神戸新聞杯:ありがとう
1.北海道胆振東部地震
九月に入ってすぐのことだった。
北海道において、観測史上初となる震度七。
土砂崩れ、家屋の倒壊、大規模な停電。
死傷者は八百人近くに及び、復旧の目処は立っていなかった。
その被害の中に――
一人のウマ娘も、含まれていた。
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2.変わらない朝
ワグネリアンの朝は遅い。
九月になっても暑い日が続いている。
薄着で眠るのはよくないと分かっているので、冷房の効いた部屋で、布団にくるまる。
ふかふかの布団がもたらす幸福感。
その甘い誘惑を振り切るのは、非常に困難だった。
今日もぎりぎりまで粘ったワグネリアンは、
食堂でサンドイッチだけを受け取り、登校する。
周囲はどこか騒がしかったが、あまり気にはならなかった。
昨日と変わらない。
いつも通りの朝のはずだった。
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3.名家の娘
ワグネリアンは、一族のほとんどがレースに関わる、いわゆる名家の生まれだ。
祖母は、ダートで豪脚を誇ったブロードアピール。
縁の深いチームKの影響もあり、ディープインパクトやキングカメハメハといった名指導者とも交流があった。
そんなエリート家系の中で、
母・ミスアンコールの戦績は、九戦一勝。
それでも――
母は、優しかった。
ただ、思い出の中の母は、いつもどこか悲しさを、微笑みの奥に隠していた。
それが、悲しかった。
だからワグネリアンは、ダービーを目指した。
母の誇りになりたかった。
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4.知らされた喪失
その日、ワグネリアンは教師から呼び出された。
北海道で起きた地震。
その被害について、学園にも情報が入り始めていた。
配慮によって早退を許され、
未だ混乱が続く現地にいる父へと連絡を取る。
そこで初めて――
最愛の母が、亡くなったことを知らされた。
───
学園内では、様々な噂と憶測が飛び交っていた。
学園保有の育成施設にも被害があったらしい。
大規模な停電で、間接的な影響も深刻だという。
現地にいた有名なウマ娘が、被害を受けたとも。
落ち着かない教室で、
エポカドーロは、学園を早退したワグネリアンのことを考えていた。
───
その夜、意を決して彼女の部屋を訪ねる。
ノックすると、
「あいてる」
短い声が返ってきた。
部屋の中。
冷房が強く効き、寒気がするほどだった。
ワグネリアンは、布団にくるまっていた。
「ワグちゃん。私、エポカドーロ」
「今日お休みだったから……気になって」
沈黙の後、ワグネリアンの言葉が、ぽつりとこぼれる。
「おかあさん……亡くなったって」
「おとうさん、でんわの声……つらそうだった」
堰を切ったように、言葉があふれ出す。
「わたしのいえ、みんなすごい人」
「おばあちゃんはすごいウマ娘」
「おとうさんも、おじいちゃんも、スポーツ選手だった」
「おかあさんは……勝てなくて」
「いつも、かなしそうだった」
「でも……みんな、おかあさんが好きだったから」
「ダービー勝ったら、よろこぶと思った」
「わたし……おかあさんのために、がんばった」
「もしかしたら、それも……おかあさんを、追い込んでたのかも」
「もう、かくにんできない」
「……もっと話したいこと、いっぱいあった」
誰かに聞いてほしかったというより、ため込んでいた思いがあふれた。
そんな感じだった。
エポカドーロは、何も言わず、隣に座っていた。
やがて、思いを吐き出しきったワグネリアンが、布団から顔を出す。
エポカドーロは、目線を合わせて言った。
「ワグちゃん。もう一回、お母さんに見てもらおう」
「ダービーに負けない、全力のレースをしよう」
私たちは、ウマ娘。
喜びも、悲しみも――すべては、走りの中にある。
「うん……わたしは、ワグネリアン」
「私は、エポカドーロ」
ダービーの日と同じように、名乗り合った。
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5.神戸新聞杯
レースが始まる。
エポカドーロは、スタート直後、荒れた芝に足を取られた。
転倒寸前まで体勢を崩し、後方からのレースを余儀なくされる。
まただ。
胸の奥に、不安がよぎる。
――でも。
ララちゃんと約束した。
不運を嘆くだけの弱い自分とは、さよならすると。
最後方から、前を追う。
必死に脚を伸ばすが、届かない。
結果は、四着。
それでも、最後まで諦めなかった。
勝ったワグネリアンは、多くを語らなかった。
ただ、空に向かって一本指を立てる。
「ありがとう」
その一言だけが、静かに残された。
ダービーウマ娘の強さを、確かに示して。
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6.別れと約束
ワグネリアンは、実家へ一時帰宅することを決めた。
「おかあさんに、報告してくる」
「これまでのこと……これからのこと」
「また、かえってくるから」
「うん。約束だよ」
二人は、指切りをする。
「「またね」」
秋は、まだ始まったばかりだった。
───
おまけ:ワグのお見送り
ワグは、実家が落ち着くまで向こうで家族と過ごすらしい。
ワグがお嬢様、かぁ。
経歴として知ってはいたものの、迎えのリムジンが来た時は流石におどろいた。
横でエポカドーロも固まっていた。
そのエポカドーロはこの一件でワグとの仲を深めたようで、今も二人で話している。
相性は確かに良さそうだ。
これを機にお世話がかりは引退かな。と思っていたら、ワグに袖を引かれた。
「あのね」
「いつもありがとう」
大事なことは言葉にしたいの。そう言って彼女は微笑んだ。
見送りが済んだあとエポカドーロが教えてくれた。
「ワグちゃん、私たちのことも家族に報告したいって言ってました」
「なんだかちょっと、照れちゃいますね」
それを聞いてボクは
ボクの知らないところで余計なことを言うんじゃないよ――
そんな一抹の不安を、おぼえた。
友の成長に喜びとほんのちょっびり不安を感じた、
ーーそんな一日だった。