遠くから魔物の遠吠えが響いている。この街にはおしゃれな服を着た女の人。家族で食事に来た人。賭けに負けて服を剥ぎ取られ、今にも凍えそうな人。いかにもお金持ちな男の人。多くの人が、まるで波のように動いている。そんな色々な人が集うこの街、ミルネヴァのある建物の屋根の上。そこにはフードを深く被った少女が一人、ポツンと立っていた。時々、何人かが少女を見るが、すぐに前を向き直す。おかしな光景ではあるが、特段興味が湧かないのだ。少女は通行人の顔を品定めするような目で見ていた。いや、正確に言えば周りから彼女の目は見えない。前髪が長く、誰かが顔を見ようとするのを邪魔するのだ。
ふと、少女は酔っ払いの男を見つけた。立派な服を着て、腕には高そうな時計に指輪。いかにも金持ちという風貌だ。少女は屋根を伝って男を追う。男は大通りを外れて街灯が等間隔で並んでいる、静かな通りに入る。待ってましたと言わんばかりに少女は屋根から路地裏に飛び降りる。普通の人なら骨を折るところを、独学で学んだ衝撃吸収方法で軽々と降りた。そして路地裏を出て、酔っ払いに近づく。すれ違いざまスッと、男のポケットからサイフを盗った。スリだ。
彼女は盗人である。彼女は戦災孤児で、保護された後も引き取り手なんて来なかった。だから十二歳になった時点で施設から追い出され、自分一人で生きることに決めた。戦災孤児など雇ってくれる店なんてありはせず、盗人の道に染まった。最初の一年間はダメダメで、ゴミ箱を漁る生活だった。だが、次の二年目からは核心を掴んだらしい。みるみる腕を上げ、少なくとも金には困らなくなった。
そして、少女は現在五年目。もはや、そこにいることすらもバレないほどの実力である。案の定、酔っ払いは自分の財布が盗られたことも、ましてや少女とすれ違ったことすら気づかなかった。少女が、盗んだ財布を手に自分の寝床へ行こうとしたその時だった。路上に、賭けか質屋かで服を剥ぎ取られたらしい男があぐらをかいて座っていた。目元には傷跡があり、威圧感がすごい。彼女は一瞬、「やばい……見られてたかも……」と思ったが、すぐに平然を装って通り過ぎようとした。男は、少女を見たまま、ゆっくりと喋り出した。
「ねぇ、今財布盗ったっしょ? あのおっさんから」
少女は目を見開いて振り返った。数々の疑問が頭をよぎっているようだ。少しの時間固まっていた。そして、少し唇を震わせながら返答した。
「はぁ? 何言ってんのおっさん。こんな幼気な少女が財布を盗む? 妄言も甚だしいね。お酒の飲み過ぎじゃない?」
表面上は取り繕って辛辣な言葉を並べたが、前髪に隠れた目の奥は今にもやったことがバレそうで怖くて、揺らいでいる。まだおっさんと呼ばれるには早いその男には、そう思わせるだけの圧があった。
「へぇ、口だけは達者なようで。でも俺には見えてたよ? 君がおっさんのポケットから左手で手首を返して財布盗ってたの。まぁ、しらばっくれるならそれでいいよ。今から自警団呼んでくるから」
少女は軽く舌打ちをした。自警団は流石にまずいとわかっているのだ。前に同業者が自警団を呼ばれて捕まったのを見たことがあるからだ。二、三分の葛藤の後、しょうがないから罪を認め、交渉する方向に戦略を変えた。
「……そうだよ。私はあのおっさんの財布を盗んだよ。……いくら欲しいんだよおっさん。財布にある金なら半分までは出せ…、」
「全部だ。全部よこせ。あと、おっさん呼びはやめ…、」
「何言ってんだおっさん。全部は無理だ。半分までしか出せねぇよ」
言葉の重ね合い。意地の張り合い。人通りの少ない通りで若い男と少女の言い合い。奇妙な静けさの中、そんな競り合いが続いた。が、次の男の言葉でブツりと話は終わった。
「わかったよ。じゃ、半分もらう。で、足りない分は俺の仕事を手伝ってもらう」
「はぁ? なんで私がそんなことを」
「じ・け・い・だ・ん。呼んできてもいいんだぜ俺は」
少女は奥歯を噛み締めた。その男は自分の弱みを持ち出して要求を聞かせようとしてきている。それに抵抗できない悔しさでいっぱいいっぱいだったが、逆らうわけには行かなかった。結局彼女は彼の仕事を手伝うことを選んだ。遠くからは慰めるような高めの声で今度は何匹かの魔物が遠吠えをしていた。
「……何すればいいんだよ、おっさん」
「なぁに簡単なことさ」
男は前歯を見せてニヤリと笑った。背筋がゾクッとする笑顔。街灯に照らされると余計に怖く、魔物かと思えるような顔だった。
「一緒に賭場に来い。俺がお前からもらう半分の金で賭けてる間、お前は周りの客の金を盗め」
少女は渋々、男について行く。この時間帯の大通りは久しぶりに歩いたらしい。人の波に呑まれて、うまく進めていなかった。男はしょうがないので手を引っ張って、ようやく少女と賭場に着いた。男は目をギラつかせて、キラキラした賭場に足を踏み入れようと思った。が、ふと少女の方を見て、あることを思い出した。
「お前名前は? 今日だけとはいえ、バディになるんだし名前くらいは教えろよ」
「シュトレーナ。レナでいいわ。おっさんは?」
「だからおっさんって呼ぶな。俺は……ヴィクと呼ばれている。よろしくなレナ」
レナの声は、少しは柔らかくなっていたが、二人とも気づかなかった。ヴィクとレナは二人で賭場に入る。服を剥ぎ取られた男の横に、薄汚れたフードを深く被る少女。色々な人間が集まる街と言えど、その組み合わせは流石に異様らしい。客もディーラーも二人に目を向けている。ヴィクは迷わずポーカーの机へ歩く。レナはとことことヴィクの後ろをついて行く。レナは五年間この街にいても、まともに行った店は換金所と料理屋と大衆銭湯くらいだ。目に痛いくらいキラキラの照明、音が響く大理石の壁に床、黒スーツやドレスなど綺麗な服の人々。今までまったく見たことのないものばかりの賭場で、レナは萎縮してしまっている。見かねたヴィクは屈んで耳打ちする。
「ここで一番重要な役はお前なんだからな、レナ。俺絶対賭けで負けるから。お前に金稼ぎは任せたぞ。頼りにしてるからな」
ヴィクは耳打ちした後ポーカーの机に有り金を叩きつける。ディーラーは知った顔らしい。二人とも笑いながら目を合わせて睨み合っている。しかし目はどちらも笑っていない。ヴィクはレナにだけ聞こえるような小声で喋る。
「じゃ、作戦開始だ。お互い頑張るぞ」
レナは小さく頷き、他の机の方に出向く。前髪は本人としても邪魔らしく、前髪と後ろ髪をゴムでしっかりとまとめて縛った。ディーラーとヴィクは「ここで会ったが百年目」だかなんだか喋っている。レナは呆れた顔をしつつも会場にいる人間の金を片っ端から盗っていく。その手捌きは素晴らしく、両手を効率的に使い、盗った金をすぐに服のポケットに入れていく。盗っては入れてを繰り返して小一時間でポケットがパンパンに膨らむほどに盗り終えた。そろそろ怪しまれる気がしたのでポーカーの机に戻ると、ヴィクは案の定負けていた。損はしていなかったようなのでレナは肩を落とさずヴィクに耳打ちした。
「早く切り上げて。こっちはもう終わったから。そろそろバレるかもしれない」
「えー。あと一回、一回だけやらせて。次は勝てる気がする」
「そんなわけないでしょ。戻るよ」
レナはヴィクの腕を引っ張って引きずり、賭場の外に出す。小柄な少女が百八十はあるであろう男を引きずっていくものだから、客もディーラーも目を丸くしていた。外に出てからも「もう一回、もう一回」と呟くヴィクに怒って、レナは頭を踏みつけた。
「ここからなら、私の寝床の方が近いかも。そっちに行ってからお金数えるから早く立って」
ノロノロと頭を押さえながら立ったヴィクはレナと並んで歩く。後にした賭場ではレナに金を盗られたとは知らず、やれ金がなくなった、やれ金を盗られたと何人も騒いでいた。そんな騒ぎなど聞く耳を持たず、スタスタと二人はレナの寝床に向かって歩いた。入り組んだ路地裏に入り、右右左右左と歩いたところにレナの寝床はあった。レナはボロボロのクッションの上に座り、金を出し始めた。ヴィクは冷たいレンガ道の上に座る。
「これで全部だよ。ちょっとそっちの山数えてくれない? 私はこっちの山数えるからさ」
「あぁ、わかった。一枚、二枚、三枚…………。めっちゃあるじゃんこれ」
数え上げること十分程度。二人が数え上げたお金。その額なんと、三十万ビル。ヴィクとレナの新しい服を五着づつ買って、新しい部屋を借りて、それでもゆうに十年以上は住み続けられるぐらいのお金だ。そのぐらいたくさんレナは盗った。二人は一瞬驚愕した顔を見合わせたがすぐにお金に目を戻した。
「で? どういう風に山分けすんの?」
レナが尋ねる。決してお金から目を離さずに。いや、離せないのだろう。レナはいつも盗った金はすぐに生活費にあてるので山のように積もった札束は見たことがないのだ。目をキラキラさせてずっと見ている。
「まぁ、一対三が妥当だろうな」
「どっちが三? ヴィク?」
「お前に決まってるだろ。体張ったんだから」
レナはきょとんとした。そんなことを言われるとは思っていなかったのだ。だが思い返してみれば、確かにヴィクはポーカーで負けてただけなので当然だという結論に至った。
「それもそうね。あんたは負けてばっかだったし。私が三なのは当然ね。……でも、あんたの計画のおかげで金稼げたんだし、二対三でもいいわよ」
「えっ、ほんとに? ありがとう!」
「もちろん私が三だからね!」
ヴィクは体を前のめりにして感謝した。レナは「顔近い。やめて」と冷たくあしらったが、感謝されるのは気分が良く、満更でもないようだ。髪を縛ったおかげでよく見えるレナの顔は赤らんでいた。ヴィクはレナの表情の変化に気づかずに、スッと立ってレナの方を見る。
「レナはこれからどうすんの?俺は質屋行って荷物全部取ってくるけど」
「私は……、買い物行くついでにあなたについて行くわ」
二人は路地裏をさっきとは逆に歩く。左左右左右。大通りに出るとさっきに比べれば人通りは少なくなっていた。午後十一時。ほとんどの人は明日も労働があるのでもう寝ている。今起きて歩いているのは賭場で金を稼ぐギャンブラーか、何もしないでも金が入ってくる上流階層だけだ。そしてそういう人間は自分は盗まれまいと油断している。レナはそれを見逃さなかった。レナはすれ違う人の財布をどんどん盗った。ヴィクはそんな様子を見て唖然としていた。
「お前……、悪い子だな」
レナはそう言われて一瞬ギクッとした。悪い子と言われて怒ったのだろうか。それとも子供扱いされて恥ずかしくなったのだろうか。耳の先が赤くなっている。
「あ、あんたに言われなくてもわかってるわよ。ま、悪い子ってあんたに言われるの癪だから今日はもうしないわ。」
そうこうしているうちに質屋に着いた。看板には「三日間待ってやる」と書かれている。多分キープしてくれるのがそのくらいの期間なんだろう。ヴィクは勢いよく扉を開けて金を叩きつける。そして、店主に向かって中々に大きい声を出した。
「金は返すから、俺の装備一式返してくれ!」
店主は彼の装備を奥から取り出した。何やら兵士のような装備だ。この男、実は傭兵やってたりとか? それなら目元の傷跡にも説明がつく。ギャンブル狂いの傭兵ってなんか嫌だけど……。
「待ってたよ。お代は八万だったか? ちょうど受け取った。返すよ。それにしてもお前さん。またギャンブルに負けてくるとばかり思っていたが、質に入れたもん全部取り返せるほど勝ったのかい」
「あ、ああ、それなりにはな。ありがとなおっちゃん。また金に困ったら来るから」
店主には鼻で笑って微笑みながらヴィクの方へ顔を向けた。
「そうかい。あんたが来ないことを願うよ」
レナは「それは質屋としてどうなんだ」と思ったが、口には出さなかった。微笑みながら二人の会話を聞いていた。
「お嬢さん、こいつの仲間は大変だね。それはそうと、最近は金品が抜き取られたやつが多くてな。スリには気をつけなよ」
レナは「仲間じゃないですー」と言いながら生笑いで質屋を出た。ヴィクは自分の装備が帰ってきたからか、満足気味だ。兵士のような装備に、色が混じり合ったペンダントをしている。レナは、「どこかで見たことがある気がする」と思ったが、思い出せずにいた。
「私は買い物に行くけどヴィクはどうするの?」
「俺も行くよ。何か食べたくなった」
二人は近くの店を順々に回った。食べ物屋、雑貨屋、服屋。二人ともたくさん物を買ったが、まだ金は残っていた。二人とも、あとは貯金に回すらしい。レナは寝床に帰っている間、思い切ってヴィクに尋ねた。
「ヴィクって結局なんの仕事してるの? そのペンダント、なんかの仕事の証みたいなやつだった気がするんだけど」
ヴィクが首に下げているいろんな色が混じった芸術的なペンダントを指差す。街灯に照らされるとさらに温かみを帯びた色に変化するので、綺麗だった。
「これか? これは勇者の証しだぜ。知らなかったのか?」
勇者。今現在世界を支配し、時折人間に甚大な被害を及ぼす魔王を討伐する職業。魔王討伐のために基本は魔物や、魔王軍の幹部を討伐する。そして、その難易度に合った報酬を稼ぎとして得る。危険な仕事だが、男女問わず誰もが一度は憧れる職業だ。レナも勇者に憧れた時期があったが、勇者になるための試験や、なった後の厳しさを知って挫折した。そんな勇者が目の前にいることにレナは嬉しく思う反面、「ギャンブル狂いの勇者かぁ」と残念にも思った。そんなレナの目を見てヴィクは、
「お前、今絶対失礼なこと考えたろ。確かに今はこんなだが魔物に出くわしたら全然戦えるんだからな」
と言った。レナは「はいはい」と軽くあしらった。寝床に着き、レナは荷物をその辺に放り投げてクッションにのり、髪を縛っていたゴムをとるとすぐに寝てしまった。ヴィクは「もう宿取れないだろうしな」と思い、壁に寄りかかって寝た。月はもうとっくに沈んで、星の優しい光だけが顔を照らしていた。装備を着たヴィクはもうレンガの冷たさを感じなかった