研究レポート:六面世界における魔法について 作:えびかま
火を四つ用意する。
人間が使う火魔術。魔法陣によって発動する火魔術。魔道具によって生み出される火。そして、赤喉蜥蜴が吐く火。
同じ現象を異なる方法で起こし、その結果ではなく、発現するまでの過程を比較する。それがディーンの立てた次の計画だった。
だが、提出された計画書を読んだミレイユは、最初の一行で手を止めた。
「同じ火って何?」
「火は火でしょう」
「蝋燭と暖炉も?」
ディーンは黙った。
「大きさ、温度、続く時間。何を揃えたら『同じ』なの?」
改めて自分の計画書へ目を落とす。
『同じ火を四つの方法で発生させる』
書いた時には何の疑問も抱かなかった一文だった。だが、言われてみれば曖昧にもほどがある。ディーンはその一文に線を引いた。
「……最初からやり直します」
「そうしなさい」
結局、完全に同じ火を作ることは諦めた。
代わりに、大きさ、持続時間、対象までの距離など、揃えられる条件を可能な限り揃えることにした。そして揃えられないものについては、それ自体を条件の違いとして記録する。
人間、魔法陣、魔道具については、それである程度の調整ができた。
問題は赤喉蜥蜴だった。
「もうちょっと小さく吐いてくれればな」
森の中で観察を続けながら呟くと、隣にいたリゼットが真顔で答えた。
「頼んでみたら?」
「聞いてくれます?」
「聞くと思う?」
「思わない」
当然だった。
野生の魔物が人間の実験条件に従ってくれるはずがない。火の大きさも、吐く方向も、発動するタイミングもこちらでは決められない。
以前なら、それを実験の邪魔だと思ったかもしれない。
だが今は違う。
条件が違うのなら、その違いを消してしまうのではなく、違っているという事実を記録すればいい。揃えられないものまで無理に同じものとして扱えば、かえって結果を歪める。
そうして、四種類の火の比較が始まった。
*
一か月後。
研究室の机には、四種類の記録が並んでいた。
そしてディーンは、その中央で腕を組んだまま困り果てていた。
「全然違う」
魔法陣では、供給された魔力が線を通り、発動部へ至る。
魔道具では、内部の部品を経由し、発火を担う部分へ至る。
そこまでは追える。
だが、人間の身体の中は見えない。赤喉蜥蜴についても、発火前に喉が膨らむことまでは観察できても、その内部で何が起きているのかまでは分からなかった。
同じ火を比べたはずなのに、その手前にあるものは少しも同じには見えない。
「そもそも、同じものがあるって決まってるんですか?」
隣で記録を整理していたニコが、不意に言った。
「決まってない」
「じゃあ、ないかもしれませんね」
「それは困る」
「困っても変わらないでしょう」
正しい。
ディーンは反論せず、帳面を引き寄せた。
『同じ現象なら、発動過程にも共通点がある?』
そこまで書いて、一度筆を止める。そして少し考えてから、その下にもう一行付け加えた。
『分からない』
そもそも、共通点があることを前提に探す必要はない。
同じものを見つけようとするから、違うものが邪魔に見える。それなら最初から、何が違うのかを一つずつ比べていけばいい。
そう考え方を変えてから、止まっていた研究が少しずつ動き始めた。
*
最初に引っかかったのは、魔術を使う人間たちの言葉だった。
火魔術を使った術者への聞き取りでは、
『胸の辺りに溜める感じ』
『一度集めてから出す』
『固める感じ』
といった表現がいくつか出ていた。
一方、水魔術について尋ねると、
『腕を抜ける』
『手へ流れる』
『そのまま外へ出す』
という表現が比較的多い。
もちろん、それだけで何かを断定することはできない。
あくまで術者本人の感覚にすぎず、同じ感覚を別の言葉で表現している可能性もある。幼い頃からどう教えられてきたかによって、表現そのものが影響を受けていることも考えられる。実際の魔力が、本当に本人の言う通り動いている証拠などどこにもない。
それでも、ディーンには引っかかった。
「火と水で、魔力の通る場所が違う?」
ハルフェンに尋ねる。
「それを私に聞くな」
「じゃあ調べます」
聞き取りだけでは足りない。
ならば、もっと条件を操作できるものを使えばいい。
ディーンは再び魔法陣へ戻った。
同じ魔力供給量。同じ経路。同じ発動部。
変えるのは、途中の線幅だけ。
結果はすぐに出た。
線を細くすれば単純に威力が上がる、といった分かりやすい関係ではない。それでも線幅を変えると、発動までにかかる時間や魔術の安定性に差が生じた。
偶然を疑って何度も繰り返した。
それでも差は完全には消えなかった。
ニコが結果をまとめた紙を机に置く。
「経路は同じです」
「魔力量も?」
「同じ」
「違うのは?」
「線の太さ」
ディーンは目の前の魔法陣を見つめた。
経路は同じ。
供給した魔力量も同じ。
それなのに、結果が違う。
ならば少なくとも、『流向』だけでは説明できない。
「……通り方だけじゃない」
その時、横から記録を眺めていたミレイユが口を挟んだ。
「それ、魔道具でもあるわよ」
ディーンが振り返る。
「あるんですか?」
「魔力を通す部品。細すぎると不安定になるし、太くすればいいってものでもない」
「なんで?」
「知らない」
「調べてないんですか?」
「使えるもの作るのが仕事だもの」
ミレイユは悪びれもせずそう言うと、棚から数本の部品を取り出して机へ並べた。用途は似ているが、それぞれ太さが違っている。
「職人なら経験で知ってる。でも理由まで調べてる人は、私は知らない」
ディーンは一本ずつ手に取り、見比べた。
魔法陣だけではない。
魔道具にも、似た現象がある。
「借りていいですか?」
「壊さないなら」
ディーンは部品を見たまま少し考えた。
「……壊すかもしれない」
ミレイユが吹き出した。
「正直でよろしい。壊す前に言いなさい」
*
そこから先は速かった。
魔法陣の線幅を変える。魔道具の導路を変える。供給する魔力量を変える。それぞれを組み合わせ、条件を変えながら何度も発動させる。
そうして数週間分の結果が溜まる頃には、ニコの机まで記録用紙に占領されていた。
数字を並べても、単純な比例関係は見つからない。
線を半分にすれば結果が二倍になるわけでもなければ、太くするほど安定するわけでもない。
それでも、条件を変えて繰り返すうちに、一つだけ無視しにくい傾向が残った。
同じ量の魔力でも、それを通す場所の広さによって結果が変わる。
ディーンは何度目か分からないほど見返した記録を眺めた。
「同じ量なのに」
ニコが隣で頷く。
「同じ場所には入ってないですからね」
「どういう意味?」
「例えば十を、広いところ全部に入れるのと、狭いところに押し込むのは違うでしょう」
ディーンの目が止まった。
「もう一回」
「え?」
「今の」
勢いよく顔を向けられ、ニコがわずかに身を引いた。
「同じ量でも、入ってる場所の広さが違うって話です」
ディーンは再び魔法陣へ目を落とした。
同じ魔力量。
違う線幅。
同じ経路。
魔力そのものの総量は変わっていない。
違っているのは、それがどれだけ限られた場所に存在しているか。
「……集まり方」
「ですかね」
ディーンは筆を取った。
だが、すぐには書かなかった。
魔法陣と魔道具で似た結果が出ただけだ。まだ、それが何を意味するのかは分からない。
代わりに立ち上がる。
「サフィア先生いる?」
「今日は講義です」
「終わるまで待つ」
「何か思いついたんですか?」
「まだ」
そう答えながら、頭の中ではすでに次の実験を組み始めていた。
*
今度は魔法陣を使わなかった。
術者になるのはディーン自身だった。
サフィアとニコに観察と記録を頼み、同じ初級水魔術を条件を変えながら繰り返す。
一度目は、普段通り。
掌の前に水球を作る。
二度目は、使う魔力量をできる限り変えず、発現させる範囲を広げる。
三度目は逆に、発現範囲を一点へ絞る。
明らかに水の勢いが変わった。
「もう一回」
すぐに続けようとしたディーンを、サフィアが止めた。
「休んでからです」
「まだいけます」
「条件を揃えるのでしょう?」
その一言で、ディーンは大人しく椅子へ座った。
自分では疲れていないつもりでも、疲労によって結果が変われば意味がない。
休憩を挟み、もう一度繰り返す。
当然、一日では終わらなかった。
日を変える。体調を記録する。実施する順番を入れ替える。
水だけではなく風でも試した。火については安全のため出力を落とし、同じように発現範囲を変えていく。
結果は少しずつ積み上がった。
だが、この実験には最初から一つ、大きな問題があった。
術者がディーンしかいない。
無詠唱で魔力の扱いを細かく変えながら、それでも同じ魔術を安定して発動できる人間を、他に用意できなかった。
数日分の記録を見返しながら、ディーンは眉を寄せた。
「これ、俺にしか当てはまらないかもしれない」
「そうですね」
サフィアはあっさり認めた。
「じゃあ証拠にならない?」
「証拠にならないのではありません。言える範囲が狭いのです」
サフィアは机に並んだ記録の一枚を取った。
「少なくとも、ディーン君は魔力量を大きく変えずに、発現のさせ方を変えられる。そして本人には、その際に魔力を狭く集めたり、広げたりしている感覚がある」
「俺だけですけど」
「ええ。ですから、それ以上はまだ言わない」
ディーンは頷いた。
言われてみれば、それは昔から知っている感覚だった。
水を細く、速く撃ち出す時にも使っていた。無詠唱魔術を覚えてから、何度となく繰り返してきた操作でもある。
ただ、それを魔力そのものの性質として考えたことがなかった。
「俺、前からやってた」
「何をです?」
「魔力を狭いところに集めるのと、広げるの」
「そう感じる?」
「はい」
「では、それも記録しましょう。ただし――」
その先を聞く前に、ディーンが答えた。
「俺がそう感じることと、本当にそうなってるかは別」
「よくできました」
サフィアが少し嬉しそうに言った。
*
さらに一か月が過ぎた。
魔法陣。
魔道具。
そしてディーン自身。
三つの記録を重ねる。
完全には一致しない。
そもそも測定方法が違う。魔法陣や魔道具と違い、人間の身体内部で起きていることは直接観察できない。術者についてはディーン一人分の結果しかなく、それを人間一般へ広げることもできない。
それでも、魔法陣と魔道具という互いに異なる二つでは、独立して似た傾向が出ている。
『魔力量』
それだけでは説明できない。
『経路』
それだけでも説明できない。
同じ量の魔力が、どれだけ限られた場所へ集まっているか。
その違いが、魔術の発動に影響している可能性がある。
そこまで整理したところで、ディーンは一連の記録をハルフェンへ渡した。
ハルフェンは黙って読み始めた。
長い。
いつもより明らかに長かった。
「先生」
「黙ってろ」
「はい」
ディーンは口を閉じた。
ハルフェンは頁をめくり続ける。
魔法陣。
魔道具。
術者。
成功例だけではなく、失敗した実験もある。仮説に合わなかった結果も、反証になりそうな結果も外していない。
やがて最後まで読み終えると、ハルフェンは紙を机へ置いた。
「何と呼ぶ」
ディーンは一瞬、その意味が分からなかった。
「呼んでいいんですか?」
「呼ばなければ比較できん。だが、名前が正しいとは思うな」
以前、『流向』という名前を付けた時と同じだった。
名前を付けたから、その何かが存在すると証明されるわけではない。
ただ、調べるためには、曖昧な現象の中から一つを切り出して指し示す言葉がいる。
ディーンは帳面を開いた。
『一定の範囲に、どれだけ魔力が集まっているか』
書いてみると長い。
その下へ、
『集中度』
と書く。
少し違う。
集中させるという行為ではなく、その瞬間に魔力がどういう状態にあるのかを表したい。
横から記録を覗き込んでいたニコが言った。
「量が多いか少ないかじゃ駄目なんですか?」
「同じ量でも違っただろ」
「じゃあ……詰まり具合?」
「論文に書ける?」
「無理ですね」
そのやり取りを聞いていたミレイユが笑う。
「魔力の濃さでいいんじゃない?」
ディーンは少し考えた。
濃い。
薄い。
意味としては近い。
だが、もう少し量として扱える言葉が欲しい。
記録を眺めていたサフィアが口を開いた。
「同じ範囲の中に、どれだけ存在しているかを表したいのですよね」
「はい」
「なら、『密度』では?」
ディーンの手が止まった。
もう一度、これまでの記録を見る。
同じ魔力量。
違う線幅。
違う結果。
広げる。
集める。
魔道具の導路。
そして、自分自身が昔から感じていた感覚。
「……密度」
口に出してみる。
悪くない。
ディーンは帳面にその二文字を書いた。
『密度』
その下へ定義を書き加える。
『一定範囲における魔力の局所的な集中度』
さらに、
『総魔力量とは別に扱う』
そこで少し考え、最後に、
『仮称』
と付け加えた。
ハルフェンがそれを見る。
「これで二つだな」
ディーンも帳面へ視線を落とした。
『流向』
『密度』
魔力が、どこをどう通るか。
その場所に、どれほど集まっているか。
二つの言葉が並んだ。
だからといって、この二つがあれば魔術を説明できる――そんな気はしなかった。
むしろ逆だった。
一つ分かれば、その先に分からないものが増える。
「先生」
「なんだ」
「まだ足りない気がします」
「何が」
「分かりません」
ハルフェンはその答えを聞くと、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「なら、次はそれを調べろ」
ディーンは頷いた。
帳面には二つの言葉が並んでいる。
流向。
密度。
どちらも、まだ仮の名前にすぎない。
魔法を説明する理論と呼べるものでもない。
けれど、一年前にはただ、
『火を出す時と、水を出す時。俺は何を変えている?』
としか書けなかった問いに、ようやく二つの答えの候補ができていた。
ディーンはその頁をしばらく眺めた。
そして、一番下へ新しい問いを書き足す。
『では、同じ流向・同じ密度なら、同じ魔術になる?』
次にやることは決まった。