◆
あれから、どれほどの時が経ったのだろうか。
…いや、数千年も経っていないだろう。
たったこれっぽっちで頭まで堕ちきったわけではない。
今も、私は地の底を彷徨い続けている。
世界の底には光など来ない。
ふと顔をあげても、そこには見慣れた闇が広がっているだけ。
本来であれば、この体は目に頼らなくとも周りの状況は気配で把握するのは容易だが…悪性情報だらけの空間ではそうもいかない。
肌に触れるだけで体を内側から蝕んでいくそれを把握するのは自殺行為、精々手の届く範囲の状況を理解するのが関の山だった。
腐っても元天使とはいえ、ここの空気はそれほどのもの。
唯一確かなのは私という存在だけ。
…しかし、苦ではない。
「……あぁ」
私の変化は、時を経てもその衝撃を色褪せなかった。
内側から響いてくる情動。
自らが自分自身の思考に影響され、絶えず揺れ動き、微動する。
……面白い
なんてすばらしい物なのだろうか。
とりわけ、恨みという感情は別格だ。
あの忌々しい…考えるのも嫌だというのに、それに感情をぶつけ、体の感情を燃え上がらせる。
愚行とも言えるそれを反復し続け、身を焼くほどに燃え上がらせていく。
「……ふふ…あははははは!!」
最悪で最高の気分だった。
自分が自分でなくなる、心が変質していく。
変化は……なんと愉快なものか。
今までのように、変化を受け入れれば__
グォォォォ~!
「……え?」
かすかに聞こえたそれは、しかし悍ましい空気を越えて鮮明に届いた。
内側に傾倒していた意識が、だんだんと外側に戻っていく。
「…この声は…」
気づけば、私はその声の方向に飛んでいた。
この地の底で飛ぶのは初めてだ。
いつもは歩くか座り込むかだけであった。
…仲間が欲しいのか、興味が湧いただけなのか、自分でも分からない。
ただ、これを逃してはいけないと思ったのは確かだった。
◆
その声だけを頼りにしばらく飛んでいると、声が段々と近づいてくる。
どうやら、向こうもこちらに移動しているらしい。
もうすぐ認識できると思った刹那、
『わ~! やっぱり誰かいる~!』
「えっ…? おぶっ!?」
ガシッ!
何かに飛びつかれたと認識した瞬間、私は地に堕とされていた
いや、乗られていた。
『いたいたいたいた~! 誰!? 誰~!?』
「ぐ…あ……どきなさい!」
『ぐひゃあ~!?』
ヒュ~…ズザァーッ!!…
『なんで~!?』
ポーンと宙を舞い、地に激突したそれの言葉を無視し、改めてその存在を認識する。
それは女の子だった。ただ、その体の大きさは、規格外という他なかった。
丸太のように太く長い引き締まった脚、立派な二つのお山、何より大きさは私の体躯
でも、どこか見覚えが……創った一個体じゃなく、もっと根本的な……
「……私のような元天使ではないみたいね。一体、どうしてここに.? 見た所、色々言いたいことはあるけど、普通の生物みたいだし」
『え~? う~ん…わかんない! 気づいたらここにいたの~!』
……明らかに悩んでないわね。
ここまで直球なら、分かりやすくていいわ。
『というか、君って天使様~!? すごいすご~い!』
キャッキャと無邪気に笑うその姿は、この地の底には場違いなほどだった。
(……いや、それよりも)
「…私達を知っているの?」
この世を創ったのは神と私達。
でも、私達を知ってるものはいない。
当たり前よ。
産んだまま現れない母なんて、子は覚えてない。
というか、そうなるように創ったもの。
第一、直接創った個体ももうみな死んでいる。
『当たり前だよ~! だって、ボクは神様から生まれたんだもん! 天使様もたくさんボクのこと見てくれてたし~!』
…神から?
「…信じがたいわね。生き物はみんな天使が創るもの。神が創るものなんて、この世の理ぐらいよ」
でも、確かにこの子には何か引っかかる。もっと根本的な違和感が…
『ねね、天使様~! ボク、ずっと一人だったんだ~! これからは、天使様と居ていい~!?』
「貴女と? そうね…」
凝りもせず近づいて頭をすり寄せてくるその子をいなしながら、思考する。
この底では失うものもない。この子といても悪い事はないだろう。
それに……また変化を味わえるかもしれない。
「…良いわよ、好きにしなさい。あと、これからは私を天使なんて呼ばないで。私の名前は、ゴ『分かった~! ご主人様って呼ぶね~!』…それでいいわ」
『わ~い! ご主人様ご主人様~!!』
グイグイグイグイ
「…また乗ってくるのはやめなさい。投げ飛ばされたくなければね。それより、貴女の名前は?」
『え~? う~ん…わかんない! せっかくだし、ご主人様が決めて~!』
名前…そうね
「…マルドゥ、でどうかしら。特に名前に意味はないけれど『マルドゥ!? かわいい~! やったやった~!』.好きにしなさい」
『マルドゥマルドゥマルドゥ~! やった~!』
グイグイグイ、ノシッ!
「ぐ…!? …やめなさいっ!」
『うひぃえ~!?』
ヒュ~…ズザァーッ!! …
『ひどいよご主人様~!』
ポーンと宙を舞い、地に激突したそれの言葉を無視し、向き直る。
「これからよろしくね、マルドゥ」
私が差し出した小さな手をつぶさんばかりの力で、大きな手が乗った。
『うん~! これからよろしくね、ご主人様~!』
…この変化は、思っていたより大きいようね
◆
それから、マルドゥとの日々が始まった。
といっても、やることは何も変わらない。
ある日は宛てもなく彷徨い続け、ある日はその場に寝転がり続ける。
だが、不思議と悪くなかった。
今までのような感情への興味は収まり、憎悪は燃え続けているものの、私の身を焦がすことはなくなった。
それは『ご主人様~! もっと乗って乗って~!』
「…はいはい」
マルドゥは恐ろしいまでに何も変わらなかった。
どんな時でも騒がしく、尽きることない明るさ。
おかげで、変化することのないその在り方も、良い物だと思えるようになった。
…この子の場合は少し、いやだいぶ度が過ぎてるとも思うが。
『ん~、もっと右の方乗って~。…あ~そこそこ~!気持ちい~!』
「…飽きないわね、ドゥ。毎回私を背中に寝そべらせるのは辛くないのかしら? まぁ、私としてはこの地に寝そべるよりうんと楽だから助かるのだけれど」
『辛くないよ~! むしろ落ち着く感じ~。ご主人様の体、柔らかいし温かいから気持ちい~』
…喜べばいいのかしら、この扱い。
もう、マルドゥと出会ってから数千年は経過していた。
すっかりお互いに慣れ、マルドゥのことも理解できた。
理解できたが…この子の正体については少し自分でも信じれていない。
考えた以上あれ以外にないのだが…あまりにも規格外すぎる。
『ご主人様~?いきなり黙ってどうしたの~?』
「…何でもないわ、気にしなくて大丈夫よ(なでなで)」
『えへへ~、なら良かった~』
……まぁ、それもどうだっていい。
こうしてドゥが居てくれるだけで、私は充分。
『…ん~? あれ~?』
「…どうしたの? いきなり上を向いて」
『ん~…なんか、ピカピカしてる~』
相変わらずふわふわした表現ね。
…ピカピカ?
「!!!」
すぐさま上を向き、把握距離を最大にする。
悪性情報が頭に入り込んで蝕んでくるが、その痛みすら今は気にかからなかった。
「外…だ…」
遠く遠く.頭上の果ての果て。
暗黒の掃き溜めに、一筋の光が差し込んでいた。
この作品の一番のイレギュラーが出てきました