研究レポート:六面世界における魔法について 作:えびかま
同じ流向、同じ密度、そして同じ魔力量。それなら、同じ魔術になるのか。
その問いを確かめるために、ディーンたちは再び魔法陣を使うことにした。人間よりも条件を揃えやすく、魔道具より構造を変えやすい。使用するのは初級水魔術で、供給口から発動部までの経路を固定し、線幅も変えず、魔力槽から送り込む魔力量も同じにする。今回は異なる魔法陣を比較するのではなく、まったく同じものを、同じ条件で繰り返し動かす。
「これなら揃うだろ」
そうして実験を始めた。
揃わなかった。
*
一回目は、水球が形成されるまでわずかに時間がかかった。二回目はそれより早く、三回目はほぼ一回目と同じ。四回目になると発動そのものには成功したものの、形成された水球の形がわずかに崩れた。
「ばらついてますね」
ニコが結果を記録用紙へ書き込んでいく。その横ではミレイユが魔力槽を覗き込み、内部に異常がないかを確かめていた。
「誤差じゃない?」
「かもしれないわね」
最初はディーンもそう考えた。魔術の実験なのだから、多少の誤差は出る。問題は、それが本当に無視していい誤差なのかということだった。
そこから原因探しが始まった。魔法陣そのものを描き直し、供給口を確認し、魔力槽を交換する。導線も取り替え、それでも消えなければ室温まで記録した。実験する日を変え、順番も入れ替えたが、結果には相変わらず小さなばらつきが残った。
一目で分かるほど大きな差ではない。魔術そのものが別物になるわけでもなかった。しかし、同じ条件なら同じ結果になると考えるには、無視するには少し大きすぎる。
ディーンは記録を前にして、これまで揃えた条件を一つずつ確認した。
「流向が同じ」
「そうだな」
ハルフェンが答える。
「密度も、今の測り方で見る限りは同じ」
「そうだな」
「魔力量も同じ」
「記録上はな」
そこまで揃っている。それなのに、結果には差が出ている。
「じゃあ何が違う?」
「それを調べているんだろう」
「そうでした」
横で聞いていたニコが小さく笑った。
*
原因が見つかったのは、魔法陣を調べている時ではなかった。
ある日、ミレイユが実験に使用した魔力槽を分解していた時のことだった。内部を確認していた彼女は不意に手を止めると、机の上に置かれていた実験記録を一枚取り上げた。
「これ、誰がやった?」
ディーンが覗き込む。
「俺とニコです」
「違う。魔力槽」
「ああ、俺です」
「こっちは?」
今度は別の日の記録を取り出して隣へ置く。
「私です」
ニコが答えると、ミレイユは二枚をしばらく見比べてから、納得したように頷いた。
「やっぱり」
「何が?」
「あなたたち、入れ方が違う」
ディーンも記録を見る。供給した魔力量は同じで、数字だけを見れば違いはない。
「同じ量ですけど」
「量はね。ディーンは最初から強めに入れて、満ちたら止める。ニコは少しずつ入れてる」
「でも最後に入ってる量は同じですよね」
「同じよ」
「じゃあ関係ないんじゃ?」
ミレイユが眉を上げた。
「試せば?」
その日のうちに実験方法を変更した。魔法陣には触れず、魔力槽も同じものを使い、供給する魔力の総量も揃える。変えるのは、その入れ方だけだ。
一つ目は、最初から最後まで一定の強さで供給する。二つ目は最初に多く入れ、後半を弱くする。三つ目はその逆で、最初を弱く、後半を強くする。
結果が変わった。
「……これか?」
だが、一度だけでは判断できない。順番を変えてもう一度行い、それからさらに繰り返す。翌日も同じ条件で試したが、それでも差は残った。
ディーンは三枚の記録を机に並べた。流向は同じで、密度も少なくとも今の測り方では同じ。供給した魔力の総量にも差はない。違っているのは、魔力をどのように供給したかという過程だけだった。
「同じ十でも、最初に八入れて後で二入れるのと、五ずつ入れるのじゃ違う」
ニコが記録を指で追いながら言う。
「でも最後は十だ」
「はい」
「……途中が違う」
そう口にしたところで、ディーンは黙った。
何かが引っかかった。
*
ディーンはそれまでの記録を引っ張り出し、魔法陣、魔道具、術者、魔物の順に机へ広げていった。
流向を調べた時、自分たちが見ていたのは魔力がどこを通るかだった。密度を調べた時には、一定の範囲にどれだけ魔力が集まっているかを見た。どちらも魔力の状態を捉えるためのものだったが、今になって考えてみれば、その状態が発動までずっと同じである保証などどこにもない。
魔力は供給され、動き、集まり、やがて魔術として発現する。その過程がある以上、途中で状態が変化していても不思議ではなかった。
「先生」
ディーンが顔を上げる。
「なんだ」
「俺たち、いつの魔力を見てたんです?」
ハルフェンの視線が記録へ落ちた。
「続けろ」
「流向も密度も、魔力がどうなってるかを見てた。でも、それが途中でどう変わるかはほとんど見てない」
ディーンは帳面を開き、横向きに一本の線を引いた。左端に『開始』、右端に『発動』と書き、その間にいくつかの点を打つ。
「ここでは薄い。でも次の時点では集まって、その後にまた広がるかもしれない」
横から帳面を覗き込んでいたニコが首を傾げる。
「同じ流向と密度でも?」
「密度が最初から最後までずっと同じなら同じ。でも、一回だけ測って同じだったら分からない」
言葉にするにつれて、引っかかっていたものが少しずつ整理されていった。
同じ場所を通り、同じ程度まで集まるとしても、そこへ至るまでの過程まで同じとは限らない。ゆっくり集まるのか、一気に集まるのか。一定の状態を保つのか、増えたり減ったりするのか。あるいは途中で一度途切れるのか。
そこまでは、流向にも密度にも含まれていなかった。
「……時間」
ディーンが呟いた。
*
見るべきものが分かれば、実験の組み方は難しくなかった。
魔力槽から一定の強さで供給する場合、発動直前だけ強くする場合、一定の間隔で強弱をつける場合、途中で一度止める場合、短く区切って何度も送る場合。それぞれで供給する総量を可能な限り揃え、魔法陣の構造には手を加えない。
結果は、はっきりと変わった。
途中で供給を完全に切れば不安定になる。それ自体は予想できたことだったが、供給を途切れさせなくても、強弱の付け方によって発動までの時間や水球の安定性に差が出た。
同じことを魔道具でも試した。ミレイユが魔力槽の供給部を調整し、条件を変えながら何度か作動させていると、途中で面白そうに内部を覗き込んだ。
「これ面白いわね」
「何が?」
「昔から、魔力を一気に入れると調子悪い道具があるのよ」
ディーンの手が止まった。
「先に言ってくださいよ」
「聞かれてないもの」
「そういうの全部教えてください」
「無理よ。何が必要か分からないもの」
もっともだった。
職人にとって、それは研究対象ではなく経験則だった。この道具には一定の強さで魔力を入れる。こちらは急に入れるとうまく動かない。別のものは最初だけ強く入れた方が安定する。道具を作り、使うためにはそれで十分であり、そこに共通する性質を取り出して考える必要がなかったのだ。
ディーンはそうした魔道具の記録も集めた。一定の供給を好むもの、最初だけ強い供給で安定するもの、急激な変化を与えると発動しなくなるもの。魔法陣とは構造そのものが違うが、魔力が時間の中でどう変化するかによって結果が変わるという点では似ていた。
*
次に問題になったのは、その現象を何と呼ぶかだった。
夕方の実験室で、ディーンは帳面を開いたまま考えていた。頁には『流向』『密度』という二つの項目が並び、その下だけが空白になっている。
「時間変化」
ニコが言った。
「そのまますぎる」
「分かりやすいですよ」
「もうちょっとない?」
「先生たちに聞いたらどうです?」
ディーンがハルフェンを見ると、資料を読んでいた彼は顔も上げずに答えた。
「自分で考えろ」
「だと思いました」
「波?」
ミレイユが言う。
サフィアは少し考えてから首を傾げた。
「必ずしも波のように変化するとは限りませんね」
「じゃあ脈?」
「止まらず一定の場合を含めにくいでしょう」
ディーンは再び実験記録へ目を落とした。一定の状態を保つものもあれば、増加するもの、減少するもの、周期的に強弱を繰り返すもの、断続するもの、急激に変化するものもある。形はそれぞれ違っているが、見ようとしているのは、そのすべてを含めた時間の中での変化だった。
「……律動」
ふと、その言葉が口から出た。
「律動?」
サフィアが聞き返す。
「魔力が時間の中で、どう変わるか」
ディーンは空白だった場所へ『律動』と書き、その下に『魔力状態の時間的変化』と続けた。少し考えてから、『一定・増減・周期・断続などを含む』とさらに書き加える。
ハルフェンが帳面を受け取り、そこに並んだ三つの言葉を順番に読んだ。
流向。
密度。
律動。
「仮称か?」
「はい」
「ならいい」
帳面を返され、ディーンは改めて三つの文字を眺めた。
「これで三つです」
「三つだな」
ディーンは少し待ったが、ハルフェンはそれ以上何も言わなかった。
「……先生」
「なんだ」
「もうちょっと何かないんですか?」
「何を言えと?」
「三つ揃いました」
「だから?」
言われてみれば、その通りだった。
三つ見つかったからといって、それですべての魔術を説明できると決まったわけではない。四つ目があるかもしれないし、十個あるかもしれない。そもそも流向、密度、律動という三つの分け方そのものが間違っている可能性だって残っている。
ハルフェンはそんなディーンへ帳面を返した。
「三つで説明できることを示せ」
「全部ですか?」
「まずは、これまで調べたものからだ」
「三つ以外が必要ないことも証明します?」
「できると思うか?」
ディーンは少し考えた。未知の要素が存在しないことを証明する方法など、今の自分には思いつかない。
「……無理です」
「なら、言えることだけ言え」
ディーンは頷き、帳面へ目を落とした。
流向、密度、律動。どれもまだ仮の名前であり、三つ揃ったところで理論になったわけではない。魔法そのものを説明できたわけでもなかった。ただ、これまで漠然と捉えていた魔力を観察するための物差しが、三つになった。
その日の最後、ディーンは昔の帳面を持ってきた。一年以上前に書いた頁を開くと、そこには今よりずっと単純な問いが残されている。
『火を出す時と、水を出す時。俺は何を変えている?』
長い間、その下には何も書けなかった。何を調べればいいのかさえ分からなかったからだ。
ディーンはその問いの下に、新しく三行を書いた。
『どこを、どう通すか』
『どれだけ集めるか』
『時間の中で、どう変えるか』
三行をしばらく眺めてから少し間を空け、その下にもう一つだけ書き加える。
『これで、どこまで説明できる?』
帳面を閉じた。
答えを見つけた気はしなかった。
ようやく、確かめるべき形ができた気がした。