停泊から三日目。夕食を終えても、残念ながら船へ戻る許可は出なかった。
船腹を覆っていた白い煙は消えていたが、桟橋にはまだ縄が張られ、その手前に『許可なく立ち入るべからず』と書かれた札が下がっている。
ときおり復旧作業を手伝う上級生がそこをくぐり、洗浄用の白い泡をローブにくっつけて帰ってきた。
初めは乗船を待っていた生徒たちも、食事が済むころには、今夜もテントで寝るつもりになっていた。
岸辺にはいくつも焚き火が残され、その周りで食後のお茶を飲んだり、カードを広げたりしている。
トムも片づけを終えると、ほかの一年生たちが集まる火のそばの丸太へ腰を下ろした。
背中は少し寒いが、足元は温かい。満腹になったせいもあって、さすがに勉強をする気にはなれなかった。
「これ、いつ戻れるんだろう? 明日も戻れなかったら、たまった授業がすごいことになるぞ」
ロンはココアをすすりながら、遠い目で船を眺めていた。
「いっそテントか外でやるんじゃない? 飛行訓練とかなら、本物の空の下で飛べるし」
「ネビル、君は天才か!今すぐそれをマクゴナガル先生に進言しよう」
今にも走り出しそうなロンを見て、ハンナは楽しそうに笑った。
その頭越しに、ぬっと白い紙袋が差し出される。
「よう、一年生諸君」
「君たちに素晴らしいお届け物だ」
振り返ると、フレッドとジョージが立っていた。フレッドが袋を振ると、中で軽いものが転がる音がした。
「食後の甘いデザートはいかがかね、諸君?」
トムは反射的に手を伸ばしかけたが、双子のあまりにも悪巧みに満ちた顔つきを見て、とっさに手を引っ込めた。
「……あの、先輩。それ、中には一体何が入っているんですか?」
「マシュマロさ」フレッドが事も無げに言った。
「ええと、そのマシュマロの中に、一体何が仕込まれているんですか?」
「おやおや、ジョージ。ずいぶんと疑り深い後輩を持ったものだね」
「まったくだよ、フレッド。僕たちはただ、純粋に新しい試作品の感想を聞きたいだけなのにねぇ」
――やっぱり何かの実験台にされるんじゃねぇか!
トムが心中でツッコミを入れている間に、よよよと大げさに泣く真似をするフレッドから、ロンは仕方なさそうに袋を受け取った。
表には口を大きく開けたおかしな白い塊の絵と、『おしゃべり魔シュマロ』という見慣れない商品名が書かれている。
「こいつはちょうどいい具合に焼けたら、自分からお喋りして教えてくれる優れものさ」
ジョージが手際よくマシュマロを一本の長い串に刺し、焚き火の火へかざした。
「これなら、じっと見張っている必要もない。お喋りに夢中になって、大事なお菓子を真っ黒焦げにする心配もないのさ」
「あら、それなら結構便利そうじゃない」
ラベンダー・ブラウンが興味深そうに身を乗り出した。
火の熱を浴びて、マシュマロの白い表面がぷうっと膨らみ、薄く綺麗なきつね色がついたその瞬間、マシュマロの表面の小さな口がぽっかりと開いた。
「――ぽ!」
「聞いたかね? これが『食べごろ』の合図さ」
ジョージはそう言いながらも、なぜか串を火から離そうとはしなかった。
「先輩、取らないんですか?」
「ふふん、これにはもう一つ、面白い機能が隠されているんだよ」
焼き色がどんどん濃くなり、茶色から黒へと変わり始めた。
すると、マシュマロの口がさらに大きく裂けるように開き、今度は大広間まで響きそうな朗々とした声が飛び出してきた。
「――コゲルゥゥゥ! コゲルゥゥゥ!」
近くでカードゲームをしていた上級生たちが、何事かと一斉に振り返った。
「焼きすぎると、大声で歌う仕様さ」
フレッドが胸を張る。
「焦げてるじゃん!」ロンが突っ込みを入れた。
「だが、これならどんなにドジな奴でも焦げに気づくだろ?」
ジョージはようやく串を火から遠ざけ、ふうふうと息を吹きかけて熱を冷ました。
それでマシュマロの歌声が音程を外して震えるのを聞いて、ラベンダーが耐えきれずに吹き出す。
ジョージがそれを二枚のビスケットで挟み込むと、歌声はくぐもった音になり、やがて静かに聞こえなくなった。
「……味はどうなんです?」
トムが尋ねると、双子は声を揃えて言った。
「それを君たちに食べて確かめてほしいんだよ。そこが一番、僕たちの聞きたいデータだからね」
双子は串と予備のビスケットの箱を丸太の上に置くと、「じゃあ、次の被験者を探しに行こう」と隣の焚き火へ配りに行ってしまった。
ロンはその背中を見送ってから、おそるおそる袋の中を覗き込んだ。
「嫌なら、私が最初に食べてあげてもいいわよ」
ラベンダーが楽しそうに一つ取り出すと、ロンも慌てて手を伸ばした。
「誰も食べないとは言ってないだろ! ウィーズリー家の人間が、お菓子を前にして敵前逃亡するわけないじゃないか」
*
魔シュマロは、思いのほかおいしかった。
外側はパリッと薄く香ばしく焼け、中からはとろりとした濃厚な甘みが溢れ出てくる。
トムが口に入れたものは、食べごろを知らせる声がなぜか不気味な低温のバスボイスだったが、それ以外の味は至って普通の上質なマシュマロだった。
五人がそれぞれ焚き火の上へ串を並べると、火の粉の中でマシュマロたちがそれぞれ違うタイミングで「ぽ!」「ぱ!」「ぴ!」と賑やかに鳴いた。
「あの兄貴たちにしては、珍しくまともでいいお菓子じゃないか」
ロンが口のまわりを白くしながら満足そうに言った。
「確かに。普通に便利だし、悪戯グッズだけじゃなくてこういう日用品も作るようになったんだね」
ネビルが感心したように言うと、ロンが種明かしをした。
「パーシーの意見らしいよ。フレッドたちだって、いつも悪戯グッズばかり売っていたらみんなに警戒されて誰も買ってくれなくなるだろうって?だから、たまにこういう実用的なやつで油断を誘って……」
そこまでロンが言ったとき、隣の焚き火から聞き覚えのある叫び声がした。
「油断大敵!」
「うわっ!?」
ロンが驚いて飛び上がった。
トムも、反射的にムーディーが背後に現れたのではないかと大慌てで周囲を探した。
しかし、そこにいたのは、焼きすぎた魔シュマロを串に刺したまま、驚きのあまり完全に硬直している上級生だった。
――どうやらマシュマロの声のトーンが、ムーディー先生の怒鳴り声に変化したらしい
「私の説明を聞いていましたか、ロングボトムさん」
今度は、唖然としているネビルの手元からマクゴナガルの声がした。
彼が驚いて串を持ち上げると、隣のラベンダーの魔シュマロが、かすれた声で囁いた。
「見えます……あなたの未来に、黒い影が……」
トレローニー先生だった。
言われたとおりにラベンダーのマシュマロ表面が黒くなっていくのを見て、トムは吹き出した。
ラベンダーも笑いながら串を火から離し、ハンナまで、わざと少し焦がしてみようかという顔で手元を見つめている。
向こうの焚き火では、フレッドとジョージが満足そうに頷き合っていた。
「……警戒を解くため、って言おうとしたんだけど」
ロンは肩を震わせながら言った。
なるほど。おいしく食べる分には便利なお菓子だが、焼きすぎると、たまに先生から叱られるわけだ。
トムは散々笑ったあと、焼けた魔シュマロをビスケットで挟んだ。
「トム。まだ残ってるけど、食べる?」
「もう一個もらおうかな。今度は一回焦がしてみる」
ロンから袋を受け取ろうとした、そのときだった。
森のほうで、乾いた音がした。
ぱん、と一度。少し間を置いて、同じ音が再び響く。
――そして、短い笛の音が聞こえた。
焚き火の間を歩きながら、微笑ましく生徒たちを見守っていたスタージス・ポドモアが、その場にピタリと足を止めた。
彼の顔が森の方角へと鋭く向けられ、近くにいた騎士団の魔法使いに手短に合図を送ると、その長い足で大股に歩き始めた。
トムは袋へ伸ばしかけた手を止めた。
森から出てきたのは、見張りに立っていた魔法使いだった。野営地へ向かって早足で歩き、駆け寄ったヘスチア・ジョーンズへ何かを話す。
彼女は一度だけ森を見て、すぐにポドモアを呼んだ。
「何だろう」
ネビルが言った。
ポドモアは見張りの男から手短に状況を聞くと、躊躇なく杖を抜き、そのまま三人で森の奥へと引き返していった。
ヘスチアは一人でこちらの野営地へと戻ってくると、近くの焚き火にいた七年生の肩へと、そっと手を置いた。
「みんなを中央のテントへ集めてくれる?奥で休んでいる子にも声を掛けて」
「今ですか?」
「ええ。森には近づかないでね」
穏やかな声だったが、七年生はすぐに立ち上がった。
ロンもマシュマロが刺さった串を下ろした。
先ほどまで聞こえていた笑い声が途切れていく。
フレッドとジョージは残りの袋を閉じると杖を抜き、近くの焚き火を消して回り始めた。
*
生徒たちが中央のテントへ集まり始めたころ、森からクィレルが走ってきた。
後ろには数人の生徒が続いていた。
一番後ろの少年が木の根につまずくと、クィレルは引き返して腕を取り、そのまま野営地まで連れてくる。
ヘスチアが駆け寄った。
「クィレル!何があったの?」
「魔法使いが数人。こちらの見張りではありません」
クィレルは息を整えながら森を指した。
「薪拾いに出ていた生徒たちを連れ戻す途中で見かけました。呼び止めても返事をせず、二手に分かれました。ポドモアさんたちは?」
「確認に向かったわ。子供たちをお願い」
ヘスチアは杖を抜き、森へ向かった。
残された生徒たちの間で、ひそひそ声が広がった。相手は何人いたのか。魔法省の人間だったのか。
しかし、戻ってきた生徒たちにも詳しいことは分からないらしい。
クィレルが中央のテントを指し、生徒たちを歩かせた。
トムも丸太から立ち上がり、自分たちのテントへ目を向けた。
焚き火から数歩のところにある。入口の横には空の木箱が置かれ、その内側に、ネビルの鉢が見えた。
「ネビル。アグラオフォティスは?」
「まだ箱に入れてない」
「先に詰めておこう。すぐ動けるように――」
言い終わる前に、森の上が光った。
それは、真昼の太陽さえも塗り替えるような、不気味で毒々しい、鮮烈な緑色の光だった。
光は木々を越えて一気に天へと駆け上がり、空の中で、生き物のようにグネグネと膨れ上がっていった。
やがて、その濃密な緑の煙は、巨大な人間の髑髏の形を醜悪に形成し、そして、ぽっかりと開かれたその暗黒の口内から――大蛇の巨躯がのたうち回りながら這い出してきた。
周りの声が、一瞬途絶えた。
ロンの手からおしゃべり魔シュマロの袋が滑り落ちる。
「闇の印だ!」
遠くで悲鳴が上がった。
トムは空を見上げたまま、指先が冷たくなるのを感じた。前世の映画のスクリーンで見た形だ。
しかし、実際の空を占めるそれは、記憶の中のものよりはるかに大きかった。
蛇がゆっくりと身をくねらせると、その下を、黒い影たちが横切った。
一つ、二つ。
木々の向こうから箒が上がってくる。先頭の一騎が右へ曲がり、後続が左右へ分かれた。
さらに、その後ろからも人影が現れた。
船の向こう、水面の上にもいた。
十人ではない。二十人でも足りない。
数えようとしている間にも、森の奥から新しい箒が浮かび上がった。
「全員、その場で先生の指示を聞きなさい!」
魔法で増幅されたマクゴナガルの声が響いた。
彼女は桟橋の前に立ち、杖を高く掲げていた。入口を塞いでいた縄が外され、上級生たちが船から駆け下りてくる。
「船内へ避難します!七年生は下級生をまとめなさい。走って押し合わないこと。荷物は置いていき――!」
次の瞬間、野営地の周囲の空間が、バリバリと白い雷光を放って激しく発光した。
上空から放たれた呪文が、何もないはずの場所で弾けたのだ。
周辺を覆っていた半球状の結界が浮かび上がり、その表面を光が走る。遅れて腹に響く音が届き、テントの布が一斉にはためいた。
中央のテントへ向かっていた人の流れはすぐさま、桟橋へ向きを変えた。
*
ネビルが自分たちのテントへ向かおうとすると、すぐ横にいたハンナがそのローブの袖をきつく掴んで引き止めた。
「待って、ネビル! 先生が、荷物は全部置いていけって言ったでしょう!?」
「……あの鉢植えだけは、絶対に置いていけないんだ!」
「でも、今は一刻を争うのよ!」
ネビルは必死にハンナの手を振り払い、テントの入り口の向こうを見つめた。
開け放たれた隙間から、アグラオフォティスの葉が外の突風に煽られて激しく揺れている。
「グリンデルバルド先生に頼まれたものなんだ。持っていかないと!」
ハンナがトムを見る。
「本当?」
「うん。とても貴重なものなんだ。世界で一株しかない!」
人の流れが、テントの前を桟橋へ向かっていく。トムはその間隔を見てから、入口へ目を戻した。
鉢はすぐそこにある。箱へ収めて持ち出すだけなら、まだ追いつけるはずだった。
「僕が魔法で持ち上げる。ネビルは箱を」
「……私も手伝うわ。でも、ほかのものは取らないでね!」
ハンナが屈み、それを見たラベンダーもその隣へ膝をついた。ロンは入口に残り、人の流れを見ている。
トムは杖を抜き、鉢を持ち上げた。
しかし、思ったよりも枝が広がっていて、そのままでは箱の縁に引っかかった。
ネビルが箱を回し、葉を内側へ寄せる。トムは鉢を傾けないように、少しずつ下ろした。
頭上で結界が鳴った。
トムの手が揺れ、鉢の底が箱の縁へ触れた。ネビルが慌てて支える。
「そのまま。あと少し下げて」
ようやく鉢が収まると、トムは呪文を解いた。
ネビルが枝を整える間に、ハンナとラベンダーが隙間へ梱包用の布を押し込んだ。運んでいる途中で鉢が倒れれば、回収した意味がない。
そう分かっていても、布の端が指へ絡むだけで苛立った。
「早く!」
入口からロンが呼んだ。
顔を上げると、向こうを通っていた人影が途切れていた。さっきまで焚き火を囲んでいた生徒たちは、もういない。
倒れた椅子と、置き去りのカップが残されていた。
ネビルが枝を挟まないように蓋を閉める。留め具が噛み合わず、二度押し直した。
「できた」
「持って走ろう」
また近くで衝撃音がした。今の自分に、走りながら鉢を安定して浮かせ続けられる自信はなかった。
トムとネビルは箱の左右の持ち手を掴む。
すると、寝台の下から黄色いハロが転がり出てきた。入口の敷居にぶつかり、少し浮いて乗り越える。
その頭上を、緑色のハロがふわりと飛び越した。
「お前たち……!」
「ツイテイクヨ、ツイテイクヨ」
「わかった。離れるよな」
振り返る余裕もなく、トムはテントを出た。
背後から「ハロ、ハロ」と声がして、どうやら二体もちゃんとあとを追ってきた。
避難列の最後尾は、もう食卓の向こうまで進んでいた。
*
「一年生!」
避難していく生徒たちの人の流れを、一人だけ強引に逆流するようにして、パーシーが駆けてきた。
「何をしていたんだ! 五人ともいないから――」
彼は箱を見て、口を引き結んだ。
「荷物を置いていけと言われただろ!」
「これだけは持っていかないと」
ネビルが答えた。
パーシーは言い返しかけたが、森のほうで大きな音がすると、そちらへ顔を向けた。
「話はあとだ。僕についてこい。落としても戻るなよ」
五人が揃っていることを確かめ、パーシーは足を速めた。
トムとネビルは箱を挟んでその背中を追った。走ると鉢が跳ねる。歩けば離される。
何度も肘をぶつけながら、どうにか歩調を合わせた。
前方でマクゴナガルが杖を振った。
食卓が次々に脚を畳み、幅の広い板へ変わる。板は地面へ突き刺さり、桟橋へ続く道の両側で高く伸びた。
最後尾の七年生が、泣いているコリン兄弟の手を引いて、その通路へ入っていく。
もう少しだった。
そのとき、森側の結界が白く膨らんだ。
何本もの光が一点へ集まり、薄い膜のようなものを押し込んでいる。トムが目を向けた瞬間、そこが裂けた。
「――伏せろ!」
パーシーが振り返り、ロンとハンナを地面へ押し倒した。
トムもネビルと一緒に箱を下ろし、その陰へ身を縮めた。ラベンダーがすぐ脇へ飛び込んでくる。
頭の上を光が走り、背後のテントへ突き刺さった。入口の布が内側へ吸い込まれ、次の瞬間、柱ごと弾け飛ぶ。
破片が背中へ降ってきた。
ほんの少し前まで、自分たちがいた場所だった。
「みんな立って! こっちよ、急いで!」
ラベンダーが、腰を抜かしかけていたハンナの腕を強引に引っ張り上げた。
裂けた結界の隙間から、黒いローブを纏い、仮面をかぶった男たちが森の影から次々と姿を現した。
その後ろからは魔法省の制服を着た魔法使いたちが続いた。
「闇祓いまで……」
ロンの声が聞こえた。
「子供たちを先へ!」
ヘスチアが叫んだ。
その隣からムーディーが進み出た。義足を地面へ踏み込み、彼は敵の位置を一瞬で見極めると、杖を虚空に向かって一閃させた。広場に散らばっていた重い木製の食卓や長椅子の破片が、一斉に生き物のように宙へと舞い上がる。それらの鋭い破片は凄まじい速度の散弾となって敵へと襲いかかり、死喰い人たちは顔を庇いながら、たまらず木立の奥へと下がっていった。
しかし、その撤退した死喰い人のうち、一人の細身の男だけが、横の岩陰へと素早く入り込む。
男は嘲笑うようにして、杖を斜めに鋭く振り下ろす。
ムーディーはすぐさまヘスチアの腕を掴んで引き寄せる。
直後、禍々しい紫色の光刃が、先ほどまで二人が立っていた空間を完全に横切っていった。
「ドロホフだ! 右から来るぞ!警戒せよ」
ムーディーの怒声が響いた。
パーシーがトムの肩を押した。
「見るな! 進むんだ!」
トムは箱を持ち上げた。膝が痛かった。
ネビルの手も震えていたが、二人とも離さなかった。
木の壁へ辿り着いたとき、前の生徒たちはもう通路の出口にいた。自分たちとの間には、長い空白ができていた。
後ろで呪文がぶつかり合う音がした。
振り返らなくても分かった。
自分たちがここを抜けるまで、ムーディーたちは下がれない。
「急ごう」
トムが言うと、ネビルは唇を噛んで頷いた。
*
木の壁の切れ目から、桟橋が見えた。
先を行く生徒たちが、列になって渡っている。
その手前では、ダンブルドアが椅子へ座ったまま、戻ってきたアーサーへ指示を出していた。
膝には毛布が掛かり、その下に潜り込んだ手が見えない。
「東側も下がらせなさい。船へ入る道を守るのじゃ」
「まだ一年生が!」
アーサーがこちらを指した。
ダンブルドアの顔が向いた。
箱を運ぶトムとネビル、その前後にいる三人を確かめ、桟橋へ手を向ける。
「そのまま進みなさい。先生方のところで止まってはいかんよ」
パーシーが片手を上げて応じた。
トムたちが木の壁から出たところで、マクゴナガルが船側から駆け戻ってきた。
「居住区の薬剤は排出されています。ですが、潜航の準備はまだです」
「フィリウスに再起動を急ぐよう伝えておくれ。アーサー、森側の者たちを――」
「――アハハハハハ!アルバス・ダンブルドア!」
女の笑い声が頭上から降ってきた。
「まあ、どうなさったの? 偉大なる魔法使い様が、そんな椅子に腰掛けたままで……。情けないことに、もうご自分の足でお立ちになることもできないのかしら!?」
濡れたような黒い髪を夜風になびかせた一人の魔女が、箒に乗って上空で綺麗な弧を描いていた。
彼女はアーサーたちの張った結界の外側を自在に飛び回りながら、杖先を真っ直ぐダンブルドアの頭上へと向けた。
直後、容赦のない緑色の閃光が、天空から真っ直ぐに落ちてきた。
その瞬間、桟橋脇の大きな係留杭が地面から抜け、ダンブルドアの前へ飛び込んだ。
光が当たった瞬間、太い木が砕け散る。
破片は地面へ落ちず、そのまま上空へ跳ね返った。
女はチッと舌打ちをし、大慌てで箒を大きく傾けてその木片の嵐を回避した。
「レストレンジ、私が相手しよう」
いつの間にか、グリンデルバルドが桟橋の付け根に立っていた。
上げた右手を返すと、静かだった入江の水面が爆発したように盛り上がり、数条の細く引き伸ばされた巨大な水の柱が、魔女の進路を完全に塞ぐようにして突き抜けた。急旋回した箒のわずか数インチ後ろを水の壁がかすめ、そのすぐ背後を油断して飛んでいた別の死喰い人の魔法使いが水の直撃を受け、箒から無残に剥ぎ取られて下の水面へと真っ逆さまに投げ出されていった。
「今のうちだ!」
パーシーに促され、トムたちは桟橋へ上がった。前を行く七年生がコリンを船へ押し上げる。船内から伸びた腕が少年を受け取った。
トムがそちらへ目を向けた瞬間、足元が跳ねた。
支柱へ呪文が当たったのだ。
板が斜めに傾き、先を歩いていたロンが滑った。パーシーがその襟を掴み、引き戻す。
トムは箱を下ろして膝をつき、反対側でネビルが歯を食いしばった。
グリンデルバルドの左手が下へ向いた。
折れかけた支柱が止まり、板が軋みながら戻っていく。
「ご立派ですね」
声は、岸へ近い木立から聞こえた。
そこには、仕立ての良い黒いローブを纏った、細身の若い男が静かに立っていた。仮面はつけず、杖だけを構えている。
男は桟橋へ目をやり、口元を歪めた。
「そちらを見捨てれば、私を狙えたでしょうに」
「クラウチか」
グリンデルバルドが、ゆっくりとその男の方へと振り返った。
その瞬間、大気がギリギリと不快な音を立てて軋んだ。
トムはその音を知っていた。
老人の右手が動くと同時に、クラウチは木の陰へ飛び込んだ。彼が立っていた場所で土が裂け、背後の幹が途中から潰れる。
枝がまとめて落ち、暗い木立の中へ砂埃が広がった。
だが、その脇から次の呪文が飛んできた。
狙いはグリンデルバルドではなかった。桟橋を渡る自分たちだった。
老人が腕を払い、呪文を空へ逸らした。その隙に、別の場所から船腹へ光が走る。
持ち上がった水が船との間へ割って入った。
左手は、桟橋へ向けられたままだった。
追えないのだ。
あの男を追えば、ここが壊される。
「立てるか!」
パーシーに肩を掴まれ、トムは頷いた。
「なら進め! もう少しだ!」
トムはネビルと箱を持ち上げ、揺れる板を渡った。
船の入口へ辿り着いたとき、背後で再び女の笑い声がした。
*
船の中は薄暗かった。
天井の灯りは一つおきに消え、壁の中では、何かが回っては止まる音が続いていた。
見慣れた階段の一つが中途半端な角度で止まり、その前に上級生が立っている。
「そっちは使えない! 奥へ回って!」
パーシーは入口で五人を数え直した。
「下の広間へ行くんだ。そこに皆が集まっている」
「兄貴は?」
「ここで先生たちを援護する」
ロンが何か言いかけたが、パーシーは彼の肩を押した。
「今日は言うことを聞け」
ロンは口を閉じた。
トムたちは廊下を進んだ。振り返ると、パーシーは入口脇へ身を寄せ、外へ杖を向けていた。
退いてくる味方の間を狙い、短く呪文を唱えている。
角を曲がると、黄色いハロがトムの踵へぶつかり、慌てたように少し下がった。
緑色のほうは植物の箱の上を漂い、同じようについてきた。
船内ではあちこちから声が飛びかっている
「二番はまだ動かさないで!」
「水密の確認はどうなってる!」
「先生、こっちの印が消えました!」
七年生たちが壁際へ並び、杖を向けていた。
床へ膝をついた六年生が、羊皮紙と足元の模様を交互に見ている。
先日の相談会で、就職について質問していた顔もあった。その生徒は今、唇を動かしながら手順を確かめ、隣の生徒と同時に杖を振っていた。
壁の奥で、ごとん、と大きな音がした。
廊下の先まで灯りがついた。
小さな歓声が上がり、すぐに別の指示でかき消される。
「フリットウィック先生! こっちは通りました!」
「結構! そのまま維持してください。次の組、こちらへ!」
トムは箱を持つ手へ力を込めた。
船が動けば、逃げられる。
そのために、皆が何かをしていた。
何もできないまま通り過ぎるのがもどかしかったが、今、自分たちが立ち止まっても邪魔になるだけだ。
曲がり角でポンフリーとすれ違った。
腕へ包帯を巻いた上級生を連れている。彼女はトムたちの顔を一人ずつ確かめ、最後に植物の箱へ目を落とした。
「怪我は?」
「擦りむいただけです。歩けます」
トムが答えると、彼女は膝へ素早く目をやった。
「広間へ着いたら、救護の係に見せなさい。その箱を通路へ置かないように」
「先生、アグラオフォティスです。どこへ置けば――」
ネビルが尋ねた。
ポンフリーが箱へ向き直ったところで、奥から声が掛かった。
「先生、こちらもお願いします!」
別の生徒が肩を借りて運ばれてきた。
ポンフリーは連れていた上級生を壁際の椅子へ座らせ、トムたちへ言った。
「広間へ向かう途中の、倒れたり踏まれたりしない場所へ。置いたらすぐ避難して、場所を係の先生に伝えなさい。自分たちで取りに戻ってはいけませんよ」
五人は頷き、歩き続けた。
「広間の隅なら置けるかな」
ハンナが言った。
「机の下とか」
「人が押し寄せたら、倒されるかもしれない」
ネビルは箱の蓋へ目を落とした。桟橋で下ろしたとき、角をぶつけてしまったのが気になるらしい。
「……ごめん。でも、やっとここまで育ったんだ」
「分かってるよ」
トムは答えた。
前方では、運び込まれた木箱が廊下の半分を塞いでいた。その間にアンジェリーナがしゃがみ込み、床へ杖を向けている。
彼女が顔を上げた。
「こっち、まだ通れない! 床をつなぎ直してるから、脇を回って!」
背後から、作業を終えた生徒たちもやってきた。
ラベンダーが隣の細い通路を指す。
「赤い扉のほうから回れるんじゃない?」
「あ、そうだよ。あの鏡がある倉庫?そこへ箱を置けばいいだろ?」
ロンが言った。
「誰も踏まないし。置いたら、すぐ広間へ行こうよ」
トムは通路の奥を見た。迂回するなら、その扉の前を通る。
確かに場所を先生に伝えるのも簡単だ。
「そうしよう」
五人は向きを変えた。
*
脇道へ入ると、人の声が遠くなった。
こちらの灯りは、まだ戻っていなかった。ラベンダーが杖先へ光を灯す。
細い廊下に五人の影が伸び、トムとネビルの間で、植物の箱が大きく浮かび上がった。
外で何かが爆発した。
ネビルが足を止めかけたが、トムが先へ進むと、また歩き出した。
「船、動きそうだったよな」
ロンが言った。
「灯りは戻ったし」
「灯りだけじゃなくてさ。あの、下で動いてる音」
「うん。聞こえてる」
同じことを確かめ合っているのだと、トムは思った。
先生たちは戦っている。上級生たちは船を動かそうとしている。自分たちは箱を置いて、広間へ行けばいい。
きっと大丈夫だ。
廊下の先に赤い扉が見えた。
トムが持ち手を握り直したとき、背後から足音がした。
「そこにいたのか」
五人が振り返った。
曲がり角に、パーシーが立っていた。
ハンナがほっと息を吐いた。ロンは肩を落とした。
「あれ? 兄貴? どうしてここに」
「広間にいないから、探しに来たんだ」
パーシーは近づきながら五人を見回し、植物の箱へ目を落とした。
「それを置きに来たのか?」
「うん。向こうの廊下が通れなくて。ここなら、邪魔にならないから」
ネビルが答えた。
「なるほど。他に人は?」
「たぶん、いないと思います」
トムが答えると、パーシーは赤い扉を見たあと、廊下の奥へ顔を向けた。
つられてそちらを見たが、人影はなかった。
壁の向こうで、ごとん、ごとんと何かが動いている。
「外は?」
ロンが尋ねた。
「先生たちが食い止めている。だから、君たちも早く広間へ行くんだ」
パーシーは箱へ手を添えた。
「いったん下ろして。僕が扉を確かめる」
トムとネビルは膝を曲げた。
ずっと持っていたため、手を開いても指がすぐには伸びなかった。
トムは箱の縁から一本ずつ指を離し、腰を起こした。
ロンが兄へ近づいた。
「父さんは? さっきダンブルドア先生のそばにいたけど――」
パーシーの杖が動いた。
ロンが横へ飛んだ。
壁へぶつかる音がして、トムはそちらを向いた。
何が起きたのか分からないうちに、隣のネビルも箱から引き離されるように吹き飛ばされた。
「ペトリフィカス・トタルス」
ハンナが動こうとした瞬間、両腕が体へ貼りついた。
授業で見たのと同じように膝が伸び、両足が揃い、その体が傾いた。
「トム!」
ラベンダーが襟を掴んできた。
二人でもつれるように壁際へ倒れた。光がすぐ上を通り、赤い扉の脇で弾ける。
ラベンダーの杖先の灯りが大きく揺れた。
トムは床へ手をついた。
ロンが倒れていた。ネビルも。
ハンナは目を開けたまま、動かなかった。
パーシーは廊下の中央に立っていた。
誰かが後ろにいるのか。
トムは曲がり角を見た。兄が弟へ呪文を向けるはずがない。
攻撃してきた敵が、そこにいるのだと思った。
誰もいなかった。
「兄……貴?」
ロンの声がした。
パーシーは弟を見なかった。
杖先をトムへ向け直した。
「動くな」
つい先ほどまで、その声について走っていた。
トムは震える指で、自分の杖を探した
今後の変なハリポタについて、方向性として最も希望するもの
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現在の方向性で続きを読みたい
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主人公の判断・行動の合理性を高める
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人物たちの性格や言動を原作に忠実に
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独自の魔法設定を控える。
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説明や訓練を短くして、事件や物語を進める
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仲間との日常や明るい掛け合いを増やす
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その他(よければ感想欄へ)