ブルーアーカイブ -蒼宙に刻まれた異端- 作:カメオ >o-o<
三年生になったこの日、私は大きな間違いを犯しました。
とても、とても大きな間違いを⋯
私がこの学校に来てから二年が経った。ユメ、ニア、タキナと出会って楽しくなった学校生活が、あと一年ほどで終わってしまう。
ちょっと寂しいけれど、まだみんなと過ごせる時間は残っている。
だから、あと残り少ない時間を新入生と一緒に、後悔のないように過ごそう。
まあ、二度と会えないわけじゃないから、こんなに重く考えなくてもいいかもしれない。考え過ぎかな?
「それで、なんかみんな近くない?」
「普通じゃないかな?」
「普通だと思います」
「…はあ」
私の腕に抱き着く、ユメとニアにとっては普通のことらしい。なんでぇ?
さっきまでただ四人で話し合ってただけなのに…
ユメは右腕に抱き着いてるし、ニアは左腕に上半身を押し付けるようにしている。…ニア、私の匂い嗅いでない?
タキナはなんだか不機嫌そうな顔をしている。
「…前から思ってたんだけどさ、あんたら先輩にくっつき過ぎじゃないか?」
「おや、もしかして羨ましいんですか?」
「タキナちゃんもやりたいの?ごめんね!今はちょっと譲れないね~」
「いや別にそういうことが言いたかったわけじゃない。断じて、違う」
二人に疑いを向けられたタキナが、驚くほどの早さで否定した。別に恥ずかしがらなくてもいいのに。
「先輩!あたしを憐れむような目で見るな!…抱き着くのは好きにすればいいと思うさ。だがニア、人の体臭を嗅ぐのはどうかと思うぜ?」
「え!?ちょっとちょっと、それはダメだよニアちゃん!いくら、リリスちゃんがいつもよりいい匂いがするからってさ!!」
「なっ!?…何が駄目なんですか!仕方のないことないでしょう!?ユメさんも、その豊満な胸をリリス様に押し付けないでください!!リリス様も邪魔に思ってるに違いありません!!」
「うえ!?別に押し付けてなんかないもん!…逆に気持ちいいとか思ってるかもしれないじゃん!?」
「それはないだろ。先輩がそんな下品なこと考えるわけがない」
「こういう時は気が合いますね、タキナ!あなたとは、最初から仲良くできると思ってましたからね!?」
「急に近づいてくるな!離れろ!…おいユメ!あたしを助けろ!」
「タキナちゃん、あなた強いでしょ?自分で何とかしてね!」
「なんでだよっ!なあニア!あいつが先輩を独り占めしてるぞ!?」
「な、なんてことを…!リリス様は私だけのものですよ!?」
「い~や、ニアちゃんだけのものじゃないよ!私のものでもあるんだから!!」
「先輩をもの扱いするなよ…、なんでこんなに騒がしくなるんだ?」
「う~ん、みんな楽しそうだね?」
何をやってるのかわからないけど、とりあえず楽しそうだ。このまま騒がしいこの空気に身を委ねていたかったが、残念だけどもう時間になってしまった。
「はいはい、そこまでにしようね~。もう移動しないと入学式に間に合わなくなっちゃう。みんな後輩を持つことになるんだから、少しは真面目な態度で迎えてあげてね?」
「もう!リリスちゃんは私たちをなんだと思ってるの?」
「そうですよ。れっきとした式典で、ちゃんとしないわけないじゃないですか」
「後輩、か。どう接すればいいんだろうか?」
二人の心配はする必要はなさそう。そして、タキナのその気持ちはよくわかる。
「心配しなくても大丈夫。タキナにも私たち先輩がいるよ。困ったら、頼ってくれればいい。これなら安心でしょ?」
「…そうだな。先輩みたいな人を目指して、あたしも頑張ってみるよ」
タキナの不安そうだった顔が晴れた。これで入学式をちゃんと迎えられそうだ。
「そんじゃ、行こっか!」
「うん!」
「はい」
「ああ」
私たちは、入学式当日には静かすぎる会場に向けて、足を進めた。
会場に足を踏み入れた瞬間、足が止まった。
……何もない。
入学式なら、少しくらい飾りつけがあってもいいはずなのに。壇上にも、壁にも、それらしいものが見当たらない。
それに、椅子の数もおかしかった。
どう見ても、在校生の分しかない。
「……どういうこと?」
誰か教師に聞いてみようかと思ったが、教師たちはみんな揃って雰囲気が良くなかった。
なにかを噛みしめるかのような、悔しそうな顔をしている。話せるような状態じゃなさそう。
「どうなってるの…?」
「…異様ですね」
「…」
ユメたちはこれらの様相を見て困惑している。いや、ユメたちだけじゃない。在校生たち全員が困惑している。
でも、何もできない。何が起こってるかわからないから。
(今日は入学式があるはず…、でもそんな様子が見られない。いったい何が…)
さらに思考を深めようとしたとき、ここまでの日常で一番聞き慣れた声がした。
「全員集まったな。席に着け。今の状況を説明してやる」
父が、リュウが静かにそう言った。
大きな声ではなかったが、少し騒がしかった会場に重く響く。それだけで会場が一気に静かになる。
そんな中、私は困惑して動くことが出来なかった。
(どうして?どうしてお父さんがここにいるの?今朝にも何も言わなかったーー)
「リリス、席に着け」
名指しで呼ばれてやっと気が付く。全員席に着いて話を聞く準備が出来ていた。
そんな一人浮いている状態で、恥ずかしさなど感じられなかった。父の顔を見て恐怖を抱いたからだ。
なにも感じられない。目に光が宿っておらず、顔も無表情で何も読み取れない。
いつもの父からは考えられないような雰囲気を纏っていた。
「っ…はい」
思わず返事をして席に座った。…怖かった。一体何が起こってるの?
「それでは、説明を始める。まず最初に言っておくが、今から伝えることは全て決定事項だ。内容の変更は決してない。在校生全員、無駄なことを考えるのはやめておけ」
やっぱりおかしい。いつもの優しい父じゃない。父ならみんなの意見を聞いたりするはずなのに、それをしないなんて。
…別に悪いことが起こると決まったわけじゃない。今は、父を信じて話を聞こう。
相変わらず感情の読めない顔で、全体を見渡している父を見やる。
そして、その口から衝撃的な言葉が発せられた。
「私がこの場で伝えておきたかったことは一つ、ここハリス中学校を今年中に廃校にすることだ」
「…は?」
あまりに予想外のことで声が漏れてしまう。
ここを、廃校にするって…?何を言っているの?
だって、ここは私たちの学校だ。
みんなが毎日通って、笑って、時には喧嘩して。それでも明日になれば、また同じ教室に集まる。
そんな当たり前の日々が続いていく場所のはずだった。
それを、お父さんが終わらせる?
どうして?
「それに伴って入学式は執り行わないことにした。新入生は入ってこない。これを当日に言うことになったのは申し訳ない」
父はそう言って、頭を下げた。
その姿を見ても、私は何も感じなかった。
謝っている。確かに、謝っているはずなのに。
どうして、そんなにも遠いのだろう。
いつもなら、私が少し困った顔をするだけで気づいてくれた。
何かあれば話を聞いてくれたし、私が間違っていたときだって、頭ごなしに否定することはなかった。
なのに、今は。
私たちの学校がなくなるというのに、父はその理由を何ひとつ話してくれない。
私の知らないところで、すべてが決まっていた。
私だけじゃない。ここにいるみんなも、何も知らされていなかった。
……どうして?
お父さん。
私は、お父さんのことを信じていたのに。
そう思った瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
信じている。今だって、信じたい。
お父さんには、何か理由があるのかもしれない。私たちには話せない事情があるのかもしれない。そう考えようとする自分がいる。
けれど、そうやって父を信じようとするたびに、心のどこかで別の声がする。
それなら、どうして私には何も教えてくれなかったの?
答えはない。
父は淡々と話を続けていた。まるで、私たちの未来を決めたことなど、ただの事務手続きにすぎないとでもいうように。
「学業に関しては心配しなくていい。進路先まで私たち『
心配しなくていい。
そんな言葉で、片づけないで。
私が心配しているのは、進路のことだけじゃない。
みんなが過ごしてきた時間は? これから過ごすはずだった時間は?
私たちがここで笑い合う明日は、どうなるの?
それに――、お父さんは、どうしてそんな顔をしているの?
聞きたかった。問い詰めたかった。いつものように私を見て、ちゃんと説明してほしかった。
――でも、できなかった。
父の表情には、私が知っている感情がひとつも見つからなかったから。
怒っているのか。悲しんでいるのか。それとも、何かを諦めてしまったのか。
分からない。いつもなら分かったはずなのに。
ずっとそばにいた人なのに。
私は今、父のことが何も分からなかった。
父が会場を立ち去ろうとする。
引き止めたい。
行かないで。まだ何も聞いていない。何ひとつ納得できていない。
それでも、私は声を出せなかった。
また感情のままにぶつかって、父を傷つけてしまうのが怖かった。
父にも、みんなの前では話せない事情があるのかもしれない。そう思えば、今は我慢するべきなのだろう。
そうやって、私はまた自分の気持ちに蓋をしようとした。
父を信じるために。父を困らせないために。
……本当は、私だって傷ついているのにーー
「ふざけんなよ…」
体がすくみそうになるような、ドスの利いた声がした。
父が立ち上がり、俯いているタキナに目を向ける。
「なんであんたが一人で決めるんだよ。あたしたちのことは、無視すんのか?」
「…この学校の創設者として当たり前だ。私は企業の方針に従って、今回の決断をした。そこにお前たち生徒の考えなど、必要がーー」
「黙れっ!!」
企業のトップとしての顔をした父の言葉を遮った。
どうして、そんなひどいこと言うの…?
胸の痛みがより鋭くなる。
「あたしたちのことを知ろうともしなかったあんたが!!部外者が!!」
「先輩があたしたちにくれた!!居場所を!!未来を!!奪おうとするなぁ!!!」
「「「っ…!」」」
その叫びに全員が息を吞んだ。私たちに有無を言わせなかった大人に、仲間が一人で抵抗している。
その姿に感化され、みんなも声を上げる。
「そうだよ!ちゃんと説明ぐらいしてよ!!」
「私たちのことを軽く見ないでください!!」
「勝手に私たちの未来を決めるな!!」
「大人としてどうなんだ!?」
「私たちの声を聞け!!」
「っ、お父さんっ!」
私も一緒に叫んでしまいたかった。でも、その気持ちとは反対に私が叫んだのは心配する声だった。
…やっぱり私はお父さんが心配だ。あんなにひどいことを言ったとしても…
「お前らが黙れ」
身の毛のよだつような雰囲気を発しながら、父が苛立ちを込めた声で言う。
「私は時間のある限り、この問題について考えてきた。その決定に文句を言うなど、私たち大人に対する侮辱だと知れ。お前らの我儘に付き合うのはうんざりだ。だからな…」
体の震えが止まらなくなる。
「
身体から、力が抜けた。
怖い。
怖い、怖い、怖い。
何か言わなきゃ。
お父さんに、そんなことを言わないでって。
みんなの未来を、勝手に決めないでって。
なのに。
声が出ない。
違う。声が出ないんじゃない。
逆らってはいけない。
そう、本能が告げていた。
理由なんて分からない。納得もしていない。そんな命令に従いたいわけじゃない。
それなのに、父の言葉に逆らうことを想像しただけで、身体の奥が強張った。
逃げたい。逃げ出してしまいたい。
ここから、一刻も早く離れたい。
それなのに私は、父がそこにいる限り、立ち上がることさえできなかった。
「…失礼」
その声だけが、妙にはっきりと聞こえた。
父は疲れたような顔で背を向ける。
その背中を見ても、私は何も言えなかった。
タキナだけが立ち続け、その背中を睨みつける。
「クソッ、なんて力だっ…!」
拳を握りしめ、去っていく父の背中を、まっすぐに睨みつけている。
声は怒りに震え、その身体もまた恐怖に抗うように震えている。
「意味わかんないっ。あいつのどこに、あんなものが…!」
さすがのタキナでも、耐え続けることはできなかったみたい。吐き捨てるように叫んだ直後、タキナの膝が折れた。
冷や汗が噴き出して、瞳孔も激しく震えてしまっている。
なにか、なにか言ってあげなきゃ。
そう思うのに、私だってまだ、まともに頭が働いていない。
「た、タキナ。大丈夫?」
ようやく絞り出した声に、タキナが顔を上げた。
「先輩っ、あいつは何者なんだっ?」
「…」
「っ?…先輩っ」
…今でも信じられない。必要がないとか、うんざりだとか…、どの言葉も人を傷つけることばかりだった。
「……先輩っ!」
「あっ…」
タキナに呼ばれて、顔を上げる。
何か、言わなきゃ。さっきは大丈夫かと聞けたのに、今度は何も言えなくなっていた。
何だか、とても辛い。何も、考えられない。
「うぅ…ぁぁ」
タキナにかける言葉も、父に掛ける言葉も、何ひとつ見つけられなかった。
あの後、どうやってあそこを出たのか。誰と話したのか。どうやってここまで帰ってきたのか。
今となっては、よく覚えていない。
ただ、父の言葉だけが、ずっと頭の中に残っていた。
『――子供は大人の言う通りにすればいい』
何度も思い返すたびに、胸の奥が重くなる。
どうして、あんなことを言ったのだろう。
どうして、私には何も話してくれなかったのだろう。
考えても、答えなんて出るはずがなかった。
(…まただね。こんなに辛くて、苦しくなったのはさ)
私は、あの時から成長できたのだろうか?
それとも――何も変わっていないのだろうか。
…こんなこと考えてたって、何の意味もない。
お父さんと話をしないと、私は今日のことを受け入れられない。私は、知らなくちゃいけないんだ。
覚悟を決めて家の扉を開ける。
「…ただいま」
…静かだ。でも、気配でわかる。お父さんはそこにいる。
だけど、いつもの『おかえり』の言葉さえ帰ってこない。
もしかしたら父の様子がおかしいのは気のせいかもしれないなんて、考えなければよかった。
今日起こったことは全部本当のこと。受け入れるしかないんだ。
「…」
リビングまで足を進めて、そこで座っている父を見つけた。父の様子は何一つ変わってないどころか、よりひどくなっていた。
感情のない顔に、疲労感がひどく滲み出している。
今日の時のような雰囲気はないけど、不気味なことに変わりはない。
「お父さん」
「…」
何も言ってくれない。それが私に更なる痛みを起こす。
いつもなら何らかのリアクションを返してくれるのに、身動ぎすらしない。
どうして?
「お父さん?」
「…」
もう一度、声をかけてみる。
それでも、父は何も答えなかった。
聞こえていないはずがない。こんなに近くにいるのだから。
それなのに、まるで私がそこにいないかのように、父は黙ったままだった。
「……お父さん、聞いてる?」
「…」
返事はない。
胸の奥が、じわじわと苦しくなっていく。
何か言ってほしかった。
怒っていてもいい。疲れているのなら、そう言ってくれるだけでもいい。
いつものように、私を見てほしかった。
けれど、今の父は何も返してくれない。
「……今日のことなんだけど」
口にした途端、喉が詰まった。
聞きたいことは、たくさんある。
どうして学校を閉めるのか。どうして誰にも相談しなかったのか。どうして、あんな言葉を口にしたのか。
でも、一番聞きたいことを、私はまだ言えずにいた。
――どうして、私には話してくれなかったの?
その言葉を伝えようか迷っていると、おもむろに父が口を開いた。
「…仕方のないことだ。お前が知ったところで、何も変わらない」
「…変わらないって、なにが?」
「ここアビドスの状況だ。お前はこの地の助けになりたいと言った。なのに助けになるどころか、知ろうとすらしなかった。それで、私に何を言うつもりだ?」
「っ…」
私が、知ろうとすらしなかったから…?
…確かにそうだ。私はアビドスについてほとんど知らない。せいぜい、砂嵐が頻繁に起こることぐらいだ。
それでも…、私が知らなくていい理由にはならないでしょ。
「…そうだよ、私は知ろうとしなかった。でも、今は知りたい。だから教えてよ。なんであんなこと言ったの?」
「…言えない」
「…え?」
…は?言えない?
初めて、父に拒絶された。
父は、いつでも頼ってくれていいと言ってくれた。
困ったときは、頼っていいんだって。
ひとりで抱え込まなくてもいいんだって。
それは、今じゃないの……?
胸がひどく痛い…、締め付けられてるみたい…。
「…言えないって?」
「言っただろう。教えたところで変わらないってな」
…何よそれ。そんなの、意味が分からない。
「…廃校にするのはなんで?」
「…」
「だからと言って、新入生がいないのは?」
「…」
「私たちの、居場所は…?未来は…?」
「…アビドスのためだ。そこにお前たちの境遇など、関係ない」
「っ…!」
自然と体に力が入ってしまう。
アビドスのために、私たちから奪おうとしている…?
なんで
そんな理由で廃校にするなんて、理解できない。
そんなことをする方が、アビドスのためにならないでしょ。
まだ、なにか隠してる。
そのことに、胸の奥の何かが揺れ動く。
まだ何かを隠している。そう直感した私は、『怒り』を込めて叫んでしまった。
「なんで教えてくれないの!?私のことが信用できないの!?」
「…すべては、お前のためだ。私はお前を一番大切にしている」
「……だったら」
声が震えた。
「だったら、どうして何も教えてくれないの……?」
大切にしている。
その言葉は、何度も聞いてきたはずだった。
私だって、お父さんが私を大切にしてくれていることは知っている。
……信じていた。
だからこそ、分からなかった。
私のためだと言うのなら、どうして私は何も知らされないの?
どうして、私の居場所がなくなることを、私だけが何も知らずに受け入れなきゃいけないの?
私のためだと言うのなら。
私が大切だと言うのなら。
どうして、私の気持ちは聞いてくれないの?
どうして、私たちの未来を、私たち抜きで決めてしまうの?
「……そんなの、私のためなんかじゃないよ」
「みんながいない未来なんて、私は生きていけないよ…」
ユメたちがいてくれたから、今の私がいるんだ。
彼女たちがいなかったら、どうなっていたかわからない。
そんな大切なものなしでなんて、私は絶対に嫌だ。
「…すべてを平等に救うことはできない。そんな贅沢な考えは身を滅ぼすことになる」
贅沢……?
私は、ただみんなと一緒にいたいだけなのに。
それが、贅沢なの?
ユメたちがいてくれたから、私はここまで来られた。
みんなと過ごした時間があったから、今の私がいる。
それなのに、お父さんは――。
「……お父さんにとって、私たちが一緒にいることは、そんなに無駄なことなの?」
「…」
「答えてよ」
「…」
「もう、隠さないでよ」
「…私はーー」
「これ以上!!私に不安な思いさせないでよ!!」
声が、部屋に響いた。
言ってしまった。
お父さんに、こんな声を上げたのは初めてだった。
それでも、止められなかった。
もう、何も分からないままなのは嫌だった。
何も教えてもらえないまま、大切なものを失うのは嫌だった。
「……お願いだから」
さっきまでの勢いが嘘のように、声が小さくなる。
「……ちゃんと、話してよ」
やっと、私の本音を口にすることができた。
もう、限界だった。
今の私は、軽く怒鳴られただけでも、きっと泣き崩れてしまう。
それでもよかった。
怒ってくれてもいい。
慰めてくれてもいい。
何でもいいから、何か言ってほしかった。
私の不安を取り除いてほしかった。
いつものように、安心させてほしかった。
けれど――。
「…すまない」
「ぁ……」
その一言を聞いた瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
違う。
私が聞きたいのは、そんな言葉じゃない。
どうしてなのか、教えてほしかった。
これからどうなるのか、話してほしかった。
私たちのことを、ちゃんと見てほしかった。
なのに、お父さんは何も教えてくれない。
…もう、ここにいたくない。
お父さんと、これ以上話したくない。
これ以上ここにいたら、もっと傷ついてしまう。
今はただ、この苦しさから逃れたかった。
私は、衝動のまま家を飛び出してしまった。
「リリスっ…!」
呼び止められたかもしれない。何か言ってくれたのかもしれない。
でも、もう遅いの。
私は、もうお父さんのことを信じられなくなっちゃったから。
「…はは、嵐が来そうだね」
今の私の心のような空模様だ。分厚い闇に覆われて、元の青く澄み渡った空が見えなくなっている。
もう夜になってしまう。
この辺りは、夜になるととても寒くなるからね。早く家に帰らなきゃ。
「あ…、もう私の家はないんだった」
たった今出ていったばかりだ。
父も私のことを受け入れてくれないだろう。私のことを信用してくれてないんだから。
「…ユメちゃん。今は頼らせてもらおうかなぁ」
ここから一番近いところに住む友達の家に向かって、足がもつれながらも、ユメの家へ向かった。
私は、お父さんのことを疑ってしまったんだ。
十一月九日
第十話 あなたにだけ、弱い私を
『もう、一人にしないから』