1.昇る朝日が照らすのは
ダノンプレミアムは、夜明け前に目を覚ました。
運命の舞台は15時40分発走。
起床の時刻から食事、軽い運動に至るまで、すべてはその瞬間にピークを合わせるために組まれている。
屋上へ向かったのは、ほんの気まぐれだった。
覚醒を促すための散歩。行き先は決めていなかったが、なんとなく日の出が見たくなって、階段を上る。
扉を開けると、先客がいた。
「ワグか?」
「……おはよう」
「珍しいな。キミがこんなに早起きなんて」
「ダービーは、特別、だから」
「……そうだね」
それ以上、言葉は続かなかった。
二人で東の空を眺める。夜がほどけ、空が白んでいく。
「……なあ」
「……なに?」
「負けないぞ」
「ちがう。勝つのは、わたし」
珍しく、はっきりした声だった。
思わず吹き出してしまう。
「どうしたの?」
首を傾げるワグに、「なんでもない」とだけ返した。
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2.宣戦布告
準備は滞りなく進み、ボクたちは東京レース場にいた。
プログラム通りにレースが消化され、一つ、また一つと時間が進む。
そろそろパドック入り。出走メンバーが移動を始める頃だった。
「ダノンプレミアムさん」
「やあ、エポカドーロ。調子はどうだい?」
「万全です。今日はよろしくお願いします」
「キミの真面目さは嫌いじゃない。けど――
今、相応しいのはその言葉じゃないだろう?」
「っ……!
そうですね」
一瞬息を呑み、彼女は言い直した。
「勝負、です! ダノンプレミアム!」
「ふふ。こちらこそ。
挑ませてもらうよ、皐月の王者」
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3.めぐりあう
エポカドーロと話していると、ワグがふらりと近づいてきた。
「……」
ボクとエポカドーロの顔を交互に見てから、突然、
「わたしは、ワグネリアン」
名乗りを上げた。
エポカドーロはきょとんとしている。
……ボクには、ワグの意図がわかってしまった。
「ワグ。宣戦布告するなら、
せめて目的くらいは言おうか」
「……おぅ」
なるほど、という顔。
エポカドーロも、そんな期待に満ちた目で見ないでほしい。
「まあ、いい。仕切り直しだ」
「ボクはダノンプレミアム。
今日の主役は、ボクだ」
「私はエポカドーロ。
ゆずる気はありません!」
「ワグネリアン。
勝つのは、わたし」
空気が、きっぱりと張り詰めた。
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4.腐れ縁
「王子様、ご機嫌いかが?」
「ステルヴィオ。約束通り、馳せ参じたよ」
「ふふ。軽口を叩けるのは余裕の証かしら?」
「さあ、どうだろうね」
「私は無茶はしたけど、無理はしてないわ。
今日は勝つためにここにいる」
「あなたも変に気を遣わないで。
全力を出しなさい。叩き潰してあげる」
挑発の言葉に、悪くない笑みが浮かぶ。
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5.わーにんぐ
レースが近づくにつれ、空気の熱は増していく。
その中に、明らかに異質な存在が割り込んできた。
パドックでの挨拶を終え、控え室へ向かう廊下。
曲がり角の先から、それは現れた。
「おまえがダノンプレミアムかー?」
「ブーはブラストワンピースだぞー」
背も高いが、それ以上に体の厚みが異常だった。
「おまえ、つよいなー」
背中を嫌な汗が伝う。
野生動物と対峙するって、きっとこんな感覚なんだろう。
「きめた」
そう言って、にかっと笑うと、
ブラストワンピースと名乗ったウマ娘は陰の向こうへ消えていった。
───
6.第85回 東京優駿
実況に彩られ、十八人のウマ娘がターフへと姿を現す。
怪我明けのジュニア王者が、再び世代の頂点を掴むのか。
一番人気、ダノンプレミアム。
三戦三勝。未知の強豪が殴り込みをかける。
二番人気、ブラストワンピース。
三冠のチャンスは、ただ一人。
四番人気、エポカドーロ。
悲願のダービー制覇へ、巻き返しを図る。
五番人気、ワグネリアン。
朝日杯二着、皐月賞四着。
次こそ掴むGⅠタイトル。
六番人気、ステルヴィオ。
枠入りは順調に進み、すべて整った。
一瞬の静寂――
そして、勝負のゲートが開く。
⸻
先手を取ったのは、エポカドーロ。
流れに身を委ねた皐月賞とは違う。
今回は、明確にハナを主張した。
先頭エポカドーロ。
三番手にダノンプレミアム。
外目の五番手にワグネリアン。
その直後、六番手にブラストワンピース。
ステルヴィオは後方、後ろから三番目で脚を溜める。
向正面に入り、隊列はすぐに固まった。
大きな動きはない。
1000メートル、60秒8。
当日の同条件より、1秒遅い。
エポカドーロ、渾身のスロー逃げ。
最終コーナー。
一団のまま、直線へ。
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先頭のエポカドーロは、まだ余力十分。
直線入口で再び加速し、一馬身の差を守って粘る。
それを見て、ワグネリアンが半歩外へ。
ダノンプレミアムとブラストワンピースの進路を塞ぐ、
一瞬の、しかし決定的な判断。
残り100メートル。
先頭エポカドーロ。
半馬身差でワグネリアン。
二人に挟まれたダノンプレミアム、伸び脚が鈍る。
ブラストワンピースは外へ進路を取る。
前は止まらない。
後方のステルヴィオ、厳しいか。
残り50メートル――
ワグネリアンが並ぶ。
そして、一気に、抜き去った。
───
7.ありがとう
「もしもし、うん、わたし」
「おかあさん、見ててくれた、よね?」
「うん、うん」
「……うん、たのしい」
「ともだちも、できた」
窓の外は、もう夕暮れだった。
「わたしね」
「おかあさんの娘に、生まれてよかった」
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8.涙のカンパイ
帰ってすぐ、部屋に引きこもった。
ベッドの上で膝を抱え、気づけば日はすっかり落ちていた。
同室の子は、気を遣って一人にしてくれたらしい。
「おつかれ、エポちゃん」
控えめなノックと一緒に、ララちゃんの声がした。
開けたい。でも、ぐしゃぐしゃな顔を見られたくない。
「おじゃまするでー」
返事も聞かずに、ララちゃんは入ってきた。
私の頭にふわふわのタオルをかぶせ、部屋の電気をつける。
「よーがんばったな」
ララちゃんだって、こないだのオークスは悔しかったはずなのに。
誰かに優しくできる彼女が、少し眩しい。
いざというときに動けない自分が、嫌になる。
「……私、今日」
「パドックで緊張して、固まっちゃったとことか」
「レースのとき、落鉄しなかったら、とか」
「そんなことばっか考えてる」
「……落ち込んで、迷惑、かけて」
「えーんよ」
タオル越しに、わしゃわしゃとされる。
「エポちゃんはな、失敗したこと、ちゃんと直してくる」
「いまは準備期間なだけよ」
ほら、と言って、にんじんジュースを渡される。
「カンパイしよ」
タオル越しに、こくんとうなずいた。
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9.月に誓う
屋上で、一人月を見ていた。
背後で、扉の開く音。
「あら、これはダービー六着さん」
「なんだよ、八着さん」
……こいつ、だんだん口が悪くなってきてないか?
ステルヴィオは、ボクの隣に立って、同じように月を見上げた。
「わかってたことだけど」
「やっぱり、距離が長かったわ」
「そのようだね」
「あなたもよ」
「自覚、あるんじゃなくて?」
「……」
返事はしない。
できない。
まだ信じたくはないが、彼女の言う通りだった。
「私は、私の道を行く」
「秋からは、マイル路線に行くわ」
そう言って、拳を差し出してくる。
「また道が交わるなら」
「そのときは、勝負しましょう」
「ボクはまず、怪我の完治を目指すよ」
「余計なケチがつくのは、ゴメンだ」
ボクも倣って、拳を向ける。
「ありがとう、友よ。また会う日まで」
軽く、拳がぶつかった。
「安心しなさい。数日中には、授業で顔合わすわ」
……やっぱりコイツ、性格悪い。
今までで一番、熱くて、悔しい。
――そんな一日だった。