俺のハリポタなんか変   作:パシフィカ

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このハロなんか変

一月十七日。

船が水の上へ出たとき、トムは久しぶりに、空が高いと思った。

 

それまで窓の向こうを覆っていた暗い水が下がり、灰色の雲と、葉を落とした木々が現れた。湖面には薄い霧が残っており、遠い岸辺も、そこへ続く森も、朝の光の中では輪郭がぼやけて見えた。

 

「イギリスに帰ってきたみたい」

 隣で窓へ額を寄せていたロンが言った。

「分かるの?」

「パーシーがそう言ってた。新しい子を迎えるときは、いつも戻るんだってさ」

 

船がゆっくり向きを変えた。

木々の切れ目に、草地と小さな砂利の浜が見える。

岸の近くには人家も、道もなかった。

 

頭の上で足音が続いた。

甲板から、ハグリッドの声がする。

 

「もうちょい右だ! そっちの木に掛けろ!

 それじゃ細すぎる、隣のやつだ!」

 

太い綱が窓の前を通り、岸へ伸びていった。

少し遅れて、船の動きが止まる。

床から伝わる、いつもの低い震えがなくなった。

 

     *

 

先生たちの許可を受けて浜へ下りると、冬の空気が頬に刺さった。

トムは外套の襟を合わせた。

 

例の水漏れが発生していた場所は、船尾の水面に近いところだった。

外側へ小さな足場が組まれ、先生たちが内張りと外板を順番に外している。

フリットウィックの周りには、淡く光る線がいくつも浮かんでいた。

 

彼が杖を動かすたびに、線が木の表面へ沈んだり、途中で途切れたりする。

マクゴナガルは外された板を確かめ、順番を記した札をつけていた。

 

近づいてみると、既に周囲には見学する生徒たちによる人だかりが出来ており、度々質問が飛んでいた。

 

「治るんですか?」

 フリットウィックは指揮者のように杖を振りながら答えた。

「もちろんですよ。船に窓を増やしたままにすることはできませんからね」

「出発までどれくらいですか?」

「板だけなら、それほどかからないでしょう。

 ただ、保護のつながりを確かめる必要があるため、少しかかります」

 

先生は、細い光の端を杖先で支えた。

隣の線へ近づけると、触れる前に小さく跳ねた。

フリットウィックは眼鏡を押し上げ、角度を変えて、もう一度試した。

 

「……今夜中は、かかるかもしれません」

 

独り言に近い声だった。

近くでマクゴナガルは静かに頷いた。

 

「では、明るいうちに必要な物を下ろしましょう。

皆さん、作業場所を空けてください。これから1時間の自由時間とします」

 

生徒たちの間で、歓声が上がった。

マクゴナガルはそれが収まるのを待たず、続けた。

 

「ただし、森へ入らないこと。湖も、泳ぐには季節が違います!」

 

「「「はーい」」」

 

船の腹には、外された板の代わりに透明な膜が張られている。

向こうの暗い船室へ、湖面の光が揺れていた。

 

トムはそれを眺めた。

水の中で暮らしているときには、こんな境目の向こうが、すべて水だとは思いもしなかった。

 

     *

 

「来るぞ」

 

それからほどなくして、浜の上からハグリッドの声がした。

 

草地の中央に、杭が一本打たれていた。

その周りには何も置かれていない。ハグリッドは近くの生徒たちをよけさせ、場所を空けた。

 

「そこだとぶつかる。もうちょい下がれ。初めての連中は、うまく降りられんからな」

 

ウィーズリー兄弟が並んで待っていた。

ロンは何度も杭を見ている。パーシーは懐中時計を出し、双子はその肩越しに時間を覗き込んだ。

 

「時計を見ても早くならないぞ」

「時刻を確かめているだけだ」

 

パーシーが時計をしまった、その瞬間だった。

 

空気がよじれたかと思うと、何もなかった場所へいくつもの足が現れる。

 

「手ぇ離していいよ!」

 

明るい声と一緒に、誰かが草の上へ転がった。

古い長靴を握った一団が、ばらばらと地面へ降り立つ。

 

いや、一人だけは、降り立つというより転んでいた。

きらきら光る銀色の髪をした、成人しているかどうかくらいの若い女性が、わざとらしい動きでごろんと地面で一回転すると、片膝をついたまま笑った。

 

「ほらね。あたしが一番ひどかった!だから、気にしなくていいって」

 

隣の褐色の髪の少女が、こわばった顔のまま少し笑った。

その後ろで、特徴的な赤毛の小さな頭が上がる。

 

「ジニー!」

 

ロンが走り出した。

ジニーは彼を見つけ、ほっとしたように顔を明るくした。

ところがロンが荷物を取ろうとすると、鞄を自分の胸へ引き寄せた。

 

「自分で持てるわ」

「重いだろ。貸せよ」

「持って来られたんだから、持てるの」

「運んだのはポートキーだろ」

 

鞄を奪い合う二人の間へ、フレッドとジョージが入ってきた。

 

「ようこそ、妹よ」

「到着早々、ロナルドの世話焼きに耐えるとは。見込みがある」

「あなたたち、その耳どうしたの?」

 

 ジニーの目が、まだ少し長い双子の耳へ向いた。

 

「立てて索敵している」

「警戒しないといけないからね」

「入るなと言われた場所へ、入ろうとしたんだ」

 

パーシーが横から言った。

双子は同時に彼を見た。

 

「歓迎の挨拶に、なんてことを」

「妹に偏った情報を与えるなよ」

 

パーシーはジニーの肩へ手を置いた。

 

「気分は悪くないかい? 母さんから手紙を預かっているだろう?」

「あるわ。でも、あとでね」

 

ジニーは兄たちを順番に見て、ようやく声を立てて笑った。

 

その少し後ろで、杖が動いた。

傷だらけの顔をした男が、草地から船へ、船から森へと目を向けている。

片方の目は普通だった。

もう片方の大きな青い目は、顔の向きと関係なく、ぐるりと回った。

 

マッドアイ・ムーディー。

 

トムは思わず、背筋を伸ばした。

映画で見たときにも恐ろしい顔だったが、実際にこちらへ向けられると、肌の傷よりも、その目が怖かった。服の中まで見られている気がする。

 

「人数を確かめろ。荷物もだ。置いたまま歩き回らせるな」

 

男が低く言った。

 

「分かってるよ、マッドアイ。今やるところ」

銀髪の女は立ち上がり、外套についた草を払った。

「ジニー、ルーナ、デメルザ。みんないるね。気分が悪かったら言って。無理に我慢しなくていいから」

 

淡い金髪の少女はぼんやり湖を見ていたが、「大丈夫」と短く返事をした。

もう一人の、褐色の髪の少女は、長靴から手を離したあとも自分の指を確かめている。

 

「ほら、これで全員――」

 

女は足元の鞄につまずいた。

ハグリッドが大きな手で肩を支える。

 

「おっと」

「ありがと。荷物も全員いたね」

 

ムーディーは笑わなかった。

笑わなかったが、何か言うのを諦めた顔はした。

 

「ニンファドーラ、長靴を――」

「トンクス! 後輩たちの前で、そっちで呼ばないでよ!」

 

女が素早く言った。

それからロンへウィンクを飛ばす。

 

「覚えるのはトンクスだけでいいからね。

 今マッドアイが言ったほうは、絶対に覚えなくていい」

     *

 

荷物を船へ運ぶ間、一年生たちは新しく来た三人へ声を掛けた。

 

「私、ハンナ。荷物を置いたら、お部屋を案内するね」

「ラベンダーよ。最初は少し迷うけど、すぐ慣れるわ。扉が意地悪することもあるけど」

「扉が?」

 褐色の髪の少女、デメルザが聞き返した。

「うん。閉まりそうになったら、無理に押さないで。ネビルに聞けば、大抵分かるから」

 

 突然名前を出されたネビルが、少し照れたように頷いた。

 

「僕も、全部分かるわけじゃないけど。困ったら呼んで」

 

 デメルザは自分の鞄を持ち上げ、船へ目を向けた。

 

「父さん、船酔いするぞって言ってたけど、今は動いてないのね」

「普段は水の中だよ」

 ロンが答える。

「水の中?」

「だから、窓を開けるときは気をつけて」

「開けられないから、大丈夫」

 ネビルがすぐに訂正した。

 

 デメルザは少し迷ってから笑った。

 

「父さん、マグルだから。普通の船だと思ってるの。

 酔ったら遠くの山を見ろって、何度も言われたんだけど」

 

「山は、あんまり見えないね」

 ハンナが船の窓を見た。

 

トムはその名を頭の中で繰り返した。

デメルザ・ロビンズ。

あまり印象のない名前だ。原作に登場しただろうか?

 

隣のルーナ・ラブグッドは、船のほうへ顔を傾けていた。

「この船、眠いのかな」

 

 ロンが振り返る。

「どうして?」

「朝から、お腹を開けられてるでしょう。わたしだったら、寝たふりをすると思う」

 

足場のほうで、板が低く軋んだ。

ルーナはそちらへ小さく手を振った。

 

トムは何も言わず、ネビルを見た。

ネビルも何も言わず、肩をすくめた。

 

トンクスがハグリッドへ何かを尋ねていた。

すぐ近くだったこともあり、リリーの名が聞こえてきた。

 

「まだ帰ってないの?」

「ああ。今朝、知らせは来た。遅れるとよ」

「今度も難しそうだったもんね」

 

ラベンダーがハンナを見た。

ロンはジニーの鞄を持とうとしていた手を止める。

 

「マグルの家にいる子って、そんなに見つからないの?」

 ハンナがそっと尋ねた。

 

トンクスはそれを聞き取ったのか、子供たちの方へ向き直った。

 

「まずその子が魔法を使えるってことが、こっちまで伝わってこないんだ。

 家族だって、何が起きてるのか分からないことがあるし」

「それに、見つけても終わりじゃねえ」

 ハグリッドが続けた。

「親御さんに話して、信じてもらわにゃならん。いきなり子供を連れてくわけにもいかんだろ」

 

 トムは、リリーに伝えた名前を思い出した。

 綴りも住所も分からない。両親の名前も。

 あれだけの情報で探すのは、困難だろう。

 

「リリーも、今日はいったん切り上げると思うよ」

 トンクスが言った。

「ただ、帰るって決めるまでが長いんだよね、あの人。

 だから、あたしたちは先に部屋を――」

 

浜の端で、ぱん、と音がした。

 

トムの肩が跳ねた。

ムーディーはすでに杖を向けていたが、すぐに下げた。

 

――そこには、リリーが立っていた。

そして、両側には男の子が二人いる。

 

大きい方は彼女の袖を掴み、小さい方は両手で兄の外套を握っている。

二人とも顔が白く、今起きたことを理解しようとしているようだった。

 

「……着いたわ」

 

 リリーはまず、小さい子の前へしゃがんだ。

 

「ここが魔法の学校。

言っていた場所――ホグワーツ。もう、大丈夫」

 

少年は首を縦に振ったが、兄の外套を、いっそう強く掴んだ。

 

「じゃあ、少しそのままでいましょうか」

 

 リリーは急かさなかった。

 顔を上げ、集まってきた人たちへ笑いかける。

 

「遅くなってごめんなさい。コリン・クリービーと、弟のデニスよ」

 

トムは息を止めた。

見覚えのない男の子の胸元には、小さなカメラが下がっている。

顔は知らないのに、その子のことを知っている。

 

コリンの唇の色は悪かった。

弟を背中に隠すようにして立っている。

恐る恐るリリーに何か尋ねようとして、すぐに船を見つけて、目を輝かせた。

 

「……あれですか?」

「ええ」

「あれが学校?本当に船なんですか?ずっと動いてるんですか?」

 

一つ目の問いに答える前に、二つ目と三つ目が続いた。

弟もそんな兄の様子に安心したのか、辺りをきょろきょろ見回し始めた。

 

ようやくトムの胸から、息が抜けた。

リリーがこちらを見つけた。

人々の間から、ほんの少し頷く。

 

――ちゃんと見つけたわ。

 

彼女は喋らなかったが、トムにはその言葉が届いた。

なぜだろうか、少し目の前が滲んだ。

 

今度は、間に合ったのだ。

 

     *

 

修理は、夕方になっても終わらなかった。

 

外板の一部は戻ったものの、保護の魔法を確かめる作業が残っていた。

船尾へ続く通路も、道具と外した板で塞がれた。

 

夕食の準備が始まるころ、マクゴナガルは生徒たちを集めた。

 

「今夜の食事は、岸で取りましょう。

 新しく来た皆さんを迎える機会でもありますからね」

 

どっと生徒たちが沸いた。

 

     *

 

そうこうして岸辺で少し待っていると、ハグリッドが、大きな鉄網を担いできた。

その後ろには、肉と野菜を載せた盆が浮いている。

 

「よし、火を起こすぞ。手伝うやつは、まず薪を持ってこい」

 

「バーベキューだ!」

ロンの足取りが、朝の自由時間より軽くなった。

 

生徒たちによって草地へ机が運び出される。

机の脚が不揃いな地面へ勝手に長さを合わせ、椅子がその周りへ並ぶ。

いくつかの焚き火が起こされると、濡れた薪の匂いが立ち上った。

 

クィレルが椅子の並ぶ場所へ杖を振った。

冷たい風が少し和らぎ、煙だけが頭の上を流れていく。

 

「ここれで、少しは食べやすいでしょう。火へ近づきすぎないように。

 暖かさにも限度がありますから」

 

トムは火のそばで手を広げた。

広間の暖炉とは違う。

顔は熱いのに背中は冷たく、煙の匂いが服へ染みついていく。

 

「外で食べると、なんでこう腹が減るんだろうな」

 

 ロンが待ちきれずにパンを手に取った。

 隣のジニーは、手を伸ばす前に兄を見た。

 

「それ、私の前に置いてあるんだけど」

「位置で決まるわけじゃないだろ」

「じゃあ、そっちのを取ればいいじゃない」

 

ロンは新大陸を発見したように自分の目の前の皿を見つめた、

ハンナが笑いをこらえ、ジニーへ食器を回す。

 

デニスは、コリンとリリーの間に座っていた。

最初は緊張しているのか、何も喋らなかったが、上級生から飛び跳ねるカエルのチョコがプレゼントされると興奮気味に口を開き始めた。

 

その隣で、ムーディーが外套の内側へ手を入れた。

携帯用の瓶を取り出し、蓋を開けて飲む。

 

トムの隣のラベンダーは偶然それを見かけ、じろじろと観察した。

そして、肘でトムを小突く。

見なくても、彼女の言いたいことは分かった。

 

自分専用の飲み物。

先日の会議で、自分が警戒の目安に挙げたものだ。

 

いや、ただね、この人の場合、別の理由でそうしているからなぁ……

原作でも、本物のムーディーの用心深さが、なりすましを見破りにくくしていたはずだ。

 

瓶は、すぐ外套へ戻された。

しかし、ムーディーの青い目が、ラベンダーの方へ向く。

 

「何だ」

「いえ、その」

 ラベンダーが答えた。

「何でもないです!」

 

ムーディーは椅子から立ち上がった。

義足の音が、机を回って近づいてくる。

 

「何でもないなら、人の瓶をそこまで見ない。何を確かめたかった?」

「別に、確かめようとは――」

「名前は?」

「ラベンダー・ブラウンです」

「ミス、ブラウンか。では、もう一度聞こう。何を見ていた?」

 

ラベンダーがトムへ助けを求める目を向けた。

トムは心の中で十字を切り、その目を見なかったことにした。

ポリジュース薬を知ったばかりで気になったんですと説明して、この人が笑って済ませてくれるとは思えない。

 

ちょうど手元のカップが空だった。

そういうことにして、水差しのある机へ向かった。

 

     *

 

「君、トムだよね?」

 移動していると近くの席のトンクスに呼び止められる。

 

「はい。初めまして。トム・ブライトです」

「あたしはトンクス。よろしく。リリーが言ってたよ。

 あの子たちが来られたのは、君にも手柄があるんだって」

 

彼女の視線が、クリービー兄弟へ向いた。

トムは戸惑いながら頷いた。

 

リリーが、自分の記憶について言いふらすとは思えない。

トンクスは、どこまで聞いているのだろう。

 

「ああ、詳しい事情は知らないよ」

彼女はトムの困惑した顔を見て、何かを察したのか、すぐに付け足した。

「『トムのおかげ』って。それだけ。あの人、話したくないことは本当に話さないからね」

 

トンクスはカップを一つ取り、水を注いだ。

 

「だから、詮索するつもりはないよ。ただ、ありがと。助かった」

 

向こうから、デニスの笑い声が聞こえた。

コリンが写真を撮ろうとしている。弟はそのたび、兄の後ろへ隠れてしまう。

 

「僕は、大したことはしてないです」

「じゃあ、大したことじゃないのに、二人も助かった。よかったじゃない」

 

簡単に言われて、トムは返事に困った。

トンクスはコリンたちを見たまま、少し声を落とした。

 

「君が来る前は、マグルの家にいる子を連れてこられないことのほうが多かったんだ。

 リリー、帰ってきても、その話ばっかり考えてた」

 

「……最近も、ほとんど寝てないみたいでした」

「うん。寝ろって言うと、寝るわって答えるの。でも、次に見たらまた上着を着てるし」

 

トムは、教室で眠ったリリーを思い出した。

ハリーの名を叫んだ声も。

 

「止められないんですか?」

「止めるよ。あたしだって言う。でも、今行けば間に合うかもしれないって言われるとね」

 

トンクスはカップを両手で包んだ。

 

「諦めなかったから、君が来た。それで、今日はあの子たちも来た。

 あたしからは、全部やめろとは言えない」

 

リリーがデニスへ、何かを指で示していた。

少年は頷き、初めて兄から少し離れた。

 

「今日は、寝てくれるといいですね」

 トムが言うと、トンクスは笑った。

「そのためにも、まず食べてもらおう。何か持っていって――」

 

「肉、焼けたぞ!」

 

ハグリッドの大声が響いた。

トンクスの顔が、ぱっと変わった。

 

「よし、行こう!」

 

トムの腕を取り、火のほうへ歩き出す。

いや、歩くにしては速かった。

 

     *

 

鉄網の前へ並んでいた上級生が、彼女を見つけた。

 

「げっ、トンクス先輩」

「皿を押さえろ!」

「何よ、その言い方。後輩を連れてきただけでしょう?」

 

彼女はトムの空いた手へ皿を渡した。

 

「ほら、こういうのは焼けたところから取るの。

 遠慮してると、食べ盛りが全部持ってくから」

「先輩も、その中に入ってますよね?」

「お、よくわかるじゃん」

 

ハグリッドが豪快に笑い、肉を切り分けた。

 

しばらくして、ラベンダーもやってきた。

少し疲れた顔をしている。

 

「助けてよ」

 彼女はロンの隣まで来ると、小さく言った。

「どうだった?」

「油断するなって。見たことを確かめようとするのはいいが、相手に気づかれるなって、三回言われた。三回よ」

 

疑っていた相手から、警戒の仕方を教わってきたらしい。

トムは謝る代わりに、自分の皿の肉を一切れ渡した。

ラベンダーは頬を膨らませながら受け取った。

 

     *

 

焼けた肉が行き渡り、最初の騒ぎが収まると、トムはトンクスへちょうど気になったことを尋ねてみた。

 

「外って、今はどうなってるんですか?」

 

聞くと、トンクスは肩をすくめて答えた。

 

「マグルの街は、普通に動いてるよ。バスも店も。

 学校へ行く子も、仕事へ行く人もいる」

「魔法界は?」

「自由に行ける場所が、少しずつ減ってる。前は会えた人と、急に連絡が取れなくなることもある」

 

トムは、焼けた肉へ目を落とした。

 

「あの人は、マグルの世界を攻撃しないんですか?」

 

トンクスの指が止まった。

問いの意味を確かめるように、こちらを見る。

 

「あ、変な意味じゃないんです。僕はマグル出身で。それであの人は魔法使いが偉いって、本気で思ってるんですよね。だったら、どうして……」

「外が普通に見えるのか、ってこと?」

 

 トムは頷いた。

 彼女は少し考え、声を落とした。

 

「騎士団で聞いた話だけどね。ホグワーツが落ちたあと、あの人はすぐに戦争を広げなかった。まず、イギリスの魔法界を、自分の言うことを聞くようにしたんだ」

「まずは地盤固めに入ったってことですか?」

「たぶん。それに、いきなりマグルの国を攻撃したら、隠してきた魔法界全体がバレるでしょう?」

「国際機密保持法違反ですね」

「うん。あの人に賛成していなくても、知らないふりをしていられる人はいる。でも、いざ自分たちまで巻き込まれたら、知らないふりはできない」

 

トンクスは、パンを溢れた肉汁に浸す。

 

「だから、先に味方を増やしてる。他の国の、純血の家の人たちとか。

 こっちでうまくやってる事業があるから、一緒にどうですか、って」

「事業?」

 

 彼女は、コリンたちのほうを一度見た。

 

「マグル生まれの子を、ただで働かせるんだ」

 トムは何も言えなかった。

 

「住むところも、食べるものも与えている。魔法の使い方も教えている。

 だから、ちゃんと面倒を見ているんだって言う。働くのは、そのお返しだって」

 

クラウチの声が、また戻ってきた。

衣食住の心配をせずに暮らせる。

君には、特にありがたい話ではないかな。

 

「……やめることは、できないんですよね」

「できないよ。帰る家を無くすのが奴らのやり方」

 

トンクスの指が、パンを強く潰した。彼女はそれに気づき、皿へ置いた。

 

「屋敷しもべ妖精を使うのと、同じことだって言う人もいるんだよ。

うちには何人いる、とか。安く作れて、商売もうまくいくって」

「人なのに」

「うん。人なんだよ」

 

彼女は短く答えた。

しばらく、焚き火の音だけが間にあった。

 

「それに反対する人は、どうなるんですか?」

「反対しにくくしていくんだ。純血の家が得をする法律も、少しずつ通す。

 一度に全部変えるより、そのほうが大騒ぎにならないから」

「それでも、反対する人はいますよね」

「ダンブルドアとつながってるんじゃないか、って調べられる。

 テロリストを助けてる、危険な考えを広めてるって」

 

トムは周りを見た。

机の間を歩いている先生たち。

子供の皿へ料理を足すリリー。

その人たちを助けるだけで、逮捕される。

 

「魔法省が、そうするんですね」

「今の大臣は、ドローレス・アンブリッジ。あの人の気に入ることを、進んでやる人だよ。大事な部署も、死喰い人や、その言うことを聞く人たちが押さえてる」

 

アンブリッジ。

トムは思わず、顔をしかめた。

原作を知っている身としては、名前だけで最悪な人物であることが分かった。

 

「純血の人だけで、そこまでできるんですか?」

「それで今は、混血の人たちにも声を掛けてる。ずっと純血だけが得をするのは、不公平だって。あなたたちも、人を使う側になれるんですよ、って」

 

トンクスは、言葉を選ぶように少し間を置いた。

 

「マグルなら、もっとたくさんいる。魔法を知らないから、従わせるのも簡単だ。

 そんな話を、少しずつ広めてるんだ」

 

「……そのうち、隠さなくてもよくなるように?」

「そう考えてるんじゃないか、って騎士団では言ってる」

 

怖いと思った。

敵が強いから、というだけではない。

世界を壊す前に、そのやり方で儲かる人を増やし、反対した人は危険人物にされ、黙っていた人には利益が回ってくる。想像していたヴォルデモートより、ずっと冷酷で恐ろしかった。

 

「その本人は、何をしてるんですか?」

「それが、あまり分からないんだ。魔法省の神秘部へ出入りしている、とは聞く。

 ときどき、人の集まる席に顔を出すこともあるみたいだけど」

 

トンクスはそこで首を振った。

 

「そこから先は、あたしが見た話じゃない。

 知らないことを、知ってるふりはできないからね」

 

トムは頷いた。

聞きたいことは、まだあった。

けれど、トンクスの皿の肉は、すっかり冷めている。

 

「すみません。食べてるところに」

「いいよ。気になるでしょう」

 

彼女は皿を持ち直した。

 

「でも、今日はこっちの勝ち。あの二人が、ここに来られたんだ。

 全部が全部、向こうの都合で決まるわけじゃない」

 

コリンが、笑いながらカメラを構えた。

リリーは少し困った顔をしてから、デニスと一緒にレンズを見た。

 

トムは、大きく頷き、自分の皿へ手を伸ばした。

 

     *

 

日が沈むと、湖の向こう岸は見えなくなった。

 

焚き火の周りだけが明るい。

トンクスはデニスに頼まれて鼻の形を変え、ジニーは双子の話を半分だけ信じ、パーシーは残りの半分を訂正していた。

 

トムは新しく来た三人の隣へ座った。

ジニーは、パーシーに渡すはずの手紙をようやく鞄から出していた。

 

「お母さん、いろいろ書いてるんだね」

 トムが厚い封筒を見ると、ジニーは頷いた。

 

「パーシーに渡せば、ほかの兄さんたちにも伝わるからって。

 私にも、いっぱい言ったわ。

 ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、兄さんたちに困らされたら先生へ言いなさいって」

 

「全部、いつも言われてることだよ」

 ロンが横から言った。

「あなたが守らないから、何度も言うんじゃない」

 

 ジニーは兄を見ずに答えた。

 

「急に、来ることになったの?」

 トムが尋ねる。

「前から話はしてたみたい。でも、日が決まったのは最近。

 家に私だけ残しておくより、ここにいたほうが安心だからって」

 

言ってから、彼女は兄たちのほうへ目を向けた。

 

「私もこっちの方が嬉しいわ。みんなが帰ってくるのを、待ってばっかりだったもの」

 

ロンは何か言いかけたが、やめた。

代わりに、まだ温かいパンの皿を妹へ寄せた。

 

「デメルザも、そうだったの?」

「うちは母さんが魔女だから。父さんに説明してくれたの」

 

デメルザは袖口を引っ張り、冷えた指を隠した。

 

「でも、父さんは、どうして近所の普通の学校へ行っちゃ駄目なのかって」

「寂しいんじゃないかな」

ハンナが言った。

デメルザは少し考えた。

「……そうかも。酔ったら山を見ろって、何度も言うんだもの」

 

ルーナは、紙の包みから小さな菓子を取り出していた。

半分に割り、片方を火のそばへ置く。

 

「何してるの?」

 ロンが尋ねた。

「ヘリオパスに餌をあげてるの。火の中に住んでる」

「えっと…」

 彼はどこから突っ込みを入れるべきか悩んでいるようだった。

「はい、こっちの半分はどうぞ」

 彼女は残りの菓子をロンに渡した。

「いいの?」

「うん。お父さんがね。ここに来ればヘリオパスやラックサパート以外の友達が出来るって」

 

「お母さんは?」

 

ラベンダーの問いは、何気ないものだった。

ルーナも同じ調子で答えた。

 

「死んだの。デスイーターに盾突いたから」

ラベンダーの顔から笑みが消えた。

 

「……ごめんなさい」

「いいの。知らなかったでしょう」

 

誰も、すぐには次の言葉を見つけられなかった。

トムは火の中で崩れた薪を見た。

 

「授業、何が楽しみ?」

 

しばらくして、ジニーが尋ねた。

今度はトムたちへ向けた問いだった。

 

「私は、物を変える授業が気になるわ。母さんがよく使ってるから」

 デメルザが言う。

「変身術ね。それなら、トムに聞くといいわ」

 

 ラベンダーが、さっきより少し明るい声を出した。

「ずるいくらい早くできるのよ」

「できないことも、いっぱいあるよ」

「でも、できることは教えてくれるでしょう?」

 

 デメルザはトムを見た。トムは照れ笑いしながら彼女に言う。

 

「習い始めたら、一緒に練習しようか」

「杖を貰ったらね!」

 彼女も笑った。

「母さんのを持たせてもらったことあるけど、花瓶が飛んでいって、もう触っちゃ駄目って言われたの」

「うちは兄さんたちのを借りると、すぐ取り返されるの」

 ジニーが言った。

「そういえばロンの杖はファビアン叔父さんのモノだったんだよね。

 私のはどうなるんだろう」

 

その会話を聞いて、トムは思わず自分の外套へ手を入れた。

指が、杖の表面に触れた。

 

これは組み分け帽子から抜き取った杖。自分より前に、誰かが使っていたものだ

でも、誰の杖だったのだろうか。

 

その瞬間、指の下で杖が小さく震えた。

 

トムは手を止めた。

薪が弾けた音ではない。

確かに、掌の中から伝わってきた。

 

「そこを空けたまえ」

 

――突然だった。

トムたちの背後から凛とした老人の声がした。

振り返ると、そこにはグリンデルバルドが立っていた。

 

いつ来たのか分からなかった。

外套も着ていない。挨拶するでもなく、生徒たちの間を通って、火の届く場所の端へ出た。

 

「先生、修理は――」

 

トムの言葉は、最後まで出なかった。

老人は船を見ていない。

暗い森を見つめていた。

 

ムーディーが椅子から立った。

青い義眼が、森の左右へ回る。

普通の目も、細くなった。

 

「ハグリッド」

 

低い声だった。

 

「子供を船へ。今すぐだ」

 

ハグリッドは聞き返さなかった。

置きかけていた皿を机へ戻し、大きな手を広げる。

 

「みんな、立て。続きは中だ。荷物はいい、そのままで」

 

ロンが立ち上がった。

ジニーの鞄を探しかけ、ハグリッドの顔を見て手を止める。

トンクスも笑うのをやめていた。

 

「デニス、こっち。コリンも。一緒に行こう」

 

リリーが二人の手を取った。

マクゴナガルが、船へ続く通路の脇へ立つ。

 

「走らずに進みなさい。前の人を押さないこと。上級生は、小さい子の歩幅に合わせて」

 

いつもの声だった。

けれど、杖は下がっていなかった。

 

トムは立ち、森へ目を向けた。

木の幹が並んでいるだけだった。

焚き火の光が届かないところは、何も見えない。

 

ムーディーが二歩、前へ出た。

 

「杖を捨てろ」

 

誰に言ったのか分からなかった。

 

森の中で、小さな光が動いた。

船へ向かう子供たちのほうへ。

 

「伏せろ!」

 

ムーディーの杖が振られた。

森から飛んだ赤い閃光が、トムたちの前で弾ける。

ハグリッドの腕に押され、トムは地面へ膝をついた。

 

「アバダ・ケダブラ!」

 

緑の光が、ムーディーの杖から森へ飛んだ。

 

トムは進みながら息を詰めた。

あの色を知っている。

自分の暮らしていた孤児院の窓へ、同じ色の光が向けられたことも。

 

木々の間で、人の姿が倒れた。

それまで見えていなかった体が、地面へ落ちる途中で現れた。

薄い布が枝へ引っかかり、腕だけが空中へ残っているように見えた。

 

「散れ!」

 

森から声がした。

別の場所で、何かが剥がれた。

黒い服の男が現れ、木の陰へ飛び込む。

もう一人が、姿を隠していたマントを投げ捨てた。

 

そこにいたのだ。

見えていなかっただけで。

 

「中へ!」

 

マクゴナガルの声が響いた。

トムは立ち上がろうとして、外套の裾を踏んだ。

ネビルが腕を引く。

 

「トム、こっち! 立てる?」

 

ロンはジニーの手を掴んでいた。

今度は彼女も振り払わなかった。

 

背後で、木が裂ける音がした。

振り返ると、グリンデルバルドが手を動かしていた。

森の端の枝がしなり、走っていた男の足へ絡みつく。

 

次の閃光が来る前に、トンクスがトムの肩を押した。

 

「見るのはあと! 足元を見て!」

 

船へ上がる板の上で、靴が鳴った。

窓から見ていた岸辺が、急に遠くなった。

 

     *

 

広間へ入ると、ハグリッドが入口を塞ぐように立った。

リリーが人数を数えている。

パーシーは上級生たちと一緒に、小さい子供を窓から離れた席へ座らせた。

 

「荷物を取りに行かなくていい。必要な物は、あとで持ってきてもらえる。

 今は、席を離れないで」

 

彼女の声は、普段より速かった。

双子はその後ろで椅子を運び、誰かが廊下へ出ようとすると、黙って前へ立った。

 

デニスが泣き始めた。

声を出すまいとしているような、苦しそうな泣き方だった。

コリンは弟を抱えていたが、自分も震えている。

 

ハンナが二人のそばへ座った。

 

「ここにいていいよ。話さなくても大丈夫」

 

ラベンダーは空いている毛布を取りに行く。

ジニーはロンの隣で、握られた手をじっと見ていた。

 

船の外で、鈍い音がした。

窓が一度震える。

 

トムは顔を上げた。

湖側の窓から、岸辺が斜めに見えた。

火のそばに、まだ机が残っている。倒れた椅子。地面へ落ちた皿。

その向こうで、青白い光が木の幹へ当たった。

 

「窓へ顔を近づけるな」

ハグリッドが言った。

トムは一歩下がった。

 

ロンが横へ来た。

ジニーはハンナたちのそばに座っている。

 

「何人いた?」

「分からない。見えたのは、三人か四人」

「それだけか?」

 

外にはムーディーがいる。

トンクスも、マクゴナガルも、フリットウィックも。

そして、グリンデルバルド。

 

窓の向こうで、黒い影が木の陰を移った。

すぐに追うように光が飛ぶ。

 

敵が勝てるとは思えなかった。

少なくとも、あの人数では。

 

「逃げないんだね」

 

トムが呟くと、ロンも窓を見た。

敵は木々の奥へ動いている。

けれど、光の向きは何度もこちらへ戻ってきた。

 

「逃げられないんじゃないか?」

 

そうかもしれない。

トムは頷きかけた。

 

広間の奥で、毛布を抱えたラベンダーが戻ってきた。

ネビルが椅子を寄せ、ハンナがデニスへ何か話しかけている。

リリーは入口でハグリッドと短く言葉を交わし、もう一度、子供たちを見渡した。

 

外の光が、一度強く弾けた。

それから、しばらく何も起きなかった。

 

トムは音を待った。

廊下で靴音がするたび、顔を上げる。

湖の水が船腹へ触れる音まで、妙にはっきり聞こえた。

 

ようやく、入口でハグリッドが体をよけた。

マクゴナガルが入ってきた。

肩に葉の切れ端がつき、ローブの裾は泥で汚れている。

 

「皆さん、もう大丈夫です」

 

彼女は杖を下ろした。

 

「岸辺の安全を確認しました。怪我をした人は、いませんか?」

 

リリーが首を振った。

マクゴナガルは子供たちを一人ずつ見て、少し息を吐いた。

 

「今夜は船内で過ごします。

 外へ残した物は、先生たちが運びますから、そのまま待っていなさい」

 

広間のあちこちで、椅子が鳴った。

誰かが大きく息を吐き、誰かが、よかった、と言った。

ハンナはデニスの肩の毛布を直した。

ロンもようやく、握っていた自分の手を開いた。

 

「終わったってさ」

 

ジニーへ言う声は、少し掠れていた。

トムも、強張っていた肩を下ろした。

 

そのときだった。

 

「侵入者! 侵入者!」

 

ーー廊下の奥で甲高い声がした。

下ろしかけたマクゴナガルの杖が、すぐに上がった。

ハグリッドが扉へ向き直る。

 

「侵入者!」

 

小さな緑色の球体が、床を跳ねるようにやってきた。

両側の耳を羽のように広げ、一度浮き上がると、椅子の間を抜けて広間へ入る。

 

――ハロだ!

 

グリンデルバルドへ贈った小さいハロ。

 

けれど、継ぎ目には細い銀色の線が走り、開いた耳の内側には見覚えのない文字が浮かんでいた。飛び方も違う。以前はふらついていたのに、今は人の肩を避け、狙った場所でぴたりと止まる。

 

「侵入者!」

 

トムは立ち上がった。

 

そんな機能は、つけていない。

声も、ここまではっきり喋れるようにはしていなかった。

明らかに、誰かの手が入っている。

 

「侵入者!ゲラートの部屋!」

 

ハロの耳が、強く羽ばたいた。

広間は、さっきより静かになった。

どの一年生が好き?

  • トム
  • ロン
  • ハンナ
  • ラベンダー
  • ネビル
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