誤字報告誠にありがとうございます。大変助かります。
朝、五人は小瓶を持ってリリーを訪ねた。
リリーは瓶を窓の明かりへかざし、ゆっくり傾けた。中身は底にわずかに残っているだけだった。
「これで全部?」
「はい。何の魔法薬か、分かりますか」
トムが尋ねると、リリーは瓶を眺めたまま少し考えた。
「量が少ないわね。調べられる方法はあるけれど、時間が掛かってしまうの」
「どれくらいですか?」
ロンがすぐに聞いた。
「十日ほどかしら」
「十日も?」
彼は小瓶の底を覗き込み、もう少し取ってくればよかった、という顔をした。
「それで、これはどこから持ってきたの?」
「フレッドとジョージから渡された飲み物です。何かのいたずらかと思って……」
ロンが答えると、ハンナがうつむき、ラベンダーは目をそらした。
「誰も口にしていないわね?」
「はい。僕たちは飲んでません。そこまでひどいものじゃないと思いますけど」
「それを確かめに来たのでしょう?」
ロンは口を閉じた。リリーは瓶に栓をし、小さな札をつけた。
「これは預かっておくわ。分かったら知らせます。それまで、同じものを渡されても飲まないこと。他に何か、手掛かりになることはある?」
「……今は、特に」
ネビルが答えると、リリーは何か言いたげに五人を見回したが、それ以上は尋ねなかった。
トムは訂正するなら今だと思ったが、結局言い出せず、そのまま礼を言って部屋を出た。
扉が閉まると、ハンナがロンへ向き直った。
「お兄さんたちのせいにして大丈夫なの?」
「兄貴たちなら、うまくやるさ……少し借りが増えるけど」
「とにかく、調べてもらえるんだ。あとは待とう」
トムが口を挟んだ。
「これ以上は僕たちだけで変なことはしないほうがいい」
「でも十日だぞ。その間に何かあったら?」
「だからって、何の薬か分からないまま先生を疑っても仕方ないだろ」
ロンは口を曲げたが、それ以上は言わなかった。
*
週が明けて、月曜日の天文学でも、ロンはトレローニーの小瓶を気にしていた。
先生が黒板へ向き直るたび、ロンは教卓の小瓶を覗き込もうと身を乗り出した。
ラベンダーが机の下で足を蹴ると、彼は小さく声を上げた。
トレローニーが眉をひそめて振り返り、説明を中断した。
「ウィーズリーさん。何か質問でも?」
「いいえ」
「では、先ほどの説明を繰り返してごらんなさい」
ロンは立ち上がり、黒板を見た。そこには丸い月が幾つも並んでいる。
「月は……毎日、違うところに見えます」
「そのようですね。あなたの注意も、ずいぶん遠くまで動いていたようですけれど」
ラベンダーが下を向いた。トムは教科書で口元を隠した。
先生はため息をつき、黒板の日付を杖で囲んだ。
「この図を完成させて、来週の授業までに提出なさい。月の見える時刻についても、自分で調べて書き添えること。今週のわたくしの授業は、これで終わりですからね。お友達の答案を借りなくても、仕上げる時間は十分にあるでしょう」
*
「本当に、今週はもう天文学がないんだな」
廊下の時間割を見上げ、ロンが言った。
火曜日以降、天文学のコマはなく、その分、ほかの先生の授業がまとめて入っていた。
ネビルも隣へ並んだ。
「そういえば、毎月このくらい空くよね。一週間くらい」
「毎月?」
「うん。先月も、その前も」
船では先生の都合で予定が変わることは珍しくない。
忙しい先生の実技をまとめるためだろうと、トムも特に気にしていなかった。
「その間、何をしてるんだろ」
「先生にだって、授業以外のお仕事があるでしょう」
「でも、一週間も――」
「薬のことが分かるまで待とうって言っただろ」
トムが口を挟むと、ロンは時間割から目を離した。
「待ってる間に、先生が何をしてるか見るくらい、いいだろ?」
「先生は見世物じゃないよ」
「本で調べてみない?」
ハンナが言った。
「ポリジュース薬以外にも、毎日飲む薬はあるでしょう?薬草学や魔法薬の本に載ってるかも。どんな病気に使うかとか」
その提案はもっともなものだった。ネビルとトムも頷き、同意した
そうして授業が終わると、3人は図書館へ向かうようになった。
――しかし、ロンとラベンダーは別行動をとることにした。
*
ロンは、本を読むより先生を見たほうが早いと考えたらしい。
彼はまず、トレローニーへ食事を運ぶ上級生に何度も話を聞いた。
部屋で何をしていたか。誰か来ていなかったか。変わったものを置いていなかったか。
しつこく尋ねるうちに、相手は面倒がり、運ぶ仕事をロンに押しつけた。
ロンはむしろこの仕事を喜んで引き受けた。ラベンダーも水差しを持ってついていった。
彼一人では何をしでかすかわからなかったためだ。
もっとも、食事を届けても、分かることはほとんどなかった。
先生はお茶を飲んでいたり、本を読んでいたり、カードを並べていたりした。
礼を言われ、盆を置けば、それで終わりだった。
「ほら、いつ行っても同じだろ?」
食器を下げた帰り、ロンが言った。
「忙しくて授業ができないわけじゃない」
「あなたが食べてるところを見ただけで、宿題をしてないって決めつけていいの?」
「僕の宿題の話はしてないだろ」
「先生のことも、分からないでしょう」
ロンは盆の上で滑ったカップを押さえた。
「だったら、あの瓶は何なんだよ」
「それをポッター先生が調べてるんじゃない」
「あの量じゃ十日かかるんだろ。ほかの確かめ方だってあるはずだ」
ラベンダーは返事をせず、水差しを持ち直した。
*
三月十八日、水曜日の昼。
二人が昼食を届けると、トレローニーは肘掛け椅子から小卓を示した。
「ありがとう。そこへ置いてちょうだい」
ロンが皿を並べ、ラベンダーが水差しを置いた。いつもの瓶は、先生の椅子のそばにあった。
ロンが目をやると、ラベンダーに肘をつつかれた。
「今夜の食事は結構です」
トレローニーが言った。
「食器は五時までに下げてください。それからは、明日の朝まで訪ねてこないように」
「夕食は食べないんですか?」
「少し休みたいのです。必要なものは用意してあります」
「でも――」
「ウィーズリーさん。あなたが運んでくださらなくても、飢えたりはしませんよ」
ラベンダーがロンの袖を引いた。
「分かりました、先生」
「特に、夜は来てはいけません。課題の質問も、次の授業まで待ちなさい。よろしいですね?」
いつになく強い口調だった。
二人が頷くのを確かめると、先生は膝の本を開いた。
部屋を出て階段まで戻ると、ロンが声を落とした。
「今夜、何かあるんだ」
「休むって言ってたでしょう」
「食事まで断って、絶対に来るなって?」
「あなたが毎回、余計なことを聞くからよ」
ロンは言い返しかけ、やめた。代わりに、階段の上の扉を振り返った。
「……薬が切れたところを見れば、はっきりするのに」
「先生が偽物じゃなかったら、どうするつもり?」
「謝るよ」
「本当に?」
「君の前で。もう疑わない。それでいいだろ」
ラベンダーは黙った。
先生のことを、いつまでもこんなふうに言われたくなかった。あの瓶から反応さえ出なければ、言い返せたのに。
ロンが、何か思いついた顔で彼女を見た。
「食器を下げるときだけど……」
*
その日の放課後、トムは教本を抱えてクィレルの研究室を訪ねた。
机の端には採点途中の答案が積まれ、憂いの篩の隣には冷めかけた紅茶が置かれている。
先生は答案を脇へ寄せ、篩を覆っていた布を取った。
「さて、前回の続きから始めましょう。最近のことは、うまく取り出せるようになりました。今日は、数か月前の記憶にしてみましょうか」
「古いものだと、難しくなるんですか?」
「ほかの記憶と混ざることがあります。同じ場所で何度もしたことなどは、特に。最初は、よく覚えている出来事がいいでしょう」
トムは頷き、少し考えた後に自分の杖へ目を落とした。
「そうですね……この杖をもらったときのことにしてみたいと思います」
「いいですね。どこから始めます?」
「名前を呼ばれる少し前から、席へ戻るまでで」
椅子へ座り、呼吸を整える。
思い出すのは難しくなかった。帽子の中の暗がりも、指に触れた木の感触も、よく覚えている。
杖先をこめかみへ当て、ゆっくり引いた。銀色の糸が伸び、石の鉢へ落ちた。
*
ロンが杖を握って席へ戻ってくる。
耳まで赤いくせに、何度も手元を見ては口元を緩めていた。
今のロンに見せたら、こんな顔はしていないと文句を言いそうだった。
次に、自分の名前が呼ばれた。
十一歳のトムが立ち上がる。まだ半年ほど前なのに、帽子の前まで歩く姿は妙に頼りなく見えた。
右手を何度も開いたり閉じたりしている。
あのときは、帽子に頭を読まれたらどうしようと、そればかり考えていたっけ。
「右手でいいのですか」
記憶の中の自分が尋ねた。
今では毎日使っている杖も、あの日は持ち方すら知らなかった。
帽子へ手を入れた少年が、じっと待った。やがて肩の力が抜け、ゆっくり腕が戻ってくる。その手には見慣れた杖が握られていた。
先端に、小さな光が灯った。
トムも思わず、その光を見つめた。
あれからコップを動かし、物の形を変え、床を滑らせた。けれど、このときは光っただけで嬉しかった。
自分の杖から魔法が生まれた。それがどれほど大きなことだったか、久しぶりに思い出した。
*
「きれいに取り出せましたね」
研究室へ戻ると、クィレルが言った。
トムは頷いた。嬉しい記憶だった。見ているうちに、自分まで笑っていた気がする。
それなのに、先生たちの席を思い返すと、何かが引っかかった。
リリーがいた。ダンブルドアも。フリットウィックとポンフリーは、少し離れた席にいた。
長いショールを着た天文学の先生は、見当たらなかった。
「どうしました?」
「トレローニー先生、あの日は来ていなかったみたいですね」
クィレルは少し考えた。
「どうだったでしょう。半年以上前ですからね」
トムは眉をひそめた。
普段から船を離れることが少ない先生だ。
自室で過ごすことが多く、食事も誰かに運んでもらっている。広間にいないこと自体は、不思議ではない。
しかし、彼女はハロウィンのパーティーには出席していたし。クリスマスのプレゼント交換にも参加していた。偏屈なグリンデルバルド老人ほどの重度社会不適合者ではないのだ。
それならば卒業式と並ぶような重大な学校行事を欠席するのだろうか?
もし、それ相応の理由があるとしたら?
トムは頭の中で日記の頁をめくった。船へ来た日。ハロウィン。クリスマス。
そして、湖でのバーベキュー。
そう言えば、あの日も彼女はいなかった。
先生たちが外で戦っている間、トレローニーは船に残っていた。
あとから聞いて、石を盗みに行く時間はあったのかと考えたことまで思い出した。
今までは、何ができたかを考えていた。
けれど、どうして部屋から出なかったのだろう。
ネビルの声が浮かんだ――毎月このくらい空くよね。一週間くらい。
天文学の課題が脳内で暴れた。新月が満月へ、そしてまた欠けていく。
トムは顔を上げた。
何故気が付かなかった。原作にも、似たような休み方をする先生がいた。
「あの……暦はありますか。去年の月齢も分かるもの」
「ええ?そこの棚の二段目です。茶色の背表紙ですよ」
トムは本を取り、机へ広げた。
船へ着いたのが八月二十三日。杖を受け取ったのは、その翌日だ。
二十四日の欄を押さえ、隣へ指をずらす。
――満月は、二十五日だった。
偶然かもしれない。ひと月に一度は満月になる。欠席した日がその近くだったからといって、それだけで何かが決まるわけではない。
一月を開いた。
十八日。船が停まり、新しい子供たちが来た日。満月は十九日。
二回とも、前日だった。
手のひらが少し湿っていた。膝で拭い、もう一度頁を見る。
毎月の休講。持ち歩く薬――リーマス・ルーピン。
図書室では、色や飲み方ばかり調べていた。
毎日飲んでいると思い込んでいたが、本当にそうだったか。授業がない週と、瓶を見かける時期を、分けて考えていなかったか。
これだけで決めつけるわけにはいかない。
だが、そうだとしたら、あの瓶を大切に持ち歩いている理由が分かる。
今日の日付は三月十八日。
月齢の欄には、丸い月が描かれていた。
「先生」
トムは声を落とした。
「トレローニー先生は……狼人間なんですか」
クィレルは目を見開いた。すぐには答えず、トムの開いた暦へ目を向けた。
「それを確かめていたんですか」
「先生が行事に来なかった日が、満月に近いんです。授業も、毎月しばらく空きます。それに、薬を飲んでいて」
言いながら、トムは扉を見た。廊下から声は聞こえなかった。
クィレルは椅子を引き、向かいへ座った。
「その話を、ほかの人には?」
「まだ、誰にも」
「では、むやみに話さないでください。ご本人が、皆さんに話していないことですから」
トムは頷いた。
「先生たちは、知っているんですね」
「ええ。薬も用意されていますし、満月の夜はお部屋から出ないことになっています。君たちが心配して、様子を見に行く必要はありません」
そこで、ようやく息が抜けた。
自分が気づいたからといって、誰も知らない秘密を発見したわけではなかった。
「飲んでいるのは、脱狼薬ですか」
「よく知っていますね」
「本で、少し。でも普通は飲み物に混ぜたりしないですよね?」
「比較的新しい薬です。変身そのものは防げませんが、正しく服用すれば、人間の理性を保てます。確かに調合が難しく、非常に飲みにくい薬ですが、幸い、この船には魔法薬の達人がいらっしゃいます。グリンデルバルド先生が改良を加えて、飲みやすくしたそうです」
そうか。原作ではスネイプが調合していたが、例え出来たとしても彼は嫌っていた相手であるルーピンのためにレシピに手を加えたりしない。一方グリンデルバルドはどうだ?ハロにわざわざ手を加えて送り返すような人間だ。きっと自分の方がより優秀であるとマウントを取りたがるタチなのだろう。
トムは、飲み物に薬を加える細い手を思い出した。
先生は変身を隠すためにそれを飲んでいたんだ。
ただ、それは誰かが化けているためではなかったのだ。
「その……昔から、先生は狼人間だったんですか」
クィレルは首を振った。
「ホグワーツが襲われたときのことです。例のあの人の側には、フェンリール・グレイバックと、その配下の狼人間たちがいました。フリットウィック先生が彼らの相手をしましたが、すべてを防ぐことはできませんでした。トレローニー先生は、生徒をかばって噛まれたんです」
トムは息を呑んだ。
フリットウィックの義足を初めて見たとき、グレイバックと戦ったのだと聞いた。あの戦いで傷を負ったのは、彼だけではなかった。
「脱狼薬は、満月の日に飲むんですよね?」
「その日だけでは足りません。満月前の一週間、毎日飲む必要があります」
「だから、いつも瓶を?」
「海の下では、窓を見ても月の満ち欠けが分かりませんからね。服用する期間は薬を手元に置き、決まった時刻に飲むようにしているそうです」
クィレルは暦を閉じた。
「ご本人がいちばん気をつけていらっしゃいます。一度の飲み忘れで、薬が十分に効かなくなることもありますから」
「そうですか……」
知っているつもりで、何も分かっていなかった。
自分がポリジュース薬の話をしたせいで、みんなはあの瓶を疑うようになった。しかも、先生が飲まなければならないものを、勝手に取って調べた。
時計を見ると、授業が始まってから一時間近くたっていた。
クィレルは記憶を戻す手順を確かめ、憂いの篩へ布を掛けた。
「今日はここまでにしましょう。ただ、今お話ししたことは、ご本人のいないところで広めないように」
「……はい」
*
共同休憩室へ向かいながら、トムは一年生たちにどう話すか考えていた。
先生は偽物ではない。そこまでは言える。
だが、理由を話せば秘密を明かすことになる。「クィレル先生に聞いた」とだけ言って、ロンは納得するだろうか。
その前に、リリーへ本当のことを話さなければならない。盗んだ薬を、双子から渡された飲み物だと偽った。名前が分かったからといって、それで済むわけではなかった。
叱られるだろうな。
そう思いながら角を曲がると、ハンナが向こうから足早に歩いてきた。
「トム! リリー先生、見なかった?」
「ううん。どうしたの?」
「ロンとラベンダーが、先生の薬を――」
「その薬なら、分かったよ。あれは――」
「入れ替えたんだって」
トムは足を止めた。
「……何を?」
「トレローニー先生の瓶の中身。普通のお酒に替えて、元の姿に戻るか確かめるって」
手に持った教本が、急に重く感じられた。
「いつ?」
「食器を下げたとき。先生が隣の部屋へカップを取りに行って、その間に」
「今、二人は?」
「先生のところ。もう一時間たつからって、さっき出ていったの」
「ネビルは?」
「一緒に行った。薬を返してこいって言ったんだけど、二人が、確かめてからって聞かなくて。だから、返すところまで見てるって」
ハンナは抱えていた本を握り直した。
「私たちも、今聞いたばかりなの。止めたんだけど、少しの間だから大丈夫だって……」
トムは鞄を足元へ下ろした。教本を押し込もうとして、うまく入らず、そのまま上へ置いた。
「先生を呼んできて。今すぐ」
「やっぱり、まずい薬なの?」
「リリー先生でも、マクゴナガル先生でもいい。トレローニー先生の薬がすり替えられたって伝えて。ロンとラベンダーとネビルが、先生のところへ行ったことも」
「あなたは?」
「三人を連れ戻す」
まだ廊下にいるなら、引き返せる。
先生に薬のことを知らせれば、三人を遠ざけることもできるはずだ。
クィレルの声が頭をよぎった。
満月の夜は部屋から出ない。薬も用意されている。
だが、先生たちは知らないのだ。
自分たちがその薬を、飲めなくしてしまったことを。
「トム、何の薬だったの?」
ハンナの声が震えていた。
トムは階段へ向き直り、答えた。
「脱狼薬。先生は、狼人間なんだ」
ハンナが息を呑んだ。
抱えていた本をトムの鞄の上へ置き、反対側の廊下を見た。
「先生たちの部屋へ行く。誰もいなかったら、広間を探す!」
「お願い」
二人は別々の方向へ走り出した。
階段を駆け上がると、甘い香の匂いがした。いつもなら眠くなるような匂いだった。それが濃くなるたびに、トムの足は速くなった。
頼むから、まだ何も起きていないでくれ。
角を曲がったところで、上の階から何かが割れる音がした。
ラベンダーは映画で狼人間に噛まれて死ぬ運命ですからね。仕方ないことですね…