高専の自室。
深夜の静寂の中、絵名はイーゼルの前で額に汗を浮かべながら筆を走らせていた。
机の上には、手のひらサイズの小さなスケッチブックや特製の厚紙が何十枚も積み上げられている。
(……ダメ。これじゃあ実戦で使い物にならない……!)
絵名はイライラと髪をかき混ぜ描きかけの紙を破り捨てそうになって手を止めた。
絵名の術式は、描いた絵に呪力を込め、実体化させて操るものだ。
しかし、戦闘の渦中で一から絵を描く余裕などあるはずがない。
そのためあらかじめ描いておいた絵をストックとして持ち歩き、必要な時に呪力を通して開放するスタイルを取っていた。
だが、問題はその「クオリティ」だった。
(キツネのときはあの死にもの狂いの絶望と『助けて』っていう情熱があったから奇跡的に『ひとつの命』レベルで定着した。でも書き溜めたストックの式神や道具は……感情の乗りが浅くて、真希たちの攻撃一発で簡単に霧散しちゃう……)
量産しようと焦れば焦るほど、絵から魂が抜けていく。
絵具のノリも線の鋭さも死んでいく。
「はぁ・・・結局、呪術でも私の絵は『才能』が足りないの……?」
ポツリと漏れ出た弱音。
自室の壁に立てかけられたスケッチブックを見つめる。
高専に来る前あいつや雪平先生から言われ続けた言葉が、呪力という新しい世界に来てまで自分を追いかけてくるようだった。
そして、胸を突くもう一つの焦り。
(絵画教室・・・辞めなきゃよかった…)
高専に入校する際、全寮制と秘匿義務を理由にそれまで通っていた絵画教室を辞めた。
『美大に行くための通信制に転校する』と言い訳をして神高を辞めた手前絵の勉強を止めるわけにはいかない。
何より、絵名自身が夢を絶対に捨てたくなかった。
「高専の任務の合間……休日の数時間だけでも、絵画教室とか通えないかな……」
スマホを開き高専から通える範囲にあるデッサン教室や絵画講座を検索してみる。
けれど、不定期に入る呪霊退治の任務真希たちとの体術訓練さらには夜25時からのニーゴの活動。
スケジュールはすでに破綻寸前だった。
「……ハッ、何考えてんだろ。化け物退治しながら絵画教室に通う女子高生なんているわけないでしょ……」
自嘲気味に笑ったその時コンコンとノックもなしに部屋のドアが開いた。
「やあ絵名、夜遅くまで励んでるねぇ」
目隠しをした白髪の男――五条悟がひょっこりと顔を出した。
「ちょっと!入るときはノックしなさいっていつも言ってるでしょ!着替えの最中だったらどうすんのよ!」
「あはは、ごめんごめん」
五条は部屋に入ると机の上に積み上げられたストックの紙をひょいとつまみ上げた。
「へぇ、ストックのクオリティを上げようとしてるんだ。真真面目だねぇ」
「当たり前でしょ。
実戦で役立たず扱いされたくないもの
......ねえ、五条先生」
絵名は筆を置き思い切って五条を見上げた。
「私……高専にいる間も、外の絵画教室に通うことってできない? 任務の合間を縫ってちゃんとしたプロの指導を受けたいの。……私、呪術師になるためだけにここに来たわけじゃないから」
まっすぐな絵名の瞳。
五条はつまんでいた紙を戻すと少しだけ口角を上げた。
「いいよ」
「……え? 本当に!?」
「うん。ただし条件付きね。
任務と訓練を完璧にこなすこと、それと君の術式は『絵名が絵描きとして成長すればするほど強くなる』性質を持ってる。
だから、外部で絵を学ぶことは君の呪術師としての強化にも直結するからね」
五条はイーゼルの上のキャンバスを指差し言葉を続けた。
「ちなみにさ、絵名の後輩にあたる子はすでに何回か現場に出てる1年生の奴らなんだけどね」
「へえ……。私、任務のタイミングがズレててまだ一人も会ってないけど」
「お互い忙しくてすれ違ってばかりだからね。でもさ――」
五条は意味深にニッと笑った。
「君が描くそのストック出し惜しみしないで持ち歩きなよ。近いうち君のその足掻いた絵が……誰かの命を救うことになるかもしれないからね」
そう言い残して五条はひらひらと手を振りながら部屋を出て行った。
一人残された絵名は自分の手と描きかけのキャンバスを見つめた。
(1年生……か。私なんかよりずっとすごくて
才能のある子たちなんだろうな……)
だけど、と絵名は強く筆を握り直した。
「……下手くそでも、足掻いてやるわよ。
私の絵で誰も死なせやしない」
絵名は再び絵具をナイフですくい取り熱を込めてキャンバスへと叩きつけ始めたのだった。