夜の25時。
高専の自室のドアをしっかり施錠し絵名はパソコンの前に座っていた。
前回の通話でまふゆに「違う」と言われて以来、絵名は極力「いつもの東雲絵名」を演じるよう神経をすり減らしていた。
けれど肉体と日常のギャップは限界に達しつつあった。
『――でね、ここのサビ前のイラストなんだけど、えななんはどう思う?』
瑞希の明るい声がスピーカーから流れる。
「...あ、うん。
いいと思う。サビの解放感に合わせて
少し明度を上げたグラデーションにしようと思って……つっ……!」
マイクのミュートボタンを咄嗟に押し、
絵名は口元を手で覆った。
訓練で痛めた肋骨が呼吸のたびに激しく痛む
呪霊の「邪気」の匂いが染み付いているような感覚が拭えず、酷い吐き気が込み上げていた。
数秒後、呼吸を整えてミュートを解除する。
「・・・ごめん、ちょっと咳が出ちゃって。
グラデーションの話だけど――」
『絵名』
まふゆの声が、絵名の言葉を遮った。
前回のような曖昧な違和感の指摘ではない
まふゆの声には、明確な確信と焦燥が混ざっていた。
『マイク切る前の音・・・服が擦れる音じゃなくて身体を庇うような音だった。...絵名、本当にただの風邪なの?』
「な、何言ってるのよ。ただの咳だって言ったでしょ」
『嘘。・・・絵名、最近ずっと画面越しに映る手が、微妙に震えてる。それに昨日の夕方通話に一瞬入ってきた時背景で風を切るすごい音と、重い鉄がぶつかるみたいな異様な音が聞こえた』
(っ……!?)
絵名は息を飲んだ。
昨日の夕方――高専のグラウンドで真希と激しい体術の打ち合いをしていた時ポケットの中でスマホが誤作動して一瞬だけ通話に繋がってしまった一幕のことだ。
あの時聞こえていたのは、真希が振るう大薙刀の風切り音と、呪具同士が激しくぶつかり合う音だった。
『えななん本当に大丈夫?最近、課題も忙しそうだし……無理してない?』
奏も、ただ事ではない雰囲気に不安そうな声を漏らす。
「大丈夫……大丈夫だから!私、ちゃんと絵も描いてるしニーゴの活動を投げ出したりしないわよ!」
絵名は思わず強い口調で言い返してしまった。
自分でも分かっている。
今の自分は、一般人の彼女たちから見れば完全に「何か異様なものに巻き込まれている異物」だ。
隠せば隠すほどまふゆたちの不信感と不安は募っていく。
『投げ出すとか、そんなこと誰も言ってない』
まふゆの低く落ち込んだ声が響く。
『ただ・・・絵名が私に何も話してくれないのが、悲しいだけ……』
「……っ」
罪悪感で胸が押し潰されそうになる。
本当の理由を言えるはずがない。
「私は今、化け物と戦う呪術師の学校にいて
いつ死ぬかもわからない世界にいるの」なんて、言えるわけがないのだ。
『…今日の作業は、ここまでにしよう』
まふゆが静かに告げた。
『絵名が本当のことを話してくれるまで私……どうやって絵名と向き合えばいいのか、分からないから』
プツン、と通話が切れる音が響いた。
暗転した画面を見つめたまま絵名は力なくキーボードの上に突っ伏した
守りたいからこそ言えない。
けれど、言わないからこそ大切な居場所が壊れていく。
「・・・なんで……どうして私、こんなことになってるのよ……っ」
冷たい部屋の中で、絵名の絞り出すような泣き声だけが虚しく響いていた。