大掃除の翌朝、トムは船尾の底へ続く階段の前に、縄が張られているのを発見した。
縄には『立入禁止』の札が下がっている。向こう側の廊下は暗く、昨夜まで壁に掛かっていた絵も取り外されていた。
「まだ、水が入ってるのかな」
トムが尋ねると、ロンは肩をすくめた。
「さあね。確かめたかったら止めないけど、僕はごめんだよ」
彼は縄の向こうをちらりと見た。
「フレッドとジョージが試したんだ。そのあと何があったか、二人とも話そうとしない。あの二人がだぞ」
なるほど、その例には相変わらず説得力があった。
その日の夕食時、マクゴナガル先生は船尾側の一部を当面使用しないことと、修理のため、近いうちに停泊することを告げた。
授業や生活に支障はなく、立入禁止の区画へ近づかなければ危険もないという。
「何かお気づきのことがあれば、速やかに先生へ報告しなさい。ただし、自分たちで調べようとはしないこと。『立入禁止』の意味を、実地で学ぶ必要はありません」
言い終えると、マクゴナガルの目が一つの卓へ向いた。
耳がロバの耳になっているフレッドとジョージが、そろってパンを噛んだ。
*
「トム、今夜、空いてる? ちょっと大事な話があるの」
ラベンダーに呼び止められたのは、それから二日後だった。
隣にはハンナもいた。二人とも声を落としているのに、周りに聞かれたくない話があることだけは、はっきり伝わってきた。
「何かあったの?」
「ここじゃ駄目。誰が聞いてるか分からないもの」
ラベンダーは廊下の両端を見た。
「夕食のあと、前に使った教室で。ロンとネビルにも声を掛けてあるから」
「修行があるなら、少し遅くてもいいよ」
ハンナが付け足した。
トムが頷くと、二人は先に行ってしまった。
すれ違った上級生が、微笑ましいものを見た顔でトムを見る。
秘密にするには、もう少し普通に誘ったほうがいいのではないだろうか……。
夕食後、トムが使われていない教室へ行くと、扉には見覚えのある札が掛かっていた。
以前ネビルが書いた『使用中』だ。
部屋に入ると窓際に寄せた机には、すでに四人が揃っていた。
ロンはやはり菓子を持ってきており、ラベンダーとハンナは羊皮紙を広げている。
ネビルはトムが入ると廊下を一度覗き、扉をきちんと閉めた。
「それで、何の話?」
トムが椅子へ座ると、ラベンダーは待ちきれないように身を乗り出した。
「あの水漏れ、誰かがわざと起こしたかもしれないの」
ロンの手が、菓子の包みを解く途中で止まった。
「誰かって、誰だよ?」
「そこまでは、まだ。でも、船の内側から魔法を壊したんじゃないかって」
「どこで聞いたの?」
トムが尋ねると、彼女は胸を張った。
「同じ部屋の先輩の親友の彼氏の友達。確かな情報よ」
ネビルが少し首を傾けた。
「……ごめん。もう一回、言ってくれる?」
「同じ部屋の先輩の、親友の、彼氏の、友達」
「ずいぶん大勢に知られてる秘密だな」
ロンはようやく包みを開いた。
「その最後の友達は、どこから聞いたんだ?」
「大掃除でその部屋を担当してたんですって。それで、先生たちに取り調べられたの」
「何を見たか、話を聞かれたんだよ」
ハンナが言い直す。
「そのとき、船を守る魔法が、一か所だけつながらなくなってるって聞いたらしいの」
羊皮紙の上には、大きな四角と小さな四角がいくつも描かれていた。
デフォルメした船の見取り図らしい。
端の一つに、ハンナが丸をつけた。
「この辺。大掃除で点検したときは、大丈夫だったって」
「なのに、終わってから水が入ってきたのよ。そんな短い間に、急に壊れる?」
ラベンダーが丸を指で叩いた。
「掃除していたときは、湿気すらなかったらしいよ」
トムは、夕食の席に現れたクィレルの濡れた裾を思い出した。
「それで、誰かが壊したことになるの?」
「だって、ほかは大丈夫なのに、そこだけ?」
ラベンダーが言う。
ハンナは頷いてから、少しためらった。
「わざとだって決まったわけじゃないの…
ただ、強い魔法が干渉したんじゃないか、って」
「それが何か気にならない?!」
ラベンダーは、羊皮紙の船の外から入ってくる矢印を書いた。
「最近、荷物がいっぱい来てるでしょう? 何かが紛れて入ってきたんじゃないと思って」
「生き物ってことか?」
ロンが身を乗り出した。
「箱に隠れてたとか。それならハグリッドに聞けばいい。もう見つけて、名前までつけてるかもしれないぞ」
「生き物とは限らないと思う」
ネビルが図を覗いた。
「変な魔法がかかった物だったら、箱を開けるだけで何か起きることもあるし」
「あるいは、船が掃除に腹を立てたとか?」
トムが言うと、四人がいっせいに黙った。
否定してほしかった。
少なくとも、誰か一人ぐらいには。
「……さすがに、自分に穴は開けないと思う」
やがてネビルが言った。
思う、なのか。
机の下で、ことりと板が鳴った。
ラベンダーが床へ目を落とす。
「怒らないで。あなたが悪いって言ってるんじゃないの。心配してるのよ」
船へ事情を説明する会議になってしまった。
「でも、先生たちが廊下にいること、増えたよね」
ハンナが言った。
「昨日も、寝る前にフリットウィック先生が来たの。いつもなら、あんな時間には来ないのに」
「僕もクィレル先生を見たよ」
ネビルが頷いた。
「扉を一つずつ確かめてた。閉まってる扉も、取っ手を動かして」
それなら、ただの噂というわけでもなさそうだった。
荷物に紛れて、何かが入った。
あるいは、「誰か」が。
船の中を思い浮かべた。
同じ廊下を歩き、同じ広間で食事をし、自分たちに魔法を教える人たち。
もともとここにいる誰かが何かをした、という可能性もある。
「それで、ほら。例の記憶のことがあるでしょう?」
ラベンダーはトムへ向き直った。
「あなたなら、私たちの知らないことを思い出すかもしれないと思って」
「トムを疑ってるんじゃないよ」
ハンナが慌てて続けた。
「掃除のときは、ずっと一緒にいたし。そうじゃなくて、何か、調べる手がかりになればって」
クィレル。
そこまで話を聞いて、脳内にまず浮かんだのはその名前だったが、トムはすぐに追い払った。
あの人が異変を知らせに来たためか。それとも、前の世界で読んだ物語のせいか。
この世界の彼は、生徒に親身で、勇敢に戦った。
それを無視して名前だけで疑うのは、あまりにも失礼だ。
少なくとも、子供たちの教師への疑念を助長するのは教育上問題になりそうだ。
「そうだね……可能性の一つとしてだけど。みんな、ポリジュース薬って知ってる?」
四人が首を傾げた。
ロンだけは、少し考えてから尋ねた。
「ジュースなのか?」
「名前はそうだけど、飲みたいようなものじゃないと思う」
トムは、記憶の中の大鍋を思い浮かべた。
泥のような液体。誰かの髪。飲み込むのをためらう顔。
「他の人と同じ姿になれる魔法薬なんだ。変身したい人の髪とかを入れて飲むと、その人そっくりになる」
「髪を飲むの?」
ラベンダーが自分の髪を肩の後ろへ払った。
「ええと、薬に混ぜて」
「混ぜても髪は髪だろ」
ロンが顔をしかめた。
「誰がそんなもの飲みたがるんだよ」
「たとえば、誰かになりすまして、この船に入りたい人とか」
ロンの口が閉じた。
「顔も、体も変わる。だから、知ってる人の姿をしていても、中身まで本人とは限らない」
「じゃあ、先生に化けてるかもしれないってこと?」
ラベンダーが声を落とした。
「先生だけじゃなくて、上級生でも、僕たちでも」
ネビルが扉のほうを見た。
「でも、話せば分かるんじゃないかな。本人しか知らないこともあるし」
「それは手がかりになると思う。でも、みんなのことをよく調べてから来たなら、普通に話してるだけじゃ気づかないかもしれない」
「嫌な薬ね」
ハンナがぽつりと言った。
「見た目で分からないなら、どうしたらいいの?」
トムは、もう一つの記憶を探った。
片時も手放さない携帯用の瓶。
授業の合間にも、そこから飲んでいた男。
「ずっと変身していられるわけじゃないんだ。効果が切れる前に、また薬を飲まないと、元の姿に戻ってしまう」
「飲み忘れたら?」
「戻る」
「それなら分かりやすいじゃない」
ラベンダーが少し元気を取り戻した。
「飲ませなければいいのよ」
「どうやって?」
ロンが尋ねた。ラベンダーは眉間にしわを寄せる。
「それは……」
「取り上げなくても、気をつけることはできると思う。いつも自分専用の瓶やカップを持っていて、そこから定期的に飲んでる人がいたら、少し覚えておくんだ」
「広間のお茶じゃなくて、自分で持ってきたもの?」
ハンナが確かめた。
「うん。食事とは関係なく、何度も。中身を人に分けたがらないとか、飲むために急いで席を外すとか。そういうことも重なったら」
ラベンダーは羊皮紙の余白に、『自分だけの飲み物』と書いた。
その下へ、『何度も』と付け足す。
「見つけたら、まずみんなで共有する。勝手に問い詰めたりはしない。これでいい?」
「それから、変だと思ったことは先生に言おう!」
ハンナが言った。
「疑ってる本人じゃない先生に、だよな」
ロンが口を挟んだ。
「ねえ、どのくらいで飲み直すの?」
ネビルが尋ねる。
「詳しい時間までは、僕も自信がない。薬の出来にもよるはずだから。
でも、長くなりすましているなら、どこかで補充する必要はあると思う」
トムは四人の顔を見た。
「それと、これは本当に、可能性の一つだからね。
船に誰かが入ったって決まったわけじゃないし」
「分かってるわ。でも、知らないよりいいじゃない」
ラベンダーは羊皮紙を畳んだ。
「とにかく、明日から気をつけましょう」
全員が頷いた。
*
翌朝早く、トムが日課へ出かけようとすると、階段でリリーとすれ違った。
彼女は外套を腕に掛け、片手で手すりを握っていた。
赤い髪はいつものようにまとめられていたが、何本かがほどけて頬に張りついている。
靴には乾きかけの泥が残っていた。
「おはようございます」
声を掛けると、リリーは顔を上げた。
一瞬、どこにいるのか確かめるような目をした。
「おはよう、トム。もう修行に行くの?」
「はい。先生は……今、帰ってきたんですか?」
「ええ。ちょっと長引いてしまって」
彼女は微笑んだ。
いつもなら、練習の進捗や悩みがないか聞いてくれたが、今日はそのまま階段を上がろうとして、足先を一段に引っかけた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。階段を上がるのに、足を上げるのを忘れたみたい」
軽い言い方だったが、手すりを握る手には力が入っていた。
手を貸そうとすると、彼女は小さく首を振った。
「ありがとう。あなたは行っておいで。時間が無くなっちゃうわよ」
トムが道を空けると、彼女は手すりから手を離さず、ゆっくり上がっていった。
その姿はまるで朝六時台の電車の中にいるゾンビサラリーマンだったーー本当に大丈夫だろうか…?
*
その日の闇の魔術に対する防衛術も、リリーが代理だった。
グリンデルバルドは調合室にいるらしく、教室には先生用の椅子と、床へ寝かせた長い板が用意されていた。
「今日は、相手の動きを妨げる呪文を練習しましょう」
リリーは教卓へ手をついて立っていた。
「グリセオ。表面を滑りやすくする呪文よ。追いかけてくる相手を転ばせたり、足場を悪くしたりするのに使えます」
「階段じゃなくても使えるんですか?」
ロンが尋ねた。
「使えるわ。でも、自分にかけるのはやめなさい。
顔が平らになっちゃうから。マグルの伝説に登場するのっぺらぼうの由来よ」
「……聞いただけです」
「ええ。だから、答えただけよ」
彼女は板へ杖を向けた。
「グリセオ」
目立つ光も、爆発もなかった。
リリーが板の端へ小さな木片を置くと、それは軽く押されただけで反対側まで滑り、床へ落ちた。
「滑らせたい場所を決めてから唱えること。
自分の近くの床まで変えてしまったら、逃げる自分も転んでしまうわ」
小さな板と木片が、それぞれに配られた。
成功を確かめるために、自分で乗る必要はない。
ありがたい。グリンデルバルドだったら、実際に転んでから教えてくれそうだ。
ラベンダーの木片が、板の途中で止まった。
「ここまでは、ちゃんとできてるのに」
彼女は途中から先を、指先で確かめた。
ハンナのものは、一度進んでから横へずれた。
「こっちだけ滑りやすくなってるのかな」
トムは杖先で表面をなぞった。
摩擦力だとか、作用反作用の法則だとかが脳裏に浮かぶ。
「グリセオ」
木片を押すと、見事に板の上を滑った。
どうやらツルツル魔法は一瞬で習得できたようだ。
この呪文は少し変身術にも通じるところがあった。何というか物質の表面をアバウトに変化させる感じだ。
隣ではロンが、自分の板へ力強く杖を突き出した。
勢いよく押した木片が飛び出し、教卓の脚に当たって乾いた音を立てた。
「ロン、それでは板に呪文がかかっていなくても飛んでしまうわ」
リリーが笑った。
「次は、そっと。呪文がちゃんと働いているか、木片に教えてもらいましょう」
それから、彼女は椅子に腰を下ろした。
生徒たちの練習へ目を向けたまま、襟元を少し緩める。
しばらくは、一人ずつ杖の動きを直してくれた。
トムも応用として、練習用のカーペットの切れ端や金属板など、異なる材質へ挑戦した。
「先生、杖を振るときって、最後まで同じ強さで……」
ラベンダーの声が、途中で細くなった。
トムが振り返ると、リリーの顎が胸元へ下がっていた。
手には杖を持ったまま、呼吸に合わせて肩がゆっくり動いている。
眠っていた。
五人が顔を見合わせた。
ロンが口を開きかけ、ハンナに腕をつつかれる。
「少しだけ、寝かせてあげよう」
彼女はほとんど息だけで言った。
トムは頷いた。
今朝の階段での足取りを思い出した。机へ突っ伏して寝ているわけでもない。
今すぐ起こすほどのことでもないだろう。
ネビルが自分の板を持ち上げると、ほかの四人も教卓から少し離れた場所へ移った。
呪文を唱える声が、自然と小さくなる。
ロンは木片が落ちる前に手で受け止めた。
教室の外を通る足音が、いつもより大きく聞こえた。
「……ハリー」
静かな教室に、リリーの呟きが響いた。
生徒たちは思わず手を止めた。
「待って……」
リリーの呼吸が浅くなった。
椅子の肘掛けを掴む指に力が入り、爪の周りが白くなる。
「その子に――」
声が途切れた。
次の瞬間、彼女は椅子から跳ね起きた。
「ハリー!」
椅子が後ろへ倒れた。
ハンナが息を呑む。
リリーの杖が、教室の入口へ向いていた。
誰も動かなかった。
彼女の視線が、扉から窓へ走った。
トムを見た。ロンを見た。残りの三人を確かめ、それでもまだ、何かを探していた。
「先生」
トムはゆっくり声を掛けた。
「ここは、教室です。僕たちだけです」
緑色の目が、もう一度こちらを見た。
その奥で、ようやく何かが戻ってきた。
「……ええ。そうね」
杖先が下がった。
リリーは空いている手で額を押さえた。
「ごめんなさい。みんな、驚いたでしょう」
ロンが倒れた椅子を起こした。
音を立てないようにしたのか、いつもよりずっと丁寧だった。
ハンナは教卓の水差しからコップへ水を注いだ。
「先生、お水です」
「ありがとう、ハンナ」
リリーは受け取った。
水面が細かく震えていた。
「先生、少し休んだほうが……僕たち、練習していられますから」
ネビルが言いかけた。
「ありがとう。でも、もう大丈夫。目もすっかり覚めたわ」
彼女はそう答え、笑おうとした。
トムはその顔を見て、続きの言葉を飲み込んだ。
なぜハリーの名を呼んだのか、尋ねる必要はなかった。
自分の知っている物語と、この世界で起きたことは違う。
それでも、夢の中で彼女が誰を探していたのかは、明白だ。
「さあ、見せてくれる? どこまでできたか、順番に見ましょう」
リリーが教卓へコップを置く。
生徒たちは板の上へ木片を戻した。
しかし、呪文を唱えるまでに、少し時間がかかった。
*
数日後、昼食の途中でロンを含めたウィーズリー兄弟たちが呼び出された。
マクゴナガルは四人の名前を告げた。
「食事が済んだら、私のところへ来なさい。四人そろってです」
フレッドとジョージが目を合わせる。
パーシーはすぐに立ち上がろうとし、「まだ食事中だろ」と友人に座り直させられた。
「何かあったの?」
ハンナが小声で聞くと、ロンは首を振った。
「僕は何もやってないぞ。たぶん」
「たぶん?」
「兄貴たちが何をやったかまで、僕に分かるわけないだろ」
彼は皿に残ったジャガイモを急いで食べた。
その隣の卓では、双子が普段どおり談笑している。
反省の色がないのか、そもそも反省する必要がないのか、判別できない。
四人が出ていくと、ラベンダーがトムを見た。
荷物を運んだときに何か見なかったか、聞かれるのかもしれない。トムもそう思った。
しかし、戻ってきたロンの顔は、予想とまるで違っていた。
「ジニーが来るんだ!」
彼は椅子へ座るより先に言った。
「来週、船が岸に停まる予定らしい? そのときに。
ほかにも何人か、まだ学校へ入ってない子が来るって」
「ジニーって、妹さんよね?」
ラベンダーが尋ねた。
「そう。まだ十歳なんだぞ。なのに、こっちへ来るんだ」
ロンは妙に落ち着かなかった。
空になった皿へ手を伸ばし、それに気づいて手を引っ込める。
「じゃあ、もう入学するの?」
「授業はまだ。来年まで、ここで暮らすんだって。母さんたちが決めたらしい」
ハンナの表情が明るくなった。
「一緒のお部屋になるかもしれないね。来たばかりだと、分からないことも多いだろうし」
「どうだろ。先に部屋を用意するって言ってたけど」
ロンは少し考えた。
「あいつ、ハンナたちの言うことなら聞くかもしれない。僕が言うと、すぐ兄貴ぶるなって怒るんだ。兄貴なんだけどさ」
廊下から、双子がジニーへの歓迎について相談している声が聞こえた。
「妹の晴れ舞台だぞ、パーシー」
「忘れられない歓迎にしてやらないと」
「普通に迎えればいいだろう。余計なものを仕掛けるなよ」
ロンは扉を見た。
「やっぱり、先に注意しとくか。あの二人の『歓迎』なんて、信用できない」
トムは笑った。
原作で知っているジニーよりも、このロンの妹として会うことのほうが、少し楽しみだった。
「ほかの子たちも、家族のところから来るの?」
ネビルが尋ねた。
「そこまでは聞いてない。先生たちが迎えに行く子もいるってさ。マグルの家にいる子とか」
トムの笑みが止まった。
「……リリー先生が?」
「そうじゃないかな。僕らが話を聞いてる途中で来たよ。また出かけるって言ってた」
泥のついた靴。
階段に引っかかった足。
椅子の中で眠っていた、短い時間。
トムは唐突に理解した。
彼女は外へ、魔法が使えるマグルの子供たちを探しに行っていたのだ。
*
リリーを見つけたのは、その日の夕方だった。
廊下の壁際で、外套の留め具を直している。
脇には古い鞄が置かれ、そばでは鼻の赤いハグリッドが巨大な瓶を持っていた。
「こいつも持ってけ。外は冷える。ちょいと飲みゃ、腹の底から暖まるぞ」
「ありがとう。でも、酔ってしまったら仕事にならないわ」
「そんなもん、一口や二口じゃ酔わん。いらなきゃ、そのまま持って帰りゃいい」
その一口は、誰の一口なのだろう。
トムは瓶とハグリッドを見比べた。
リリーは少し笑い、明らかに入りそうもない鞄へ瓶をしまい込んだ。
ハグリッドはそれを確かめると、トムの肩を軽く叩いて行ってしまった。
軽く、というのは、彼の基準での話だ。
「どうしたの、トム? 何か聞きたいこと?」
「また、出かけるんですか」
「ええ。戻るのは、明日の朝になると思う」
彼女は外套の留め具を掛け終えた。
「ロンから聞きました。子供たちが来るって」
「ジニーもね。ロン、落ち着かないでしょう?」
「はい。……マグルの家にいる子も、探してるんですか?」
リリーの手が止まった。
それから、鞄の持ち手を握り直す。
「そうよ。魔法使いの家に生まれた子だけが、助けを必要としているわけじゃないもの」
彼女は廊下の先を見た。
誰もいないことを確かめてから、声を落とした。
「学校へ入る前なら、まだ間に合うこともあるわ。でも、どこにいるのか分からない子が多くて」
「名簿は、ないんですか」
「今のホグワーツにはあるでしょうね。私たちのほうへも届いてくれればいいんだけれど」
クラウチが机へ押し出した許諾書を思い出した。
君ぐらいの年頃の子が、みんな済ませている手続きだよ。
あの男は、そう言っていた。
「来年、入学する子を探してるんですよね」
「その子たちも。去年、助けられなかった子についても、調べているわ」
リリーの声が、少しだけ低くなった。
「学校へ連れていかれたのか、その前に家を離れたのか。それすら分からないことがあるの」
去年。一九九一年。
トムは彼女を見た。
この世界を知ったばかりの頃にも、考えたことがあった。
原作にいた、マグルの家に生まれた子供たちはどうなったのか。大活躍するはずだった少女も、ひどい目に遭っているのではないか。
けれど、そのときの自分には、何もできなかった。
顔も住所も知らず、どこへ行けばいいかも分からない。この世界にはいないのかもしれない、と考えることもできた。
今、目の前にいる人は、何も分からないところから探していた。
帰ってきて授業をして、椅子で少し眠って、また出ていく。
トムは、記憶を探った。
今年は一九九二年。この年に入学する、マグル生まれの生徒。
瞑想のときと似た感覚がした。関係のない考えが薄れて、探したいものだけが残っていく。
修行の成果なのか、最近は少しずつ、集中したいときに思考の向きを揃えられるようになっていた。
そして、一つの名前が脳裏に浮かんだ。
リリーが鞄を持ち上げた。
「帰ったら、また話しましょう。あなたも、あまり無理をしないでね」
トムは口を開いた。
いったん、閉じた。
どう説明する。どこで聞いた。どうして知っている。
でも、そんなことはもうどうでもいい。
子供を亡くして、今も他の子供たちを救おうとしている彼女を、少しでも助けたかった。
「先生! 知っているかもしれない子が、います」
リリーが振り返った。
すぐには答えず、鞄を床へ戻し、トムに向き直った。
「孤児院のお友達?」
「違います。その……例の、記憶にあることです。
間違っているかもしれないし、本当にいるかも、分からなくて」
言いながら、自分でもひどい話だと思った。
探す人間へ渡す情報としては、信用できなさすぎる。
それでも、リリーは先を促した。
「いいわ。まず、名前を教えて」
トムは、息を吸った。
「コリン・クリービー」
口にすると、物語の名前が、ようやくこの廊下まで降りてきた気がした。
「僕の一歳年下です。両親はマグルで……父親は、郵便配達する仕事をしていたと思います。弟の名前はデニスで、彼も魔法が使えるようになるはずです」
リリーは外套の内側から小さな手帳を取り出した。
「コリン・クリービーね。綴りは分かる?」
「分かりません」
「住んでいる場所は?」
「それも」
「ご両親の名前は、覚えていない?」
「ごめんなさい……」
手帳の上で、ペンが止まった。
トムは彼女の顔を見られなかった。
「すみません。こんな曖昧なことを言われても、困りますよね」
リリーは少し考えた。
「確かめてみるわ」
トムは顔を上げた。
「名前と、年齢と、お父さんの仕事。それに弟の名前もある。何もないところから探すより、ずっといいわ」
彼女は手帳を閉じた。
トムが恐れていた質問は、来なかった。
「分かった。ほかにも思い出したら教えて。
小さなことだからって、自分で捨ててしまわないでね」
階段へ向かう足音を聞きながら、トムは廊下に立っていた。
まだ、何一つ解決していない。
『秘密の部屋』でカメラを首にぶら下げ、ハリーを熱心に追いかけまわした少年が、本当にこの世界にいるのかも分からない。
ただ、初めて原作に登場する人物の名前を誰かに教えた。
共同休憩室に戻ると、ジニーの寝床を誰が用意するか、ロンたちが言い合っていた。
トムはその声を聞きながら、自分の記憶が役に立つことを祈った。
ぜひ感想で登場させたい下級生を教えてください。
どの一年生が好き?
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トム
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ロン
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ハンナ
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ラベンダー
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ネビル