黒塗りの車が止まったのは山あいにひっそりと佇む廃病院のまえだった。
「おい、ついたぞ」
助手席から軽快に降りてきたのは、ポニーテールに眼鏡をかけた凛々しい少女――
禪院真希だった。
肩に巨大な薙刀状の呪具を担ぎ後ろを振り返る。
「おい、遅れるなよ東雲。
足元に気をつけろ」
「……言われなくてもわかってるわよ」
後部座スクから降り立った東雲絵名の足元には、静かに一匹の狐が寄り添っていた。
その姿は、水彩絵の具が水に溶け出すような
幻想的なグラデーションを纏っている。
鼻先から耳にかけては深い夜のインディゴ(濃紺)、そしてしなやかな胴体から尾の先にかけては切ないほど鮮やかな茜色へと美しく溶け込んでいた。
絵名が命を与え、具現化させた彼女の相棒だ。狐は「キュゥ」と小さく喉を鳴らすと絵名の足首に尾を擦り付け離れようとしない。
「へえ……それがお前の『作品』か。変わった式神だな」
真希は絵名の足元の狐をじっと見つめたあと、絵名の華奢な腕と頼りない足元に視線を移した。
「だが身体の使い方は完全に素人だ。
今回の任務はせいぜい三級の低級呪霊の祓除だが…足を引っ張るなよ」
「……っ、分かってるわよ」
絵名はスケッチブックを強く抱きしめた。
真希の視線に含まれる「お前に戦えるのか」という疑念。それが、絵名の奥底にある「なにか」を逆撫でする。
(また……これ? あいつと同じ、
まふゆと同じ...
みんな私を『持たざる者』として見る……)
二人は重い引き戸を押し開け廃病院の暗闇へと足を踏み入れた。
「報告にあった呪霊はこの二階の病室あたりに溜まってる三級が数体だ。チャッチャと終わらせるぞ」
真希が慣れた手つきで呪具を構え、廊下を進む。
絵名の隣を歩く狐がふと耳をピクリと立てた。毛並みのグラデーションが、まるで警戒するようにうっすらと光を帯びる。
「……? 待って、なんか変――」
絵名が声をあげたその瞬間猛烈な圧迫感と腐敗臭が廊下全体を包み込んだ。
ガタガタガタッ!!
「ぐあぁぁぁ……ぅゔ...っ!」
壁を破って現れたのは巨大な腕が無数に生えたグロテスクな異形だった。
放たれる呪力の密度が三級のそれとはまる切り違う。
「チッ……!階級詐称かよ!こいつ、準一級レベルだぞ!?」
真希が素早く前へ躍り出で薙刀で呪霊の巨腕を弾く。
しかし、圧倒的な質量と間切れのない連続攻撃にさすがの真希もじりじりと後退を余儀なくされた
「東雲!お前は下がってろ!こいつはお前の手に負える相手じゃ――」
「言われなくても……わかってるわよ!」
絵名は逃げなかった。
恐怖で足がすくみそうになりながらもスケッチブックを開き、ペンを握りしめる。
足元にいた黄昏色の狐が、絵名の決意に応えるように「ガアッ!」と鋭く威嚇の声をあげた。普段は小さなペットのように寄り添っている狐が、絵名の呪力を受けてしなやかに躍動する。
「いけっ……!」
絵名がキャンバスに猛烈な勢いで「鋭利な軌線」を描き足す。
次の瞬間、狐の爪に茜色の光を纏った鋭い刃が宿り呪霊の巨腕の一本を深く切り裂いた。
「ギィヤアアアッ!?」
「……なっ!?」
真希が目を見開く。
素人同然の動きのはずなのにその攻撃には途方もない「意地と執着」が乗っていた。
だが準一級の呪霊は怯まない。傷口から無数の触手を噴出させ、絵名と真希めがけて同時に襲いかかってきた。
「東雲っ!」
真希が絵名を庇うように割り込むが
呪霊の強烈な一撃を浴びて壁際まで吹き飛ばされる。呪具が手から離れ床に響かしい音を立てて転がった。
「くっ……!」
「禪員さん……!」
呪霊の巨大な影が絵名の上に覆いかぶさる。
恐怖で呼吸が浅くなる。
指先が震える。頭の中で過去の冷たい言葉たちがリフレインする。
『おまえには、才能がない』
『絵に何も感じないですね』
(ああ……まただ。また私は誰かの足手まといになって、才能のなさを突きつけられて
ここで終わるの?)
「ふざけないでよ……っ!!」
絵名は叫んだ。喉が引きちぎれるほどの、叫びだった。
「才能がないなんて……自分が一番わかってるわよ!!」
その叫びに、真希がハッと息をのむ。
「上手い奴なんていくらでもいる!私がどれだけ描いても追いつけない天才だって……すぐ近くにいる!でも……でもだからって、諦めてたまるか!!」
絵名は目から溢れそうになる涙を力任せに拭い真っ直ぐに呪霊を睨みつけた
「私が・・・私でいるために……!私の存在を、私の絵を認めさせるために……私はここに立ってんのよ!!」
言葉とともに、絵名の身体から狂おしいほどの呪力が噴き出した。
足元の狐が、歓喜するように長鳴きする。
夕焼けの茜色と夜の濃紺が鮮やかに混ざり合い、美しくも恐ろしいまでの輝きを放つ。
「私を……見くびるんじゃないわよッ!!」
絵名がスケッチブックに一閃の線を引く。
黄昏色の狐は閃光と化し呪霊の懐へと飛び込んだ。
絵名が描き出した「強烈な軌跡」通りに、
狐は呪霊の核を正確に切り裂いて駆け抜けた。
ドォン……ッ!
巨大な異形が、悲鳴をあげる隙すらなく、二つに裂けて黒い霧へと昇華していく
静寂が戻った廊下で絵名は肩で息をしていた。
黄昏色の狐は静かに絵名の元へ戻ると何事もなかったかのように絵名の足元に擦り寄り、ポンと尻尾を振った。
「はぁ……はぁ……っ」
膝から崩れ落ちそうになった絵名の腕を、誰かがガシッと支えた。
見上げると、そこには自分の呪具を拾い上げた真希が立っていた。
眼鏡の奥の瞳が驚きと、それ以上の熱を帯びて絵名を見つめている。
「……へん。威勢だけは一人前だな、東雲
真希は口元をニヤリと歪め、絵名の頭を乱暴にポンと叩いた。
「見返すためにここにいる、か。......フン、おめでたいバカだな。――けど」
真希は絵名の手を引いて立ち上がらせると
胸を張って言った。
「私はそういうの、嫌いじゃねえよ」
絵名は驚いたように目を丸くしたあと、ふっと強情に唇を尖らせた。
「……当たり前でしょ。私は折れるつもりなんてさらさらないんだから」
茜色と濃紺のグラデーションを纏った狐が、
二人の足元で誇らしげに「キュゥ」と鳴いた。