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1
外出禁止は、終わらなかった。
一週間が過ぎて、二週間が過ぎた。
夜になると、軍靴の音が通りを巡回した。昼になると、角ごとに煤色の外套が立った。人々は、その横を、目を伏せて通り過ぎることに慣れていった。
パラゴンの家は、狭いままだった。
かまどの前では、一会がマキナに茶の点て方を教えていた。
「手首だけで振るんだよ。腕じゃなくて、手首」
「てくび」
「そうそう。しゃかしゃかしゃか、って」
「しゃか、しゃか、しゃか」
マキナの茶筅は、碗の底でごとごとと鳴った。泡は、ほとんど立たなかった。
「……あわ、ない」
「最初はみんなそう。僕も、最初はそうだった」
「いちえも?」
「うん。僕も」
長椅子では、コテンが寝ていた。一日のほとんど、寝ていた。ときどき起きて、ルーチェとぽつぽつ話して、また寝た。
ルーチェは、嬉しそうだった。
「家に帰ってくる人がいっぱいいるって、いいね」
寝台の上で、毛布を肩に掛けて、ルーチェはそう言った。
―――
HUB第三支部のカウンターの端の席には、まだ誰も座っていなかった。
丸椅子の上に、ミレイが畳んだ手拭いを一枚、置いていた。洗濯屋の女将から届いた、洗い立ての手拭いだった。
誰も、それをどけなかった。
―――
そのあいだにも、ノラは何度か、夜の窓を叩いた。
来るたびに、少しずつ長くいるようになった。マキナの隣で、膝を抱えて座って、白湯をすすって、夜明け前に帰っていった。
北へ行く話は、あれから一度もしなかった。
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2
ある夜、窓を叩いたノラの服のポケットが、ぼこぼこに膨らんでいた。
「……いも、もってきた」
ノラは、ポケットから、土のついたいもを三つ、取り出した。
どれも、小さかった。形も、いびつだった。区画の配給の、余りものらしかった。
マキナの目が、まんまるになった。
「いも!」
「……いも」
「ゆでる! いっしょに、ゆでる!」
ノラは、ふいと目をそらした。
「……だから、もってきた」
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3
台所に、二人並んで立った。
いもの茹で方を知っているのは、ノラだった。
「……あらう」
「どのくらい?」
「……つち、なくなるまで」
マキナは、桶の水で、いもを一つずつ丁寧に洗った。ノラは、その横で、黙って見ていた。
「……なべ、みず」
「どのくらい?」
「……いも、かくれるまで」
「……ひ」
「つよく?」
「……ふつう」
鍋が、ことことと鳴り始めた。
マキナは、鍋の前にしゃがみこんで、中を覗き込んだ。
「もう、いい?」
「……まだ」
「いま?」
「……まだ」
「なんで、わかるの?」
ノラは、少しだけ黙っていた。
「……なんども、ゆでた、から」
かまどの前で、一会が腰を浮かせた。
「僕も手伝――」
「一会さんは、座ってて」
寝台から、ルーチェの声が飛んだ。一会は、すごすごと座り直した。
「……前に、豆、焦がしたもんね」
「覚えてた……」
長椅子の上で、コテンが鼻をひくひくさせて、目を開けた。
「……いい、におい」
―――
いもが茹で上がると、ノラが、ポケットから小さな包みを取り出した。
マキナが、息を呑んだ。
塩の包みだった。
マキナが、ずっと前から渡してきた包み。「……まだ、ある」と言って、ノラがずっと使わずにいた塩。
ノラは、包みを開いた。
ほとんど、減っていなかった。
ノラは、それを、茹で上がったいもの上に、指先でぱらぱらと振りかけた。
一度では足りなくて、もう一度。
包みの中身が、みるみる減っていった。
「……いいの?」
マキナが、小さな声で聞いた。
ノラは、答えなかった。最後のひとつまみまで振りかけて、空になった包み紙を、指で丁寧に畳んだ。
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4
窓の外で、何かが動いた。
灰色と白のふかふかした毛並みが、窓枠によじ登ってきた。この路地で、もふとも大福とも閣下とも呼ばれている猫だった。
猫は、窓の隙間から、湯気の立つ鍋に鼻を近づけた。
ふんふん、と嗅いだ。
くしゅん、とくしゃみをした。
マキナとノラが、同時に猫を見た。
「……くしゃみ」
「……した」
それから、猫は、何事もなかったように窓枠の上で丸くなった。
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5
いもを六つに分けて、碗に盛った。
三つのいもを、六人で。一人ぶんは、ほんのひと口だった。
卓の上に、湯気の立つ碗が六つ並んだ。
そのとき、表の戸が、叩かれた。
どん、どん、と。
重い拳の音だった。
部屋の中の全員が、動きを止めた。
「巡回だ。確認する。開けろ」
戸の向こうから、平坦な声がした。
パラゴンは、部屋を見回した。
区画の外に出てきたノラ。記録のどこにもいないコテン。住民登録のないマキナ。
この家には、記録にない神が、三人いた。
一会が、音もなく立ち上がった。
「……奥。母上の毛布の下」
小さな、静かな声だった。
ノラとマキナが、寝台の陰に滑り込んだ。コテンが、長椅子から転がり落ちるようにして、その後を追った。ルーチェが、何も言わずに、毛布を大きく広げて、三人の上に掛けた。
パラゴンは、戸を開けた。
煤色の外套が二人、立っていた。顔の下半分を、灰色の布で覆っていた。
「住人は」
「……俺と、妹だ」
兵士の一人が、帳面をめくった。
「パラゴン・アルマゲスト。ルーチェ・アルマゲスト。……他には」
「僕、居候です!」
パラゴンの後ろから、一会がひょいと顔を出した。にこにこしながら、一枚の札を差し出す。住民登録の札だった。
「路地裏で茶屋をやってたんですけど、お店が壊れちゃって。しばらくここで、お世話になってます」
兵士は、札を帳面と見比べた。それから、うなずいた。
「……茶屋。確認した」
兵士が、部屋の中に目をやった。
窓辺の寝台で、ルーチェが毛布を膝まで掛けて、小さく咳をしていた。
それから、兵士の目が、卓の上で止まった。
湯気の立つ碗が、六つ並んでいた。
「……三人だな」
「ああ」
「碗が、多い」
兵士が、碗を指さした。
一つずつ、数え始めた。
「一、二、三、四――」
寝台の陰の毛布の下から、小さな音が漏れた。
ふわあ、と。
あくびだった。
兵士の数える声が、途切れた。
「――五……」
兵士の口が、大きく開いた。布の下で、つられるように、大あくびをした。隣の兵士も、同じように、あくびをかみ殺していた。
兵士は、目をこすった。
もう一度、碗を見た。数を、どこまで数えたのか、思い出せないような顔をしていた。
「……数え間違いか」
兵士は、帳面に何かを書きつけて、閉じた。
「夜間の外出は、禁止だ。守れ」
それだけ言って、二人は戸口から離れていった。
軍靴の音が、路地の角を曲がって、遠ざかっていった。
パラゴンは、戸を閉めた。
背中を戸につけたまま、長く息を吐いた。
寝台の毛布が、もぞもぞと動いた。コテンが、眠そうな顔を出した。
「……ねむく、なっちゃった」
一会が、声を殺して笑っていた。
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6
いもは、少し冷めていた。
それでも、みんなで食べた。
ひと口ずつ。ほくほくしていて、塩の味がした。
ノラは、自分の碗のいもを、じっと見ていた。それから、口に入れた。
もぐもぐと、噛んだ。
「……ふつう」
マキナが、ノラの顔を覗き込んだ。
ノラは、少しだけ黙っていた。
「……でも、おいしい」
尖った耳の先が、赤くなっていた。
マキナが、にこにこと笑った。自分の碗のいもを食べ終えて、ノラの方に身を乗り出した。
「つぎは、なに、ゆでる?」
ノラは、答えなかった。
空になった碗を、両手で持ったまま、窓の外の暗がりを見ていた。
―――
夜明け前、ノラは裏の窓に手をかけた。
マキナが、窓辺まで見送りに来た。
ノラは、窓の外で、振り返った。
マキナを、長いあいだ見ていた。
「……また」
言いかけて、ノラは口をつぐんだ。
その先は、言わなかった。
ふいと背を向けて、路地の暗がりに消えていった。
―――
パラゴンが窓を閉めようとしたとき、窓辺に、小さな紙が一枚、置いてあるのに気づいた。
空になった塩の包み紙だった。
角をきっちりと揃えて、丁寧に、小さく畳んであった。
パラゴンは、それを拾い上げた。
ずっと使わずにいた塩を、最後のひとつまみまで使い切った。使い切った包み紙を、ここに置いていった。
もう、近いのだと分かった。
パラゴンは、包み紙を、そっと懐にしまった。
マキナは、寝台の足元で、もう寝息を立てていた。
(第11話 了)