銀と琥珀   作:らむさいだー

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第8話 神紋のない神

 

 

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1

朝、マキナはいつもどおりだった。

 

いつもどおりにルーチェの髪を梳かして、いつもどおりにルーチェに髪を編んでもらって、いつもどおりに一会の淹れた白湯を、両手で持って二回まわしてから飲んだ。

 

パラゴンは、それを見ていた。

 

気がつくと、見ていた。

 

銀白の髪。小さな手。白湯の湯呑みを包む、細い指。額には、何もない。

 

神だと、あの男は言った。

 

「お兄ちゃん」

 

寝台の上から、ルーチェが言った。

 

「さっきから、マキナちゃんのこと、じーっと見てる」

「……見てない」

「見てるよ。お茶、冷めてる」

 

パラゴンは、手元の茶碗を見下ろした。一会が淹れてくれた茶が、手つかずのまま、すっかりぬるさを通り越していた。

 

一会が、隣に座った。自分の分の茶を、ずずっとすする。

 

いつもの顔だった。昨日、十三番に「付き合え」と言った男と、同じ顔には見えなかった。

 

「……聞かないの?」

 

一会が、茶碗を見たまま言った。

 

「聞いたら、答えるのか」

「うーん。たぶん、はぐらかす」

「なら、聞かない」

「そっかぁ」

 

一会は、少しだけ笑った。それから、パラゴンの冷めた茶を取り上げて、新しいのを淹れ直した。

 

 

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2

マキナが、一会と一緒に水を汲みに出ていった。

 

戸が閉まってから、ルーチェが言った。

 

「お兄ちゃん。マキナちゃん、何かあったの?」

 

パラゴンは、しばらく黙っていた。

 

それから、話した。路地に来た男のこと。その男が、マキナを見て言ったこと。

 

「……神、だって言われた」

 

ルーチェは、目をぱちぱちさせた。

 

窓の外を見て、少し考えて、それからパラゴンを見た。

 

「それで、お兄ちゃんは、何か変わった?」

 

パラゴンは、答えられなかった。

 

変わったのか。変わっていないのか。自分でも、分からなかった。

 

ルーチェは、答えを待たなかった。にっこりと笑って、枕元のメモ帳を引き寄せた。

 

「マキナちゃんに、今日、おつかい頼んでいい?」

 

丸っこい字で、買い物のリストを書いていく。

 

――やさい(にんじん、いも)

――おくすり(いつものやっきょく)

――せっけん(オーレルさんのところの、山百合の)

 

「……こんなときにか」

「こんなときだから」

 

ルーチェは、書き終えたメモを畳んだ。

 

「お兄ちゃんは、お散歩でしょ?」

 

 

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3

散歩だ。これは、ただの散歩だ。

 

たまたま天気がよくて、たまたま足が市場の方に向いて、たまたま前方二十歩くらいのところを、銀髪の少女が歩いている。

 

前にも、同じことを自分に言い聞かせた気がした。

 

マキナは、軽い足取りで下層の路地を進んでいく。編み込みの銀髪が、一歩ごとにぴょこぴょこ跳ねる。

 

路地の脇に、植木鉢があった。

 

しおれかけた雑草が一本、生えている鉢。はじめてのおつかいの日、マキナが三分もしゃがみこんで、じっと覗き込んでいた鉢だ。

 

マキナは、今日は立ち止まらなかった。

 

歩きながら、雑草に小さく手を振って、そのまま通り過ぎた。

 

パラゴンは、建物の角で、少しだけ笑った。

 

―――

 

市場は、半分ほど戸を閉めていた。

 

呼び込みの声は、前よりずっと少なかった。角ごとに、灰色の制服のセイフガードが立っていた。石畳の継ぎ目のキノコは、どれも乾いて、白い粉になって崩れていた。

 

それでも、八百屋は開いていた。

 

マキナは、まっすぐ八百屋に向かった。星の形の梨の前でも、蟹の桶の前でも、止まらなかった。

 

「おっ」

 

八百屋の親父が、顔を上げた。

 

「値切りの天才じゃねえか。久しぶりだな」

「にんじんと、いも、ください」

「はいよ。……で?」

 

親父が、にやりと笑う。

 

マキナは、胸を張った。

 

「まけて」

「はっはっは! 変わんねえなあ、お嬢ちゃん」

 

親父は、形の悪い小さないもを一つ、紙袋に放り込んだ。

 

「こんなご時世だ。ちょっとでも笑わせてくれた礼だよ」

「……ありがとう。あなた、やっぱり、いいひと」

 

入り口脇の古い樽の陰で、パラゴンは、それを見ていた。

 

前と同じ樽だった。

 

親父が、ふとこちらを見た。

 

目が合った。

 

「兄さん。また、散歩かい」

 

親父は、手を振った。

 

パラゴンは、樽の陰で、額に手を当てた。

 

―――

 

薬局では、腰の曲がった婆さんが、いつもの薬を包んでくれた。マキナは、今日はメモを見せる前に、「いつもの、ください」と言えた。

 

市場の外れの、小さな古い店の前を通りかかった。

 

塗装の剥げかけた木の看板。オーレル雑貨店。

 

店先で、白髪まじりの髪を後ろで束ねた痩せた男が、棚の埃を払っていた。丸い眼鏡の奥の目が、マキナを見つけて、穏やかに細められた。

 

「やあ。いらっしゃい、値切りのお嬢さん」

「せっけん、ください。やまゆりの」

「覚えていてくれたんだね」

 

オーレルは、薄紙に包んだ石鹸を手渡しながら、ふと、通りの向かいに目をやった。

 

古道具屋の積み荷の陰。

 

目が合った。

 

オーレルは、何も言わなかった。前と同じように、丸い眼鏡の奥で、小さく片目をつぶっただけだった。

 

パラゴンは、積み荷の陰で、長く息を吐いた。

 

神だと言われた。記録にない神だと。

 

それでも、八百屋の親父はいもをおまけして、薬局の婆さんは薬を包んで、雑貨屋の主人は石鹸を手渡した。

 

マキナは、前と同じように、律儀に一人ずつ手を振り返していた。

 

そして自分は、前と同じように、物陰に隠れて、はらはらしている。

 

何も、変わっていなかった。

 

 

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4

市場の出口で、マキナが振り返った。

 

まっすぐ、パラゴンの隠れている積み荷の方を見た。

 

「パラゴン。さんぽ?」

 

パラゴンは、固まった。

 

それから、観念して、積み荷の陰から出た。

 

「……いつから、気づいてた」

「さいしょから」

 

マキナは、紙袋を抱え直した。

 

「まえの、おつかいのときも」

「……」

「たるの、うしろ。ずっと、いた」

 

パラゴンは、空を見上げた。

 

ルーチェは、全部知っていたのだろうか。たぶん、知っていた。

 

並んで歩き出した。

 

マキナの歩幅に合わせて、ゆっくりと。

 

しばらく歩いてから、マキナが、ぽつりと言った。

 

「……パラゴン」

「なんだ」

「わたし、かみさまだったら、パラゴン、こまる?」

 

足元を見たまま、小さな声で。

 

パラゴンは、少しだけ考えた。

 

「……困るのは、お前がまた蟹に指を挟まれるときだけだ」

 

マキナが、顔を上げた。

 

「かに、つよかった」

「知ってる」

「こんどは、はさまれない」

「そうしてくれ」

 

マキナは、紙袋を抱えたまま、少しだけパラゴンの方に寄った。

 

歩きにくかった。

 

パラゴンは、何も言わなかった。

 

 

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5

夜、寝台の縁に、ルーチェとマキナが並んで座っていた。

 

ルーチェが、山百合の石鹸で洗ったマキナの髪を、柄の欠けた木の櫛で梳かしていた。いつもとは逆だった。

 

花の匂いが、部屋の中に、ほのかに広がっていた。

 

「ルーチェ」

「なあに」

「わたし、かみさま、なんだって」

 

櫛が、一瞬だけ止まった。

 

それから、また動き出した。

 

「そっか」

 

ルーチェは、マキナの銀白の髪を、ひと房すくい上げた。

 

「……じゃあ、明日の髪型、神さまっぽくしよっか」

「かみさまっぽい?」

「うん。こう、くるくるーって。すっごく、えらそうなの」

「えらそう!」

 

マキナが、ぱっと振り返った。ルーチェが、くすくすと笑った。

 

かまどの前で、一会が毛布にくるまったまま、にこにこと二人を見ていた。

 

戸口の柱にもたれて、パラゴンは、それを見ていた。

 

 

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6

管理塔の上層の廊下は、夜になると、ほとんど灯りがなかった。

 

十三番は、自分の机の上に、報告書を一枚置いた。

 

――押収物:杖一。ほだ木の神、拘束。

――備考:下町、長屋の路地にて、記録にない神、一。

――神格レベル:判定不能。

 

書き終えて、事件の綴りに挟もうとしたとき、手が止まった。

 

綴りの一番上に、紙片が一枚、挟まっていた。

 

自分が挟んだものではなかった。

 

差出人の名前は、なかった。日付は、昨日の朝だった。十三番が、あの路地へ向かう前の。

 

――長屋の路地に、記録にない神がいる。

 

一行だけ。細い、丁寧な字だった。

 

十三番は、半眼のまま、しばらくその紙片を見ていた。

 

誰かが、あの路地へ、行かせた。

 

首を、かしげる。

 

廊下の向こうから、鼻歌が聞こえてきた。

 

間延びした、楽しげな、女の声だった。

 

十三番が顔を上げたときには、鼻歌は、もう遠ざかっていた。

 

(第8話 了)

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