青峰大輝 in ブルーロック 作:AIで小説を上手く書きたい!
七星虹郎は、石狩の後ろへ半歩ずれた。
十数メートル四方の部屋に十二人。逃げる場所はあっても、全力で走り続けるほどの広さはない。壁際へ追い込まれれば、横へ避けるしかなくなる。
青峰は部屋の中央にいた。
その右足の下に、ボールがある。
石狩を盾にしても、青峰が横へ動けば見つかる。そう考えて離れようとすると、石狩が先にこちらを見た。
「後ろにいないで。下がれない」
「あ、すんません」
七星は右へ離れた。
青峰から五メートルほど。七星のさらに右に氷織がいて、反対の壁際には二九一番の男がいる。全員がボールを見ながら、少しずつ動いていた。
時計は百二十秒を切った。
青峰はまだ蹴らない。
足裏でボールを横へ転がす。そのたびに、正面にいる誰かが身を引いた。七星も、右足へ体重を移した。
ここへ来るまでに、サッカーで人と競ったことなら何度もある。全国から呼ばれた時は、嬉しかった。まだ顔も知らない選手に勝って、もっと上でプレーするつもりだった。
初めての勝負が、鬼ごっこになるとは思わなかった。
けれど、終われば一人いなくなる。
百三十六秒だけで、代表になる道まで閉じられる。
「蹴らねえのかよ」
二九一番が言った。青峰から一番遠い位置だった。
「蹴るよ」
青峰はそちらを見ずに答える。
石狩が中央から左へ動いた。青峰の正面に立ち続けるのを嫌ったのだろう。大きな一歩だった。
青峰の右足が動いた。
低いボールが、石狩の左足へ飛ぶ。
石狩は上体を引いた。右足も動いた。だが、今まさに床へ下ろした左足には体重が掛かっていた。
脛にボールが当たった。
電子音が鳴り、画面の鬼の表示が切り替わる。
残り百六秒。鬼、石狩幸雄。
「うわ……」
七星は思わず声を漏らした。
速いだけではなかった。石狩は撃つ動作を見て避けたのに、ボールが来た側の足だけを動かせなかった。
「着くの、待ってたんやな」
隣で氷織が小さく言った。
「え?」
「左足。床につくまでは撃たへんかった」
七星がもう一度青峰を見る前に、石狩が動いた。
跳ね返ったボールを一歩で追い、右足を振る。
青峰は既に横へ離れていた。その先にいた二九一番が、遅れて身体をひねる。
ボールが腿に当たった。
また電子音。
「くそっ!」
二九一番はボールを止め、すぐに蹴り返そうとした。石狩は離れる。近くにいた短い髪の男へ狙いを変え、強く蹴った。
男が跳び上がる。ボールは足の下を通り、壁に当たった。
「後ろ!」
誰かが叫ぶ。
振り向いた男の踵へ、跳ね返ったボールが触れた。
鬼の表示がまた変わる。
壁も使える。知っていたはずのルールが、目の前で初めて自分の逃げ道を狭くした。
七星は背後を確かめ、壁から離れた。
*
次の鬼は、七星を追ってきた。
ドリブルで近づき、二メートルほどの距離で足を振る。七星は右へ逃げた。シュートは足の横を通り、壁に当たる。
七星は止まらずに走った。
鬼の男が回収し、また追ってくる。ほかの選手が近くにいても、男は同じ七星へ身体を向けた。
「何で俺ばっか……!」
思わず言うと、男の目が上がった。
「当たりそうだからだよ!」
もう一度撃たれる。
今度は正面だった。七星が横へ跳ぶと、後ろにいた氷織の足元へボールが飛んだ。氷織は避けかけたが、七星の身体で見えるのが遅れたらしい。
脹脛に当たった。
七十二秒。鬼、氷織羊。
七星は氷織から距離を取った。
氷織のすぐ近くには青峰がいた。誰より近い。少し強く蹴れば、脚に届きそうだった。
青峰は逃げなかった。
「ほら。いるぞ」
正面から氷織を見る。片足をわずかに後ろへ引いていた。
当たった瞬間に、蹴り返すつもりだ。
七星にもそれが分かった。
氷織は青峰を見て、左へボールを持ち出した。青峰が一歩寄る。その直前に、氷織の左足が壁へ向かってボールを蹴った。
壁に斜めに当たったボールが、内側へ跳ね返る。
袖を捲った男の腹に当たった。
「っ、てえ!」
男が腹を押さえる。氷織は、その時にはもう青峰からもボールからも離れていた。
「近い方にいるだろ、俺が」
青峰が言う。
「当てたら、すぐ僕に返すつもりやったやろ」
氷織は走りながら答えた。
「そっちと蹴り合う理由、今はないわ」
青峰は動きを止めた。
「だったら最初からそっち行けよ」
七星は、ようやく一度大きく息を吐いた。
青峰に勝つための試験ではない。最後に鬼でなければいい。
氷織は、それを選んだ。
七星も選ばなければならない。逃げられる場所へ走るだけでは、追う側に行き先を決められてしまう。
そう考えたところで、捲った袖の男がこちらを見た。
また自分だ。
七星は床を蹴った。
*
一度目のボールは、右へ避けた。
二度目は、同じ方へ出ようとして誰かと近づきすぎた。七星が速度を落とすと、鬼の男も前へ出てくる。
近くの選手は助けてくれない。自分が巻き込まれないように、先に離れる。
当たり前だった。
七星も、さっきは石狩の後ろへ隠れようとした。
袖の男が右足を引く。
七星は右へ跳んだ。
ボールは、そこへ来た。
右の足首に当たり、壁際へ転がる。
残り二十七秒。
鬼、七星虹郎。
「よしっ!」
袖の男が離れていく。
七星はボールへ走った。息が詰まる。見上げた時計から、一秒ずつ消えていく。
ボールに追いつくと、自分の左足のそばにあった。
正面に氷織がいる。今なら蹴れる。
七星は右足で蹴りやすい場所へボールを動かした。
その一触の間に、氷織が横へ逃げた。
七星のシュートは誰にも当たらず、壁を打った。
「くそっ!」
拾いに走る。
左でそのまま蹴れば、間に合ったかもしれない。だが、今は外したことを考えている時間さえ惜しかった。
二十秒。
正面の石狩は足を細かく動かしている。青峰は、こちらへ来いと言うように待っていた。
七星はそちらへ蹴らなかった。
青峰なら、当てても取り返してくる。氷織が避けた相手を、今の自分が選ぶ理由はなかった。
右の壁際に二九一番がいる。
その左側には別の選手がいて、逃げられる幅が狭い。
七星は二九一番へ向かった。
「こっち来んな!」
男が下がる。壁まで二歩ほど。七星が撃つふりをすると、男は右へ身を引いた。
まだ蹴らない。
七星はボールを一つ前へ運び、男の進む方へ足を振った。
膝を狙ったシュートは低くなった。
それでも、男が避けようと置いた足へ当たった。
残り八秒。
鬼、二九一番。
七星はその場から離れた。
助かった、と思った。
思うには、まだ早かった。
*
二九一番は、跳ね返ったボールを右足で止めた。
七秒。
青峰が中央から近づく。
「ほら、撃てよ」
二九一番の顔が一度そちらへ向いた。
七星は、その男が迷ったのを見た。すぐ近くまで青峰が来ている。当てるだけならそちらが近い。だが蹴り返されれば、残り時間はほとんどない。
男は青峰を避け、七星へ身体を向け直した。
六秒。
七星は右へ逃げようとした。
その先へ、二九一番の右足が向く。
さっきと同じだった。
袖の男にも、逃げたところへ当てられた。追われている間、ずっと右へ避けていた。左側へボールが来ても、右足で扱える向きに身体を直していた。
見られている。
七星は右足で床を蹴った。
今度は、左へ。
シュートが身体の右側を通り過ぎた。
着地が乱れ、手をつきそうになる。七星は膝を曲げて踏みとどまり、すぐに壁から離れた。
四秒。
ボールが跳ね返る。
二九一番が走る。七星へは向き直らず、今度は近くにいた別の選手へ蹴った。
相手が跳ぶ。
その下をボールが通った。
二秒。
二九一番が、さらに追う。
最後の一歩で足を伸ばしたが、ボールには届かなかった。
ゼロ。
終了の音が響いた。
七星はしばらく、壁から離れたまま立っていた。最後のボールが、誰にも当たらず床を転がる。自分の足元へ近づいてきて、もう一度身を引きそうになった。
終わっている。
画面にも、そう出ていた。
脱落、二九一番。
「待てよ」
男が言った。
「今、最後、当たってないのか。そっち、靴に……」
跳んで避けた選手が首を振った。
画面の絵心も、判定は変えなかった。終了時点で鬼だったのは二九一番。その事実だけを告げ、退出するよう促す。
男は青峰を見た。
「お前が途中で来るから」
「俺に撃ちゃよかっただろ」
青峰が答える。
男の口が開き、閉じた。
七星は目を逸らせなかった。
自分が当てた相手だった。あそこで二九一番を選ばなければ、今ここに残れなかったかもしれない。
男は壁際へ戻り、置いてあったバッグを拾った。誰も、続けて話しかけなかった。
扉の前で一度だけ止まる。
「これだけで、終わりかよ」
七星には返事ができなかった。
男が出ていくと、扉が閉まった。
十二人いた部屋に、十一人が残った。
*
青峰は床のボールを止めた。
最後の二球は、どちらもこちらへ来なかった。相手が顔を上げた時には、蹴り返すつもりでいた。足元へ来たらそのまま返す。少し外なら、自分で追って当て直す。
そんな余裕が、向こうには見えていたのだろう。
青峰が歩いて近づいただけで、二九一番は狙いを変えた。ゲームは終わり、相手は出ていった。勝った実感は、ほとんどなかった。
「青峰くん」
石狩が近づいてきた。
「最初の、俺が左足つくのを待った?」
「ああ」
「大きく動きすぎた」
石狩は足元へ目を落とした。青峰はその顔を見上げた。
「次はもっと細かく、って言うつもりか」
「そうする」
「好きにしろよ」
石狩は顔を上げた。
青峰は別の方へ歩きかけたが、大きな身体がすぐ近くに残っていた。近づくために出した一歩さえ、ほかの選手より長い。前へ伸びた膝へもう一度当てるところを、青峰は頭の中で試した。
「俺が近づいてんのに、同じところに立ってたら当たるぞ」
「今は終わってるだろ」
石狩が答える。青峰は鼻を鳴らして歩き去った。
石狩の長い脚が、さっきより大きく開いた。次に当てるなら同じ膝を狙っても避けられるだろう。青峰は一度だけ振り返った。だったら、今度はどこへ蹴るか。考えかけたところで、もう試験が終わっていることを思い出した。
少し離れたところで、七星が自分の足首を触っていた。氷織に何か尋ねる声が聞こえる。
「俺、そんなに同じ方に避けてました?」
「右へ出ると、右足で蹴り返しやすいんやろ。追われたら、ずっとそっち向いてた」
「……それ、やってたっすね」
「最後は変えたけど」
七星は閉まった扉を見た。
青峰も閉まった扉を見た。二九一番は、サッカーの試合をする前に帰らされた。
全国から集めるだけ集めて、百三十六秒で捨てる。絵心は脅しただけではなかった。
自分なら落ちない。それは変わらない。だが、相手が残るとは限らなかった。昨日の四番は仕事へ帰り、今の男は次に蹴る権利ごと失った。気になる奴がいたとしても、のんびり再戦を待っていれば会えなくなる。
青峰はボールを足元へ引いた。こんな遊びで終わらせず、さっさと試合を組め。画面の消えた壁へ、もう一度目を向けた。
画面が点いた。
「残った十一人。お前らはこれから、同じチームとして戦う」
絵心の声に、七星が顔を上げた。
「チームZ。それがお前らのチーム名だ」
「同じって、こいつらと?」
袖を捲った男が言った。ついさっきまで、七星を追い回していた選手だ。七星もその男を見て、すぐには何も答えなかった。
青峰はボールから足を離した。
同じ側へ入れるらしい。さっき氷織の当てた一球を、次は自分へ通させる。そのくらいは試すことがある。
絵心は翌日からの施設の利用と、最初の対戦までの日程を告げた。今夜は指定の居室で休み、朝に一次選考の説明を受ける。質問をまとめる暇もなく、画面は消えた。
青峰は真っ先に出口へ向かった。
「ちょっと待てって」
丸刈りの男が呼び止めた。
「名前くらい覚えないと試合にならねえだろ」
「呼ばれりゃ振り向くわ」
「お前が呼ぶ方だよ」
青峰は足を止め、並んだ十人を見た。
名乗ったのは三人だけだった。胸の数字を見ていたせいで、他は顔と名前がつながっていない。
丸刈りの男が、一人ずつ名乗るよう促した。
青峰は壁へ肩を預けた。七星が隣へ来かけると、顔を向ける。それだけで七星は半歩離れた。
「何だよ」
「いや。帝光の試合、見たことあるんで」
「だから?」
「こんな近くにいるの、変な感じするっす」
青峰は返事をしなかった。
七星の視線が、一度足元へ落ちた。青峰が小さく膝を動かすと、さっきのボールを避けるように身体を引く。
まだ当てられると思っているらしい。
「終わってんだろ」
「分かってるっす」
返事と、身体の動きが合っていなかった。青峰は足を止めた。七星は、青峰が足を動かすだけで身構えていた。さっきは自分が狙われていなくても、いつボールが飛んでくるか分からなかったのだ。
名前を知っているというだけで、妙に打ち解けた顔をされることがある。相手は自分が何点取ったかを覚えていて、こちらはその相手がどう蹴るかを知らない。
七星も、画面越しに青峰を見ていた一人だった。
「どの試合」
「地区の決勝っす。六点入れたやつ。途中、倒れながら逆の足で撃って」
「覚えてねえ」
七星の声が止まる。
嘘ではなかった。六点取った試合はいくつもあった。倒れかけて撃ったこともあった。その時に誰が前へ来たかは、試合の名前だけでは戻ってこなかった。
七星は少し黙り、それから続けた。
「俺、あれ見て、シュートの練習したんすよ。倒れる方は危ないんで、左で早く撃つ方だけ」
青峰はそちらを見た。
「じゃあ、さっき何で持ち替えた」
「……とっさに。右の方が当たると思って」
「当たんなかったろ」
「はい」
七星は逃げずに頷いた。褒めてもらうための話を途中で失敗の話へ変えられ、気まずそうだった。
青峰は壁から離れた。
「やれるんならやれよ。試合で」
褒めてほしそうに昔の映像を話す顔より、いま失敗を指摘されて唇を結んだ顔の方が、青峰にはまだましだった。試合でもその顔で来ればいい。
丸刈りの男が最後に名前を言い終えた。皆が動き始め、七星は一拍遅れてついてきた。
*
部屋へ移っても、話は青峰のところへ戻った。
「あいつがいるなら、普通に勝てんじゃねえの」
声の主は、鬼ごっこで七星を追った男だった。隠すほどの声でもない。青峰は荷物を開けたまま、その顔を見た。
「お前が何できるか知らねえけどな」
「いや、お前が点取るだろって話」
「だから、お前は何すんだよ」
男の頬が少し動いた。
「お前に出してやるよ」
「届くとこにいなきゃ出せねえだろ」
「入った途端、偉そうだな」
男が立った。青峰も顔を上げたが、座ったままだった。
「気に入らねえなら、出さなくていいぞ」
「じゃあ、こっちに取りに来んなよ」
「先に取れりゃな」
丸刈りの男が間に入った。
「まだルールも分かってねえんだ。明日蹴って決めればいいだろ」
男はすぐには座らなかった。青峰も目を逸らさない。
試合に出れば球を寄越せと言うくせに、先にそうすると言えば突き放す。相手から見れば、面倒な奴に違いなかった。
だが青峰には、そもそも自分が得点することを男に許してもらう必要がなかった。渡してやると言う前に、相手から奪って来い。そのボールなら要求する。
言葉にする代わりに、青峰は横になった。
「おい。話、終わってねえ」
「俺は終わった」
頭の上で、丸刈りの男が長く息を吐いた。
七星の声はしなかった。
少しして、氷織が言った。
「ボール持たせたら分かるやろ。前の試合で何点取ったとか、言い合ってても変わらへんし」
青峰は目を開けた。
「お前、パス出す方もできんだろ」
「蹴るのは、そこそこ」
「さっき、壁の角度見て当てただろ。あれと同じくらいの速さで、前に出せ」
氷織は青峰を見た。
「誰もおらんとこやったら?」
「俺が行く」
「向こうにも一人おったら?」
「俺に出せっつってんだよ」
氷織は返事をせず、青峰のシューズへ目を落とした。鬼ごっこで自分が避けた時、青峰は当たること自体を嫌っていなかった。むしろ当て返すつもりで、逃げるより近づいてきた。
ここでも同じだった。先に難しさを説明して、自分へのボールを減らされるのが気に入らない。
氷織は一つ頷いた。
「じゃあ、明日」
やけに簡単に返事が来たので、青峰はもう一度顔を向けた。
「そこそこ、で済ませんなよ」
「受けてから文句言うてな」
氷織はそれだけ言い、離れた。
青峰は起き上がりかけた身体を戻した。近くにボールがあれば、いま出せと言っていた。だがここは寝る部屋で、練習場の案内は明日になっていた。
新しい相手を待つ時間だけは、小さい頃と大して変わらなかった。
*
七星は消灯までの間、さっき青峰へ話した試合を思い出していた。
配信された映像の、後半の途中だった。
青峰には二人の守備者がついていた。抜こうとしたところへ三人目が身体を入れる。七星なら一度ボールを戻す。相手の足が揃うのを待って、別の場所へ走り直す。
青峰は戻さなかった。
一人目に足を当てられ、前へ倒れかけながらボールを浮かせた。二人目が跳ぶ前に、その下を身体ごと抜ける。落ちてきたボールを左足で撃った。
当時の七星には、なぜボールが足元から離れているのに奪われないのかが分からなかった。何度見ても、守る側は一度ずつ遅れた。次の動きを決めて追いつこうとした時には、青峰がもう別のことをしていた。
七星が覚えていたのはゴールだった。
今日、すぐ近くで見たのは、その後の青峰だった。
生き残ったことを喜ばず、取り返しに来なかった相手に腹を立て、仲間になると言われても顔色を変えない。勝つのだから明るい人なのだろうと、勝手に思っていた。
気さくではなかった。話しかければ何か教えてくれる人でもない。
それでも試合で隣にいれば、あの得点を近くで見られる。
そこまで考えて、七星は顔を上げた。
隣で見るために来たのではなかった。
今日、誰より近くで青峰を見ようとしていた自分は、そのまま終わればいいと思っていたのだろうか。左で撃てた一球を、右へ持ち替えて外した。青峰には、そのことしか聞かれなかった。
「七星くん」
氷織が小声で呼んだ。
「足、大丈夫?」
「あ、はい。当たったとこは、もう」
「よかった。明日、出せるなら右に開いてくれる?」
「何で右なんすか」
「さっき、逃げる時に一番速く出られた方。広いところなら、ボールも運べるんちゃうかなって」
七星は膝へ手を置いた。
右へ逃げる癖は、青峰に狙われた。それでも、相手から離れる最初の一歩は氷織も見ていた。その向きに広い場所があれば、今度はボールを持って走れるかもしれない。
「俺、前にも入りますよ」
「うん。そこで欲しかったら呼んで」
氷織が横になった。
青峰のいる方へ目を向けると、まだ目が開いていた。七星と視線が合う。
「何見てんだよ」
「明日、同じチームなんすよね」
「さっき聞いただろ」
「はい。だから、俺の方も呼んでください。ボール取ったら、前を見るんで」
青峰は少し黙った。
「遅え球、出すなよ」
七星は頷いた。
頷いたところで、何でもできるわけではなかった。けれど明日、青峰へ出すためにボールを持つのなら、まず自分が相手から取らなければならない。
青峰のゴールをそばで眺めるだけなら、ここへ来る前と変わらない。明日は自分からボールへ行く。七星は、青峰に当てられた左の靴へ目を落とした。
*
照明が落ちた後も、青峰は眠れなかった。
寝るにはまだ早い。昼間は移動して、百三十六秒の間に一球蹴っただけだ。せっかくここまで来たのに、まだ蹴り足りなかった。
七星の言った試合を、もう一度思い出そうとした。
芝の色も、相手の番号も浮かばなかった。あの頃の映像には、いくつもの似た得点が残っている。見ていた奴の方が、自分よりよく覚えている。
自分で決めたはずなのに、翌日まで残らない。
青峰は横向きになった。
幼い頃、近所の年上を初めて抜いた日のことなら覚えていた。ゴールには入らなかった。抜いた勢いのまま蹴って、脇のフェンスへ当てた。後ろから追ってきた相手が笑い、シュートまで入れて一本だと言った。
悔しくて、次の日もその相手を待った。
その翌日も来た。
いま同じ顔が浮かばないのは、ゴールを覚える気がないからではなかった。覚えていたくなる試合が減っていた。
廊下で扉の閉まる音がした。
青峰は目を開ける。
この部屋にいない相手も、別の部屋で明日を待っている。呼ばれた三百人のうち、まだ足元を見たのは十一人だけだった。
氷織の一球には、蹴る前の迷いがなかった。
石狩は当てられた後、すぐに当て返した。
それで自分を止められるかといえば、話は別だ。青峰が期待するには、まだ何も足りなかった。それでも、机の上で同じ案内をめくっていた時よりは、明日試せるものがあった。
青峰は寝返りを打ち、扉へ背を向けた。
氷織が蹴れるというなら、最初の一本から前へ走る。届かなければ、こっちから奪いに行く。
止めたつもりになっている相手がいるなら、その目の前でもう一度入れる。
明日も全く同じなら、あの眼鏡の男に直接文句を言ってやる。
そう決めて、ようやく目を閉じた。