結論から言うと、ラベンダーの体に異常はなかった。
――少なくとも、ポンフリーの診察ではそうだった。
狼人間になりかけているわけでも、傷が悪くなっているわけでもない。
反射神経がよくなったことについては、しばらく様子を見ながら、ほかにも変化があれば知らせるようにと言われたらしい。
本人はそれを聞いて、ようやく安心したようだった。
その夜、ロンは爆発スナップで三度続けて彼女に負けた。
四度目を申し込んだところで、ハンナが二人に宿題を突きつけた。
*
杖が戻ってきてから、トムの一日はすっかり忙しくなった。
朝は少し早く起き、ポンフリーから借りたノートを読む。昼間は授業。放課後はクィレルとの訓練か、ムーディーズブートキャンプ。そのどちらもない日は、グリンデルバルドから返されたハロを調べ、自分の手元にあるもう一体を改造する。
そして夜は、友人たちと消灯時間まで宿題だ。
意外なことに、苦にはならなかった。
前世では勉強嫌いだったが、魔法は時間をかけた分だけ、できることが目に見えて増えていく。むしろ、楽しささえ感じていた。
その朝も、トムは広間の隅でポンフリーのノートにかじりついていた。
頁には腕の骨が描かれている。図の指先を押すと関節が曲がり、腱が引かれて筋肉の形まで変わった。面白くて何度も動かしていたが、そろそろ名前も覚えなければならない。
書き込まれた名称を手で隠し、一つずつ暗唱していると、向かいの卓から深いため息が聞こえた。
七年生の一人が、髪へ指を突っ込んだまま参考書を睨んでいた。
少し離れた席では、五年生のパーシーが羊皮紙を何枚も並べ、冷めた紅茶へ手を伸ばしている。
ふくろう試験と、いもり試験の時期が近づいていた。
もっとも、この船で受けられるのは、それに相当する内容を先生たちが評価する試験だ。
今の魔法省が認める正式な資格にはならない。
それでも、自分に何ができるかを示す記録にはなるし、外国で仕事を探す際にも、何もないよりはずっといい。
上級生たちは真剣だった。
最近では、朝から参考書を枕にしている人間までいる。
トムも骨の名前へ目を戻したが、先ほど確かめたものが、もう出てこない。
コーヒーでも淹れてこようかと考えたところで、こつん、と広間の窓が鳴った。
誰も顔を上げなかった。少し間を置き、今度は三度、規則正しく叩く音がした。
そちらを見ると、大窓の外で男性の水中人、つまり人魚がこちらを覗き込んでいた――灰色の肌に、ぼうぼうと伸びた暗緑色の髪。黄色い目と歯が、薄暗い水の中でも目立っている。知らないマグルが急に見かけたら、SANチェックは避けられそうにない。
彼は肩には大きな袋を提げており、トムと目が合うと、手にした短い棒で、もう一度ガラスを叩く。
えっと…ああ、郵便か!
水中を進む船へ、ふくろうが直接届けに来ることはできない。
そのため、郵便物は人魚たちが週に一、二度、まとめて運んでくれる。
海の具合や荷物の量によって、日も時刻もまちまちだった。
トムは左右を見た。近くにいるのは、皆、試験勉強に追われている上級生だった。
パーシーも窓へ目を向けたものの、膝いっぱいに羊皮紙を広げている。
まあ、ここは下級生の自分が行くべきだろう。
「僕が取ってきます」
「助かるよ。仕分けは手伝うから」
パーシーの返事を聞き、トムはノートに猫のしおりを挟んだ。
猫が隣の頁へ逃げようとするのを指で押さえ、本を閉じる。
人魚へ手を振ってから、広間を出た。
*
郵便を受け取る場所は、船の最下層にあった。
階段を下りるにつれて、食器の音や話し声が遠ざかり、船腹を流れる水の音が近くなる。
廊下の突き当たりにある小部屋へ入ると、丸窓の外には、先ほどの配達員がもう来ていた。
壁には、内側と外側に扉のある荷物入れが埋め込まれている。
トムが内側の掛け金を確かめてから合図すると、人魚は外の扉を開け、防水袋を押し込んだ。扉が閉まり、枠に刻まれた文字が順に光る。
中の水が抜けるのを待って、こちらの扉を開けた。
袋は三つ。手紙用の細長いものと、小包の詰まったものが二つだった。
トムは受取簿へ日付と名前を書き、棚の箱から淡い青色の貝殻を一枚取った。
配達の礼に渡す、魔法の貝殻だ。
縁を撫でると柔らかい光を放つ。人魚たちには使い道があるらしく、代金はいつもこれだった。
空になった荷物入れへ貝殻を置き、扉を閉める。
外側で受け取った人魚は、手の中で一度光らせてから頷いた。
「ありがとう!」
聞こえないだろうが、口を動かして手を振った。
相手も片手を上げ、尾をひと振りすると、窓の外から消えた。
さて、あとはこれを上まで運ばなければならない。
膨らんだ三つの袋を見下ろし、トムは杖を取り出した。
こういうとき、魔法が使えるありがたさが身に染みる。
*
広間へ戻ると、パーシーは参考書を脇へ寄せ、卓の端を空けてくれた。
二人で小包を並べ、手紙を宛名ごとに分ける。
丈夫な紙で包んだ本、菓子の缶、羽根ペンの箱。
先生宛ての荷物には、薬草らしい匂いのするものもあった。
新聞や雑誌は、紐でまとめられていた。
その一番上にある『日刊予言者新聞』の見出しを見て、トムの手が止まった。
『マグル魔法使い管理局長、襲撃される』
『ダンブルドア・アーミーの犯行か』
見出しの下では、担架を囲んだ魔法使いたちが走っていた。
横たわる男の顔は外套で隠されていたが、ときどき、その下から手が動いた。
トムは新聞を広げた。
――――――
魔法省は昨日、マグル魔法使い管理局のジャグソン局長が、公務からの帰途に襲撃され、重傷を負ったと発表した。局長は現在、聖マンゴ魔法疾患傷害病院で治療を受けている。容体は安定しているものの、執務への復帰時期は未定。当面は、コーネリウス・ファッジ次長が局長の職務を代行する。
関係者によると、局長は社会奉仕従事者を受け入れる事業所を視察したあと、移動経路上で待ち伏せを受けた。襲撃者は複数人で、護衛と交戦したのち逃走。現場に残された呪文の痕跡などから、魔法省はアルバス・ダンブルドアを首領とするテロ組織、通称ダンブルドア・アーミーの関与を疑っている。
同局は、マグル出身の魔法使いに対する登録、教育、適性に応じた就労配置を担う。
魔法省報道官は「局長は、適切な指導を受ける機会に恵まれなかった者たちに、社会へ貢献する道を開いてきた。その献身を暴力によって妨げる行為は断じて許されない」と非難した。
ファッジ次長は本紙の取材に対し、「まずはジャグソン局長の一日も早い回復を願っております。お戻りになった際、何一つご心配なく職務を再開していただけるよう、私が責任を持って対応いたします」と述べた。
今後は関係施設の警備を強化し、従事者の配置変更や施設間の移送についても、管理局による個別の承認を求める方針だ。ファッジ次長は「こうした時こそ、現場が独自の判断で動くことは避けなければなりません」と強調した。
魔法省は、当該組織への資金、物資、宿泊場所の提供も重大な犯罪に当たると改めて警告している。不審な人物や、宛先の明らかでない大量の魔法薬・食料の購入に気づいた場合は、最寄りの当局へ通報するよう呼びかけた。
――――――
ダンブルドア・アーミーか。
不死鳥の騎士団という言葉は、紙面のどこにもない。
代わりに、前世で知っている名前が犯罪組織の呼び名になっていた。
乾いた笑いが漏れそうになったが、記事を読み返すと、それも引っ込んだ。
“適切な指導を受ける機会に恵まれなかった者たちに、社会へ貢献する道を開いてきた”、か。
クィレルから聞いた話を思い出す。新聞の上では、ずいぶん整った言葉になるものだ。
「あ、届いてた」
顔を上げると、いつからいたのか、ルーナ・ラブグッドが卓の向こうから覗き込んでいた。
まだ眠そうな目で、包みの一つを指している。
「お父さんのやつだ」
確認すると宛名は確かにルーナだった。トムが渡すと、彼女はその場で紐をほどいた。
中には同じ雑誌が数冊入っていた。
『ザ・クィブラー』
表紙の見出しに、また管理局の名前があった。
『管理局の「奉仕」に終わりはあるか』
『契約書も退職もない職場――奴隷扱いされる人たちについて』
その下に、小さく記者の名前がある。
リタ・スキーター。
え?
トムは思わず二度見した。
見覚えのある名前だ。確か原作では色々脚色する嫌な記者なはずだ。
「リタ・スキーターって、ルーナのお父さんのところで働いてるの?」
「うん。予言者新聞を辞めたあとから。あそこは、言われたとおりの記事しか書けないんだって。お父さんとは、よく言い合いしてる」
ルーナは表紙の折れを伸ばしながら答えた。
「何を?」
「どっちの記事を表紙にするか。今度はリタの番だったんだね」
差し出された一冊を開くと、マグル生まれの魔法使いに対する強制労働や収容、人体実験の疑惑が、大きな見出しとともに並んでいた。本文には人々の証言や、施設から出された通知書の写しが載っている。
「これ、配って大丈夫なのかい?」
パーシーも覗き込み、眉をひそめた。
「売ってくれるお店は減ったって。だから、直接送ってるの」
ルーナはそう答え、トムの持つ一冊を指した。
「それは広間に置いていい分。読み終わったら、誰かに渡してね」
発行部数は少ないらしい。けれど、一冊を何人もで読むのなら、紙の数だけが読者の数ではないのだろう。
次の頁の隅では、女性の顔写真が微笑んでいた。
リタ・スキーター本人だった。
『読者の皆様へ。以前は退屈な事実を記事にするため、少々の工夫が必要でした。今では事実を並べるだけで、役人が回収に駆けつけます。新聞の価値を、これほど熱心に認めてくださる方々がいるとは!』
トムは思わず口元を緩めた。
別に、性格まで変わったわけではなさそうだ。スキャンダルが好きなのは同じ。
ただ、今の魔法界では、隠されていることをそのまま書くだけで、十分に騒ぎになる。
「外国の話も載ってるみたい」
ルーナが少し先の頁を開いた。半壊した建物の写真が、大きく載っている。
その脇の見出しに、トムは目を留めた。
『英国が発表した「合意」の現場』
「合意?」
「こっちにも、その話があるね」
パーシーが予言者新聞をめくり、国際面を隣へ広げた。
――――――
日刊予言者新聞
『英国特使の訪問により、暫定政府との協議が妥結』
『逃亡組織への物資供与停止で合意』
旧ソ連圏の複数の暫定魔法政府が、ダンブルドア・アーミーへ物資を供給していた問題で、英国魔法省は、英国特使の訪問を受けた一政府が援助の停止と監督官の受け入れに同意したと発表した。
昨年のマグル社会におけるソ連解体以降、同地域の中央魔法政府は統治権の多くを失っている。地方評議会による独立宣言が相次ぎ、公文書や魔法物品の保管、移動許可の発行権を巡る争いが続いていた。
魔法省の調査では、この混乱に乗じ、食料、薬草、魔法薬の材料などが英国の逃亡組織へ送られていたことが確認された。一部の暫定政府は「避難民への人道支援」と説明しているが、魔法省は民間人への援助を口実とした犯罪組織の支援であると指摘。正式に抗議し、供与の停止と関係者の引き渡しを求めていた。
協議にはルシウス・マルフォイ氏らが同行した。同氏は本紙に対し、「先方には、自らの行為が英国の治安にもたらす結果を十分に理解していただいた。今後は責任ある対応が期待できる」と語った。
合意に伴い、現地では議長を含む複数の幹部が退任した。
新たな代表部は英国との協力を表明しており、物資の保管庫と輸送記録の確認を進める。
特使は引き続き現地に滞在し、新体制の定着と周辺政府との協議を直接監督する。訪問日程は当初の予定から延長され、帰国時期は未定となっている。
魔法省報道官は「今回の成果は、最高位の判断と直接の関与によって実現したものだ。合意の発表に満足することなく、その確実な履行を見届ける」と説明した。
――――――
記事に添えられた写真では、立派な建物の前に魔法使いたちが並んでいた。
中央にいたルシウス・マルフォイが一歩脇へ退き、頭を下げる。
画面の端を黒いローブの裾が横切ると、出迎えた者たちも慌てて同じ姿勢を取った。
その背後にある柱の形を、トムは隣の雑誌と見比べた。
同じ建物だった。
ただし、クィブラーの写真には、予言者新聞で見切れている部分まで写っている。
窓が並んでいたはずの壁が、大きく崩れていた。
――――――
ザ・クィブラー
『議場は半壊、議長は行方不明』
『英国が発表した「合意」の現場』
予言者新聞が先に掲載した写真をご覧になっただろうか。
新しい代表者たちが並び、ルシウス・マルフォイ氏が出迎えを受けている。英国との友好を示す、実に立派な一枚である。
その右側を、もう少し広く撮影したものが、本誌掲載の写真だ。
窓はない。窓のあった壁も、ほとんどない。
英国側が「協議」と呼ぶ会合のあと、議場の一角は崩れ落ち、周辺の建物にも被害が出た。
現地の住民三人は、それぞれ別の取材に対し、一行の到着後に街路が封鎖され、その夜、議場から繰り返し閃光が見えたと証言している。
前議長の家族は、会合以来、本人と連絡が取れていないという。
英国魔法省の説明では、議長は退任した。
辞表があるのか、本人の意思によるものなのかという質問には、回答がなかった。
争点となったのは、英国から逃れた人々への物資の供給だった。
本誌が写しを確認した援助品目には、小麦粉、乾燥豆、毛布、解熱用の魔法薬、薬草が記載されていた。これらが最終的に誰へ渡ったのかを、すべて追跡できたわけではない。
しかし、少なくとも、この品目表だけで武装組織への軍事援助が証明されるわけではない。
援助に関わった元担当者は、次のように語った。
「子供のいる避難先へ送ると聞いていました。毛布が英国の治安を脅かすとは思いませんでした」
隣接する暫定政府の一つは、今回の事態を武力介入と非難し、国際魔法使い連盟での審議を要求している。別の小政府も、援助停止と関係者の引き渡しを拒んだ。
英国特使の滞在は延長された。
魔法省は「合意の履行を見届けるため」と説明しているが、まだ合意していない相手が残っている。現地では英国側の警護を伴う会合が引き続き予定されており、帰国の日程は発表されていない。
なお、この特使の氏名について、魔法省は本誌の問い合わせに回答しなかった。
マルフォイ氏は「あの御方が自ら足を運ばれた意義を理解すべきだ」と述べるにとどまった。
次の会合では、出席者全員が自分の足で帰れることを願いたい。
少なくとも、それなら合意が本人の意思によるものか、あとで尋ねることができる。
――――――
写真の中では、黒く焼けた壁の前を、瓦礫を抱えた人々が歩いていた。
両方の記事に、特使本人の名前はなかった。だが、戦闘が行われたらしい建物と、ルシウスが口にした「あの御方」という言葉。わざわざ名前を書かなくても、誰を指しているかは想像がつく。
「……これを、協議って言うのか」
トムが呟くと、パーシーは写真へ目を落としたまま声を低くした。
「例のあの人が、自分で行ったみたいだね」
「しばらく戻らないんでしょうか」
「少なくとも、この記事が出た時点ではね」
それなら、イギリスからは離れているのか。
少しだけ気が緩んだが、トムはすぐに卓の荷物へ目を移した。
食料、薬草、魔法薬の材料。しばらく困っていなかった……
「また、物資に困ることになりますかね」
「ここへ届くものが、全部そこから来るとは限らないよ。ただ……先生方には、早く読んでもらったほうがよさそうだ」
パーシーは新聞を畳み、先生宛ての手紙の上へ載せた。
トムも雑誌を閉じた。いつの間にか、二人とも仕分けの手が止まっていた。
「ルーナ、これも先生に持っていっていい?」
「いいよ。広間に置く分は、こっちにあるから」
彼女は残りの雑誌を抱え、空いている卓へ向かった。
トムはもう一度、小包の宛名を確かめた。
先ほどまで、ただの本や薬草に見えていたものを、今度は少し慎重に積み直した。
*
仕分けが終わりに近づいたころ、一通の封筒が目に留まった。
ゲラート・グリンデルバルドへ。
端正な字で、それだけが書かれていた。裏へ返すと、差出人の名前がある。
ヴィンダ・ロジエール。
ロジエールという姓には覚えがあった。確か、純血二十八聖とかいう家系の一つだ。
だが、ヴィンダとなると、顔が出てこない。
原作に出ていない人物だったか、それとも忘れているだけなのか。
「どうかした?」
パーシーに聞かれ、トムは顔を上げた。
「いえ。それじゃあ、手紙と新聞を先生方に届けてきます」
「お願いするよ。こっちは僕が配っておく」
トムはグリンデルバルド宛ての封筒を一番上へ載せ、先生たちの部屋へ向かった。
*
調薬室の扉を叩くと、中から「入りたまえ」と声がした。
グリンデルバルドは机の前に座り、乾かした葉を指先で選り分けていた。隣では小さな秤がひとりでに傾き、必要な量が載ると、受け皿を鍋のほうへ滑らせている。
「お手紙です。それと新聞も」
「そこへ」
示された場所には、本が積まれていた。
トムが置き場を探していると、老人が片手を軽く動かす。本が横へずれ、机の一角が空いた。
グリンデルバルドは封筒を手に取り、差出人を確かめてから封を切った。
トムが新聞と雑誌をその横へ置く間に、老人は手紙を最後まで読み、折り畳んで上着の内側へしまった。
表情はほとんど変わらなかった。
新聞の見出しにも目をやったが、何も言わない。
トムが一礼して出ようとすると、声を掛けられた。
「クィレル君の授業は?」
「再開しました。記憶は前より正確に取り出せます。今は忘却術を」
「ほお。自分が何を消したか、分かっているかね」
「先生が記録しています」
「先生が、か」
トムは口を閉じた。
グリンデルバルドは机の葉を指先で寄せた。
「消えたことに気づかぬ記憶もある。何を失ったか確かめる手段まで、人任せにしないことだ」
「自分でも、記録を?」
「何を消すつもりで、何を残すつもりだったのか。そのくらいは書けるだろう」
トムは頷いた。
クィレルの研究室を出たあと、何かを忘れている気がした。
次からは、自分の帳面にも残しておこう。
「それと、空飛ぶ文鎮のほうはちゃんと見たかね?」
「あ!ええと、そっちの方について実は少し疑問があって」
トムはこれ幸いにと、ノートを取り出した。
そこには魔改造ハロに使われている魔法と、それぞれが働く条件を書き込んである。
「呪文は、だいたい分かりました。でも、自分のほうに同じようにかけても、うまく動かないんです。耳を開くと浮きますけど、呼び戻そうとすると耳が閉じたりして」
「浮かせる魔法、進ませる魔法、止める魔法。どうやら君は、部品を数えているだけのようだな」
「でも、まずは使っている呪文を調べないと」
「辞書を読めば、手紙が書けるようになるかね」
それはそうだけれどもさぁ……。
トムがノートへ目を落とすと、老人は続けた。
「私が何をさせるために手を加えたのか、考えたか」
「見張り……でしょうか。先生の部屋で、侵入者を知らせていましたし」
「それで?」
「あと、話したり、飛んだり……」
グリンデルバルドが鼻を鳴らした。
「働きには目的がある。その目的が分からなければ、なぜその魔法を組み合わせたのかも分からんだろうに」
「僕は、かわいい玩具にしようと思って作ったんですが」
「君が最初に何を考えたかではない。私が手を加えたものについて聞いているのだろう?」
トムはノートに引いた線を見つめた。
確かに、自分が作ったときには、侵入者を見つける機能などなかった。
今は、元の玩具へ自分の知らない用途が加えられている。
それを考えず、見つけた呪文だけを写そうとしていたのか。
「スニッチをまねて作ったのだろう。ならば、スニッチがどういうものか、よく考えてみたまえ」
そう言うと、老人は鍋へ顔を向けた。話は終わりらしい。
――おいおい、その勘違い、あんたもか。
トムは内心で突っ込みながら、ノートをしまった。
まあ、魔法界で耳の生えた球体が飛んでいたら、出来損ないのスニッチに見えるか。
*
その日の放課後は、課外授業も訓練もなかった。
トムは空き教室へ行き、机にハロを二体並べた。
自分で調整しているほうは、腹を開けて寝かせてある。
グリンデルバルドから返されたほうは、ノートの角へ乗り、トムが書こうとするたびに邪魔をした。
「少しどいて」
「ドイテ!」
トムは緑の球体を脇へ移し、自作のハロの蓋を閉めてから杖を向けた。
耳が開き、机から少し浮く。ここまではいい。
呼び戻すと、片耳だけが閉じた。ハロは斜めに傾き、机の上をこすりながら戻ってきた。
……違う。そうじゃない。
トムは顎を手に載せ、二体を見比べた。
グリンデルバルドは、目的を考えろと言っていた。
けれど、スニッチの目的など、捕まらないように逃げ回ることではないのか。
相手の動きを見て、手が届く前に避ける。確かに、ただ浮かせるだけの魔法ではできない。ハロが勝手に飛び回る仕組みを考えるなら、参考にはなりそうだった。
だが、それなら「見張り」という答えでもよかったはずだ。
侵入者を見つけ、捕まらずに誰かへ知らせる。そのために飛んだり、声を出したりするのではないか。
まだ、何か見落としているのだろうか。
緑のハロが、机の端に置かれた消しゴムを押した。
トムが拾おうと手を伸ばすと、今度はその手を避けて浮き上がる。
「おまえ、絶対わざとやってるだろ」
捕まえようとして、ふと手が止まった。
そう言えば、スニッチはクディッチの試合以外にも、それが重要になる場面があった。
そう――死の秘宝だ。
ハリーが最初に捕まえたスニッチ。
最初に触れた人間を記憶していて、手ではなく唇に反応した。
そして、中には石が隠されていた。
トムは、目の前に浮かぶ球体を見た。
スニッチだからといって、使い道が試合だけとは限らない。
ダンブルドアは、それを別の目的で使っていた――重要なものを保管するために。
では、グリンデルバルドは?
今まで調べていたのは、動いているときの魔法だった。
浮いている、耳が開く、言葉を返す。その瞬間に、何が働いているのかを追っていた。
だが、条件がそろうまで働かない仕掛けなら、いつもどおり動かしているだけでは見つからない。あのスニッチも、開くまでは小さな金色の球にしか見えなかった。
「……ほかに出来そうなことか」
逃げ回る魔改造ハロを両手でつかむ。ハロは抗議するように耳をぱたぱた動かせた。
口の合わせ目を覗こうとしたところで、ハロは口を堅く閉じた――中を見ようとしたら分解するしかないか?
グリンデルバルドは何かを入れる用途としてこいつを改造したのだろうか?
それとも、また自分は原作に引っ張られているだけか。
トムはハロを机へ戻し、思案に耽った。
*
「ジャグソンは復帰できないだろう」
ムーディーは新聞を机へ置く。
写真の中で、担架を運ぶ男がこちらを振り返る。
「護衛は予定より二人多かった。こちらに死者はないが、ルーピンとディーダラスが負傷した」
「よく連れ帰ってくれた」
ダンブルドアは新聞を開かずに言った。
「ウクライナの方は失敗したがな。まさか本丸が直接出向いてくるとは思わなかった」
窓の外を魚の群れが横切った。
ダンブルドアはそれが過ぎるのを見てから、机へ視線を戻した。
「予想外のことは起きるものじゃ」
「ここから先もか?」
ムーディーの義眼が机から壁へ、壁から扉へと回った。
「綱渡りだ、アルバス。一つでも予想外があれば、この計画は失敗する。全てを失いかねない。今からでも中止は間に合う」
ダンブルドアはしばらく沈黙し、やっと口を開く。
「我々に残された時間と選択肢はもうないのだよ。アラスター。
私の回復よりも、優先するべきことがあるのだ。若い者たちを信頼しよう。
きっと危険を冒すだけの価値はある」
ムーディーはそれ以上、反論しなかった。
*
その日の夕食が終わりに近づいたころ、マクゴナガルが広間の前へ立った。
食器の音が静まるのを待ち、両手を前で重ねる。
「チズパーフルの駆除について、お知らせがあります」
ロンがパン籠へ伸ばしかけた手を止めた。
「これまでの処置だけでは、船内から完全に取り除くことができませんでした。
来週末、船を浮上させ、停泊して駆除と点検を行います」
あちこちから声が上がった。
陸へ出られると喜ぶ声もあれば、どのくらいかかるのかと尋ねる声もある。
トムは一月の浜辺を思い出した。隣を見ると、ネビルも心配そうな表情をうかべた。
「静かに。説明は終わっていません」
マクゴナガルが一同を見渡す。
「作業中は、船にかけられている魔法を一時的に解く必要があります。
皆さんには、先生の指示に従って船を下りてもらいます。
個人で船に残ったり、荷物を取りに戻ったりすることは認めません」
トムは広間の天井を見上げた。
宙に浮いた灯り。食器を運ぶ台車。窓の向こうの水を隔てている壁。
普段はまとめて「船の魔法」だと思っていたものが全て止まるのか。
「持ち出す荷物と集合場所は、改めて知らせます。今は普段どおり、授業と課題に取り組みなさい」
「期末試験は延期にならないんですか?」
「なりません」
答えは早かった。
広間にため息と小さな笑い声が広がった。先生が席へ戻ると、止まっていた食器の音も戻ってくる。
「試験の紙も、虫に食われればよかったのにな」
ロンが小声で言った。
「そうしたら、口で全部答えることになるんじゃない?」
ハンナが言うと、彼は嫌そうに顔をしかめた。
「……紙は残しておこう」
「あなたが決めることじゃないでしょう」
ラベンダーに言われ、ロンはようやくパンを取った。
少し離れた卓では、朝にルーナが置いたクィブラーを、二人の上級生が覗き込んでいた。一人が読み終えるのを待って、隣から別の手が伸びる。
トムは窓へ目を向ける。
暗い水の中を、小さな魚の群れが通り過ぎていく。
――来週には、この窓の外には空が見える。
更新は
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量より質。少し空いても良い。
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質より量。毎秒更新しろ。