チズパーフルは、トムが思っていたよりも、ずっと厄介な問題になった。
最初に洗濯室で見つかってから一週間もすると、船内の先々で、あの小さな虫が発見された。物入れの奥、階段の裏、窓枠の継ぎ目――図書室では、いつまでも同じ頁をめくり続ける本を調べたところ、背表紙の中から数匹出てきたそうだ。
先生たちの指揮で何度も掃除をし、駆除薬も撒いた。そのたびに虫は見つからなくなるのだが、数日すると、別の場所で何かが動かなくなった。
船内の部屋や廊下には石造りの場所もあるにはあったが、船の構造の大部分が魔力を帯びた木材が使われており、板の合わせ目の内部や、太い梁の裏側の空洞にまで深く潜り込まれてしまうと、表面からいくら薬を撒いたところで、彼らには届かないのかもしれない。
虫対策が終わるたび、ハグリッドは「もう一匹もいやしねえ」と胸を張った。大抵は翌朝までに、誰かが新しい虫を見つけた。
そのうち、彼は「今のところは」と枕言葉を付け加えるようになった。
*
イースター休暇が明けた最初の朝、トムは少し緊張した面持ちで、医務室の使い古された革椅子の背に身を預けていた。
ポンフリー先生が手元の医療記録の羊皮紙をめくるパサリ、パサリという規則正しい音を聞きながら、トムの視線は、机の中央に置かれた細長い黒塗りの木箱に釘付けにされていた。
蓋は固く閉ざされていたが、その中身が何であるか、トムには分かりすぎるほどに分かっていた。
「頭痛や、眉の奥が痛むような感覚はありませんね、ブライトさん」
「はい、ありません」
「手足が不自然にだるくなったり、急に気絶するように眠くなったりすることは?」
「それもありません」
ポンフリー先生はかけていた眼鏡の上から、探るようにトムをじっと見つめたが、やがて諦めたように小さく息を吐いて記録を閉じた。
「結構。これはグリンデルバルド先生から、預かっていました。私が許可するまで、返却してなくてもよいとおっしゃられていたのです」
トムは思わずベッドの端で姿勢を正した。
先生の白い指先が、木箱の掛け金を静かに外す。
蓋が開かれ、一か月の間、ずっと他人の袖の奥に隠されていた、あの見慣れた自分の杖が中に静かに横たわっていた。
「では、持ってごらんなさい」
差し出されたそれを右手で受け取った瞬間、トムの指先は、まるで最初からそう設計されていたかのように、自然と一番しっくりくる位置で柄を握り直していた。
独特のなめらかな木の感触、手首にかかる微かな重み。
頭の中では忘れてなどいないはずだと分かっていたのに、いざこうして物理的な手応えとして確かめられると、自分がどれほどこの子に依存していたのかを思い知らされ、体の芯から深い安堵の息が漏れた。
「では、灯りの呪文を試してみてください」
「はい。――ルーモス」
杖先に、ぽっと、混じり気のない純白の光が灯った。
途切れそうになる魔力の不穏な火花も、あの夜に感じた頭痛も起きない。
トムの口元が、抑えきれない喜びで自然と緩んだ。
ポンフリー先生はその美しい光の明るさよりも、トムが杖を握る右手の、微かな震えの有無を厳しく見つめていた。
「消してください。次は……こちらの綿の塊を浮かせて」
トムが杖を小さく振ると、机の上に置かれていた小さな綿の塊が、ふわりと重力を無視して持ち上がった。
先生に指示された正確な高さでそれをピタリと静止させ、ゆっくりと隣の空き皿の上へと着地させる。
最後に、目の前に置かれた練習用の小さな木片へ、簡単な変形呪文を唱えた。
端のほうが一瞬だけ歪に曲がったが、手首を少しひねるだけで、すぐに滑らかな形へと修正できた。
少なくとも、魔法を禁止される前よりも腕が鈍っているということはなさそうだった。
「気分はどうですか?」
「とてもいいです。自分の体の中に、ちゃんと通り道があるのが分かります」
「そうでしょうね。めまいや、胃のあたりが不快にムカムカするような吐き気は?」
「全くありません」
ポンフリー先生は小さく頷き、トレイの上の羊皮紙へ素早くペンを走らせた。
「よろしい。今日から魔法の実技への再開を許可します。ただし、何度も言いますが、この一か月間に休んでいた遅れを、たった一日で取り戻そうなどとは絶対に考えないこと。少しでも指先に疲れを感じたら、その日の練習はそこで強制終了です。いいですね?」
「もちろんです!」
返事が少し大きくなりすぎたことに気づき、トムは苦笑いしながら杖を仕舞い込み、授業へ向かおうとした。
しかし、ポンフリー先生は彼が立ち上がるより早く、自分の椅子をトムのすぐ近くへと引き寄せた。
「それから、ブライトさん。最後にもう一つだけあなたに正確に聞いておきたいことがあります」
先生の声音が、急に真面目な医療従事者のそれへと変わった。
「戦いがあった夜。あなたはブラウンさんに対して、確かに治癒の呪文を使用しましたね」
「えっと…はい。彼女の頭からひどく血が出ていて、ネビルたちがいくら呼びかけても返事がなかったので、咄嗟に」
「具体的に、何という名前の呪文を唱えましたか?」
「エピスキーです」
ポンフリー先生はすぐには言葉を返さなかった。何か考えるように眉を寄せる。
「本当に、間違いありませんか?」
「はい。誓って。……そもそも、僕はそれ以外の治癒呪文の存在を知らないので…あ、でも先生が怪我を治してくださったときの魔力の流れと言いますか、そういうのを意識しました」
先生が持っていた羽根ペンが、羊皮紙の上でピタリと止まった。
「……エピスキーという呪文は、本来、表皮のごく浅い外傷や骨折、唇の割れを塞ぐためだけの医療呪文内でも初歩的なものです。ですが、あの夜、ブラウンさんが人狼の突進によって壁に叩きつけられた際に受けたはずの、頭蓋の衝撃と深い裂傷を、その程度の呪文で完全に治療できたとは、私の常識では、到底考えにくいのです」
トムはポケットの上から、自分の杖の輪郭をそっと触ってみた。
先生の言うことは正論だ。しかし、あの時、血を流して倒れるラベンダーの顔を見た瞬間、トムの脳裏には「どうすればこの傷が塞がるのか」という肉体の構造のようなものが、奇妙なほど鮮やかに、直感として閃いていたのだ。
その感覚をそのまま説明すると、ポンフリー先生は頷いた。
「なるほど……しかし、ブライトさん。その一度きりの奇跡的な成功体験の感覚を頼りに、これから先、別の誰かの怪我に対しても同じように自分の直感で魔法を試そうなどとは、絶対に思わないでくださいね。魔法が常に同じようにあなたの都合よく働いてくれるとは限らないのです」
「はい。分かっています」
「ただ。そうね。あなたには、何か、特別な治癒の才能が眠っているのかもしれません。まだ、そうだと断言できるほどの明確な材料はありませんが」
――才能。
トムはその言葉を、頭の中で何度も、静かに反芻した。
その時、クィレル先生の手伝いの時に聞いた言葉を思い出す。
確かにあの夜、治療を終えてラベンダーがうっすらと目をあけたとき、トムの胸を満たしたのは、自分の力が誇らしいという傲慢ではなく、「彼女が助かった」という、ただそれだけの純粋で温かい安堵の喜びだった。
こういう魔法こそ、自分は好きなのかもしれない。
そう思った瞬間には思わず口を開いてしまった。
「先生。僕に、治癒魔術を教えていただけませんか」
ポンフリー先生は、驚いたようにトムの顔を見た。
「……本格的な医療魔術を体系的に学ぶには、少なくともO・W・L(普通魔法レベル試験)水準の、高度な呪文学と変身術、薬草学や魔法薬学の知識が必要です。それに、何よりもまず、人間の肉体の構造についても学ばなければなりません」
「え、人体について?」
「はい。当たり前ですが、何がどう傷ついているのかを論理的に理解していない者が、ただ呪文の言葉だけを唱えて、生きた人間に治療を施すわけにはいかないでしょう。表面に見えている出血だけが、その患者の本当の問題とは限らないのですから」
その言葉を聞いた瞬間、トムの頭の中に、前世の記憶の片隅の現役医師が医学生時代の過酷さを踊りながら語るユーチューブショート動画が流れ始めた。
魔法の世界だからといって、ただ「治せるようになりたい」という子供の憧れだけで済まされる話ではないのだと、トムは自分の浅はかさを恥じた。
灰色の脳細胞を持ったエリートたちですら落第の憂き目にあいながら6年以上かけて詰め込むような内容だ――本当に自分が勉強できるものなのだろうか。
そんな沈黙しているトムをよそに、ポンフリー先生は静かに立ち上がり、薬品棚の奥にある施錠された引き出しの前へと進んだ。
「もっとも、12歳とは言え、あなたであれば理解できる内容かもしれませんね」
先生が取り出してきたのは、四隅の革がボロボロに擦り切れた、ずっしりと重い一冊の厚いノートだった。
何本もの太い紐できつく留められており、その隙間からは、変色した何枚もの羊皮紙のメモが不器用にはみ出している。
「これはね、私が若いころのノートです。まずは赤いインクで印をつけた頁から勉強を始めてみてください」
手渡されたノートの重みを感じながら、トムはそっと最初の頁を開いた。
そこには、驚くほど細密なタッチで描かれた人間の骨格の図解があった。
それぞれの骨には、見たこともない複雑なラテン語の名称がびっしりと並んでいる。
次の頁には筋肉の繊維と血管の網の目、その次には、患者の顔色や呼吸の乱れから隠れた症状を見分けるための、びっしりとした注意事項が、先生の若き日の鋭い筆致で余白にまで書き込まれていた。
トムは喉を鳴らしながら、そのノートの残りの厚みを、親指の腹でそっと確かめてみた。
「……先生、これ、全部ですか?」
「最初から全部覚えろとは言っていません。まずは丁寧に読みこみ、私に対して大まかに正しく説明できるようになったと自信をもって言えるようになったら、このノートを持ってきなさい。その時に、その先にある本物の治癒魔術の手ほどきについても、考えてあげましょう」
「……ありがとうございます、でもいいんですか?忙しいのでは」
普段の自分の成績のせいか、ポンフリー先生は幾分か自分のことを過大評価しているようだ。
このノート、不死鳥の騎士団くらいの厚みがあるぞ……
「私もそろそろ助手が欲しいと思っておりました。ただし、ノートに書いてあるからと言って、勝手に他の生徒へ試すことだけは、絶対に許しません。これは、命に関わる約束ですよ」
トムはポンフリーの目を見つめて、深頷いた。
そして、擦り切れたノートを胸の前にしっかりと抱える。
通常の授業に山のような宿題、ハロの仕掛けに関する調査。そして、再開される、あのクィレル先生との「記憶の訓練」。
そこへ、さらにこの膨大な医学の自主勉強が新たに加わったわけだ。
――逆転時計くん。そろそろ登場していいよ。
*
「驚きました。順番はあっていますし、取り出す範囲も安定してます」
久しぶりの記憶の訓練は、意外なほど順調だった。
期間が空いたのに、いや、むしろ期間が空いたからそこだろうか、記憶を取り出す作業は格段にスムーズにできた。
クィレルは以前の訓練記録と見比べ、感心したように頷いた。
「ではトム。少し休憩を。それから、次の段階へ進んでみましょう」
「記憶をぼかしたり、隠したりするんですよね」
「ええ。その前に、記憶を変えたり消したりするための呪文を覚えます。オブリビエイトです」
トムの指が、杖の柄を強く握った。あともう少しだ。
ここまで来た。自分の記憶に何か問題があるのか、ようやく調べられるようになるのだ。
クィレルがお茶を淹れる間、これまでの練習を振り返った。
船の暮らし。孤児院での生活。整理する感覚がつかめてからは、以前よりずっと思い出しやすくなった。
先生には見せられないが、前世も同じだった。仕事、大学、家族や友人たち。この世界でも彼らは存在するのだろうか?自分がいなくなって悲しんだりしていないのだろうか……
と人生を振り帰り少しアンニョイを覚えたところで、唐突にあることに気が付いた。
そういえば、私の最後って……?
あれ?前の人生の自分は最終的にどうなったのだっけ。
転生とあたりまえに受け取入れていたけれども、なぜ、自分はここにいる?
当然な疑問なのに、不思議と今まで深く考えていなかった。
……だめだ。思い出せない。
何というか考えようとするたびに、思考が滑って別のことへ気が散ってしまう。まるで記憶に穴が開いているような感覚だ。
――まさか、本当に誰かが記憶は細工しているのか……?
自分のアイデンティティを疑いはじめ、思わず冷や汗を流していると。
「トム?大丈夫ですか」
顔を上げると、クィレルがカップを持って立っていた。
「顔色がよくありませんね。疲れましたか?」
「いえ。少し、考え事を」
「今日はここまででも構いませんよ」
「大丈夫です。続けたいです」
先生はトムの顔を見てから、カップを置いた。
「それなら、まずお茶にしましょう。お菓子もどうぞ」
トムは礼を言い、取っ手へ指を掛けた。
相談するには、前世のことから説明しなければならない。
何より、まだ何かを消されたと分かったわけではなかった。
そう自分に言い聞かせても、落ち着かなかった。
つながっていると思っていた自分の人生に、知らない部分があった。
*
「まず、取り出すことと、消すことを混同しないでください」
休憩のあと、クィレルは机の上へ一枚の硬貨を置いた。
「これまでは、思い出を選び、篩へ移していました。忘却術は、その記憶を呼び起こせなくする魔法です。範囲を誤れば、残しておきたかったことまで失います」
「後から戻せるんですか?」
「簡単に戻せると思って扱ってはいけません。術者が何をしたのか分かっていても、元に戻すのが難しい場合があります」
先生は硬貨の隣へ、練習用の羊皮紙を置いた。
「今日は、私の指示した短い記憶だけです。一人では決して試さないこと。友達を相手にするのもいけません」
「はい」
「では、これをよく見てください」
硬貨の表には、横を向いた人の顔が刻まれていた。
縁の一か所に、小さな傷がある。
コインを見たところから、目を離すところまでの記憶を消す。
トムは言われた範囲を心に留め、教わった呪文を放った。
*
授業の終わりに、クィレルは同じ説明を四度したのだと教えてくれた。
トムには、一度しか聞いた覚えがなかった。
「呪文は働いています。ただ、まだ範囲が広すぎますね。続きは次回にしましょう」
訓練記録には、確かに四回分の書き込みがあった。自分で練習すると約束して座っていたことだけは覚えている。それなのに、その間に何を聞いたのか、ところどころ抜けていた。
疲れた脳みそを冷やし、研究室を出てからも、トムは少しぼんやりしていた。
何か重要な疑問を忘れたような気がして、それを懸命に思い出そうとしていると――ラベンダーがやってきた。
「トム、ちょっと来て。みんなも呼んであるから」
返事をする間もなく袖を引かれ、いつも1年生が秘密会議に使っている空き教室へ拉致られた。
*
「また上級生から何か聞いたの?」
ロンは椅子へ座るなり尋ねた。
「チズパーフルは敵の陰謀だとか、そういう話ならやめてくれよ。調査はもう、こりごりだ」
「そういうのじゃないわ」
机には羊皮紙もお菓子もなく、使い古されたカードの束が置かれていた。
ラベンダーは全員が座るのを待ってから、口を開いた。
「その……最近、私、何か変なの」
「それは前から――」
「ロン」
「まだ最後まで言ってないだろ」
「言わなくても分かるわよ」
「どーどー」
ハンナが二人の間へ身を乗り出した。
「それで、ラベンダー。どう変なの? 具合が悪いの?」
「そうじゃないの。説明するより、やってみたほうが早いと思って」
ラベンダーはカードを持ち上げた。
縁の焦げた札が、何枚か混じっている。
「爆発スナップ?」
「うん。多分見せたほうが早いから、一度、みんなでやってみよう」
ロンは不思議そうな顔をしたものの、配られた札を受け取った。
最初の勝負は、あっという間だった。
同じ札が出るたびに、ラベンダーが先に声を上げる。
ロンが口を開いたときには、もう札を集め始めていた。
途中で一枚がぱちんと弾け、ネビルが肩を跳ねさせたが、彼女は次の札を見ていた。
「こんなのトリックだ!ちょっと待て。もう一回」
ロンがカードを集め、自分で念入りに切った。
二回目も、ほとんど変わらなかった。
トムは札がめくられる指先まで見つめ、かなり集中することで何度か先を越すことができた。
だが、それでやっと勝負になる程度だ。
少し気を抜くと、ラベンダーの声が先に飛んだ。
「スナップ!」
最後の札を取られ、ロンが椅子へもたれた。
「君、並びを覚えてるんじゃないだろうな」
「あなたが切ったでしょう」
「そうだけどさ」
ネビルは、自分の前にほとんど残っていない札を見下ろした。
「僕、こんなに苦手だったかな」
「いつもは、もう少し取れてたよね」
ハンナが言った。彼女も、ロンやネビルと大差なかった。
トムはラベンダーの手を見た。
札を配る手つきまで特別速いわけではない。
変わるのは、同じ絵柄が出た瞬間だった。
「反応が速くなったってこと?」
「そう。それなの。それが言いたかった!」
ラベンダーは頷いた。
勝ったわりには嬉しそうではなかった。
「先生のカップを片づけていたら、彼女のショールが引っ掛かって倒れそうになったの。そしてら気づいたときには、もう支えてた。それだけならただの偶然なんだけど。ムーディーの訓練でも何か飛んでくると、前よりよく見えるの。ずっとじゃないけど、集中すると、周りが少しゆっくりになる感覚……みたいな」
「いいことじゃないか」
ロンが言った。
「僕にも、そのやり方を教えてくれよ」
「やり方なんて分からないわ。だから、相談してるんでしょう」
ラベンダーは机の上で、指を握ったり開いたりした。
「……あの晩からなの」
ロンが黙った。
「それで……狼人間って、噛まれなくても、何か影響が残ることはあるのかしら……そろそろ次の満月だし……」
トムは、彼女が勝つたびに皆の顔を確かめていた理由が分かった。
気のせいだと言ってほしかったのかもしれない。
「ポンフリー先生に聞こう」
トムが言うと、ラベンダーは頷いた。
「そのつもり。でも、うまく説明できなくて。自分でそう思ってるだけなのか、先に確かめたかったの」
「それなら、今のことを話せばいいよ。僕たちも一緒に行くから」
ハンナが言い添えると、ラベンダーの肩が少し下がった。
「……ありがとう」
ロンは机の札を見つめていたが、やがて顔を上げた。
「狼人間のせいじゃないかもしれないぞ」
「何か知ってるの?」
「君がトレローニー先生を倒しただろ」
「ロン。そんな言い方――」
「先生をやっつけてよかったって話じゃない。言い方を変えるけど、あの水晶玉だ。最後に落としただろ?」
ラベンダーは口を閉じた。
「あれがなかったら、僕たち、どうなってたか分からない。一年生が狼人間を止めたんだぞ。それって、すごいことで。つまり、偉業じゃないか?」
「運命を変えるほどの偉業?」
ネビルが聞き返した。
「そう、それ。普通ならできないことをやり遂げると、命の位階だっけ?が変わるって話」
「でも、迷信だって書いてある本もあったよ」
「本当に起きたって話もあっただろ」
「それだけで、本当だとは言えないよ」
「でも、ラベンダーは変わったじゃないか。今、みんなで見ただろ?」
ロンが札を指すと、ネビルは少し考え込んだ。
「……そうだけど。それが理由かは」
「私一人でやったわけじゃないわ」
ラベンダーが言った。
「むしろトムが助けてくれなかったら、水晶玉を拾う前に……それに、みんなで戦ったでしょう」
トムは、彼女へ覆いかぶさっていた獣の姿を思い出した。
歯と爪。その下にいたラベンダー。
何をしても間に合わないと思った瞬間。
「トムにも、何か変わったことはないの?」
ハンナに聞かれ、トムは顔を上げた。
「一か月、魔法が使えなくなった」
「そういうことじゃないと思う」
ネビルが真面目に答えたので、ラベンダーが吹き出した。
トムも笑い、服の上から杖へ軽く触れた。
「今日返してもらったばかりだから、まだよく分からないよ」
「じゃあ、これから分かるかもしれないな」
ロンは少し勢いを取り戻した。
「最後に倒した人だけなのか、一緒にいた人もなのか、そこは知らないけど」
「肝心なところじゃない」
「僕が決めた仕組みじゃないんだから、仕方ないだろ」
ラベンダーの声に、いつもの調子が戻っていた。
トムは笑っている彼女を見た。
前世で見た映画では、ラベンダーは狼人間に襲われ、命を落としていた。あの夜、目の前の光景がそれに重なった。
けれど、今はこうして座っている。
ロンの言う偉業が本当にあるとして、成し遂げたのは、強い相手を倒すことだったのだろうか。
誰にも言えない考えを、トムは飲み込んだ。
「とにかく、先生には相談しよう。偉業かもしれないから大丈夫、とは言えないし」
「うん。そこは、ちゃんと聞くわ」
ラベンダーは頷いた。
それから机の札を集め、トムへ差し出した。
「でも、その前にもう一回だけ。トムには何度か取られたから」
「僕はもう、十分負けた気がするんだけど」
「僕が切る」
ロンが横から手を出した。
「今度は二人でやってみろよ。僕らは見てるから」
「見るだけなら、間に合うかな」
ネビルが椅子を寄せた。
ハンナもその隣へ移り、ラベンダーは袖口を少したくし上げる。
最初の札がめくられた。
トムは身構えたが、次の札が重なった途端、向かいから声が飛んだ。
「スナップ!」
「まだ始まったばかりだよ」
「分かってるわ」
ラベンダーは札を引き寄せ、嬉しそうに笑った。
運命を変えたのかどうかは、まだ分からない。
ただ、あの夜から変わったことの中に、喜べるものが一つあってもいいと思った。
更新は
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量より質。少し空いても良い。
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質より量。毎秒更新しろ。