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1
十三番が、井戸の方へ歩いてきた。
急ぐでもなく、足音も立てずに。乾ききった石畳の上を、散歩の続きのように。
パラゴンは、剣の柄を握ったまま、井戸の陰から立ち上がった。マキナを、背中に隠すようにして。
十三番は、三歩手前で立ち止まった。
半分だけ開いた目が、パラゴンの顔を見た。しばらく、見ていた。
「……どっかで、会ったっけ」
首を、かしげる。
「……西都市、だっけ?」
曖昧な声だった。思い出したというより、思い出しかけて、途中でやめたような。
パラゴンは、答えなかった。
あのとき隣で刀を振るっていた男は、パラゴンの名前を知っていた。背中を預け合った。それが、今は、道ですれ違った誰かを見るような目をしていた。
十三番の視線が、パラゴンの肩の向こうへ動いた。
パラゴンの外套の陰から、マキナが、そっと顔をのぞかせていた。
半眼が、止まった。
ほんの少しだけ、開いた。
「……神か」
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2
何を言われたのか、分からなかった。
パラゴンは、十三番を見た。それから、自分の背中にしがみついているマキナを、振り返った。
銀白の髪。小さな手。額には、何もなかった。神なら誰でも持っているはずの、神紋が。
「……何を、言ってる」
十三番は、答えなかった。マキナを、じっと見ていた。まるで、パラゴンには見えないものが、そこに見えているように。
マキナが、パラゴンの外套の裾を握りしめた。
「……わたし?」
小さな声だった。
自分が何と呼ばれたのか、マキナ自身が、いちばん分かっていない顔だった。
十三番は、頭を掻いた。
「区画の外にいる、記録にない神は、預かることになってるんですよ」
丁寧な声に戻っていた。
「すんません。その子も、預からせてもらいます」
パラゴンは、剣を抜いた。
マキナの前に、立った。
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3
踏み込んだ。
横薙ぎの一閃。十三番の首筋を狙った剣が、硬い音を立てて止まった。
十握剣だった。十三番は、それを片手で、肩の高さに立てていただけだった。
パラゴンは、剣を引いて、もう一度。胴。足。肩。
すべて、止められた。
十三番は、一歩も下がらなかった。長い剣を、ほんの少し傾けるだけで、パラゴンの刃は、ことごとく滑って逸れた。
斬り返しては、こなかった。
一度も。
パラゴンは、跳び退きざまに腰の銃を抜いた。三発。
十握剣の腹が、ゆらりと動いた。三発とも、刃に弾かれて、乾いた壁に穴を開けた。
呪符を抜く。指で紋をなぞる。風が、十三番の足元から吹き上がった。
十三番の外套の裾が、はためいた。それだけだった。
風の中を、十三番は、また一歩、マキナの方へ歩いた。
パラゴンは、その前に回り込んだ。
剣と、銃と、呪符。一つずつではなく、組み合わせて。風で砂を巻き上げて目を塞ぎ、その陰から銃で足を狙い、避けたところへ剣を叩き込む。企業連紛争を生き延びて、西都市で異形と渡り合って、身体に刻み込んできた、全部。
十握剣が、全部を止めた。
十三番は、パラゴンの肩に、軽く手を置いた。
押した。
それだけで、パラゴンの体は、横へ流れた。足がもつれて、石畳に膝をついた。
十三番は、マキナの方へ、また一歩。
パラゴンは、立ち上がった。前に回り込んだ。
押された。膝をついた。
立ち上がった。回り込んだ。
また、膝をついた。
息が、上がっていた。剣を握る手が、震えていた。
十三番は、一度も、パラゴンを斬らなかった。一度も、殴らなかった。ただ、道の真ん中に置かれた荷物をどけるように、パラゴンを脇へどけて、歩いていくだけだった。
十三番が、立ち止まった。
石畳に膝をついたパラゴンを、半眼で見下ろしていた。
「……レベル2で、これか」
責めるような声ではなかった。ただ、確かめるような声だった。
「西都市のあれ。僕が落としきれなかったやつ、倒したんでしょ。……もっと、やると思ってた」
パラゴンは、顔を上げられなかった。
あの異形を倒せたのは、自分一人の力ではなかった。最初の光の矢が、あれを半分壊していた。隣には、刀を持ったあの男がいた。
分かっていた。
分かっていたことを、今、目の前で、突きつけられていた。
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4
十三番が、マキナの前に立った。
マキナは、逃げなかった。井戸を背にして、十三番を見上げていた。
外套の下の、錆びた鎖の奥から、あの平坦な声が響いた。
『対象、神格を確認』
マキナが、びくりと肩を震わせた。
『神格レベル、判定――』
声が、途切れた。
鎖の奥で、何かが、軋むような音を立てた。
一拍。
二拍。
『……判定、不能』
『対象、等級の枠外』
鎖は、一本も外れなかった。
十三番の手が、止まった。
半眼のまま、自分の外套の胸元を見下ろした。それから、マキナを見た。
「……判定、不能?」
首を、かしげた。
「初めて聞いたな、それ」
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5
パラゴンの家の戸が、開いた。
音は、しなかった。
戸口に、背の高い男が立っていた。紫がかった白銀の髪。碧い瞳。ルーチェの毛布を、肩から外して、戸口の脇に畳んで置いた。
一会だった。
いつものにこにこ顔は、どこにもなかった。
「一服、付き合え」
静かな声だった。
茶を点てるときの、あの声だった。
十三番が、振り返った。
半眼が、少しだけ、開いた。
長いあいだ、十三番は、一会を見ていた。
「……雷帝」
一会は、何も答えなかった。
十三番の足元から、土壁が立ち上がった。
―――
十三番は、畳の上に座っていた。
四畳半。低い天井。炉に切られた釜が、しゅんしゅんと鳴っていた。
炉の向こうに、一会が座っていた。背筋を伸ばして、膝の前に手をついて、静かに一礼する。
十三番は、しばらく、部屋を見回していた。
「……ほんとに、お茶の人になったんだ」
一会は、答えなかった。水差しから、冷たい水をひと杓、釜に差した。湯の音が、すっと静まった。
茶筅を湯にくぐらせる。茶碗を拭う。竹の匙で、緑の粉を二度すくう。
「何も、入れていない」
一会が、言った。
「ただの、茶だ」
十三番は、黙って、その手元を見ていた。
茶碗が、置かれた。正面を、十三番に向けて。
十三番は、茶碗を手のひらの上で二度まわして、口をつけた。
ひと口。
「……苦くない」
「苦いのは、嫌いなんだ」
「知ってる」
十三番は、もうひと口すすった。
一会が、小さな漆の器を、そっと十三番の前に滑らせた。蓋を取ると、中に、花の形をした干菓子が三つ、並んでいた。
十三番の半眼が、ほんの少しだけ、大きくなった。
「……ぬ」
一つ、つまんで、口に入れる。ほろりと崩れて、甘さが広がった。
「……おいしい」
「そうか」
釜の湯が、また鳴り始めていた。
二人とも、それ以上は、何も話さなかった。
十三番は、干菓子を三つとも食べて、茶を最後まで飲み干した。
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6
庵が、湯気がほどけるように消えた。
乾いた路地の真ん中に、十三番が立っていた。その向かいに、一会が。
十三番は、自分の手を見下ろしていた。指先に、干菓子の粉が、少しだけ残っていた。それを、ぺろりと舐めた。
それから、マキナを見た。
もう、歩き出そうとはしなかった。
「……今日の仕事は、ほだ木の神さんだけなんで」
路地の隅に、ほだ木の神がうずくまっていた。乾いた髪を垂らして、空になった両手を膝の上に置いたまま、動かなかった。
十三番の外套の下から、錆びた鎖が一本伸びて、ほだ木の神の手首に、そっと巻きついた。
ほだ木の神は、抵抗しなかった。立ち上がって、十三番の後ろに、ゆっくりとついて歩き出した。
十三番は、路地の入り口で、一度だけ振り返った。
「でも、報告は、します」
半眼が、マキナを見ていた。
「規則ですので」
それだけ言って、十三番は、ほだ木の神を連れて、角の向こうへ消えた。
足音は、最後まで、聞こえなかった。
―――
路地が、静かになった。
座り込んでいた住民たちが、ぼんやりと顔を上げていた。大家の爺さんが、自分の手の白い糸を、不思議そうに眺めていた。
一会は、戸口の脇に畳んだ毛布を拾い上げて、肩に掛け直した。
振り返ったときには、いつもの顔に戻っていた。
「……お湯、冷めちゃった。淹れ直すね」
そう言って、家の中へ入っていった。
パラゴンは、石畳に膝をついたまま、動けなかった。
雷帝。
十三番は、一会を、そう呼んだ。
マキナが、井戸の前から、とことこと歩いてきた。パラゴンの前にしゃがみこんで、その顔を覗き込む。
「……パラゴン」
小さな声だった。
「わたし、かみさま、なの?」
その目が、まっすぐにパラゴンを見ていた。
パラゴンは、答えを持っていなかった。
「……知らん」
それだけ言って、マキナの頭に、手を置いた。
いつもと同じ、銀色の、少しひんやりとした髪だった。
(第7話 了)