時間も揃える。
できるだけ同じ生活をする。
三日目で嫌になった。
五日目には、友人でもない学生から「最近いつも同じ物を食べてないか」と聞かれた。
「実験」
「何の?」
「魔力」
「飯の?」
「違う」
説明すると、変な顔をされた。
その日の結果も、完全には揃わなかった。
だが、何度も繰り返していると大まかな傾向は見えてくる。
大きな水を作る方が疲れる。
速く飛ばせば、ただ落とすより疲れる。
長く維持すれば、それだけ疲れる。
当たり前と言えば当たり前だった。
それでも、当たり前を実際に確かめることには意味がある。
問題は、最初の問いだった。
火と水では何が違う。
そこには全く近づいていなかった。
ある日、ディーンは魔力学の講師へ途中までの記録を持っていった。
講師は以前より時間をかけて帳面を読んだ。
「随分変わったな」
「何がです?」
「帳面だ」
最初の頃は、思いついたことがそのまま並んでいた。
今は日付がある。
条件がある。
回数がある。
途中で失敗したなら、その理由も書いてある。
「で、分かりました?」
「君の研究だろう」
「見てもらってるんだから、何か言ってくださいよ」
講師は笑った。
それから、一つの頁を指した。
「少なくとも、魔術の規模や維持時間と消耗の間に関係があるらしい、というところまではいい」
「はい」
「だが、君が知りたいのはこれじゃないんだろう?」
一番後ろの頁を開かれる。
『火を出す時と、水を出す時。俺は何を変えている?』
「はい」
「なら、この実験だけでは足りない」
「やっぱり?」
「そもそも、君は何を比較したい?」
ディーンは少し考えた。
「魔力です」
「魔力の何を?」
答えられない。
量。
それは調べた。
少なくとも、量だけではない気がする。
「……分かりません」
「なら、今はそれでいい」
「よくないです」
「よくなくても、分からないものは分からない」
アルベルトと似たようなことを言う。
大学へ来てから、分からないと言われる回数が増えた。
「見えたらいいんですけど」
ディーンが言った。
「魔力が?」
「はい。火を出す時と水を出す時の魔力を並べて見られたら、何が違うか分かるかもしれない」
「そうだな」
「見えないんですか?」
「少なくとも、私は見えない」
「魔族なら?」
「魔力を知覚する種族についての報告はある。だが、それが君の求めているものを見ているかは別の話だ」
ディーンは顔を上げた。
「報告、どこです?」
講師がため息をついた。
「魔族研究なら西棟だ」
「ありがとうございます」
立ち上がる。
「ディーン」
「はい」
「講義があるだろう」
時計を見る。
あった。
「……明日行きます」
少しだけ、大学での生活に慣れてきていた。
それからも、ディーンは授業を受けた。
基礎魔術。
魔力学。
魔法陣。
魔道具。
空いている時間には魔物学にも顔を出した。
全部が自分の疑問につながって見えた。
だが、全部を追いかけると何も進まないことも分かってきた。
魔族の魔力知覚について調べ始めれば、その種族の身体構造を知らなければならない。
身体構造を調べれば、今度は治癒魔術との違いが気になる。
治癒魔術を読んでいると、欠損再生の問題へ戻ってしまう。
気づけば半日が消えている。
「……違う」
図書館で本を閉じた。
今日は火と水の話だった。
治癒は関係ない。
たぶん。
本を棚へ戻した。
少しして、また取りに戻った。
「あとで読む」
自分に言い聞かせて、机の端へ積んだ。
そんな生活が何か月か続いた。
季節が変わっても、最初の問いには答えがなかった。
ただ、分からないものの形は少しずつ変わっていた。
最初は、
『火と水では何が違う?』
だった。
今は、
『魔力量だけでは説明できない?』
になっている。
疑問符は消せなかった。
魔力そのものに属性があるという説も読んだ。
火魔術が得意な者と水魔術が得意な者では、魔力そのものに違いがあるのではないか。
筋は通っている。
そこでディーンは、学生を捕まえた。
「火、得意?」
「え?」
「火魔術」
「まあ……水よりは」
「ちょっと使ってみて」
「なんで?」
「調べたい」
断られた。
次の学生にも断られた。
三人目は、特別生のディーンに興味があったらしく付き合ってくれた。
火魔術を使ってもらう。
水魔術も使ってもらう。
見た。
何も分からなかった。
「どう?」
「分からない」
「じゃあ何で呼んだんだよ」
もっともだった。
それでも協力者を少しずつ増やした。
得意属性。
苦手属性。
詠唱。
発動時間。
本人が感じる違い。
「火は出しやすい」
「水は集中しにくい」
「土は重い感じがする」
「風は軽い」
言葉は集まった。
しかし、人によって表現が違う。
ある者が「重い」と言う感覚を、別の者は「詰まる」と言った。
同じものを感じているのかすら分からない。
ディーンはその頁の上に、
『感覚は証拠になる?』
と書いた。
翌日、
『なる。でも、そのままでは比べにくい』
と書き足した。
その頃には、教員へ見せる帳面と、自分だけが読む帳面を分けるようになっていた。
自分用の方は、相変わらず汚かった。
『火=熱い感じ? 違う。魔力が熱いわけじゃない』
『水=重い? 量のせい?』
『土=出す場所の問題?』
『風=分からん』
そんな言葉が並ぶ。
一度、魔力そのものに四つの属性があると仮定して整理してみた。
火の魔力。
水の魔力。
風の魔力。
土の魔力。
では治癒は。
解毒は。
結界は。
召喚は。
魔物の特殊な魔術は。
属性を増やせば説明はできる。
だが、それでは現象の数だけ魔力の種類を作ることになる。
「……それ、何でもありじゃないか?」
頁を見ながら呟いた。
もちろん、それだけで属性説が間違いとは言えない。
本当に大量の種類がある可能性だってある。
だから消さなかった。
横に、
『保留』
とだけ書いた。
以前なら、気に入らない説には大きく斜線を引いていた。
最近は、あまりやらなくなった。
分からないものを間違いにしてしまえば、帳面は簡単に綺麗になる。
でも、それではたぶん意味がない。
ある日の魔法陣実習で、ディーンは初級水魔術の魔法陣を使っていた。
規定された場所へ魔力を流す。
水が出る。
隣では別の学生が同じ魔法陣を使う。
同じように水が出た。
当然だった。
魔法陣なのだから。
そのまま次の教材へ移ろうとして、ディーンは止まった。
自分の手を見る。
もう一度、魔法陣を見る。
自分と隣の学生では、得意な魔術も魔力量も違う。
それでも同じ魔法陣へ魔力を入れれば、同じ水魔術が発動する。
「……先生」
「今度は何だ」
最近、この教員もディーンに呼ばれると最初から少し警戒する。
「これ、俺じゃなくても水出ますよね」
「そのための魔法陣だ」
「火が得意な人でも?」
「必要な魔力を供給できればな」
「魔力の種類が違っても?」
教員が少し考えた。
「魔力属性説の話か?」
「はい」
「その立場なら、魔法陣が供給された魔力を適切な状態へ変化させる、と説明するだろうな」
「魔法陣が?」
「そう考えれば矛盾はしない」
また説明できた。
ディーンは少しむっとした。
「便利ですね、その説」
「学説に腹を立てるな」
「だって何聞いても説明できる」
「何でも説明できる説が、優れた説とは限らない」
ディーンは教員を見た。
「なんで?」
「間違っていることを確かめる方法までなくなるからだ」
その言葉は、しばらく頭に残った。
その夜。
宿の机に二冊の帳面を並べた。
片方には、何か月も集めた記録。
もう片方には、思いつきと疑問。
魔力量。
属性。
詠唱。
無詠唱。
魔法陣。
得意属性。
魔物。
どれも途中だった。
答えはない。
ディーンは最初の帳面を開いた。
数か月前に書いた一文がある。
『火を出す時と、水を出す時。俺は何を変えている?』
その下に、ようやく一行書いた。
『少なくとも、量だけじゃない気がする。』
「気がする」
声に出す。
弱い。
証拠にはならない。
だから、その横に小さく、
『まだ分からない』
と書いた。
羽根ペンを置く。
ベッドへ向かいかけて、止まった。
振り返る。
机の上には、昼間使った魔法陣の写しがあった。
火が得意でも、水が得意でも。
同じ場所へ魔力を入れれば、同じ魔術が出る。
では、魔法陣の中で何が起きている。
考え始める。
すぐに首を振った。
「明日」
もう遅い。
最近ようやく、寝ることも研究のうちだと覚えた。
灯りを消した。
翌朝。
ディーンは講義が始まる前に図書館へ向かった。
探す棚は決まっていた。
魔法陣。
答えがあるとは思っていない。
ただ、自分の中にあって見えないものよりは、紙の上に描かれた線の方が調べやすそうだった。