雨が激しく叩きつける廃ビルの敷地内。
不気味な湿気と呪力の残穢が立ち込める中
打撃音と金属音が激しく交錯していた。
「伏黒、右!!」
「わかってる……っ、『玉犬』!」
虎杖悠仁の叫びに応え、伏黒恵が影から躍り出た黒犬を走らせる。
だが、暗闇から蠢き出てくる2級呪霊の数はあまりにも多すぎた。
泥のような液体を滴らせた不気味な異形たちが狭い通路をじわじわと塞いでいく。
「ちっ……キリがないわね!『釘 』!」
釘崎野薔薇が打ち込んだ釘から呪力が弾け数体の呪霊を爆砕する
しかし、すでに全員の肩は激しく上下し
制服には泥と血がこびりついていた。
「おい伏黒、こいつら全員払いきれるか!?」
「……無理だ。数が多すぎるうえに退路を塞がれ
た。一度壁を破って外に出るぞ」
伏黒が式神を構え直したその時背後の闇から巨大な爪を持つ呪霊が、無音で野薔薇の頭上へと跳躍した。
「釘崎、上だ――!!」
「えっ――」
伏黒と虎杖の叫び。振り向いた野薔薇の視界いっぱいに禍々しい爪が迫る。
攻撃を避ける時間は、もうなかった
――『咲き誇りなさい、青椿』
闇を切り裂く、凛とした少女の声。
次の瞬間野薔薇の目の前で鮮やかな青い絵の具が弾けた。空間に突如として描かれたのは
巨大な一輪の『水彩の椿』。
硬質な絵の具の膜が硬質な傘となって展開し
呪霊の爪をガキンッと完璧に弾き返した。
「なっ……なんだこれ!?」
呆然とする野薔薇の横を、一人の少女が駆け抜ける。
濡れた制服の裾を翻し手に持ち上げた小さなストック用の用紙を勢いよく破り取った。
「下がりなさい、貴方達……っ!」
絵名は荒い息を吐きながら呪力を込めた用紙を空間へと投げつけた。
「喰らい尽くしなさい――『紅蓮』!」
弾け飛んだ紙から溢れ出たのは燃え盛る朱色と橙色の絵の具。
それが瞬時に立体的な形状を結び炎の揺らめきを纏った三本尾の巨狐となって躍り出た。
『紅蓮』は激しい咆哮を上げる、圧倒的な質量で群がる呪霊の群れへと飛びかかり鋭い牙で次々と噛み砕いていく。
さらに絵名はポケットからカード状の用紙を何枚も投げ散らした。
「『鳥群(ちょうぐん)』、牽制!『蔓』足を止めて!」
空間に実体化する幾十もの小さな水彩の鳥たちと、足元から伸びる絵の具の蔦。
絵名が徹夜で描き溜めたストックの総攻撃によりあれほど1年生を追い詰めていた呪霊の群れは、あっという間に色鮮やかな絵の具の泡となって霧散していった。
静寂が戻った雨の中_________
役割を終えた『紅蓮』と鳥たちがボタボタと絵の具の滴となって水たまりへ溶けて消えていく。
「す……すっげえぇぇぇ!!」
虎杖が目を輝かせて駆け寄ってきた。
「なんだ今の!?絵がそのまんま飛び出してきたぞ!お前……じゃなくて、あなた、高専の人!?」
「ふぅ...あ、ありがとうございます。もしかして五条先生が言ってた編入してきた先輩?」
野薔薇も胸を撫で下ろし呆気にとられたように絵名を見つめる。
伏黒も驚きを隠せない様子で息を呑んでいた。
「東雲絵名よ。一応、あなたたちの先輩」
絵名は短く答え乱れた息を整えた。
全員無事だ。怪我も最小限で抑えられた。
1年生たちからは純粋な感謝と尊敬の眼差しが向けられている。
――だが、
絵名の胸を占めていたのは達成感などでは到底なかった。
(……ダメ。全然ダメ……!)
絵名は水たまりに落ち、ドロドロに溶けていく用紙の切れ端を固く握りしめた。
(攻撃の線が甘いから、ストックをあんなに消費しないと倒せない……。鳥の動きも硬いし、『紅蓮』の耐久力も一発耐えただけで限界だった……。もし相手が1級だったら? 特級だったら……!?)
自分の手が小さく震えているのが分かった。
あの自室で生まれた相棒のキツネは、自分の命をかけた感情の爆発があったからこそ奇跡的に定着した。
今の自分には、それを安定して量産できるだけの「技術」も「圧倒的な才能」もないのだ。
(私の絵のクオリティが低いから、あの子たちを危機一髪のところまで追い詰めた・・・もっと上手く描けていれば、もっとスマートに一瞬で助けられたのに……!)
「…東雲先輩? 顔色悪いけど、大丈夫ですか?」
浮かない表情で自分の手を見つめ続ける絵名を心配し伏黒が声をかけてくる。
「っ……なんでもないわよ!」
絵名は咄嗟に叫び、1年生たちから背を向けた。
胸の奥から湧き上がってくるのはドロドロとした強い自責と惨めさだった。
(なによ……先輩だなんて。こんな拙い絵しか描けないくせに。私に、もっと圧倒的な才能があれば……!)
父親の冷たい声が脳裏をよぎる________
『お前に絵の才能はない』。
「私……先に戻るわ。あなたたちも早く帰って手当てしなさい」
「えっ、あ、先輩!一緒に――」
呼び止める虎杖の声を振り払い
絵名は雨の中を一人、逃げるように走り去った。
『紅蓮』は
(※相棒のキツネとは違い、あらかじめ戦闘用に描き溜めておいた攻撃特化のストック式神です)