銀と琥珀   作:らむさいだー

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第4話 居候

 

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1

朝、台所のかまどの前に、毛布の塊が落ちていた。

 

塊は、ときどき、もぞもぞと動いた。端から、紫がかった白銀の髪がはみ出していた。

 

ゆうべ、茶屋の軒下に置き忘れてきたルーチェの毛布だった。店を出るとき、一会はちゃんとそれを抱えて帰ってきた。そして、そのまま、かまどの前で丸くなった。

 

帰ってきた、というのも妙な話だった。ここは、パラゴンの家だ。

 

マキナが、毛布の塊の横にしゃがんで、じっと見ていた。

 

「……おきない」

「起こさなくていい」

「おきた」

 

塊が、むくりと起き上がった。毛布の中から、寝ぐせのついた頭が出てきた。

 

一会は、窓辺の寝台の方を見て、ぱっと顔を輝かせた。

 

「母上、おはよう!」

「おはよう、一会さん」

 

ルーチェは、寝台の上で、くすくすと笑っていた。

 

パラゴンは、額に手を当てた。

 

「……いつまでいる気だ」

「お店が直るまで!」

「いつ直る」

「うーん。柱に矢がいっぱい刺さってたからなぁ」

 

一会は、指を折って数え始めて、途中でやめた。

 

―――

 

朝ごはんは僕が作る、と一会は言った。

 

鍋を火にかけて、豆を入れて、水を入れ忘れた。

 

焦げる匂いがしてきたところで、寝台からルーチェの声が飛んだ。

 

「一会さん、お水!」

「お水!」

「それはお茶用のお水!」

「お茶用のお水!」

 

結局、朝ごはんはパラゴンが作り直した。

 

その間に、一会は、焦げた鍋の隣で黙々と湯を沸かしていた。棚の奥から出てきた、いつ買ったかも分からない安い茶葉で、四人分の茶を淹れる。

 

ひと口飲んで、パラゴンは眉を上げた。

 

同じ茶葉のはずだった。いつもの、あの渋いだけの茶とは、まるで別物だった。ぬるくて、やわらかくて、苦くなかった。

 

「……お前、茶だけは」

「茶だけは、ね!」

 

一会は、胸を張った。

 

窓辺では、マキナが、一会に淹れてもらった白湯の湯呑みを両手で持っていた。

 

湯呑みを、手のひらの上で、そっと二回まわす。それから、ひと口すする。

 

一会が、目を丸くした。

 

「マキナちゃん、それ」

「しょうめん、よける」

 

茶屋の茶室で、一会がパラゴンに教えた作法だった。マキナは、それを横で見ていたらしい。

 

「わぁい! マキナちゃん、天才!」

 

一会が、自分の湯呑みを持ってマキナの隣に座った。二人並んで、同じように二回まわして、同じようにすすった。

 

ルーチェが、寝台の上で、また笑っていた。

 

 

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2

パン屋へ行く、とマキナが言った。

 

一会が、行く、と言った。パラゴンは、少し考えてから、剣帯を締めた。

 

表通りに出て、すぐに分かった。

 

街の空気が、昨日までと違っていた。

 

大通りの角ごとに、灰色の制服が立っていた。セイフガードの巡回だった。いつもなら二人一組で気だるげに歩いている連中が、今日は四人、五人と固まって、通りを行き交う人の顔を一人ずつ見ていた。

 

壁という壁に、張り紙があった。

 

――キノコに触れないこと。

――南へ歩いていく者を見かけたら、最寄りの詰所へ。

 

店の半分ほどは、戸を閉めていた。開いている店も、戸口に目の粗い布を垂らしていた。すれ違う人たちは、口元を手拭いで覆って、足早に通り過ぎていった。

 

誰も、立ち話をしていなかった。

 

「……しずか」

 

マキナが、パラゴンの手を握った。

 

一会は、張り紙の一枚を見上げていた。いつものにこにこ顔で。それでも、張り紙の前で足を止めた時間は、少しだけ長かった。

 

パン屋は、開いていた。

 

いつもの丸いパンは、半分しか並んでいなかった。粉の荷が、南の通りを抜けてこないのだと、パン屋の女将は言った。

 

「今日は、おひとつずつね。ごめんなさいね、マキナちゃん」

「ひとつで、いい」

 

マキナは、銅貨を差し出して、紙袋を大事そうに受け取った。

 

一会は、並んでいるパンを片っ端から欲しがって、女将に困った顔をされていた。

 

 

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3

南の通りの入り口に、縄が張られていた。

 

縄の前に、セイフガードが何人も立っていた。その中に、見覚えのある大きな背中があった。

 

「そっちの角にも一人置け。南へ歩いてくやつは、止めなくていい。止めても止まらねえ。ぶつかって転ばねえように、前をあけてやれ」

 

部下に指示を飛ばしている。声が、少しかすれていた。

 

朝霧だった。

 

振り返った朝霧の目の下に、濃い隈があった。

 

「おう、傭兵。……嬢ちゃんも一緒か。こんな日に、散歩か」

「パンを買いに来た」

「そりゃあ、大事な用だわ」

 

朝霧は、マキナの紙袋を見て、少しだけ笑った。

 

「……寝てないのか」

「寝る暇がありゃあな」

 

朝霧は、縄の向こうの通りを顎で示した。

 

南の通りは、白かった。人の姿は、どこにもなかった。

 

「昨日の昼から、あっちこっちで、まっすぐ南へ歩き出すやつが出てる。止めようとしても止まらねえ。歩かせとくと、区画の壁にぶつかって、そこで止まる」

「……それで」

「壁の前で拾って、倉庫に集めて寝かせてる。寝かせると、おとなしくなる。……おとなしくはなるんだがな」

 

朝霧は、言葉を切った。

 

「寝たまま、手が床を撫でてんだよ。全員。ずーっと」

 

パラゴンは、金物屋の主人の、生え際から垂れていた白い糸を思い出した。

 

「医者は」

「分からねえってよ。薬も効かねえ。CMAも管理塔も、朝から走り回ってる。……キノコの出どころも、まだつかめてねえ」

 

朝霧は、縄の結び目を確かめるように、指で弾いた。

 

「お前も、あんまり出歩くなよ。嬢ちゃんと、妹さんのためにもな」

 

それから、パラゴンの後ろに目をやった。

 

「……で、そっちのは」

「ドーモ! 超絶暗黒極悪非道、一騎当千常勝不敗の天才軍師茶人です!」

 

一会が、元気よく手を挙げた。

 

朝霧は、しばらく黙っていた。

 

「……傭兵。妙なのを拾ったな」

「拾ったんじゃない。拾わされたんだ」

「どっちでもいいわ」

 

朝霧は、手をひらひらさせて、また部下の方へ向き直った。

 

三人が歩き出してから、パラゴンは、一度だけ振り返った。

 

朝霧が、こちらを見ていた。

 

パラゴンではなく、その隣を、にこにこと歩いていく背の高い男の背中を。

 

ほんの少しのあいだだけ。それから、朝霧は、また縄の方へ向き直った。

 

 

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4

市場の外れの焼き鳥の屋台は、まだ開いていた。

 

醤油の焦げる匂いが、人の減った通りに、いつもより遠くまで流れていた。

 

一会の足が、止まった。

 

焼き台の上に、親鳥の串が並んでいた。

 

「……ある」

「今日はあるよ、兄さん」

 

屋台の親父が、串を返しながら笑った。

 

「わぁい!」

 

一会は、三本買った。一本をマキナに、一本をパラゴンに渡して、自分の一本にかぶりつく。

 

「うままま……」

 

親父は、焼き台の火を眺めながら言った。

 

「ただ、しばらく店じまいだ。南から煙が……いや、あれは胞子っていうのか。とにかく、客が来ねえ。明日からは、家で大人しくしてるわ」

 

一会の顎が、止まった。

 

「……しばらく、ない?」

「しばらく、ねえな」

 

一会は、手の中の串を見下ろした。それから、残りのひと切れを、さっきよりずっとゆっくり噛みしめた。

 

「じゃあ、今日のは、大事に食べる」

 

親父が、笑った。少しだけ、寂しそうに。

 

 

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5

夜、ルーチェが言った。

 

「一会さん。何か、お話して」

 

一会は、毛布にくるまって、かまどの前に座っていた。今日は、手荒れの薬を薄く塗っていた。

 

「お話?」

「お兄ちゃんはね、いつも仕事の話しかしてくれないの。それも、ちょっとだけ」

 

パラゴンは、戸口の柱にもたれて、黙っていた。反論の余地はなかった。

 

「うーん。じゃあ、昔の戦の話」

「いいわね」

 

マキナが、ルーチェの寝台の足元に、ぺたんと座った。

 

一会は、話し始めた。

 

ずっと昔、この都市ができるより前に、北の平原であった戦の話だった。雪解けの泥で荷車が動かなくなって、どちらの軍も、三日のあいだ一歩も進めなかったこと。四日目の朝、先に動いたのは、ごはんの荷が先に尽きた方だったこと。

 

「泥ってね、踏むと、ぐちゃって音がするでしょ。三日も続くと、みんな、その音が嫌いになるんだ。自分の足音なのにね」

 

一会の話は、妙に細かかった。

 

泥の匂い。夜明けの空の色。寒さで割れた唇に、塩を塗った兵がいたこと。まるで、その場に立って見てきたようだった。

 

ルーチェは、寝台の上で膝を抱えて、目を輝かせて聞いていた。マキナは、途中で一度、パラゴンの方を振り返って、それからまた一会を見た。

 

パラゴンは、戸口で腕を組んでいた。

 

戦の話を、そんなふうに語る人間を、パラゴンは何人も知っていた。企業連紛争を生き延びた、古い傭兵たち。彼らの話も、いつも、泥と匂いと、どうでもいいような細かいことばかりだった。

 

歴史好きの変わり者、にしては。

 

考えかけて、やめた。

 

話が終わると、ルーチェは、ほう、と息をついた。

 

「一会さんは、物知りね」

「歴史、好きなんだ!」

 

ルーチェは、しばらく一会の顔を見ていた。それから、首をかしげた。

 

「一会さんは、どうしてお茶を?」

 

一会は、すぐには答えなかった。

 

かまどの火が、ぱちりと鳴った。

 

「それまではね、ずっと熱かったんだ」

 

いつもの声だった。いつもの、ゆるい声のままだった。

 

「熱くて、苦くて。……ひとつのことだけ、ずっと信じてた」

 

一会は、毛布の端を指でいじりながら、火を見ていた。

 

「それがある日、急に、分からなくなっちゃった。信じてたものが、何だったのか。……そしたら、何にも楽しくなくなって」

 

かまどの火が、また小さく鳴った。

 

「そのとき、誰かが、ぬるいお茶を一杯くれたんだ」

 

「熱くも、苦くもなくて。……それが、すごくおいしかった」

 

それきり、一会は黙った。

 

誰が、とは言わなかった。何があって、とも言わなかった。

 

ルーチェも、聞かなかった。

 

代わりに、にっこりと笑った。

 

「じゃあ、明日も淹れてね」

 

一会が、顔を上げた。

 

碧い瞳が、少しのあいだ、ルーチェを見ていた。

 

「……うん」

 

小さな声だった。

 

それから、毛布にくるまったまま、少しだけ身を乗り出した。

 

「母上は? 母上の話も聞きたい」

「わたし? わたしは、ずっとここにいるから、お話なんてないわよ」

「ここにいて、何してるの」

 

ルーチェは、少し考えてから、窓の方を見た。

 

「明日のことを考えてるの。明日は、マキナちゃんがどんなパンを買ってくるかな、とか。お兄ちゃんは何時に帰ってくるかな、とか。……熱が下がったら、窓を開けて、路地の猫を呼んでみようかな、とか」

 

一会は、黙って聞いていた。

 

ルーチェの話は、どれも小さかった。明日の、その先の、そのまた明日の、小さなことばかりだった。

 

一会は、それを一つずつ、大事そうにうなずきながら聞いていた。

 

「……一会さん。どうして、わたしのこと、母上って呼ぶの?」

 

一会は、首をかしげた。自分でも、考えたことがなかったような顔だった。

 

「うーん。……母上はね、明日の話をしてくれるから」

 

ルーチェは、きょとんとした。それから、ふわりと笑った。

 

一会は、かまどの火と、寝台のルーチェと、その足元で膝を抱えているマキナと、戸口のパラゴンを、順番に見た。

 

「……この家、ぬるいね」

「褒めてるの?」

「すごく」

 

一会は、毛布を肩まで引き上げて、満足そうに目を細めた。

 

パラゴンは、何も言わなかった。

 

マキナが、ルーチェの寝台の足元で、小さくあくびをした。

 

 

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6

寝る前に、パラゴンは窓の戸締まりを確かめた。

 

路地は、暗かった。

 

長屋の角の、大家の家の前に、小さな灯りが一つ揺れていた。

 

大家の爺さんが、戸口の縁台に座っていた。ついこの前、猫に踏み割られた屋根の瓦を、パラゴンに直させた爺さんだ。「向きが逆だ」と、梯子の下からさんざんどやされた。

 

爺さんは、ぼりぼりと額の生え際を掻いていた。

 

「おう、傭兵。まだ起きてたか」

「爺さんこそ」

「なんだか、目が冴えちまってな」

 

爺さんは、からからと笑った。

 

「いや、冴えてるってのとも違うな。……なんだか、楽でな。腰の痛えのが、今日はさっぱりだ」

 

ゆっくりと、まばたきをした。

 

一回の、まばたきが長かった。

 

パラゴンは、窓枠に手をかけたまま、動けなかった。

 

爺さんの足元の石畳の継ぎ目に、白っぽい小さな傘が、一つ、顔を出していた。

 

(第4話 了)

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