事件から一週間が過ぎ、ようやく五人揃って医務室を出る許可が下りた。
ポンフリーは最後まで、許可したのは退院であって無茶ではないと念を押した。
特にトムには、少しでも頭痛や目眩があればすぐに戻ること、魔法を続けて使わないこと、友達の診察を勝手にしないことまで言い渡した。
「最後のは、まだやっていません」
「先に言っておくに越したことはありません」
反論は諦めた。隣ではロンが、昼食には間に合いそうだとネビルへ囁いている。
医務室の食事に不満があったわけではないが、五人並んで薬を飲まされる生活には、さすがに飽きていた。
船が無事に逃げ延びたことは、入院中に聞かされていた。
人魚たちが水中から追っ手を妨害し、岸では小鬼たちが最後まで退路を守った。
先生や騎士団員を乗せ終えた船が潜航したとき、船尾にはまだ何本もの呪文が当たっていたという。
ただし、全員が戻れたわけではなかった。数人の騎士団員が捕らえられ、数日後の新聞には、彼らがアズカバンへ送られたという記事が載った。先生たちは行方の分からない者についても調べているようだったが、生徒へ伝えられる話は多くなかった。
クィレルも、捕まった者の一人として扱われていた。
「先生が捕まったなんて」
ハンナは医務室のベッドで、何度もそう言った。机へ置いた課題の本を見ながら、あの先生なら何とか逃げられなかったのだろうかと尋ねることもあった。トムは、そのたびに返事を探した。
ほかの四人の記憶は、パーシーに連れられて船へ入ったところまでは、はっきりしていた。
その後は植物を安全な場所へ運ぼうとして、途中で船が大きく揺れ、転んで頭を打ったことになっている。
誰かにそう教えられたというより、自分で思い出したこととして話していた。
「変だよな。僕、何か怒ってた気がするんだ」
一度だけ、ロンがそう言った。
「誰に?」
「分からない。でも、ものすごく腹が立ってた」
ラベンダーも廊下で杖を使ったような気がすると言ったが、何に向けて、どの呪文を唱えたのかは思い出せなかった。
ポンフリーは無理に思い出そうとしないよう告げ、トムもそれ以上は尋ねなかった。
自分が知っていることをどこまで伝えてよいのか、まだ決められずにいた。
赤い扉には大きな魔法の錠前が掛けられた。扉の前へ近づくと錠前の目玉がこちらを見て、少しでも手を伸ばそうものなら、立ち去れと怒鳴る。ロンは退院早々それを試し、廊下中へ響く声で追い払われた。
大人たちの間では、生徒に説明されたものとは別の話が伝わっているようだった。
植物の無事を報告するためにハグリッドのところへ顔を出したとき、ハンナがクィレルのことを尋ねると、彼は手にした薪をへし折った。
「あいつは……」
言いかけたハグリッドは五人を見て口を閉じた。それから折れた薪を炉へ放り込み、いつもより乱暴に火をかき回した。
「おまえさんらが無事で、よかった。それだけはな」
トムは膝の上で手を握った。
ハグリッドが何を聞かされ、何を知らされていないのか、確かめることはできなかった。
敵を騙すのであれば味方から。これは、そういう計画なのだ。
*
そして、ついにその日は訪れた。
トムの精神防壁が安定したことがグリンデルバルドによって認められ――ついにアルバス・ダンブルドアとの面会が許可された。
その部屋には、甘いレモンの香りがした。
机の上には二つのグラスが置かれ、窓際の椅子には薄い毛布が掛かっている。
ダンブルドアはその椅子に座ったままトムを迎え、向かいの席を勧めた。
トムが腰を下ろすと、静かに口を開いた。
「来てくれてありがとう、トム。まず、わしから謝らねばならん」
トムは背筋を伸ばし、言葉を遮らずに聞いた。
「君と友人たちを、知らぬまま危険へ巻き込んだ。クィレルの件も、石の件も、計画を承知していたわしに責任がある。君たちが生きて戻ったからといって、それで済ませてよいことではない」
この一週間、何度も言いたいことを考えた。ひどいではないか。ほかに方法はなかったのか。
大人が子供を守るのではなかったのか。どれも、今も思っている。
ただ、船へ戻れなかった者たちのことも知った。桟橋を守り続けた先生たちも見た。
安全なところから子供だけを危険へ送り出していたわけではない。
この船を動かし、生徒に食べさせ、教え、その間にも外で人を助け続けている。
そうした努力まで、今回の怒りで見えなくなりたくはなかった。
戦争なのだ。その一言で何でも許せるとは思わないが、自分が知る戦争の歴史には、もっとひどい話がいくらでもあった。体は子供でも、前の人生と合わせれば四十年以上は生きている。怒りを伝えることと、これから必要な話をすることくらいは、分けて考えられるはずだった。
「……分かりました。納得できないところはあります。でも、僕の分については、謝罪を受け取ります」
ダンブルドアは黙って聞いていた。トムは膝へ置いた手を一度握り、言葉を続けた。
「ただ、友達のことまで僕が許すとは言えません。あの四人には、何があったのかも分からないんですから」
「そのとおりじゃ」
「それから、今日は別の話があります。多分、これからのことを考える前に、知ってもらわないといけないことです」
ダンブルドアは姿勢を改めた。トムは自分の指が冷たくなっていることに気づき、ゆっくり息を吸った。
「僕は一度、死んだことがあると思います」
*
最初から、すべてを説明することはできなかった。
魔法界が小説であり、自分はその読者だったと話すことも考えた。
だが、この部屋も、目の前の老人も、あの夜に流れた友人の血も、今のトムには作り話とは思えなかった。そう説明したところで、伝えたい知識よりも、その出所のほうへ話が向いてしまう気がした。
迷った末に、死の門を越えた体験と、そこから持ち帰った知識として話すことにした。
すべてを正直に伝えるわけではない。その後ろめたさはあったが、今は知っていることを、確かめられる形で渡すほうが大切だと思った。
「死んだ後に、道がありました。その先に石のアーチがあって、僕はそこを通ったんです」
ダンブルドアの指が、椅子の肘掛けで止まった。
「向こうへ?」
「はい。でも、引き戻されました。何かが起きて、僕も巻き込まれて……それから、今の僕になったんだと思います」
トムは一度呼吸を整えた。道の途中で見た、地面へこびりつくような哀れな姿についても話した。
それがヴォルデモートだと思ったこと、触れたこと、何かに引き剥がされたそれに、自分まで引きずられたこと。
ただし、なぜそれが起きたのかは分からないと伝えた。
「その前後のことが、ずっと思い出せなかったんです。ただ、魔法界のことは知っていました。ここで起きたこととは、違う出来事を」
「違う出来事、というと?」
「ハリー・ポッターという少年が、生きているんです」
ダンブルドアは何も言わなかった。ただ、肘掛けに置かれた指が静かに曲がった。
トムは話し続けた。額に傷を持つ少年がホグワーツへ入り、ロンやハーマイオニーと友達になること。
賢者の石と秘密の部屋。逃亡した囚人と三大魔法学校対抗試合。そして、ヴォルデモートの帰還。
思い出せることを順に話したが、細部まで確かなわけではなかった。小説と映画の違いも、記憶の曖昧なところもある。そこは断言せず、自信のある部分とない部分を分けた。
ダンブルドアはときどき短く質問するだけで、話を急かしも、途中で否定もしなかった。
やがて話は、ヴォルデモートが死なない理由へ至った。
「分霊箱です。彼は、魂を分けています」
その言葉を口にしたとき、ダンブルドアの目がはっきりと見開かれた。
トムは用意された羊皮紙へ、覚えているものを書き始めた。
日記、指輪、ロケット、カップ、髪飾り。その持ち主と隠し場所、そこへ至る経緯も、思い出せる限り添えた。
今も同じ場所にあるとは限らない。ナギニについては、いつ分霊箱になったのか自信がない。
ハリー自身にも魂の欠片が宿っていたはずだが、この世界ではどうなったのか分からない。
説明を重ねるうちに喉が乾き、最後の一文を書き終えたとき、トムはようやく自分が長く喋り続けていたことに気づいた。
ダンブルドアはしばらく羊皮紙を眺めていたが、やがて顔を上げ、机のグラスを指した。
「シャーベット・レモンはいかがかな。少々甘くしすぎたかもしれんが、今は、そのほうがよさそうじゃ」
トムは両手で受け取った。冷たい飲み物が喉を通ると、張り詰めていた肩から少しだけ力が抜けた。
ダンブルドアはそれを待ってから、羊皮紙を丁寧に揃えた。
「話してくれて、ありがとう」
「信じてもらえるんですか」
「君が真剣に話していることは信じておる。そして、わし自身の知ることと一致する部分もある。ただし、その知識のすべてが、この世界でも正しいかどうかは別じゃ。確かめねばならん」
「もちろんです。それは、僕もそう思います」
すぐに信じ込まれなかったことに、トムはかえって安堵した。
知っている出来事と同じだと思い込んだせいで、すでに大きな失敗をしている。
今度は、知識を持っている自分だけで判断したくなかった。
「君は、知っていたことと目の前で起きることが食い違うたびに、ずいぶん悩んだのではないかね」
トムはグラスへ目を落とし、小さく頷いた。
ダンブルドアは何を間違えたのかとは聞かず、机の上の羊皮紙へ手を置いた。
「これからは、少なくとも一人で確かめなくてよい」
*
「僕の知っているヴォルデモートは、ここまで強くありませんでした」
グラスを置いてから、トムは言った。
「もちろん、強い魔法使いだったんですけど……先生を倒して、魔法界を支配するようなことにはならなかったんです」
ダンブルドアは毛布の端を指で直し、少し考えてから答えた。
「わしも、最後に戦ったときには、それまでの彼と違うものを感じた」
魔力そのものでは、ヴォルデモートが上回っていたという。
だが、強い魔法を使えることと、戦いに勝つことは同じではなかった。
ダンブルドアには、同じほど強大な魔法使いと戦った経験があり、ニワトコの杖もあった。
攻撃を受け流し、魔法を組み替え、相手の隙を待つ。その駆け引きで優位に立てることもあったのだ。
「彼は死を恐れておる。誰よりも強く。自分が圧倒されるかもしれぬ状況を嫌い、力で相手を押さえ込める形を好んだ。しかし、圧倒できない相手との戦闘の経験は乏しく、その点ではわしが優位に立てた、だが、最後の戦いでは違った」
ダンブルドアは窓の向こうへ目を向けた。魚の影が二つ、ゆっくり横切っていった。
「こちらを急いで倒そうとはせんかった。周囲の物も、人の動きも、わしが何を守ろうとするかも利用した。一つ一つの魔法は、必ずしも大きくなかった。じゃが、こちらが対処すれば、次に必要な場所へ、もう別の魔法が置かれていた」
気づいたときには、選べる手段が減っていた。守ろうとすれば動きを制限され、攻めようとすれば別の場所を脅かされた。やがて杖を奪われ、取り返そうとしたところで、重傷を負わされたという。
「ヴォルデモートには違いなかった。じゃが、わしの知っていた彼だけでは、説明しきれぬところがあった」
トムの脳裏に、死の道へこびりついていたものが浮かんだ。それを引き剥がした力と、自分まで巻き込んだ引力。
同じ出来事につながっているのか、それとも無関係なのか、まだ何も分からなかった。
「ハリーを殺したから、でしょうか。本来なら倒されるはずの相手を、先に殺した。それが、運命を変えるほどの偉業になったとか……占いの本で読んだことがあります」
「その可能性は考えられる。しかし、今ある話だけで決めるのは早いじゃろう」
トムは頷いたものの、もう一つ話すべきことがあった。
自惚れに聞こえそうで少し言いにくかったが、ここで遠慮しても意味はない。
「僕にも、思い当たることがあります。呪文は、教わると大抵すぐに使えました。治癒の魔法も、習った以上のことが起きたみたいです。それに、死んだときの記憶を思い出してから……魔力が、分かるんです」
「見えるのかね?」
「見える、というだけでもなくて。手を伸ばせば触れられるような感じです。今は、あの夜ほどはっきりしませんけど」
机の上の小さな道具にも、壁にも、船そのものにも、力が通っている。
目を凝らすのではなく、そこへ意識を向けると、何が働いているのか分かることがあった。
自分の力がどこへ流れ、何に触れて魔法になるのかも、以前より具体的に感じられた。
「死の門から戻ったから、でしょうか」
ダンブルドアはしばらく考えた。
「君に起きた変化と、その体験が結びついている可能性はある。じゃが、何が原因で、何が結果なのかは、まだ分からん。珍しい出来事を一つの説明へまとめれば、分かった気にはなれる。しかし、それで見落とすこともある」
トムはトレローニーの瓶を思い出した。知っている答えへ、見たものを当てはめる。
それで何が起きたかは、忘れられなかった。
「……確かめるんですね」
「そうじゃ。一つずつな」
*
しばらく二人とも考え込んでいたが、やがてダンブルドアがシャーベット・レモンへ手を伸ばした。
「さて。分からぬことを今日のうちにすべて片づけようとするのはやめよう。君自身について、話しておくべきことがある。その杖を見せてもらえるかな」
トムは袖から杖を取り出した。渡す前に少しだけ指が止まったが、ダンブルドアは急かさず、差し出されるのを待っていた。
「クィレル先生から聞きました。グリンデルバルド先生の杖だったって」
「そのとおりじゃ。彼がニワトコの杖を手に入れる前に使っていたものじゃよ。十三インチ半、黒クルミにドラゴンの心臓の琴線。よくしなるが、扱い手の迷いには敏感な杖じゃ」
ダンブルドアは古い知人の顔を見るように杖を眺め、柄の擦り減ったところへ指を触れた。
「非凡な才覚と、自分の望むものへ進む意志――つまり、変革を好む。ゲラートは、この杖を持っていた頃から、世界を大きく変えるつもりでおった」
「僕は、そんな……」
「杖に選ばれたからといって、前の持ち主と同じ夢を見ねばならぬわけではない。ただ、帽子からそれを受け取ったとき、わしが驚いた理由は分かってもらえるじゃろう」
あの日の表情が、ようやく腑に落ちた。同時に、もう少し早く教えてほしかったとも思った。返された杖を握ると、手にはいつもと同じ感触があった。それなのに、柄の小さな傷まで気になるようになっていた。
「グリンデルバルド先生とは、約束をしてある」
ダンブルドアが続けた。
「協力を求めたとき、確かな才覚を持つ若い魔法使いが現れたなら、弟子を取る機会を設けるとな。自分が果たせぬことを、受け継ぐ者を望んでおる」
「それが、僕なんですか」
「彼は、そう考え始めているようじゃ」
「先生のやりたいことって、何です?」
「それは本人から聞かねばならん。わしが代わりに語り、君に引き受けさせるべきことではない」
トムは赤い扉の前で見た冷たい顔を思い浮かべた。あの人の弟子になる。
今は想像するだけで肩に力が入り、正直にその気持ちを伝えると、ダンブルドアの口元がわずかに緩んだ。
「仲よくやれると思うほうが、心配じゃ」
意外な返事に、トムは顔を上げた。
「ゲラートは自己中心的で、冷酷になれる男じゃ。役に立つと思えば、相手が聞きたい言葉を実に上手に選ぶ。そのくせ、自分に心から近づいてくる者を前にすると、急に疑い深くなる」
「そうなんですか」
「人を惹きつけておきながら、近づかれると、なぜ自分を恐れないのかと腹を立てる。そうして相手の信頼を試し、壊してから、ほら見たことかと考える。まことに賢い男じゃが、同じくらい愚かでもある」
トムは心の中で拍手した。痛烈の批判に対してもう少し続けてほしいとさえ思った。
ダンブルドアはその顔を見て何か察したらしく、小さく咳払いをしてから声を改めた。
「ただし、教えられることは多い。だからこそ、学ぶことと、言いなりになることを混同してはならん。彼の望みを聞いた上で、君自身が決めるのじゃ」
*
「そして、もう一つ。クィレルから届いた知らせに関係して、君へ相談したいことがある」
ダンブルドアは机の引き出しから封筒を取り出した。中に入っていたのは、日付と人数が細かく書かれた予定表だった。トムは身を乗り出しかけたが、紙の上に記された施設名を見て動きを止めた。
「ハッフルパフ……強制収容所ですね。グリンデルバルド先生からは一度言われましたが、正直まだピンと来ていません」
「ホグズミードにあった、叫びの屋敷の跡地じゃ。古い建物を取り壊し、マグル生まれの子供たちを収容する施設が造られた。そこの子供たちは、実習と称して各地で働かされておる。ホグワーツへ出入りする者もいる」
施設の説明には、勤勉、奉仕、忠実といった言葉が並んでいた。
知っている寮の名前と、その下に記された仕事の内容が、うまく結びつかなかった。
トムが紙を読み進める間、ダンブルドアは収容所と城に施された警戒の魔法について説明した。
認可を受けていない者が入り込むことは難しく、混乱させる魔法で一時的に検査を抜けても、長く留まれば綻びが出る。姿を変えただけでは、別の場所に設けられた確認の魔法に引っかかるという。ただし、低年齢の実習生には、成人とは異なる登録の仕組みが使われていた。
「十三歳未満の子供たちじゃ。そちらの登録なら、実際に出入りする者を置き換え、一定期間ごまかせる見込みがある。大人が姿だけを変えても、年齢を調べる魔法には通用せん」
トムは予定表へ目を戻した。夏休みの長期実習の欄に、自分と同じ年頃の少年の名前があった。
名前の横には、出発する日と、戻る予定の日が記されている。
「つまり、どういうことですか?」
「まずは実習先からこの子を秘密裏に救い出す。その救出は、君が引き受けるかどうかにかかわらず行う。君に頼みたいのは、その後、少年に代わって収容所へ入ることじゃ」
紙の端を押さえていた指が止まった。ダンブルドアは急かさず、トムが顔を上げるのを待ってから、さらに一枚の図面を机へ広げた。古い屋敷と、その地下から延びる細い通路が描かれていた。
「収容所には、旧い屋敷の地下通路が残っているはずじゃ。城側へ通じる道の構造は、こちらでも把握しておる。君にはそこを通り、ホグワーツに残された、あるものを回収してほしい」
「……戦うんですか」
「戦わせるつもりはない。見つからずに入り、見つからずに帰る。そのための準備をする。状況が違えば、何も持たずに戻ってよい。そのためには古い友人の助けを借りる」
ダンブルドアは椅子の脇に置かれた布を取り払った。現れたのは大きな浅い器で、底には灰が積もっていた。トムはそれを見たことがあった。グリンデルバルドの雑然とした部屋に置かれ、ずっと灰皿だと思っていたものだった。
「それ、グリンデルバルド先生の部屋に……」
「不死鳥のフォークスじゃ」
トムは立ち上がりかけたまま、器を見つめた。不死鳥の名前だった。
炎に包まれても灰の中から蘇り、ダンブルドアのそばに戻ってくる、あの鳥の。だが、いくら目を凝らしても、小さな雛の姿は見えなかった。
「悪霊の火が、彼の再生を妨げておる。灰の中に残り、命が戻ろうとするたびに、それを焼いてしまうのじゃ。強引に呪いだけを剥がそうとすれば、フォークス自身の力まで傷つけかねん」
「それじゃ、どうすれば……」
「君の友人が育てているアグラオフォティスが成熟し、種を得られれば、この灰へ植える。灰に残った呪いを吸い上げ、フォークスが戻る余地を作るためじゃ。ゲラートは、その方法を仕上げるために調べ続けておった」
トムは、スラグホーンと話していた老人の声を思い出した。自分にできないことを、誰にもできないことだと思うな。あのときは、いつもの尊大な物言いだと思っていた。だが、老人は本当にできるつもりで、あの灰を部屋へ置き、ネビルへ植物を育てさせていたのだ。
器の底で、灰の一部がかすかに動いた気がした。トムは思わず身を乗り出したが、ダンブルドアがそっと手を上げたため、それ以上近づくのをやめた。
「ホグワーツでは姿現しができませんよね。帰るときは、フォークスに?」
「人間の姿現しと、不死鳥の移動には、異なる魔法が働いておる。フォークスが回復すれば、君を連れて帰れる」
ダンブルドアは細長い箱を開いた。赤と金の羽根が一本、大切に収められていた。
トムは差し出された箱を覗き込みながら、秘密の部屋からハリーたちを連れ出した不死鳥の姿を思い浮かべた。
「出発前に、君とフォークスの間で呼びかけ方を確かめる。この羽根を通じて呼べるようにするつもりじゃ。もちろん、実際に働くことを何度も試してからになる」
「植物が間に合わなかったら、どうするんですか」
「君は行かない。フォークスが回復しなくても、君の準備が整わなくても同じじゃ。今年度の残りで必要な知識と道具を用意し、夏に改めて判断する」
答えは明確だった。ダンブルドアは箱を閉じてから、机越しにトムを見た。その目には、先ほどまでの穏やかな笑みがなかった。
「そして、行ったとしても、君の命が第一じゃ。取り戻したいものよりも、計画よりもな。危険だと思えば呼びかけ、戻ってくる。それを約束してもらえるかな」
トムはすぐには答えず、予定表へ目を落とした。紙の上に書かれた少年の名前に見覚えがあった。
この少年には本来、城のホグワーツに通い、自分と同じように授業を受け、宿題に文句を言い、友人と遊ぶ時間があってよかったはずだと思った。
他の原作で知っている子供たちの姿が浮かんだ。ロンも、ネビルも、ラベンダーも、ハンナも、本来ならあの城で暮らしていた。まだ会ったことのないハーマイオニーも、どこかで同じような生活を奪われているのかもしれない。
怖くないわけがなかった。先生たちの戦いを見た後では、自分の力を頼りに何とかなるなどとは思えない。
クィレルを追い詰められたのも、相手が重傷だったからだ。あの夜に得た感覚を、必要なときに再現できる保証もなかった。
それでも、今度は断ることができた。知らないうちに役目を負わされているのではなく、危険を聞いた上で、自分がどうするかを尋ねられている。前の人生まで含めれば、自分も大人の一人だ。そのことを、怒りを抑えるためだけに使うつもりはなかった。
「準備を、させてください」
トムは顔を上げた。
「全部聞いて、勉強して、それでも僕にできると思えたら、行きたいです。危なくなったら戻ります。それは約束します」
ダンブルドアはゆっくり頷いた。「ありがとう、トム」と言われてから、トムは肝心なことをまだ聞いていないと気づいた。地下通路や帰り道の説明に気を取られ、そもそも何のために城へ入るのかが、曖昧なままだった。
「それで、何を回収するんですか」
ダンブルドアは机の上に置かれた分霊箱の一覧へ一度目を落とし、それからトムへ向き直った。
「君に取り戻してほしいもの。それは――」
*
ハッフルパフ強制収容所の一日は、鐘の音で始まった。
もっとも、鐘が鳴るまで眠っている者は少なかった。
寝坊をすれば朝食がなくなり、空腹で仕事が遅れれば、今度は夕食を減らされる。
ハーマイオニーは薄暗いうちに目を覚まし、毛布を畳んで寝台の端を手で撫でた。皺が残っていないことを確かめてから、隣で眠る少女の肩を揺する。
「もうすぐ鐘が鳴るわ。今なら顔を洗う時間がある」
少女は目をこすりながら起き上がった。昨夜もなかなか眠れなかったらしく、目の下に隈ができている。
ハーマイオニーは彼女の襟を直してやり、自分の髪をきつく結び直した。
鏡はなかったが、窓に映る顔で十分だった。人に会うための身支度ではない。叱られる理由を一つでも減らすためのものだった。
朝の点呼が終わると、生徒たちは列を作った。
壁に掲げられた文章を見ながら、働くことへの感謝と、魔法族への忠誠を口にする。
ハーマイオニーは誰よりも明瞭に唱和し、監督役の大人が近づくと背筋を伸ばした。
「昨日の課題は?」
「提出済みです。薬草の分類表も、訂正しておきました」
「よろしい。おまえのように、立場をわきまえる者ばかりならよいのだがな」
「ありがとうございます」
声は少しも震えなかった。相手が満足して歩き去るまで、姿勢も崩さなかった。
その後ろ姿を見送ってから、彼女はようやく握っていた手を緩めた。
両親の顔は思い出せない。帰る家も、家の前の道も、誰かに呼ばれて振り向いたはずの声も、記憶には残っていなかった。いつ、どのように奪われたのかも分からない。
ただ、自分にはここへ来る前の生活があったはずだという感覚だけが消えなかった。
だからこそ、今あるものは覚えておいた。仕事の手順、監督役の交代時刻、鍵の置かれる場所。
運ばれてくる物と、出ていく物。そして、誰が怪我をし、誰がいなくなったのか。眠る前には必ずその日の出来事を思い返し、前の日とつながっていることを確かめた。
その日の仕事は、魔法薬に使う根の選別だった。一年生たちは長い机へ並び、土を落とし、大きさを揃え、傷んだものを取り除いていく。冷たい水へ浸した指先が動かなくなっても、手を止めることは許されなかった。
机の端で籠が落ちた。根が床へ散らばり、一人の少年が慌ててしゃがみ込む。
その肩へ影が差したのを見て、ハーマイオニーは手元を動かしたまま目だけを向けた。
「何をしている」
立っていたのは七年生だった。ハロウィンの出来事以来、監督役から特別に目を掛けられている青年だ。彼は主に命を救われたのだと何度も語り、救われた命は主のものなのだから、残りのすべてを捧げるべきだと信じていた。
「すみません。すぐ拾います」
「おまえ一人の時間ではないんだぞ。私たちは働かせていただいている。役に立てなければ、ここにいる価値がない。分かっているのか」
少年は小さな声で返事をしたが、七年生は聞こえないと言った。
少年がもう一度答えるより早く鞭が鳴り、机に並んだ子供たちの肩が一斉に縮んだ。
ハーマイオニーは手の中の根を強く握り締めたが、すぐには動かなかった。次の鞭が振り上げられたところで、顔を上げる。
「残りは私が片づけます。彼には水を運ばせたほうが、作業が遅れません。今日の分は、時間までに終わらせます」
七年生がこちらを見た。ハーマイオニーはその視線を受け止め、挑んでいるようには見えない程度に顎を引いた。
彼が欲しいのは反論ではなく、従ったという返事だ。その形さえ整えれば、通る言葉もある。
「おまえは、分かっているな」
「はい」
青年は鞭を下ろし、満足そうに立ち去った。足音が遠ざかってから、ハーマイオニーは少年の隣へしゃがみ込んだ。
散らばった根を籠へ戻しながら立てるかと尋ねると、彼は頷いたものの、腰を浮かせた途端に顔を歪めた。
「無理しないで。水汲みへ行くふりをして」
「でも、仕事が……」
「終わらせるわ。ほら、つかまって」
ハーマイオニーは少年の腕を取った。
彼はまだ謝ろうとしていたので、こちらを見るように言った。
「あなたが悪いわけじゃない。籠を落としただけでしょう」
少年は、その言葉の意味が分からないような顔をした。
ハーマイオニーはもう一度同じことを言い、彼が立つのを支えた。
*
裏手の物置には、壊れた道具が集められていた。
ハーマイオニーは戸口から廊下を確かめ、少年を中へ入れた。
使えなくなった棚の裏で板をずらすと、人一人がようやく通れる隙間が現れる。少年の体を庇いながらそこを抜けると、奥にいた子供たちが顔を上げた。
一人がすぐに立ち上がって場所を空け、別の子が布と水を取りに行った。
誰も大声で事情を尋ねなかった。狭い部屋の中では、すでに何度も同じことが起きていた。
「また、あの七年生?」
ハーマイオニーが頷くと、壁際の少女が唇を噛んだ。
「自分も同じようにされていたくせに」
「だから、そうしないといけないと思ってるのよ」
説明してから、その言葉が嫌になった。理由が分かったところで、許せるわけではない。
ハーマイオニーは少年の手当てを仲間に頼み、壁際の箱から小さな帳面を取り出した。
表紙には、丁寧な字で名前が書かれていた。
Society for the Protection of Enslaved Wizards――奴隷にされた魔法使いを守る会。
その下には、頭文字を取った「S.P.E.W.」の四文字が並んでいる。
ハーマイオニーは帳面を開いた。そこにあるのは、立派な演説でも壮大な作戦でもなかった。
誰に食べ物を分けるか、誰が薬を手に入れられるか、次の実習でどの子がどこへ行くか。
そして、戻ってこなかった者の名前と、最後に見た日付だった。
記憶を消されれば、その子がいたことさえ分からなくなるかもしれない。だから書き、隠し、何人かで覚えた。
誰か一人が忘れても、ほかの者が伝えられるように。今の彼女たちにできることは、まだそれほど多くなかった。
「今日、聞いたことがあるの。夏の実習の予定が、変わるかもしれない」
子供たちが顔を上げた。ハーマイオニーは声を落とし、監督役の会話から聞き取ったことを伝え始めた。
大人たちは、彼女を従順な優等生だと思っていた。
何度も褒め、ほかの子供たちの手本にした。彼女がなぜ命令を正確に覚え、帳簿の数字を確かめ、施設の規則を隅々まで知ろうとするのか、その理由を尋ねる者はいなかった。
*
深海を進む船の中。
夜更け、赤い扉の錠前が目を開いた。
前に立つ老人を見ると、何も言わずに口を閉じた。
グリンデルバルドが指先を触れるだけで掛け金が外れ、扉の向こうから細い明かりが漏れた。
その明かりのそばに、老女が立っていた。彼女は入ってきた人物を認めると、静かに身を屈めた。
年齢を重ねた体でも、カーテーシーには少しの乱れもなかった。
「お目にかかれて、光栄です。閣下」
「久しいな、ヴィンダ」
グリンデルバルドが扉を閉めると、ヴィンダ・ロジエールは顔を上げた。
深い皺の刻まれた顔だったが、老人を見る目には、何十年という歳月を感じさせない熱があった。
「この日を、お待ちしておりました」
「首尾は?」
「問題ございませんでした。中央魔法政府の解体で、命令を出す者も、従うべき相手も定まっておりません。その上、ウクライナの魔法界は例の男への対応に追われていました。閣下のお見立てどおり、こちらへ注意を向ける余裕などなかったのでございます」
グリンデルバルドは短く頷き、部屋の奥へ目を向けた。
ヴィンダはその視線を追いながら、声に混じる喜びを抑えきれない様子で続けた。
「昔の仲間たちも、喜んで力を貸しました。皆、閣下がお戻りになる日を――」
「帰還の挨拶は、まだ早い」
静かに遮られ、彼女は口を閉じた。しかし、その顔から喜びは消えなかった。
命令を受け、それに従うこと自体が、長く待ち続けていたものだった。
ヴィンダは大きな箱に掛けられた布へ手を伸ばし、両手で引き下ろした。
現れたのは、魔法の装飾も古い紋章もない、無骨な鋼鉄製の容器だった。
表面には留め具と異国の文字が並び、側面には黄色と黒の印が描かれている。
グリンデルバルドはその前へ進み、しばらく黙って眺めた。
やがて満足げに頷くと、ヴィンダもようやく肩の力を抜いた。
魔法界では、その印を知る者は少なかっただろう。
しかし、マグルの学校へ通った者なら、黄色い地に描かれた黒い三枚の羽根のような図形を見て、足を止めたに違いない。
☢️
――箱の中には、核弾頭が収められていた。
このハリポタと賢者の石なんか変 完。
次章、このハリポタと秘密の部屋なんか変へ続きます。
今後の変なハリポタについて、方向性として最も希望するもの
-
現在の方向性で続きを読みたい
-
主人公の判断・行動の合理性を高める
-
人物たちの性格や言動を原作に忠実に
-
独自の魔法設定を控える。
-
説明や訓練を短くして、事件や物語を進める
-
仲間との日常や明るい掛け合いを増やす
-
その他(よければ感想欄へ)