SAO: Aegis of the Unloved 作:えしもどき
病室には、色も、匂いも、温度すらなかった。
規則正しく電子音を刻む心電図のピープ音と、一定のペースで落ちる点滴の水滴の音。
薄いシーツから覗く腕は、折れそうなほど細く、青白い皮膚の下には血管が透けて見えている。
生まれつき極端に体が弱く、免疫力も体力もない彼女は、物心ついた時からこの特別病棟の個室に隔離されていた。
コンコン、と無機質なノックの音が響き、若い看護師が入ってきた。
「瀬奈さん。今日の分の栄養剤、替えますね」
「……はい」
看護師が点滴のパックを交換する間、瀬奈は瞬きもせずに虚空を見つめていた。
部屋には、13歳の少女の病室にあるべきものが一切ない。家族の写真も、友達からの寄せ書きも、お見舞いの花すらも。
ただ、最先端の医療機器が、彼女の命を「システムとして」維持しているだけだった。
「あのね、瀬奈さん。今日、お母様から荷物が届いたのよ」
看護師が、少しだけ声を明るくして言った。
ベッドの脇に置かれたのは、流線型の重厚なヘルメット――《ナーヴギア》のパッケージだった。
「ほら、瀬奈さんが前に『テレビで見た』って言ってたゲーム機。お母様、ちゃんと覚えててくれたのね。よかったわね」
看護師は優しい笑顔を作っていたが、その目の奥には隠しきれない哀れみが浮かんでいた。
瀬奈の家族が、もう何年もこの病室に顔を出していないことを、看護師は知っているからだ。
瀬奈は、パッケージに視線を移し、感情の起伏が全くない平坦な声で答えた。
「……お母さんじゃありません。お父さんの会社の、秘書の人です。明細書の発行元が、いつもと同じだから」
「え……あ、そう……」
「月に一度、私の口座にお金と、要求した物資が振り込まれる契約なんです。……手間をかけさせてしまって、すみません」
瀬奈の言葉には、皮肉も、親に対する恨みも一切含まれていなかった。
ただ「空は青い」と言うのと同じように、純粋な事実を述べているだけだ。
両親にとって、瀬奈は「不良品」だった。
名家である星野家に生まれたものの、優秀な姉とは違い、外を歩くことすらできない出来損ない。世間体があるから最上級の医療は受けさせるが、愛情を注ぐ価値はない。それが両親の答えであり、瀬奈もそれを完全に受け入れていた。
「……私、不良品だから。お父さんたちに愛されないのは、当然のことなんです」
「そんなこと言わないで! 瀬奈さんは……」
「本当のことです。私は、誰かの役に立つことも、何かをあげることもできない。ただ、痛くて、重くて、お金を消費するだけの壊れた器です。……だから、誰も私を見ないのは、正しいことなんです」
看護師は言葉を失い、泣きそうな顔で病室から逃げるように出て行った。
瀬奈は、残された《ナーヴギア》を、力のない手でゆっくりと撫でた。
テレビのニュースで、これを見た時のことを思い出す。
『完全なる仮想空間。あらゆる制約から解放された、もう一つの現実――』
瀬奈は、別に冒険がしたかったわけではない。友達が欲しかったわけでもない。
ただ、毎日毎日、痛みに耐えながら真っ白な天井を見つめ続けるだけの時間に、少しだけ疲れてしまったのだ。
(……この機械を使えば、この重い体から、抜け出せるのかな)
もし、痛みのない「普通の体」になれたら。
もしかしたら、この「壊れた器」である自分でも、どこかで誰かの役に立つことができるのだろうか。
愛されることなんて望まない。ただ、自分が存在していてもいい「使い道」があるなら、それが知りたかった。
翌日。2022年11月6日、12時50分。
瀬奈は、ベッドのリクライニングを少しだけ倒し、重いナーヴギアを両手で持ち上げた。
頭にかぶると、視界が完全に暗闇に覆われる。
壁掛けのテレビからは、サービス開始を告げるアナウンサーの華やいだ声が聞こえていた。
『――それでは皆さん、剣の世界でお会いしましょう!』
この後、このゲームが「死んだら現実の肉体も死ぬ」という狂気のデスゲームに変貌することを、瀬奈はまだ知らない。
だが、仮に知っていたとしても、彼女は迷わずそれをかぶっていただろう。
誰にも愛されない、何の価値もない自分の命が消えたところで、悲しむ人間などこの世界のどこにもいないのだから。
瀬奈はゆっくりと目を閉じ、かすれがちな声で、静かにシステムへの合言葉を口にした。
「――リンク・スタート」
電子音と共に、病室の意識は途絶えた。
誰もいない白い部屋の中、少女の肉体はただ、抜け殻のように静かに呼吸を繰り返していた。
■ 基本情報
本名:星野 瀬奈(ほしの せな)
年齢:13歳
生年月日:2009年10月12日
家族構成:父(実業家)、母、姉(スポーツ万能・成績優秀な健常者)
実質的には絶縁状態
■ 身体データ(現実世界)
身長:142 cm
同年代の平均よりはかなり小柄。慢性的な栄養・運動不足により発育が遅れている。
体重:33 kg
非常に痩せ型(BMI 16台)。体力や筋力が極端に乏しい。
外見的特徴:
日光に当たる機会が少ないため、透けるように青白い皮膚。
色素が抜けたような白銀の長髪と、感情の光が入らない淡いアイスブルーの瞳。
健康状態:
先天性の重い慢性疾患(心機能障害や自己免疫疾患など)。
完全な寝たきりではなく、室内を自力で歩くことは可能。ただし、少し走ったり階段を上ったりするだけで息が上がり、倒れ込んでしまう。
長距離の移動には車椅子が必要。発熱や発作を起こしやすいため、人生の8割を病院の個室で過ごし、たまに自宅に帰っても自室に隔離されている。
■ 食性(好物・嫌いなもの)
好きな食べ物
氷・冷たい水
嫌いな食べ物・苦手なもの
匂いの強い料理、 ホールケーキやごちそう
■ 嗜好・生活
趣味:
特技:
日課:
苦手なこと:人と接すること
所持品:事務的に振り込まれる口座のカード、ナーヴギア
■ 性格・精神面
口調:高低差のない、抑揚を欠いた淡々としたトーン。子どもらしい無邪気さや感情が一切ない。
自己認識:自らを「維持費だけがかかる壊れた不良品」「無価値な器」と定義している。「歩けるが、普通の人のようには生きられない」という中途半端な状態が、家族からの「期待外れ」という失望をより色濃く招いたため、自己肯定感は完全に底を突いている。
対人関係:優秀な姉と比較され、両親からは「生まれてこなければよかった」と冷遇されて育った。
愛されたり、大切にされたりした経験がない。その為、そういった感情を受け取ったり、与えたりすることができない。
お読みいただきありがとうございました。
次回を楽しみに