トントン、と遠慮のない音が扉を叩く。
「おい、絵名!起きろ、食堂行くぞ!」
「……ん……なに、うるさい……」
ベッドの中で毛布を頭までかぶっていた絵名は、不機嫌そうに眉をひそめた。
昨日の準一級との激闘、反転術式による治療
そして極限の緊張感。泥のように重い体を引きずりながらゆっくりと身体を起こす。
(……待って、今なんて呼ばれた……?)
まだ視界が霞む頭でドアの向こうから聞こえた声を反芻する。
昨日までは素っ気なく「東雲」と苗字で呼んでいたはずの真希が当たり前のように「絵名」と名前で呼んでいた。
「ちょっと……勝手に名前で呼ばないでよ……」
ボサボサの髪のままドアを開けるとそこにはジャージ姿で仁王立ちしている真希がいた。
真希は絵名の寝ぼけ顔を見ると、フッと口角を上げる。
「あ?なんだよ、嫌だったか?」
「……嫌とは言ってないけど。急に呼び方変わったからびっくりしただけ」
「ふん、命張って一緒に戦った仲だろ。
今更苗字で呼ぶ方がまどろっこしからな
ほら、さっさと顔洗って着替えろメシ食わねぇと強くなれねぇぞ」
真希は絵名の返事も待たずに背を向け、廊下を歩き出す。
その背中を見送りながら絵名は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じていた。
(……調子狂うわね、本当)
真希に半ば引っ張られるようにして辿り着いた食堂に入ると香ばしい白米と味噌汁の匂いが立ち込めていた。
「おかか」
「お、絵名!体調はもういいのか?」
大きなテーブルに座っていたのは首元まで襟を立てた狗巻棘と、巨体のパンダだった。
パンダは豪快に笑いながら湯気の立つお椀を絵名の前に置いた。
「昨日の初陣、真希から聞いたぞ。
よく踏ん張ったな、東雲」
「しゃけ」
棘も優しく頷き、温かいお茶を差し出してくる。
真希も含め過酷な現場をくぐり抜けてきた2年生たちは、昨日死線を越えた絵名を一人前の仲間として当たり前のように受け入れてくれていた。
「……ありがと」
不器用にお礼を言いながら、絵名は椅子に腰掛けた。
呪霊だの、死だの殺伐とした世界の中でこうして交わされる何気ない会話と朝食の時間
気難しくも頼もしい仲間たちの温もりに絵名はほんの少しだけ心が解けていくのを感じていた。
「そういえば真希、1年生どもは?」
パンダが白米を口に運びながら尋ねると、真希は面倒そうに肩をすくめた。
「悟のバカに連れられて早朝から座学だか何だかで外出中だ。まあ、そのうち顔合わせる機会もあるだろ」
「へぇ……」
まだ見ぬ後輩たちの存在に少しだけ思いを馳せながら、絵名は自分のお椀に箸を伸ばした。
(私……ここで、やっていけるのかな……)
――けれど、、
ポケットの中でひっそりと震えたスマートフォンの存在が、絵名を一瞬で現実へと引き戻す
画面に表示された『25時、ナイトコードで。』の通知。
そこには、まふゆからの短いメッセージが届いていた。
『絵名、今日は来られる?』
液晶の冷たい光を見つめながら絵名は胸の奥がキュッと締め付けられるような、鋭い痛みを覚えた。
高専での新しい日常と、どんどん遠くなっていく大切な場所。
画面の向こうにいるまふゆの顔を思い浮かべながら絵名は静かにスマートフォンを伏せた。