ファミレスでのニーゴの集まりを終え、絵画教室に臨む絵名。
高専での壮絶な経験や「みんなを守る」という焦燥感から力任せに描き上げた一枚のデッサン。
だが、
雪平先生の評価は厳しかった。
「東雲さん。今日の絵は何を伝えたいのかわからないですね」
バッサリと切り捨てられる言葉。
「デッサン力や技術の未熟さを全部、勢いで誤魔化そうとしている。今の貴方の絵は焦りと迷いが空回りして見る人を置き去りにしています」
周囲の生徒たちの視線が痛い。
ニーゴの前で誓った覚悟も呪術の世界で命を張っているプライドもすべて打ち砕かれるような悔しさが心を砕く。
講評会が終わりトボトボと片付けをして帰ろうとする絵名を、雪平先生は静かに呼び止める。
「東雲さん。少し残れますか?」
残された教室で雪平先生は絵名が破り捨てようとしていたデッサンをイーゼルに戻し、静かに見つめる。
「誤解しないでください。私は貴方の絵を否定しているわけではありません」
「……え?」
「貴方の絵には人を強く引き寄せ、惹きつけるものがある。東雲さんの『世界』がちゃんと画面の向こうに描かけています。…絵とはね、どれだけ人の心に届くかですよ」
雪平先生の優しいけれど本質を突いた言葉に
絵名の胸がキュッと締め付けられる。
「でも今の貴方は、『届けたい』じゃなくて『証明したい』という焦りで描いている。
自分の存在や覚悟を画面にぶつけて満足しちゃっています。それでは人の心には届かない」
図星を突かれて何も言えなくなる絵名に、雪平先生は1枚の新しいキャンバスを差し出す。
「課題を出しましょう。次の講評会までに『君が一番大切にしたい誰かの心にたった一人でいいから届く絵』を描いてきて下さい」
「大切な……誰か...」
「技術や理論は後からついてくる。
まずは君のその『惹きつける力』を誰か一人のために正しく使ってみて下さい。
できますね?」
「はい!やってきます」
教室を出て、夜の街を一人歩く絵名。
雪平先生に出された課題――
「大切にしたい誰か」を思い浮かべた時、脳裏に浮かんだのはニーゴのみんなそして高専で泥臭く生きる真希たちの姿だった。
「私の絵を……届ける...」
自分の血で描く呪術ではなく筆と絵の具で誰かの心を動かす「東雲絵名としての絵」
___________
雪平先生から突きつけられた課題——
『東雲さんが一番大切にしたい誰かの心にたった一人でいいから届く絵』。
その言葉が胸の奥に重く居座ったまま、絵名は高専の寮で朝を迎えた。
薄暗い部屋の隅に置かれた、新品の真っ白なキャンバス。
絵画の悩み。
そして、呪術師として命を削る非日常。
頭の中はぐちゃぐちゃだったが、容赦なく高専の朝の訓練の時間はやってくる。
(たった一人に届く絵って何よ。私はいつだって奏の曲に合う絵を、みんなのための絵を描いてるのに……)
モヤモヤとした焦りを抱えたままグラウンドへ向かうと、そこには朝早くから汗を流している真希とパンダの姿があった。
「おい絵名!ボーッとしてんじゃねえ!」
突如、空気を切り裂く音とともに真希の木刀が振り下ろされる。
絵名はハッとして咄嗟に指先から自分の血を滑らせ、キャンバスから飛び出させた『ボツ絵の術式』をガードに出した。
パカンッ!と乾いた音が響き、衝撃を殺しきれなかった絵名はそのまま尻餅をつく。
「っ痛ぁ……!ちょっと真希、急に打ち込んでこないでよ!」
「ボーッとしてるお前が悪い。なんだ、また絵のことで悩んでんのか?」
真希はため息をつきながら木刀を肩に担ぎ、尻餅をついた絵名に無造作に手を差し出す。
絵名が「……別に」と強がりながらその手を取ると、真希はぐっと腕を引っ張り上げて立ち上がらせた。
「お前の絵のことはさっぱり分かんねえが
お前、いつも『私を見ろ』とか『存在を証明しなきゃ』って顔して描いてんだろ。もっと肩の力抜けよ。見ててこっちまで肩が凝る」
「……っ」
真希の不器用で、けれど鋭い観察眼に、絵名は息を飲んだ。
雪平先生に言われた「自分の存在を証明したいという焦りで描いている」という言葉がそっくりそのまま重なったからだ。
_________昼休み。
高専の食堂で、絵名は頭を抱えながらクロッキー帳の端にガリガリと鉛筆を走らせていた。
隣で巨大なおにぎりを頬張っていたパンダが
ぬっと顔を覗き込んでくる。
「絵名〜、何描いてんだ? 真希のブスッとした顔か?」
「失礼ね、練習よ練習。・・・ねえ、パンダ」
絵名は手を止め、ぽつりと呟く。
「パンダはさ……誰かのために何かする時って
どういう気持ちでやってるの?」
「ん?誰かのため? うーん……別に難しく考えてねえぞ。『喜んだら面白いな』とか『困ってそうだから手助けすっか』くらいだ。お前みたいに『この一撃に全存在を賭ける!』みたいな重いは、たまにでいいんだよ」
「……重い、か」
「おう。
重い絵も格好いいけどな、たまには食いやすいいちご大福みたいな絵を描いてもいいんじゃねえの?」
パンダの適当で気楽な例え話に、絵名は思わず吹き出してしまった。
「なにそれ。いちご大福って……」
けれど、胸の支えが少しだけ軽くなるのを感じていた。
高専の仲間たちは、命を懸ける過酷な世界に居ながらどこか真っ直ぐでしなやかだ。
「証明すること」に縛られていたのは、自分自身だったのかもしれない。
夕方、自分の部屋に戻った絵名は制服のままベッドに腰掛けた。
スマホの画面を点けるとナイトコードには瑞希の「えななん今日もお疲れ〜」というスタンプや、奏からの「体調気をつけてね。無理しないで」というメッセージが届いている。
「東雲さんが一番大切にしたい誰かの心に」
雪平先生の言葉を、もう一度心の中で反芻する。
まだ明確な答えは出ない。
どんな絵を描けばいいのかも誰に向けて描くべきなのかも、完全には分からない。
けれど、真希やパンダとの会話、そしてニーゴからの何気ないメッセージに触れるたび、絵名の胸にあった氷のような焦りは少しずつ温かい熱へ変わっていく。
「……焦っても仕方ないよね。
高専の宿題も、絵の課題も・・・一歩ずつ探すしかないか」
絵名は立ち上がり部屋の隅の真っ白なキャンバスに向き直ると、小さな筆をしっかりと握り締めたのだった。