イージィのライブハウスで一夜を明かしたあたしは、がさがさした物音で目を覚ました。
音のする方を見れば、黒髪の人が悪態をつきながらゴミを拾っている。
「はぁ、お客さん泊めるなら少しは片付けてほしいんですけど」
黒髪さんは床の上の金髪がはみ出した寝袋を睨み、空き缶を投げつける。空き缶はイージィの額に直撃コースで飛んだけど、衝突寸前の寝返りで躱された。すごい。
「チッ……起きてンなら手伝ってくださいよー」
舌打ちする黒髪さん。黒づくめの服にピアスが目立つ若干威圧的なファッションだけど、怒っているより呆れているような言い方だ。寝起きでぼんやりしている所為かもだけど、怖い人には思えなかった。
「おや、起こしてしまいましたか。おはようございます」
「あ、おはようございます。えーと、ここのスタッフさんとか、ですか? イージィの知り合いとか」
「あぁ僕は──ん? ……イージィ? あの人、そう名乗ったんですか?」
黒髪さんが意外そうな表情になる。やっぱり本名じゃないっぽい。それも特別な意味があるみたいだけど、向こうから名乗ったんだからあたしが気にすることはない。そう開き直ることにした。
「そうです。あたしは伊地知虹夏って言います」
「……なるほどそーいうことですか。完全に理解しました」
黒髪さんは私の名前を聞いた途端、少し目を見開き、納得したように頷いた。イージィと似たリアクションだけどこっちの世界の有名人の名前だったりするのかな。
「じゃあ僕は……〈アルト〉で。よろしくお願いします」
「よろしくおねがいします」
ぺこりと会釈して、差し出されるまま握手した。
「お察しの通りここのスタッフで、音響とかやってまーす」
「……営業してねぇから無職だろ」
寝袋からモゾモゾはい出しながら、イージィが口を挟んだ。
「しかし〈アルト〉、ね」
「なんですか〈イージィ〉」
「お前はいつも通り店長って呼べ」
「営業してないのに?」
「うるせぇな」
含みのある言い方。やっぱりこの人も本名じゃないっぽい。そういう文化なんだろうか。
「どうせまたロクなもの食べてないだろうから色々持ってきたんですけど、お客さんいるならもうちょい多めに買ってくればよかったですねぇ。あ、虹夏さんこれどうぞ」
「ど、どうも。いただきます」
アルトさんが手渡してくれたのはコッペパンとペットボトル入りの水。昨日から何も食べてなかったのを思い出して、すぐにいただくことにした。贅沢を言える状況じゃないけど、パサついたコッペパンとぬるい水の味はちょっと寂しい。
イージィも投げ渡されたパンをキャッチすると、無味のパンに飽き飽きしてるのが丸わかりの退屈そうな表情でモソモソと齧る。そのまま口だけでパンを咥えて腕時計をいじり始めた。行儀悪いなぁ。
「あれ、腕時計2つ?」
つい口に出してしまったけど、よく見るとイージィは両手首に腕時計をつけている。
「これは……あれだ、予備のやつだよ」
何やら精密ドライバーを差し込みながら、視線も合わせずイージィが答える。絶対嘘だ。そもそも腕時計じゃないのかも。
「あ、そうそう店長。やっと見つけましたよコレ」
そんなあたしをよそにアルトさんがゴトっと置いたのは重々しい金属部品。若干煤けて端子っぽい部分も少し歪んでいる。中古品なんだろう。
「無駄なもん買ってきやがって、いくらしたんだ」
「ジャンク屋の皆さんはタダでいいってぇ……」
「ぜってぇ嘘だろ」
「営業再開したら一日飲み放題にしてくれるだけでいいらしいですよ」
「返してこい」
「重いから嫌でーす」
イージィの視線をひらりと躱しながら、アルトさんはピンと来ていないあたしに説明し
てくれる。
「あぁ、何の話か分からないですよねー。これはトランスといってアンプの部品です。心臓部と言ってもいいですねぇ」
「へぇー」
つまり修理部品らしい。このライブハウスは建物こそ崩れてないけど、機材は勿論ステージ自体の傷もひどい。割れて焦げて凹んでとめちゃめちゃで、銃で撃たれたっぽい穴がいくつもある。廣井さんの狼藉が子供のイタズラに思えるくらいだ。
「常連さんからのお見舞い……いや催促の品ってことですか? 早く営業再開してね的な」
「察しがいいですねー虹夏さん。その通りです。結構人気だったんですよここ」
「昔の話だろ。今はこの有様だ。アンプの一つや二つ直したとこで客が戻ってくるもんか」
イージィは投げやりにそっぽを向く。
「だいたい
「ところがそうでもないんですよねー」
アルトさんがにやっと笑ってチラシの束を置く。紙面には『UNシティ復興フェス』の文字。終戦記念? みたいなイベントらしい。
「自治会で民主的かつ平和的に話し合った結果、ここでやることになりました。一週間あるので頑張って建て直しましょー」
「ふざけんな聞いてねぇぞ!」
「会合誘ったのに"俺が行っても意味ねぇだろめんどくせぇ”ってサボったのは店長ですよね?」
「クソが! こんな廃墟でやれるもんならやってみろ! 暇人どもが余計なイベント考えやがって!」
イージィは早口で何か言いながらフライヤーをぐしゃぐしゃに丸める。多分すごい汚い言葉だ。そのまま床に投げつけようとしたところであたしと目が合って、振り上げた手を下した。
「……なんだよ。文句あんのか」
「……」
あるかないかでいえば、ある。イージィの言葉にちょっと引っかかる所があった。でもほとんどイチャモンというか憶測というか、右も左もわからない世界でふとSTARRYのことを連想して、ちょっとイラっとしただけだとわかっている。こんな八つ当たりみたいな言葉は引っ込めておくべきだ。
「あたしはその……別に……」
「言えよ」
でも、イージィは聞くだけ聞いてやるって感じでため息をついた。少し迷ったけど、アルトさんも続きを促すように頷いている。ええい! 言っちゃえ!
「コッペパンって味しないじゃないですか。お腹にたまればそれでいいって考え方もあるけど、やっぱりジャムがないのは寂しいっていうか」
「……」
「……はい?」
アルトさんが首をかしげ、イージィもピンと来ていない。例え話のチョイスを完全にミスって内心うわーってなるけど、もう全部勢いで押し切ることにした。
「あたし部外者で、この街に何があったか全然知らないしわかんない立場だけど! でも〝暇人の余計なイベント〟って言い方、カチンと来てて! 音楽って暇なときにだけ聞くもんじゃないってあたしは思う! チルいやつもあるけど そうじゃなくて! 音楽は! ロックってのは! 辛いときとか余裕ないときこそ元気をくれるみたいなところあって! 必要なものだけじゃ人間生きてけないっていうか!」
自分のことでもないのに、知らない人たちのために勝手に怒ってバカみたいだと自分でも思う。でも今更止められない。勢い任せの拙いフィルインみたいな言葉を吐き出す。
「うまく言えないけど、余計で何が悪い! って言いたい! 企画した人たちは空元気を本物にして頑張りたいって気持ちだったんじゃないかって! …………いや、その、ぜんぶあたしの想像なんだけど……えーと、はい、以上……です」
「……」
「……」
沈黙が漂う。完全にやらかした。ぼっちちゃんがゴミ箱に籠りたくなる気持ちが今なら痛いくらいにわかる。
「……悪かった」
「あっはいごめんなさい生意気なこと言いました一晩泊めてくださったのに恩知らずですみませんすぐ出ていきますので……今なんて?」
「だからオレが悪かったって! 確かに言い過ぎだった」
気まずそうに頬を掻きながらイージィが頭を下げる。アルトさんはよく言ってくれましたって感じでガッツポーズしてくれた。
「あと行く宛てもないのに適当なこと言うのはマジでやめろ」
「心配なので当分ここで寝泊まりしていいと言ってまーす」
「言ってねぇ! その…………ほら。ここでフェスやんなら人手がいるだろ。そんだけだ。そんだけ」
そう言いながらそっぽを向くイージィと、素直じゃないですねーとからかうアルトさん。そんな二人を見て、思わず笑みがこぼれた。なんだかSTARRYで見たようなやり取りだったからだ。
「ふふっ」
「何笑ってんだ」
「べっつにー」
不思議そうなイージィをよそに、あたしは姿勢を正すと一礼する。
「改めて、しばらくお世話になります!」
「ん」
その返事はやっぱり素っ気なくて、あたしはまた少し笑ってしまったのだった。
To be continued…
*ノニ・ソロ・パネ・ヴィヴィト・オーム
Non in solo pane vivit homo.「人はパンのみにて生くるものにあらず」
申命記8章3節にあるモーセの言葉であり、マタイ福音書4章4節にも引用されている。ちなみにコッペパンは和製語で、切り込みを意味するフランス語coupéに由来するという説がある。