1.薄明かりの下で
ダノンプレミアムは、屋上にいた。
足の怪我は、ほぼ完治している。
だが秋天も、マイルCSも、今からの復帰では間に合わない。
そう判断した。
目標は、来年。
マイルから中距離のGⅠ戦線。
そこに照準を定め、トレーニングを積み重ねることにした。
「……ボクの晴れない気持ちを表す朧月夜、なんて」
「朧月は春の季語よ」
振り返ると、ステルヴィオがいた。
相変わらず、音もなく現れる。
「盗み聞きなんて、ひどいじゃないか」
「知らないわ。
あなたが勝手に、私の前に現れるだけ」
そう言いながら、隣に立つ。
「マイルCSの手ごたえはどうだ?」
「悪くないわね。
距離としては、ここがベストだと思う」
一拍おいて、ステルヴィオは微笑む。
「来週あたりには、呼び名を変えてもらわないとね」
「――ねぇ、ダービー六着さん」
それだけ言って、彼女は先に戻っていった。
月を覆っていた雲は、
先ほどより、少しだけ薄くなっていた。
───
2.いざ京都
「なあ、エポカドーロ。
今度のマイルCS、観に行かないか?」
菊花賞を終え、エポカドーロは年内休養を発表していた。
「いいですけど……京都ですよ?
脚は、もう大丈夫なんですか?」
「ああ。
むしろ、少し歩きたいくらいの気分さ」
そう言って、くるっと一回転。
わざとらしいほど軽やかに、彼女の前でポーズを取る。
「それなら……ご一緒させてもらいますね」
「なんだ、お出かけかー?
ブーも行きたいぞ!」
「……エポカが行くなら、私も」
二人の声に挟まれて、
エポカドーロは少し困ったような笑顔を浮かべた。
菊花賞以降、エポカドーロはこの二人に懐かれたらしい。
気づけば、三人でいる姿をよく見かけるようになっていた。
「賑やかな方が、楽しいさ」
「せっかくだ。みんなで行こうか」
「……ダノンはいらない」
…発案者、ボクなんだけどな
───
3. マイルチャンピオンシップ
今回のマイルチャンピオンシップは、GⅠウマ娘が七人も参戦していた。
昨年の覇者ペルシアンナイト。
前走でステルヴィオを破ったアエロリット。
実績、実力ともに申し分ない顔ぶれが並ぶ。
⸻
そんな中でもダノンプレミアムは、
「あのひねくれ者が、どんなコメントするか」
「今から、楽しみだよ」
まるで勝つ前提の言い草だった。
「信頼されてるんですね。ステルヴィオさんのこと」
付き合いの長い二人だからこその感覚もあるんだな、とエポカドーロは微笑ましく思った。
「なっ、いや、違う!」
「これは、その……そう!
ライバルとして、格がほしいというか!
あいつがGⅠに届かないはずないというか……!」
「…ブー、あんなにベタなツンデレ初めて見たぞ」
「……あざとい」
二人の声は小さく、
言葉は、風に乗って消えていった。
⸻
ステルヴィオは一枠一番。
五分のスタートを切ると、
いつもより前目、二列目あたりにつける。
そこで焦らず、じっと息を潜める。
ペースは流れたが隊列はバラけず、
一団となって進んでいく。
直線に入って、
前を行く三人、そのわずかな隙間。
ペルシアンナイトと並ぶように、
迷いなく割って入り、抜け出した。
最後は、二人の叩き合い。
アタマ差。
ステルヴィオが、前に出ていた。
───
4.“ありがとう”のポーズ
歓声に応えるように、ステルヴィオは軽く手を振ってターフに姿を現した。
──おめでとうございます。
まずは率直な感想をどうぞ。
「ありがとうございます。
今日で四度目のGⅠ挑戦でしたが……結果が出て、ほっとしています」
控えめな言葉。
だが、その声には確かな重みがあった。
──今年のクラシック世代は実力がある。
そんな声も聞こえてきます。
「一歩一歩、進んでいくだけです。
それでも、評価していただけるのは……嬉しいですね」
短く、飾らない。
いつものステルヴィオだった。
──本日は三万人を超える観衆が詰めかけています。
よければ、皆さんに一言。
ステルヴィオは、ゆっくりと視線を上げた。
スタンドを見渡す。
そこには――
笑顔で手を振る人。
歓声を上げる人。
肩車された子供。
涙ぐむ大人。
そのすべてが、こちらを見ていた。
……あ、だめだ。
視界が、にじむ。
咄嗟に俯いたが、涙は止まる気配がなかった。
しっかりしなきゃ。
インタビュアーからマイクを受け取り、
もう一度、スタンドに向き直る。
「……おうぇん……
あ、りがとぅ……ござい、ます」
声は裏返り、言葉にならない。
なんとか頭を下げるのが、精一杯だった。
……ここまで来たら、やりたいことをやってしまおう。
へろへろのまま、
ステルヴィオは指を一本、空へと突き立てた。
それは――
神戸新聞杯で、ワグネリアンが見せた、あのポーズ。
泣き笑いのまま。
あの日の思い出を、
そっとなぞるように。
───
おまけ:晴れた月の下で
「あら、いたの?」
「わかっててきたんだろ」
「おめでとう、ステルヴィオ」
いつものように並んで月を見上げる。
「不思議な気分ね。
レースを一つ勝っただけ、
そのはずなのに」
「これがG1の重みってものなのかしら」
ステルヴィオはいつもより饒舌で、
気分が良さそうだった。
「そういえば」
「呼び名を変えるなんて話してたわね」
「G1ウマ娘になった私を、あなたはなんと呼んでくれるのかしら?」
初めて見る雰囲気の彼女にイタズラ心がはたらいて、
「スーちゃん」
笑顔のまま、殴られた。
「私も今日は少しテンションおかしかったわ」
「だからそれで許してあげる」
…こいつも大概ツンデレヒロインみたいなヤツだな。
自分を棚に上げて、ボクは心でそう呟いた。
ーーそんな一日だった。
───
おまけ:趣味
ある日の教室で、
「…お二人はダノンさんがきらいだったりします?」
深い意味はない。ちょっと気になることがあったからだ。
「…なんで」
「そんなこと聞くのかしら?」
フィエールマンとステルヴィオが静かに反応する。
「ひゃっ! へ、変なこと聞いてごめんなさい!」
「でも、フィエちゃんもステルヴィオさんも……
ダノンさんと話すとき、なんだか、こう……
ちょっと変というか……」
おちつけ、とばかりに割り込んだブラストワンピースの陰にかくれ、エポカドーロは理由を明かす。
「…エポカ、勘違いしないで」
「私はダノンのこときらいじゃない」
「…ただ、いじると面白いリアクションすると知っている」
フィエールマンの答えにエポカドーロは、えぇ…と軽く引いた。
「フィエールマン」
ステルヴィオはフィエールマンに歩み寄ると
「わかるわ」
固く握手をかわした。
「…どうしよう、ブーちゃん私あの二人がわからないよ」
「…エポカ、世の中なんてわからないことだらけだぞ」