研究レポート:六面世界における魔法について   作:えびかま

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序論19

火を四つ用意する。

 

人間が使う火魔術。魔法陣によって発動する火魔術。魔道具によって生み出される火。そして、赤喉蜥蜴が吐く火。

 

同じ現象を異なる方法で起こし、その結果ではなく、発現するまでの過程を比較する。それがディーンの立てた次の計画だった。

 

だが、提出された計画書を読んだミレイユは、最初の一行で手を止めた。

 

「同じ火って何?」

 

「火は火でしょう」

 

「蝋燭と暖炉も?」

 

ディーンは黙った。

 

「大きさ、温度、続く時間。何を揃えたら『同じ』なの?」

 

改めて自分の計画書へ目を落とす。

 

『同じ火を四つの方法で発生させる』

 

書いた時には何の疑問も抱かなかった一文だった。だが、言われてみれば曖昧にもほどがある。ディーンはその一文に線を引いた。

 

「……最初からやり直します」

 

「そうしなさい」

 

結局、完全に同じ火を作ることは諦めた。

 

代わりに、大きさ、持続時間、対象までの距離など、揃えられる条件を可能な限り揃えることにした。そして揃えられないものについては、それ自体を条件の違いとして記録する。

 

人間、魔法陣、魔道具については、それである程度の調整ができた。

 

問題は赤喉蜥蜴だった。

 

「もうちょっと小さく吐いてくれればな」

 

森の中で観察を続けながら呟くと、隣にいたリゼットが真顔で答えた。

 

「頼んでみたら?」

 

「聞いてくれます?」

 

「聞くと思う?」

 

「思わない」

 

当然だった。

 

野生の魔物が人間の実験条件に従ってくれるはずがない。火の大きさも、吐く方向も、発動するタイミングもこちらでは決められない。

 

以前なら、それを実験の邪魔だと思ったかもしれない。

 

だが今は違う。

 

条件が違うのなら、その違いを消してしまうのではなく、違っているという事実を記録すればいい。揃えられないものまで無理に同じものとして扱えば、かえって結果を歪める。

 

そうして、四種類の火の比較が始まった。

 

     *

 

一か月後。

 

研究室の机には、四種類の記録が並んでいた。

 

そしてディーンは、その中央で腕を組んだまま困り果てていた。

 

「全然違う」

 

魔法陣では、供給された魔力が線を通り、発動部へ至る。

 

魔道具では、内部の部品を経由し、発火を担う部分へ至る。

 

そこまでは追える。

 

だが、人間の身体の中は見えない。赤喉蜥蜴についても、発火前に喉が膨らむことまでは観察できても、その内部で何が起きているのかまでは分からなかった。

 

同じ火を比べたはずなのに、その手前にあるものは少しも同じには見えない。

 

「そもそも、同じものがあるって決まってるんですか?」

 

隣で記録を整理していたニコが、不意に言った。

 

「決まってない」

 

「じゃあ、ないかもしれませんね」

 

「それは困る」

 

「困っても変わらないでしょう」

 

正しい。

 

ディーンは反論せず、帳面を引き寄せた。

 

『同じ現象なら、発動過程にも共通点がある?』

 

そこまで書いて、一度筆を止める。そして少し考えてから、その下にもう一行付け加えた。

 

『分からない』

 

そもそも、共通点があることを前提に探す必要はない。

 

同じものを見つけようとするから、違うものが邪魔に見える。それなら最初から、何が違うのかを一つずつ比べていけばいい。

 

そう考え方を変えてから、止まっていた研究が少しずつ動き始めた。

 

     *

 

最初に引っかかったのは、魔術を使う人間たちの言葉だった。

 

火魔術を使った術者への聞き取りでは、

 

『胸の辺りに溜める感じ』

 

『一度集めてから出す』

 

『固める感じ』

 

といった表現がいくつか出ていた。

 

一方、水魔術について尋ねると、

 

『腕を抜ける』

 

『手へ流れる』

 

『そのまま外へ出す』

 

という表現が比較的多い。

 

もちろん、それだけで何かを断定することはできない。

 

あくまで術者本人の感覚にすぎず、同じ感覚を別の言葉で表現している可能性もある。幼い頃からどう教えられてきたかによって、表現そのものが影響を受けていることも考えられる。実際の魔力が、本当に本人の言う通り動いている証拠などどこにもない。

 

それでも、ディーンには引っかかった。

 

「火と水で、魔力の通る場所が違う?」

 

ハルフェンに尋ねる。

 

「それを私に聞くな」

 

「じゃあ調べます」

 

聞き取りだけでは足りない。

 

ならば、もっと条件を操作できるものを使えばいい。

 

ディーンは再び魔法陣へ戻った。

 

同じ魔力供給量。同じ経路。同じ発動部。

 

変えるのは、途中の線幅だけ。

 

結果はすぐに出た。

 

線を細くすれば単純に威力が上がる、といった分かりやすい関係ではない。それでも線幅を変えると、発動までにかかる時間や魔術の安定性に差が生じた。

 

偶然を疑って何度も繰り返した。

 

それでも差は完全には消えなかった。

 

ニコが結果をまとめた紙を机に置く。

 

「経路は同じです」

 

「魔力量も?」

 

「同じ」

 

「違うのは?」

 

「線の太さ」

 

ディーンは目の前の魔法陣を見つめた。

 

経路は同じ。

 

供給した魔力量も同じ。

 

それなのに、結果が違う。

 

ならば少なくとも、『流向』だけでは説明できない。

 

「……通り方だけじゃない」

 

その時、横から記録を眺めていたミレイユが口を挟んだ。

 

「それ、魔道具でもあるわよ」

 

ディーンが振り返る。

 

「あるんですか?」

 

「魔力を通す部品。細すぎると不安定になるし、太くすればいいってものでもない」

 

「なんで?」

 

「知らない」

 

「調べてないんですか?」

 

「使えるもの作るのが仕事だもの」

 

ミレイユは悪びれもせずそう言うと、棚から数本の部品を取り出して机へ並べた。用途は似ているが、それぞれ太さが違っている。

 

「職人なら経験で知ってる。でも理由まで調べてる人は、私は知らない」

 

ディーンは一本ずつ手に取り、見比べた。

 

魔法陣だけではない。

 

魔道具にも、似た現象がある。

 

「借りていいですか?」

 

「壊さないなら」

 

ディーンは部品を見たまま少し考えた。

 

「……壊すかもしれない」

 

ミレイユが吹き出した。

 

「正直でよろしい。壊す前に言いなさい」

 

     *

 

そこから先は速かった。

 

魔法陣の線幅を変える。魔道具の導路を変える。供給する魔力量を変える。それぞれを組み合わせ、条件を変えながら何度も発動させる。

 

そうして数週間分の結果が溜まる頃には、ニコの机まで記録用紙に占領されていた。

 

数字を並べても、単純な比例関係は見つからない。

 

線を半分にすれば結果が二倍になるわけでもなければ、太くするほど安定するわけでもない。

 

それでも、条件を変えて繰り返すうちに、一つだけ無視しにくい傾向が残った。

 

同じ量の魔力でも、それを通す場所の広さによって結果が変わる。

 

ディーンは何度目か分からないほど見返した記録を眺めた。

 

「同じ量なのに」

 

ニコが隣で頷く。

 

「同じ場所には入ってないですからね」

 

「どういう意味?」

 

「例えば十を、広いところ全部に入れるのと、狭いところに押し込むのは違うでしょう」

 

ディーンの目が止まった。

 

「もう一回」

 

「え?」

 

「今の」

 

勢いよく顔を向けられ、ニコがわずかに身を引いた。

 

「同じ量でも、入ってる場所の広さが違うって話です」

 

ディーンは再び魔法陣へ目を落とした。

 

同じ魔力量。

 

違う線幅。

 

同じ経路。

 

魔力そのものの総量は変わっていない。

 

違っているのは、それがどれだけ限られた場所に存在しているか。

 

「……集まり方」

 

「ですかね」

 

ディーンは筆を取った。

 

だが、すぐには書かなかった。

 

魔法陣と魔道具で似た結果が出ただけだ。まだ、それが何を意味するのかは分からない。

 

代わりに立ち上がる。

 

「サフィア先生いる?」

 

「今日は講義です」

 

「終わるまで待つ」

 

「何か思いついたんですか?」

 

「まだ」

 

そう答えながら、頭の中ではすでに次の実験を組み始めていた。

 

     *

 

今度は魔法陣を使わなかった。

 

術者になるのはディーン自身だった。

 

サフィアとニコに観察と記録を頼み、同じ初級水魔術を条件を変えながら繰り返す。

 

一度目は、普段通り。

 

掌の前に水球を作る。

 

二度目は、使う魔力量をできる限り変えず、発現させる範囲を広げる。

 

三度目は逆に、発現範囲を一点へ絞る。

 

明らかに水の勢いが変わった。

 

「もう一回」

 

すぐに続けようとしたディーンを、サフィアが止めた。

 

「休んでからです」

 

「まだいけます」

 

「条件を揃えるのでしょう?」

 

その一言で、ディーンは大人しく椅子へ座った。

 

自分では疲れていないつもりでも、疲労によって結果が変われば意味がない。

 

休憩を挟み、もう一度繰り返す。

 

当然、一日では終わらなかった。

 

日を変える。体調を記録する。実施する順番を入れ替える。

 

水だけではなく風でも試した。火については安全のため出力を落とし、同じように発現範囲を変えていく。

 

結果は少しずつ積み上がった。

 

だが、この実験には最初から一つ、大きな問題があった。

 

術者がディーンしかいない。

 

無詠唱で魔力の扱いを細かく変えながら、それでも同じ魔術を安定して発動できる人間を、他に用意できなかった。

 

数日分の記録を見返しながら、ディーンは眉を寄せた。

 

「これ、俺にしか当てはまらないかもしれない」

 

「そうですね」

 

サフィアはあっさり認めた。

 

「じゃあ証拠にならない?」

 

「証拠にならないのではありません。言える範囲が狭いのです」

 

サフィアは机に並んだ記録の一枚を取った。

 

「少なくとも、ディーン君は魔力量を大きく変えずに、発現のさせ方を変えられる。そして本人には、その際に魔力を狭く集めたり、広げたりしている感覚がある」

 

「俺だけですけど」

 

「ええ。ですから、それ以上はまだ言わない」

 

ディーンは頷いた。

 

言われてみれば、それは昔から知っている感覚だった。

 

水を細く、速く撃ち出す時にも使っていた。無詠唱魔術を覚えてから、何度となく繰り返してきた操作でもある。

 

ただ、それを魔力そのものの性質として考えたことがなかった。

 

「俺、前からやってた」

 

「何をです?」

 

「魔力を狭いところに集めるのと、広げるの」

 

「そう感じる?」

 

「はい」

 

「では、それも記録しましょう。ただし――」

 

その先を聞く前に、ディーンが答えた。

 

「俺がそう感じることと、本当にそうなってるかは別」

 

「よくできました」

 

サフィアが少し嬉しそうに言った。

 

     *

 

さらに一か月が過ぎた。

 

魔法陣。

 

魔道具。

 

そしてディーン自身。

 

三つの記録を重ねる。

 

完全には一致しない。

 

そもそも測定方法が違う。魔法陣や魔道具と違い、人間の身体内部で起きていることは直接観察できない。術者についてはディーン一人分の結果しかなく、それを人間一般へ広げることもできない。

 

それでも、魔法陣と魔道具という互いに異なる二つでは、独立して似た傾向が出ている。

 

『魔力量』

 

それだけでは説明できない。

 

『経路』

 

それだけでも説明できない。

 

同じ量の魔力が、どれだけ限られた場所へ集まっているか。

 

その違いが、魔術の発動に影響している可能性がある。

 

そこまで整理したところで、ディーンは一連の記録をハルフェンへ渡した。

 

ハルフェンは黙って読み始めた。

 

長い。

 

いつもより明らかに長かった。

 

「先生」

 

「黙ってろ」

 

「はい」

 

ディーンは口を閉じた。

 

ハルフェンは頁をめくり続ける。

 

魔法陣。

 

魔道具。

 

術者。

 

成功例だけではなく、失敗した実験もある。仮説に合わなかった結果も、反証になりそうな結果も外していない。

 

やがて最後まで読み終えると、ハルフェンは紙を机へ置いた。

 

「何と呼ぶ」

 

ディーンは一瞬、その意味が分からなかった。

 

「呼んでいいんですか?」

 

「呼ばなければ比較できん。だが、名前が正しいとは思うな」

 

以前、『流向』という名前を付けた時と同じだった。

 

名前を付けたから、その何かが存在すると証明されるわけではない。

 

ただ、調べるためには、曖昧な現象の中から一つを切り出して指し示す言葉がいる。

 

ディーンは帳面を開いた。

 

『一定の範囲に、どれだけ魔力が集まっているか』

 

書いてみると長い。

 

その下へ、

 

『集中度』

 

と書く。

 

少し違う。

 

集中させるという行為ではなく、その瞬間に魔力がどういう状態にあるのかを表したい。

 

横から記録を覗き込んでいたニコが言った。

 

「量が多いか少ないかじゃ駄目なんですか?」

 

「同じ量でも違っただろ」

 

「じゃあ……詰まり具合?」

 

「論文に書ける?」

 

「無理ですね」

 

そのやり取りを聞いていたミレイユが笑う。

 

「魔力の濃さでいいんじゃない?」

 

ディーンは少し考えた。

 

濃い。

 

薄い。

 

意味としては近い。

 

だが、もう少し量として扱える言葉が欲しい。

 

記録を眺めていたサフィアが口を開いた。

 

「同じ範囲の中に、どれだけ存在しているかを表したいのですよね」

 

「はい」

 

「なら、『密度』では?」

 

ディーンの手が止まった。

 

もう一度、これまでの記録を見る。

 

同じ魔力量。

 

違う線幅。

 

違う結果。

 

広げる。

 

集める。

 

魔道具の導路。

 

そして、自分自身が昔から感じていた感覚。

 

「……密度」

 

口に出してみる。

 

悪くない。

 

ディーンは帳面にその二文字を書いた。

 

『密度』

 

その下へ定義を書き加える。

 

『一定範囲における魔力の局所的な集中度』

 

さらに、

 

『総魔力量とは別に扱う』

 

そこで少し考え、最後に、

 

『仮称』

 

と付け加えた。

 

ハルフェンがそれを見る。

 

「これで二つだな」

 

ディーンも帳面へ視線を落とした。

 

『流向』

 

『密度』

 

魔力が、どこをどう通るか。

 

その場所に、どれほど集まっているか。

 

二つの言葉が並んだ。

 

だからといって、この二つがあれば魔術を説明できる――そんな気はしなかった。

 

むしろ逆だった。

 

一つ分かれば、その先に分からないものが増える。

 

「先生」

 

「なんだ」

 

「まだ足りない気がします」

 

「何が」

 

「分かりません」

 

ハルフェンはその答えを聞くと、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「なら、次はそれを調べろ」

 

ディーンは頷いた。

 

帳面には二つの言葉が並んでいる。

 

流向。

 

密度。

 

どちらも、まだ仮の名前にすぎない。

 

魔法を説明する理論と呼べるものでもない。

 

けれど、一年前にはただ、

 

『火を出す時と、水を出す時。俺は何を変えている?』

 

としか書けなかった問いに、ようやく二つの答えの候補ができていた。

 

ディーンはその頁をしばらく眺めた。

 

そして、一番下へ新しい問いを書き足す。

 

『では、同じ流向・同じ密度なら、同じ魔術になる?』

 

次にやることは決まった。

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