銀と琥珀   作:らむさいだー

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第10話 北へ

 

 

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1

夜になると、軍靴の音が通りを巡回した。

 

昼になると、角ごとに煤色の外套が立った。

 

外出禁止が出てから、七日が過ぎていた。

 

マキナは、毎朝、塩の包みを持って窓辺に座った。第十二区画の検問ゲートで、パラゴンが渡せずに持ち帰ってきた包みだった。

 

「……ノラ、しお、たりてる?」

「分からん」

「いも、ゆでてる?」

「……分からん」

 

マキナは、塩の包みを膝の上に置いたまま、窓の外を見ていた。

 

―――

 

HUB第三支部で、パラゴンはカウンターに身を乗り出した。

 

「区画の許可証。HUBから申請できないか」

 

ミレイは、眼鏡の奥で、少しだけ目を伏せた。

 

「……神様の関わることは、HUBでは扱えない決まりなんです。申請の窓口も、第十階層に移ってしまって」

「傭兵の依頼って形なら」

「依頼人が、区画の中の神様になってしまいます」

 

ミレイは、首を横に振った。

 

「ごめんなさい。わたしにできることは、ないんです」

 

いつもなら、決まりの隙間を一緒に探してくれる受付だった。その受付が、今日は、何も言えずに書類を揃えていた。

 

 

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2

セイフガードの拘置所の面会室は、窓がなかった。

 

鉄格子の向こうの椅子に、男が一人、座っていた。

 

首に、黒い輪はもうなかった。代わりに、輪の跡が、日に焼けない帯のように、白く残っていた。

 

グレイヴ。運河の水門で朝霧が捕まえた、樹の枝の実行部隊長。

 

「……非番の隊長さんが、何の用だ」

 

グレイヴは、格子越しに朝霧を見て、口の端を歪めた。

 

「差し入れなら、酒がいいんだがな」

「水で我慢しろ」

 

朝霧は、格子の前の椅子に、どっかりと腰を下ろした。

 

「区画に、軍が入った」

「知ってる。ここまで、足音が聞こえてくる」

 

グレイヴは、天井を見上げた。

 

「で? 俺に何を聞きてえ」

「樹は、何をしてる」

 

グレイヴは、笑った。

 

「枝が一本折れたくらいで、樹は倒れん。前にも言ったろ」

 

それから、少しだけ、身を乗り出した。

 

「まあ、折れた枝は、もういらねえんだとよ。……切られた枝が、樹に義理立てする筋合いもねえ」

 

襟の裏の、焼け潰れた徽章のあったあたりを、グレイヴは指で叩いた。

 

「なあ、隊長さん。軍が区画を締めりゃ、どうなると思う。残った在庫が、まとめて一か所に集まる。箱に詰めて、番号を振って、棚に並べてくれるんだ。管理塔が、親切にな」

 

朝霧の眉が、動いた。

 

「……それを、喜ぶのは誰だ」

「さあな」

 

グレイヴは、椅子の背にもたれ直した。

 

「ただ、樹の根っこってのはな。地面の下だけに張ってるとは限らねえ」

 

ゆっくりと、天井を指さした。

 

「塔の上の方まで、伸びてんだよ」

 

それきり、グレイヴは口を閉ざした。朝霧が何を聞いても、にやにやと笑っているだけだった。

 

面会室を出るとき、朝霧は、一度だけ振り返った。

 

グレイヴは、首の白い跡を、指でなぞっていた。まるで、そこにまだ、輪がはまっているかのように。

 

 

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3

その夜更け、裏の窓が、こつこつと鳴った。

 

パラゴンは、剣の柄に手をかけた。

 

外出禁止の夜に、戸口ではなく裏の窓を叩く者。巡回の兵なら、表の戸を叩くはずだった。記録にない神を洗い出しに来たのなら、なおさら。

 

長椅子のコテンを、ちらりと見た。コテンは、毛布にくるまったまま、目を開けていた。

 

パラゴンは、足音を殺して窓に近づいた。

 

窓の外に、小さな影が一つ、立っていた。

 

灰色のぼさぼさの髪。猫のように尖った耳。

 

パラゴンが窓を開けるより早く、マキナが寝台の足元から飛び起きていた。

 

「……ノラ!」

 

窓辺に駆け寄って、窓を押し開ける。

 

ノラが、そこに立っていた。

 

区画の外に。

 

石の箱は、背負っていなかった。片手に、灰白色の小さな石を握っていた。カケラの石だった。

 

ノラは、マキナを見上げた。

 

「……きた」

 

マキナの顔が、くしゃりと歪んだ。

 

「……どうやって、出てきた」

 

パラゴンが聞くと、ノラは、ふいと目をそらした。

 

「……みち、ある」

「道?」

「……おしえない」

 

それきりだった。

 

―――

 

狭い部屋に、明かりが一つだけ灯された。

 

ノラは、部屋の隅に、小さく膝を抱えて座っていた。マキナが、その隣にぴったりとくっついていた。寝台の上で、ルーチェが毛布を肩に掛けて、二人を見ていた。

 

かまどの前で、一会が黙って湯を沸かしていた。長椅子では、コテンが片目を開けていた。

 

一会が、小さな白い碗を、ノラの前に置いた。茶ではなかった。湯冷ましの、白湯だった。

 

ノラは、碗を見下ろして、それから一会を見上げた。一会は、にこにこと笑っているだけだった。

 

ノラは、両手で碗を包んで、ひと口すすった。

 

マキナが、その手元を見て、小さく言った。

 

「……おなじ」

 

マキナが、塩の包みを差し出した。

 

ノラは、それを見て、それからマキナを見た。

 

「……まだ、ある」

「でも、もってきた」

「……もらう」

 

ノラは、石を握っていない方の手で、包みを受け取った。

 

それから、しばらく黙っていた。

 

「……きた、って、いいに、きた」

 

言葉を、一つずつ選ぶように。

 

「きた、へ、いく」

 

マキナが、息を呑んだ。

 

「……きた、って、とおい?」

「……とおい」

 

ノラは、手の中の石を見下ろした。

 

「カケラ、もどす」

 

小さな声だった。けれど、揺れていなかった。

 

「もどせるか、わからない。……でも、ここにいたら、ぜったい、もどらない」

 

マキナは、何も言えなかった。

 

塩の包みがなくなった両手で、自分のワンピースの裾を、ぎゅっと握りしめていた。

 

 

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4

「……ゆみの、やつ、きた」

 

ノラが、ぽつりと言った。

 

「また。なんども」

 

パラゴンは、茶屋の土間を思い出した。卓を蹴り飛ばして作った、まっすぐな一本の線。距離、五歩。

 

「……のこってる、かみ、みんな、そと、つれてく、って」

「いつだ」

「……ちかいうち。……なんしゅうかん、か、あと」

 

ノラは、白湯の碗を握りしめた。

 

「……ゆみの、やつ、きらい」

 

尖った耳が、少しだけ伏せられた。

 

「いきたくない、かみも、かず、に、いれてた。……ぜんぶ、かぞえてた」

 

長椅子の上で、コテンが、毛布の端をつかんだ。

 

ノラの目が、コテンの方へ動いた。

 

「……おまえも、かず、に、はいってた」

 

コテンは、しばらく黙っていた。

 

「……僕、戻りたい昔、ないから」

 

眠そうな声だった。けれど、はっきりしていた。

 

「ここで、寝てる」

 

ノラは、コテンを見ていた。それから、短くうなずいた。

 

「……ん」

 

それから、手の中の石を、もう一度見下ろした。

 

「……あいつと、いっしょ、じゃない」

 

小さな声だった。

 

「きた、へは、ひとりで、いく。……じぶんで、きめた、から」

 

 

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5

パラゴンは、しばらく黙っていた。

 

部屋の中を、見回した。

 

北へ行くと決めたノラ。その隣で、裾を握りしめているマキナ。ここで寝ていると決めたコテン。寝台の上のルーチェ。かまどの前の一会。

 

行く者と、残る者が、同じ狭い部屋にいた。

 

「……出ていく者も、残る者も」

 

パラゴンは、言った。

 

「自分で選べるようにする」

 

ノラが、顔を上げた。

 

「ノラが北へ行く道は、守る。コテンがここで寝てるのも、守る」

 

どちらか一つではなかった。同じ一つのことだった。

 

ノラは、パラゴンを見ていた。

 

前に、区画に戻ると言ったときも、ノラは自分で選んだ。行かないことを選んだ神は、戻ることも、自分で選んだ。

 

今度は、出ていくことを、自分で選んでいた。

 

「……ん」

 

ノラは、短くうなずいた。

 

かまどの前で、一会が、にこにこと言った。

 

「じゃあ、僕は、お茶くらいは出すね」

 

いつもの、ゆるい声だった。

 

パラゴンは、何も言わなかった。茶屋の土間で、射手の前に音もなく踏み入った、あの背中を思い出していた。

 

 

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6

夜明け前、ノラは、裏の窓から出ていった。

 

路地は、まだ暗かった。遠くで、巡回の軍靴の音が、角を曲がっていった。

 

ノラは、窓の外で、一度だけ振り返った。

 

マキナが、窓枠に両手をかけて、身を乗り出していた。

 

「……ノラ」

 

ノラは、少しだけ黙っていた。

 

それから、言った。

 

「……また、くる」

 

マキナが、大きくうなずいた。

 

「まってる。いも、いっしょに、ゆでる」

 

ノラは、ふいと顔を背けた。尖った耳の先が、少しだけ赤くなった。

 

小さな影は、路地の暗がりに溶けて、すぐに見えなくなった。

 

どの角を曲がったのかも、分からなかった。

 

マキナは、いつまでも窓枠から離れなかった。

 

東の空が、少しずつ白み始めていた。

 

(第10話 了)

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