銀と琥珀   作:らむさいだー

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第9話 軍靴

 

 

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1

管理塔の第四階層は、いつもより騒がしかった。

 

インフラ局、グリッド。都市の水と魔導灯と下水を、帳面の上で管理している部署だ。ふだんは紙をめくる音しかしない部屋を、今日は職員たちが走り回っていた。

 

部屋の隅に、腰の高さまで積まれた箱があった。

 

「保留」の判が押された書類の箱。

 

若い事務員が、その箱の一番上から、分厚い帳面を一冊抜き出した。

 

第十二区画。上水の使用量。

 

ふた月前、この数字を課長のところへ持っていったのは、自分だった。水の使用量が、半分近くまで落ちています。魔導灯の方も。――課長は、帳面をちらりと見ただけで言った。神の区画だろ。誤差だ。

 

赤い「保留」の判が、帳面の余白に、そのまま残っていた。

 

事務員は、帳面を持って奥の机へ行った。

 

課長は、机の上に広げた何冊もの帳面を、青い顔でめくっていた。第四区画。第七区画。第九区画。どの帳面にも、同じ判が押されていた。どの帳面の数字も、同じように落ちていた。

 

「……課長」

 

課長は、顔を上げなかった。

 

「第十二区画です」

 

事務員が帳面を置くと、課長の手が止まった。

 

自分の押した判を、課長は、長いあいだ見ていた。

 

―――

 

その日の夕方、管理塔の上層から、一枚の命令書が下りてきた。

 

――区画における神格の大規模失踪、および「神々は、帰る」の声明を、神格絡みの重大事件として扱う。

――各区画の管理、および区画外の記録にない神格の洗い出しを、第十階層に移管する。

 

第十階層。治安維持部隊、ファイアウォール。

 

 

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2

朝、パラゴンは、音で目を覚ました。

 

ざっ、ざっ、ざっ。

 

揃った足音だった。何十、何百という靴底が、同じ拍子で石畳を踏んでいた。

 

窓を開けた。

 

表通りを、隊列が行進していた。

 

煤色の外套。黒い胸当て。肩に担いだ長い銃。顔の下半分を覆う、灰色の布。誰もが同じ背丈に見えるほど、隊列はきっちりと揃っていた。先頭で、旗が一本、揺れていた。

 

誰も、何もしゃべっていなかった。

 

足音だけが、長屋の壁に跳ね返って、いつまでも続いていた。

 

「……パラゴン」

 

マキナが、窓辺によじ登ってきた。パラゴンの袖をつかんで、隊列を見下ろす。

 

「あれ、なに?」

 

パラゴンは、すぐには答えられなかった。

 

その制服を、知っていた。

 

数年前。企業連と管理塔の紛争。パラゴンは企業側の機動部隊にいて、あの煤色の外套と向き合った。同じ隊列。同じ足音。同じ、顔のない兵士たち。

 

あのとき隣にいた戦友の一人は、今も、第四工業区画で暴れて拘束されたまま、CMAの審理を待っている。ケイン・ハルデン。HUBの受付で、ミレイがそっと束の下に回した封筒の名前。

 

「……軍隊だ」

 

それだけ言って、パラゴンは窓を閉めた。

 

閉めても、足音は聞こえていた。

 

―――

 

昼までに、壁という壁に、新しい張り紙が貼られた。

 

――夜間外出禁止。日没より夜明けまで。

――区画への出入りは、管理塔の許可証を持つ者に限る。

――区画の外で記録にない神格を見かけた者は、最寄りの検問所へ届け出ること。

 

最後の一枚の前で、パラゴンは、足を止めた。

 

 

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3

鉄鍋亭の奥の卓で、朝霧が飲んでいた。

 

昼だった。

 

卓の上に、空の杯が三つ並んでいた。朝霧は四つ目を傾けて、パラゴンに気づくと、片手を上げた。

 

「おう、傭兵。座れ座れ」

「……昼間から、珍しいな」

「非番になったんでな。今日から」

 

朝霧は、杯を卓に置いた。

 

「区画のことは、軍の仕事だとよ。セイフガードは、街の中の、こまごましたことだけやってりゃいいんだと」

 

いつもの豪快な声だった。けれど、杯を持つ手に、力が入りすぎていた。

 

「倉庫で寝かせてた連中も、全部あっちに引き渡した。金物屋の親父も、お前んとこの大家の爺さんも、あの悪ガキどももだ」

 

女将が、何も言わずに、朝霧の前に水の杯を置いていった。

 

朝霧は、それを見て、少しだけ笑った。それから、声を落とした。

 

「傭兵。張り紙、見たか」

「……区画の外の、記録にない神」

「ああ。あれは本気だ。軍は、洗い出しにかかる。住民登録から、家を一軒ずつ」

 

朝霧は、パラゴンの目をまっすぐに見た。

 

「噴水の、あの昼寝の神。あいつは、どこにも記録がねえ」

 

コテン。

 

市場の北の外れの、水の出ない噴水広場で寝ている神。誰にも数えられず、記録の上では存在しない神。

 

「それと――」

 

朝霧は、言いかけて、やめた。

 

パラゴンの後ろに、誰がいるのかを知っている顔だった。銀色の髪の、神紋のない少女。

 

「……嬢ちゃんのことは、俺は何も聞いてねえし、何も知らねえ。いいな」

「……ああ」

「気をつけろよ。軍は、俺たちみたいに、融通は利かねえぞ」

 

朝霧は、水の杯を一気に飲み干した。

 

―――

 

その日の夕方、パラゴンは噴水広場へ行った。

 

ヴィンスが、看板を片付けていた。噴水の縁で、寝間着のような衣の男が、丸くなって寝ていた。

 

「コテン」

 

コテンは、ゆっくりと片目を開けた。

 

「あ。起きてる人」

「うちに来い。しばらく」

「……なんで?」

「ここで寝てると、危ない」

 

コテンは、しばらくパラゴンを見ていた。それから、広場の向こうの、壁に貼られた真新しい張り紙を見た。

 

「……そっか」

 

のそのそと起き上がって、毛布を肩に掛けた。

 

ヴィンスが、看板を抱えたまま言った。

 

「旦那。……この方を、頼みます」

 

いつもの軽口は、なかった。

 

―――

 

その夜、パラゴンの家は、いっぱいだった。

 

窓辺の寝台にルーチェ。その足元に、マキナ。かまどの前に、毛布にくるまった一会。長椅子に、コテン。

 

「わぁい。お客さん!」

「……いっぱい、いる」

「こんばんは、コテンさん。また会えたね」

 

ルーチェが、嬉しそうに笑っていた。前にこの長椅子にコテンが泊まったときも、ルーチェは同じ顔をしていた。

 

パラゴンは、戸口の柱にもたれて、狭くなった部屋を見回した。

 

外では、軍靴の音が、夜の通りを巡回していた。

 

 

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4

翌朝、パラゴンは第十二区画の検問ゲートへ向かった。

 

塩の包みを、一つ持っていた。

 

ゲートの前に、煤色の外套が並んでいた。

 

いつもの詰所の男は、どこにもいなかった。あくびを噛み殺しながら、中で何かあっても自己責任だぞ、とだけ言っていた男。その代わりに、顔の下半分を灰色の布で覆った兵士が四人、銃を構えて立っていた。

 

「止まれ」

 

兵士の一人が、パラゴンの前に出た。

 

「許可証を」

「……HUBの傭兵だ。中に、知り合いがいる」

「許可証を」

 

兵士の声は、平坦だった。パラゴンの顔を見ていなかった。

 

「区画は封鎖中だ。管理塔の許可証のない者は、通せない」

「塩を届けるだけだ」

「通せない」

 

後ろの兵士たちが、銃口を、ほんの少しだけ上げた。

 

パラゴンは、塩の包みを握りしめた。

 

ゲートの向こうに、区画の通りが見えていた。崩れかけた小屋が並ぶ、静かな通り。その奥に、ノラがいる。

 

届かなかった。

 

ほんの数十歩の距離だった。

 

パラゴンは、踵を返した。

 

背中で、兵士たちの軍靴が、また同じ場所を踏み直す音がした。

 

 

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5

区画の中は、前よりもっと静かになっていた。

 

戸を閉ざした家が、また増えていた。通りの向こうを、煤色の外套が二人、家を一軒ずつ覗き込みながら歩いていた。

 

崩れかけた小屋の戸口に、ノラが座っていた。

 

灰色のぼさぼさの髪。猫のように尖った耳。背中の奥に、札を剥がされた木箱が一つ。

 

ノラは、片手で、その蓋に触れていた。もう片方の手には、灰白色の小さな石を握っていた。

 

カケラの石だった。

 

軍靴の音が、通りの向こうで遠ざかっていった。

 

ノラの耳が、ぴくりと動いた。

 

背後の、小屋の暗がりに、誰かが立っていた。

 

足音はしなかった。気配だけが、いつの間にか、そこにあった。

 

背が高かった。体のどこもかしこも、乾いた枝のように細かった。黒い髪を、後頭部の一箇所できつく結んでいた。背中に、古くて華奢な弓を一張り。

 

ノラは、振り返らなかった。

 

「……だれ」

「射手」

 

短い声だった。

 

「箱の中身。それと、手の中に、一」

 

ノラの肩が、こわばった。

 

射手の目は、ノラを見ていなかった。ノラの背中の、木箱を測っていた。

 

「軍は、箱ごと数える。番号を振って、棚に並べる。……ここにいれば、次は、そうなる」

 

ノラは、黙っていた。

 

石を握る手に、力がこもった。

 

射手は、しばらく黙っていた。それから、言った。

 

「北へ行けば、石を戻せる者がいる」

 

ノラの耳が、また、ぴくりと動いた。

 

ゆっくりと、振り返った。

 

「……もどせる?」

「確かではない」

 

射手は、正直だった。

 

「だが、ここにいれば、確かに戻らない」

 

ノラは、射手を見上げていた。

 

長いあいだ、見ていた。

 

それから、手の中の小さな石に、目を落とした。

 

射手は、それ以上は何も言わなかった。

 

気づいたときには、小屋の暗がりには、もう誰もいなかった。

 

ノラは、石を握ったまま、戸口に座っていた。

 

木箱の蓋に置いた手は、離さなかった。

 

通りの向こうから、また、軍靴の音が近づいてきた。

 

(第9話 了)

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