俺のハリポタなんか変   作:パシフィカ

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この水漏れなんか変

大掃除の翌朝、トムは船尾の底へ続く階段の前に、縄が張られているのを発見した。

縄には『立入禁止』の札が下がっている。向こう側の廊下は暗く、昨夜まで壁に掛かっていた絵も取り外されていた。

 

「まだ、水が入ってるのかな」

 トムが尋ねると、ロンは肩をすくめた。

「さあね。確かめたかったら止めないけど、僕はごめんだよ」

 彼は縄の向こうをちらりと見た。

「フレッドとジョージが試したんだ。そのあと何があったか、二人とも話そうとしない。あの二人がだぞ」

 

なるほど、その例には相変わらず説得力があった。

 

その日の夕食時、マクゴナガル先生は船尾側の一部を当面使用しないことと、修理のため、近いうちに停泊することを告げた。

授業や生活に支障はなく、立入禁止の区画へ近づかなければ危険もないという。

 

「何かお気づきのことがあれば、速やかに先生へ報告しなさい。ただし、自分たちで調べようとはしないこと。『立入禁止』の意味を、実地で学ぶ必要はありません」

 

言い終えると、マクゴナガルの目が一つの卓へ向いた。

耳がロバの耳になっているフレッドとジョージが、そろってパンを噛んだ。

 

     *

 

「トム、今夜、空いてる? ちょっと大事な話があるの」

 

ラベンダーに呼び止められたのは、それから二日後だった。

隣にはハンナもいた。二人とも声を落としているのに、周りに聞かれたくない話があることだけは、はっきり伝わってきた。

 

「何かあったの?」

「ここじゃ駄目。誰が聞いてるか分からないもの」

ラベンダーは廊下の両端を見た。

「夕食のあと、前に使った教室で。ロンとネビルにも声を掛けてあるから」

「修行があるなら、少し遅くてもいいよ」

ハンナが付け足した。

 

トムが頷くと、二人は先に行ってしまった。

すれ違った上級生が、微笑ましいものを見た顔でトムを見る。

 

秘密にするには、もう少し普通に誘ったほうがいいのではないだろうか……。

 

夕食後、トムが使われていない教室へ行くと、扉には見覚えのある札が掛かっていた。

以前ネビルが書いた『使用中』だ。

 

部屋に入ると窓際に寄せた机には、すでに四人が揃っていた。

ロンはやはり菓子を持ってきており、ラベンダーとハンナは羊皮紙を広げている。

ネビルはトムが入ると廊下を一度覗き、扉をきちんと閉めた。

 

「それで、何の話?」

トムが椅子へ座ると、ラベンダーは待ちきれないように身を乗り出した。

 

「あの水漏れ、誰かがわざと起こしたかもしれないの」

 

ロンの手が、菓子の包みを解く途中で止まった。

「誰かって、誰だよ?」

「そこまでは、まだ。でも、船の内側から魔法を壊したんじゃないかって」

「どこで聞いたの?」

トムが尋ねると、彼女は胸を張った。

「同じ部屋の先輩の親友の彼氏の友達。確かな情報よ」

 

ネビルが少し首を傾けた。

「……ごめん。もう一回、言ってくれる?」

「同じ部屋の先輩の、親友の、彼氏の、友達」

「ずいぶん大勢に知られてる秘密だな」

ロンはようやく包みを開いた。

「その最後の友達は、どこから聞いたんだ?」

「大掃除でその部屋を担当してたんですって。それで、先生たちに取り調べられたの」

「何を見たか、話を聞かれたんだよ」

ハンナが言い直す。

「そのとき、船を守る魔法が、一か所だけつながらなくなってるって聞いたらしいの」

 

羊皮紙の上には、大きな四角と小さな四角がいくつも描かれていた。

デフォルメした船の見取り図らしい。

端の一つに、ハンナが丸をつけた。

 

「この辺。大掃除で点検したときは、大丈夫だったって」

「なのに、終わってから水が入ってきたのよ。そんな短い間に、急に壊れる?」

ラベンダーが丸を指で叩いた。

「掃除していたときは、湿気すらなかったらしいよ」

 

トムは、夕食の席に現れたクィレルの濡れた裾を思い出した。

 

「それで、誰かが壊したことになるの?」

「だって、ほかは大丈夫なのに、そこだけ?」

 ラベンダーが言う。

ハンナは頷いてから、少しためらった。

「わざとだって決まったわけじゃないの…

 ただ、強い魔法が干渉したんじゃないか、って」

「それが何か気にならない?!」

 

ラベンダーは、羊皮紙の船の外から入ってくる矢印を書いた。

 

「最近、荷物がいっぱい来てるでしょう? 何かが紛れて入ってきたんじゃないと思って」

「生き物ってことか?」

ロンが身を乗り出した。

「箱に隠れてたとか。それならハグリッドに聞けばいい。もう見つけて、名前までつけてるかもしれないぞ」

「生き物とは限らないと思う」

ネビルが図を覗いた。

「変な魔法がかかった物だったら、箱を開けるだけで何か起きることもあるし」

「あるいは、船が掃除に腹を立てたとか?」

トムが言うと、四人がいっせいに黙った。

 

否定してほしかった。

少なくとも、誰か一人ぐらいには。

 

「……さすがに、自分に穴は開けないと思う」

やがてネビルが言った。

思う、なのか。

 

机の下で、ことりと板が鳴った。

ラベンダーが床へ目を落とす。

 

「怒らないで。あなたが悪いって言ってるんじゃないの。心配してるのよ」

 

船へ事情を説明する会議になってしまった。

 

「でも、先生たちが廊下にいること、増えたよね」

ハンナが言った。

「昨日も、寝る前にフリットウィック先生が来たの。いつもなら、あんな時間には来ないのに」

「僕もクィレル先生を見たよ」

ネビルが頷いた。

「扉を一つずつ確かめてた。閉まってる扉も、取っ手を動かして」

 

それなら、ただの噂というわけでもなさそうだった。

荷物に紛れて、何かが入った。

あるいは、「誰か」が。

 

船の中を思い浮かべた。

同じ廊下を歩き、同じ広間で食事をし、自分たちに魔法を教える人たち。

もともとここにいる誰かが何かをした、という可能性もある。

 

「それで、ほら。例の記憶のことがあるでしょう?」

 ラベンダーはトムへ向き直った。

「あなたなら、私たちの知らないことを思い出すかもしれないと思って」

「トムを疑ってるんじゃないよ」

 ハンナが慌てて続けた。

「掃除のときは、ずっと一緒にいたし。そうじゃなくて、何か、調べる手がかりになればって」

 

クィレル。

 

そこまで話を聞いて、脳内にまず浮かんだのはその名前だったが、トムはすぐに追い払った。

 

あの人が異変を知らせに来たためか。それとも、前の世界で読んだ物語のせいか。

この世界の彼は、生徒に親身で、勇敢に戦った。

それを無視して名前だけで疑うのは、あまりにも失礼だ。

 

少なくとも、子供たちの教師への疑念を助長するのは教育上問題になりそうだ。

 

「そうだね……可能性の一つとしてだけど。みんな、ポリジュース薬って知ってる?」

 

四人が首を傾げた。

ロンだけは、少し考えてから尋ねた。

「ジュースなのか?」

「名前はそうだけど、飲みたいようなものじゃないと思う」

 

トムは、記憶の中の大鍋を思い浮かべた。

泥のような液体。誰かの髪。飲み込むのをためらう顔。

 

「他の人と同じ姿になれる魔法薬なんだ。変身したい人の髪とかを入れて飲むと、その人そっくりになる」

「髪を飲むの?」

ラベンダーが自分の髪を肩の後ろへ払った。

「ええと、薬に混ぜて」

「混ぜても髪は髪だろ」

ロンが顔をしかめた。

「誰がそんなもの飲みたがるんだよ」

「たとえば、誰かになりすまして、この船に入りたい人とか」

 

ロンの口が閉じた。

 

「顔も、体も変わる。だから、知ってる人の姿をしていても、中身まで本人とは限らない」

 

「じゃあ、先生に化けてるかもしれないってこと?」

ラベンダーが声を落とした。

 

「先生だけじゃなくて、上級生でも、僕たちでも」

 

ネビルが扉のほうを見た。

「でも、話せば分かるんじゃないかな。本人しか知らないこともあるし」

「それは手がかりになると思う。でも、みんなのことをよく調べてから来たなら、普通に話してるだけじゃ気づかないかもしれない」

「嫌な薬ね」

ハンナがぽつりと言った。

「見た目で分からないなら、どうしたらいいの?」

 

トムは、もう一つの記憶を探った。

片時も手放さない携帯用の瓶。

授業の合間にも、そこから飲んでいた男。

 

「ずっと変身していられるわけじゃないんだ。効果が切れる前に、また薬を飲まないと、元の姿に戻ってしまう」

「飲み忘れたら?」

「戻る」

「それなら分かりやすいじゃない」

 

ラベンダーが少し元気を取り戻した。

「飲ませなければいいのよ」

「どうやって?」

ロンが尋ねた。ラベンダーは眉間にしわを寄せる。

「それは……」

 

「取り上げなくても、気をつけることはできると思う。いつも自分専用の瓶やカップを持っていて、そこから定期的に飲んでる人がいたら、少し覚えておくんだ」

 

「広間のお茶じゃなくて、自分で持ってきたもの?」

ハンナが確かめた。

「うん。食事とは関係なく、何度も。中身を人に分けたがらないとか、飲むために急いで席を外すとか。そういうことも重なったら」

 

ラベンダーは羊皮紙の余白に、『自分だけの飲み物』と書いた。

その下へ、『何度も』と付け足す。

 

「見つけたら、まずみんなで共有する。勝手に問い詰めたりはしない。これでいい?」

「それから、変だと思ったことは先生に言おう!」

 ハンナが言った。

 

「疑ってる本人じゃない先生に、だよな」

 ロンが口を挟んだ。

 

「ねえ、どのくらいで飲み直すの?」

ネビルが尋ねる。

「詳しい時間までは、僕も自信がない。薬の出来にもよるはずだから。

 でも、長くなりすましているなら、どこかで補充する必要はあると思う」

 

 トムは四人の顔を見た。

 

「それと、これは本当に、可能性の一つだからね。

 船に誰かが入ったって決まったわけじゃないし」

「分かってるわ。でも、知らないよりいいじゃない」

 ラベンダーは羊皮紙を畳んだ。

「とにかく、明日から気をつけましょう」

 

 全員が頷いた。

 

     *

 

翌朝早く、トムが日課へ出かけようとすると、階段でリリーとすれ違った。

 

彼女は外套を腕に掛け、片手で手すりを握っていた。

赤い髪はいつものようにまとめられていたが、何本かがほどけて頬に張りついている。

靴には乾きかけの泥が残っていた。

 

「おはようございます」

 

声を掛けると、リリーは顔を上げた。

一瞬、どこにいるのか確かめるような目をした。

 

「おはよう、トム。もう修行に行くの?」

「はい。先生は……今、帰ってきたんですか?」

「ええ。ちょっと長引いてしまって」

 

彼女は微笑んだ。

いつもなら、練習の進捗や悩みがないか聞いてくれたが、今日はそのまま階段を上がろうとして、足先を一段に引っかけた。

 

「大丈夫ですか?」

「大丈夫。階段を上がるのに、足を上げるのを忘れたみたい」

 

軽い言い方だったが、手すりを握る手には力が入っていた。

手を貸そうとすると、彼女は小さく首を振った。

 

「ありがとう。あなたは行っておいで。時間が無くなっちゃうわよ」

 

トムが道を空けると、彼女は手すりから手を離さず、ゆっくり上がっていった。

その姿はまるで朝六時台の電車の中にいるゾンビサラリーマンだったーー本当に大丈夫だろうか…?

     *

 

その日の闇の魔術に対する防衛術も、リリーが代理だった。

グリンデルバルドは調合室にいるらしく、教室には先生用の椅子と、床へ寝かせた長い板が用意されていた。

 

「今日は、相手の動きを妨げる呪文を練習しましょう」

 

リリーは教卓へ手をついて立っていた。

 

「グリセオ。表面を滑りやすくする呪文よ。追いかけてくる相手を転ばせたり、足場を悪くしたりするのに使えます」

「階段じゃなくても使えるんですか?」

ロンが尋ねた。

「使えるわ。でも、自分にかけるのはやめなさい。

顔が平らになっちゃうから。マグルの伝説に登場するのっぺらぼうの由来よ」

「……聞いただけです」

「ええ。だから、答えただけよ」

 

彼女は板へ杖を向けた。

 

「グリセオ」

 

目立つ光も、爆発もなかった。

リリーが板の端へ小さな木片を置くと、それは軽く押されただけで反対側まで滑り、床へ落ちた。

 

「滑らせたい場所を決めてから唱えること。

 自分の近くの床まで変えてしまったら、逃げる自分も転んでしまうわ」

 

小さな板と木片が、それぞれに配られた。

成功を確かめるために、自分で乗る必要はない。

ありがたい。グリンデルバルドだったら、実際に転んでから教えてくれそうだ。

 

ラベンダーの木片が、板の途中で止まった。

「ここまでは、ちゃんとできてるのに」

彼女は途中から先を、指先で確かめた。

ハンナのものは、一度進んでから横へずれた。

「こっちだけ滑りやすくなってるのかな」

 

トムは杖先で表面をなぞった。

摩擦力だとか、作用反作用の法則だとかが脳裏に浮かぶ。

 

「グリセオ」

 

木片を押すと、見事に板の上を滑った。

 

どうやらツルツル魔法は一瞬で習得できたようだ。

この呪文は少し変身術にも通じるところがあった。何というか物質の表面をアバウトに変化させる感じだ。

 

隣ではロンが、自分の板へ力強く杖を突き出した。

勢いよく押した木片が飛び出し、教卓の脚に当たって乾いた音を立てた。

 

「ロン、それでは板に呪文がかかっていなくても飛んでしまうわ」

 

リリーが笑った。

 

「次は、そっと。呪文がちゃんと働いているか、木片に教えてもらいましょう」

 

それから、彼女は椅子に腰を下ろした。

生徒たちの練習へ目を向けたまま、襟元を少し緩める。

 

しばらくは、一人ずつ杖の動きを直してくれた。

トムも応用として、練習用のカーペットの切れ端や金属板など、異なる材質へ挑戦した。

 

「先生、杖を振るときって、最後まで同じ強さで……」

 

ラベンダーの声が、途中で細くなった。

トムが振り返ると、リリーの顎が胸元へ下がっていた。

手には杖を持ったまま、呼吸に合わせて肩がゆっくり動いている。

 

眠っていた。

 

五人が顔を見合わせた。

ロンが口を開きかけ、ハンナに腕をつつかれる。

 

「少しだけ、寝かせてあげよう」

 

彼女はほとんど息だけで言った。

トムは頷いた。

今朝の階段での足取りを思い出した。机へ突っ伏して寝ているわけでもない。

今すぐ起こすほどのことでもないだろう。

ネビルが自分の板を持ち上げると、ほかの四人も教卓から少し離れた場所へ移った。

 

呪文を唱える声が、自然と小さくなる。

ロンは木片が落ちる前に手で受け止めた。

教室の外を通る足音が、いつもより大きく聞こえた。

 

「……ハリー」

 

静かな教室に、リリーの呟きが響いた。

生徒たちは思わず手を止めた。

 

「待って……」

 

リリーの呼吸が浅くなった。

椅子の肘掛けを掴む指に力が入り、爪の周りが白くなる。

 

「その子に――」

 

声が途切れた。

次の瞬間、彼女は椅子から跳ね起きた。

 

「ハリー!」

 

椅子が後ろへ倒れた。

ハンナが息を呑む。

リリーの杖が、教室の入口へ向いていた。

 

誰も動かなかった。

 

彼女の視線が、扉から窓へ走った。

トムを見た。ロンを見た。残りの三人を確かめ、それでもまだ、何かを探していた。

 

「先生」

 

トムはゆっくり声を掛けた。

 

「ここは、教室です。僕たちだけです」

 

緑色の目が、もう一度こちらを見た。

その奥で、ようやく何かが戻ってきた。

 

「……ええ。そうね」

 

杖先が下がった。

リリーは空いている手で額を押さえた。

 

「ごめんなさい。みんな、驚いたでしょう」

 

ロンが倒れた椅子を起こした。

音を立てないようにしたのか、いつもよりずっと丁寧だった。

ハンナは教卓の水差しからコップへ水を注いだ。

 

「先生、お水です」

「ありがとう、ハンナ」

 

リリーは受け取った。

水面が細かく震えていた。

 

「先生、少し休んだほうが……僕たち、練習していられますから」

ネビルが言いかけた。

「ありがとう。でも、もう大丈夫。目もすっかり覚めたわ」

 

彼女はそう答え、笑おうとした。

トムはその顔を見て、続きの言葉を飲み込んだ。

 

なぜハリーの名を呼んだのか、尋ねる必要はなかった。

自分の知っている物語と、この世界で起きたことは違う。

それでも、夢の中で彼女が誰を探していたのかは、明白だ。

 

「さあ、見せてくれる? どこまでできたか、順番に見ましょう」

 

リリーが教卓へコップを置く。

生徒たちは板の上へ木片を戻した。

 

しかし、呪文を唱えるまでに、少し時間がかかった。

 

     *

 

数日後、昼食の途中でロンを含めたウィーズリー兄弟たちが呼び出された。

 

マクゴナガルは四人の名前を告げた。

「食事が済んだら、私のところへ来なさい。四人そろってです」

 

フレッドとジョージが目を合わせる。

パーシーはすぐに立ち上がろうとし、「まだ食事中だろ」と友人に座り直させられた。

 

「何かあったの?」

ハンナが小声で聞くと、ロンは首を振った。

「僕は何もやってないぞ。たぶん」

「たぶん?」

「兄貴たちが何をやったかまで、僕に分かるわけないだろ」

 

彼は皿に残ったジャガイモを急いで食べた。

その隣の卓では、双子が普段どおり談笑している。

反省の色がないのか、そもそも反省する必要がないのか、判別できない。

 

四人が出ていくと、ラベンダーがトムを見た。

荷物を運んだときに何か見なかったか、聞かれるのかもしれない。トムもそう思った。

 

しかし、戻ってきたロンの顔は、予想とまるで違っていた。

 

「ジニーが来るんだ!」

 

彼は椅子へ座るより先に言った。

 

「来週、船が岸に停まる予定らしい? そのときに。

 ほかにも何人か、まだ学校へ入ってない子が来るって」

「ジニーって、妹さんよね?」

 ラベンダーが尋ねた。

「そう。まだ十歳なんだぞ。なのに、こっちへ来るんだ」

 

ロンは妙に落ち着かなかった。

空になった皿へ手を伸ばし、それに気づいて手を引っ込める。

 

「じゃあ、もう入学するの?」

「授業はまだ。来年まで、ここで暮らすんだって。母さんたちが決めたらしい」

 

ハンナの表情が明るくなった。

 

「一緒のお部屋になるかもしれないね。来たばかりだと、分からないことも多いだろうし」

「どうだろ。先に部屋を用意するって言ってたけど」

ロンは少し考えた。

「あいつ、ハンナたちの言うことなら聞くかもしれない。僕が言うと、すぐ兄貴ぶるなって怒るんだ。兄貴なんだけどさ」

 

廊下から、双子がジニーへの歓迎について相談している声が聞こえた。

 

「妹の晴れ舞台だぞ、パーシー」

「忘れられない歓迎にしてやらないと」

「普通に迎えればいいだろう。余計なものを仕掛けるなよ」

 

ロンは扉を見た。

「やっぱり、先に注意しとくか。あの二人の『歓迎』なんて、信用できない」

 

トムは笑った。

原作で知っているジニーよりも、このロンの妹として会うことのほうが、少し楽しみだった。

 

「ほかの子たちも、家族のところから来るの?」

ネビルが尋ねた。

「そこまでは聞いてない。先生たちが迎えに行く子もいるってさ。マグルの家にいる子とか」

 

トムの笑みが止まった。

 

「……リリー先生が?」

「そうじゃないかな。僕らが話を聞いてる途中で来たよ。また出かけるって言ってた」

 

泥のついた靴。

階段に引っかかった足。

椅子の中で眠っていた、短い時間。

 

トムは唐突に理解した。

彼女は外へ、魔法が使えるマグルの子供たちを探しに行っていたのだ。

 

     *

 

リリーを見つけたのは、その日の夕方だった。

 

廊下の壁際で、外套の留め具を直している。

脇には古い鞄が置かれ、そばでは鼻の赤いハグリッドが巨大な瓶を持っていた。

 

「こいつも持ってけ。外は冷える。ちょいと飲みゃ、腹の底から暖まるぞ」

「ありがとう。でも、酔ってしまったら仕事にならないわ」

「そんなもん、一口や二口じゃ酔わん。いらなきゃ、そのまま持って帰りゃいい」

 

その一口は、誰の一口なのだろう。

トムは瓶とハグリッドを見比べた。

リリーは少し笑い、明らかに入りそうもない鞄へ瓶をしまい込んだ。

ハグリッドはそれを確かめると、トムの肩を軽く叩いて行ってしまった。

軽く、というのは、彼の基準での話だ。

 

「どうしたの、トム? 何か聞きたいこと?」

「また、出かけるんですか」

「ええ。戻るのは、明日の朝になると思う」

 

彼女は外套の留め具を掛け終えた。

 

「ロンから聞きました。子供たちが来るって」

「ジニーもね。ロン、落ち着かないでしょう?」

「はい。……マグルの家にいる子も、探してるんですか?」

 

リリーの手が止まった。

それから、鞄の持ち手を握り直す。

 

「そうよ。魔法使いの家に生まれた子だけが、助けを必要としているわけじゃないもの」

 

彼女は廊下の先を見た。

誰もいないことを確かめてから、声を落とした。

 

「学校へ入る前なら、まだ間に合うこともあるわ。でも、どこにいるのか分からない子が多くて」

「名簿は、ないんですか」

「今のホグワーツにはあるでしょうね。私たちのほうへも届いてくれればいいんだけれど」

 

クラウチが机へ押し出した許諾書を思い出した。

君ぐらいの年頃の子が、みんな済ませている手続きだよ。

あの男は、そう言っていた。

 

「来年、入学する子を探してるんですよね」

「その子たちも。去年、助けられなかった子についても、調べているわ」

 

リリーの声が、少しだけ低くなった。

 

「学校へ連れていかれたのか、その前に家を離れたのか。それすら分からないことがあるの」

 

去年。一九九一年。

トムは彼女を見た。

 

この世界を知ったばかりの頃にも、考えたことがあった。

原作にいた、マグルの家に生まれた子供たちはどうなったのか。大活躍するはずだった少女も、ひどい目に遭っているのではないか。

 

けれど、そのときの自分には、何もできなかった。

顔も住所も知らず、どこへ行けばいいかも分からない。この世界にはいないのかもしれない、と考えることもできた。

 

今、目の前にいる人は、何も分からないところから探していた。

帰ってきて授業をして、椅子で少し眠って、また出ていく。

 

トムは、記憶を探った。

今年は一九九二年。この年に入学する、マグル生まれの生徒。

瞑想のときと似た感覚がした。関係のない考えが薄れて、探したいものだけが残っていく。

修行の成果なのか、最近は少しずつ、集中したいときに思考の向きを揃えられるようになっていた。

 

そして、一つの名前が脳裏に浮かんだ。

 

リリーが鞄を持ち上げた。

「帰ったら、また話しましょう。あなたも、あまり無理をしないでね」

 

トムは口を開いた。

いったん、閉じた。

 

どう説明する。どこで聞いた。どうして知っている。

でも、そんなことはもうどうでもいい。

子供を亡くして、今も他の子供たちを救おうとしている彼女を、少しでも助けたかった。

 

「先生! 知っているかもしれない子が、います」

 リリーが振り返った。

 すぐには答えず、鞄を床へ戻し、トムに向き直った。

 

「孤児院のお友達?」

「違います。その……例の、記憶にあることです。

 間違っているかもしれないし、本当にいるかも、分からなくて」

 

言いながら、自分でもひどい話だと思った。

探す人間へ渡す情報としては、信用できなさすぎる。

 

それでも、リリーは先を促した。

 

「いいわ。まず、名前を教えて」

 

トムは、息を吸った。

 

「コリン・クリービー」

 

口にすると、物語の名前が、ようやくこの廊下まで降りてきた気がした。

 

「僕の一歳年下です。両親はマグルで……父親は、郵便配達する仕事をしていたと思います。弟の名前はデニスで、彼も魔法が使えるようになるはずです」

 

リリーは外套の内側から小さな手帳を取り出した。

 

「コリン・クリービーね。綴りは分かる?」

「分かりません」

「住んでいる場所は?」

「それも」

「ご両親の名前は、覚えていない?」

「ごめんなさい……」

 

手帳の上で、ペンが止まった。

トムは彼女の顔を見られなかった。

 

「すみません。こんな曖昧なことを言われても、困りますよね」

 

リリーは少し考えた。

 

「確かめてみるわ」

 

トムは顔を上げた。

 

「名前と、年齢と、お父さんの仕事。それに弟の名前もある。何もないところから探すより、ずっといいわ」

 

彼女は手帳を閉じた。

トムが恐れていた質問は、来なかった。

 

「分かった。ほかにも思い出したら教えて。

 小さなことだからって、自分で捨ててしまわないでね」

 

階段へ向かう足音を聞きながら、トムは廊下に立っていた。

まだ、何一つ解決していない。

 

『秘密の部屋』でカメラを首にぶら下げ、ハリーを熱心に追いかけまわした少年が、本当にこの世界にいるのかも分からない。

ただ、初めて原作に登場する人物の名前を誰かに教えた。

 

共同休憩室に戻ると、ジニーの寝床を誰が用意するか、ロンたちが言い合っていた。

トムはその声を聞きながら、自分の記憶が役に立つことを祈った。




ぜひ感想で登場させたい下級生を教えてください。
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