絵を描き続ける理由   作:とばりん

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一章 泥の底で、生を描く

 

 

 

「…はぁ、またダメ、か……」

 

 

 

 

 

_________深夜2時。

 

 

 

 

静まり返った自室で、絵名は投げ出すようにデッサン鉛筆を机に置いた。

イーゼルに立てかけられたキャンバスには、何度も描いては塗り潰した痕跡が残り、痛々しい黒ずみを作っている。

 

 

高校2年生になってから、絵画教室での評価は伸び悩む一方だった。

 

『東雲さんが何を表現したいのかこの絵からは伝わらないですね』

雪平先生の冷ややかな声が、頭の中で何度も嫌な音を立てて再生される。

 

 

 

才能のある人たちは

もっと自由に、

もっと楽しそうに、

自分の世界を世界に叩きつける。

 

 

 

なのに自分には何もない。

どれだけ描いても、

削られるのは削れた鉛筆の芯と自分の心だけ。

 

 

(悔しい、痛いよ……。私を見てよ…私だって……!)

 

 

 

胸の奥が焼きちぎれるような惨めさと絶望。

 

 

その時だった。

 

 

部屋の暗がり、イーゼルの影から『黒い泥』のようなものがじわじわと滲み出てきたのは。

 

 

 

 

 

 

 

「―――ギ、ギ……価値の……ない…絵……消せ……消えろ…………」

 

 

 

 

不快な、粘つくような声。

 

黒い泥は人の形を歪に模り、粘着質な腕を伸ばして絵名の首元へ迫ってくる。

 

 

 

(え…なに、これ……!夢……!?)

 

 

 

恐怖で喉が引きつる、

声が出ない、

足はガタガタと震え、

逃げ出すことすら叶わなかった。

 

 

泥の腕が首に触れ、冷たく不快な感触が肌を撫でる。

 

 

_______死の匂い。

 

 

 

息が吸えない。

 

 

 

(死ぬ……?私、ここで……こんなところで殺されるの……?)

 

 

脳裏をよぎったのは、死への恐怖だけではなかった。

それ以上に激しく胸を焦がしたのは、圧倒的な拒絶だった。

 

 

 

何者にもなれず、

 

誰にも本当の評価をされないまま・・・

こんな訳のわからないバケモノに惨めに殺されて消える?

 

 

私の人生が

 

私の存在が、

 

 

なんの証も残せないまま終わるなんて

 

____絶対に嫌だ!!

 

 

 

絵描きなら、表現者なら。

死ぬ最後の瞬間まで・・・自分がここに生きていた証を遺してから死ね!

 

 

 

「……なめ…ないでよ……っ!!」

 

 

 

 

 

 

死線の中で、絵名の瞳に凄まじい眼光が宿った。

首を締め上げる泥の手を振り払い、

絵名は机に飛びついた。

 

逃げるためじゃない、キャンバスに向かい

固く握りしめたのは一本の筆だった。

パレットの絵の具を、我忘れて筆に擦り付ける。

 

 

 

描くのはただの逃避でも奇跡の祈りでもない。

美しく、

誇り高く、

どんな泥の中でも気高く立ち咲く、

私の中の「強さ」。

 

 

絵画教室で否定されようとも、

誰に理解されなかろうとも、

私の中に確かに存在する美しき執着―

 

 

 

 

 

「私のっ...私の生きた証を……刻んでやる……っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

キャンバスへ、叩きつけるように筆を走らせる。

 

 

描かれたのは、深紅の薔薇と鋭い棘の蔓を身に纏い今にも飛びかからんとする一匹の美しく強いキツネ。

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間、絵名の手元から眩い光と、洗いたての花のような甘い香りが爆発した。

 

 

 

 

『―――クルゥッ!!』

 

 

 

 

 

キャンバスを破って飛び出してきたのは

絵名が絵に命を吹き込んだキツネだった。

「・・・えっ...な、なに...」

 

 

 

 

 

 

キツネは美しい棘の蔓を鞭のように振るい、

襲いかかってきていた泥の化け物をガッチリと縛り上げると、一瞬で圧殺して破裂させた。

 

 

泥は黒い煙となって消え去り、部屋に静寂が戻る。

 

 

 

「はぁ……っ、はぁ……っ、は……」

 

 

 

 

肩で息をする絵名の足元へ

トコトコと軽い足音が近づいてきた。

 

 

 

「……あ……」

 

 

 

キツネが絵名の膝の上にぽん、と乗ってくる

 

全身に鮮やかな絵の具を纏っているように見えるのに絵名の服や肌には一滴も汚れがついてない。

伝わってくるのは温かく、確かな『命』のぬくもりだ

キツネは絵名の手に、愛おしそうに頬をすり寄せてくる。

 

言葉ではないけれど、直接胸に伝わってきた。

 

『私を生んでくれてありがとう

私があなたを護るから。』

 

 

「あ……ぁ……っ」

 

ぽろぽろと、大きな涙が溢れ出た。

 

 

 

誰かに認められたかった。自分の存在を肯定してほしかった。

 

自分が死に際して命懸けで吐き出した「生の証」が、こんなにも美しく愛おしい姿となって自分を肯定してくれている。

 

 

「ありがとう……っ、ありがとう……!!」

 

 

 

絵名が号泣しながらキツネを強く抱きしめた、その時だった。

 

 

「やあ。夜遅くに失礼。いやー、素晴らしい

デッサン力だねぇ」

窓の縁にひらりと腰掛けていたのは――目元を黒い布で覆った、背の高い見知らぬ男だった。

 

 

 

 

 

「だ、誰……!?」

 

 

 

 

「不審者じゃないよ。僕の名は五条悟。東京都立呪術高等専門学校の教師さ」

 

 

五条は軽快に部屋へ足を踏み入れ、絵名の膝の上のキツネを興味深そうに覗き込んだ。

 

「君、素晴らしい術式を持ってるね。死の直前に『自分の生きた証を遺す』という強い執着と呪力が噛み合って、ただの式神じゃなく『ひとつの完成された命』として定着しちゃってる」

 

 

「じゅ、術式…?高専……?」

 

「そう。君が描いた力は、呪いを祓う特別な才能だ。でね――」

 

 

五条は目隠しの奥でニッと楽しそうに笑った。

「その才能と情熱、もっと広い世界で試してみたくない? 君の命の表現を、本当に必要としてくれる場所がうちの学校にはあるよ。…ただし、全寮制で今の高校は辞めてもらうことになるけど」

 

 

全寮制。

今の高校を辞める――。

 

 

 

絵名は抱きしめたキツネの温もりを感じながら、自分の手を見つめた。

高校のこと、家族のこと、ニーゴのこと。

 

頭をよぎるものはたくさんあった。けれど、一度自分の命を吐き出して描いてしまった以上、もう「何者でもないフリ」をして生きる過去の自分には戻れない。

 

 

 

 

 

 

 

「……行くわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

涙を拭い、絵名は五条を真っ直ぐに見つめ返した。

 

 

 

 

「私……自分の絵から、もう逃げたくないから」




_________
術式の特質が「呪霊の自己産生(生み出すこと)」に直結している
普通の非術師は「漏れ出た負の感情が集まって、時間をかけて街の影で呪霊になる」だけです。

しかし絵名の場合、「描く・生み出す」という術式そのものが覚醒しかけていたため、本人の強烈な感情(情熱・コンプレックス)がそのままダイレクトに強力な呪霊として即時具現化してしまったという点です。
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