銀と琥珀   作:らむさいだー

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第13話 機械仕掛けの神

 

 

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1

びぃん。

 

パラゴンは、剣で矢を払った。

 

払ったつもりだった。刃が弾いたのは矢の羽根だけで、矢の本体は、剣の腹をすべって、左の肩をかすめていった。

 

外套が裂けた。熱いものが、腕を伝った。

 

射手は、もう次の矢を番えていた。

 

パラゴンは、腰の銃を抜いて撃った。二発。射手は半身を切っただけで、どちらもかわした。

 

「銃。右手。癖、一」

 

射手が呟いた。

 

びぃん。

 

パラゴンの右手の甲を、矢がかすめた。銃が、手から弾かれて、石畳を転がった。

 

呪符を抜く。指で紋をなぞる。風が、射手の足元から吹き上がった。

 

射手の黒い髪の結び目が、揺れた。それだけだった。

 

「風、下から。四」

 

次の矢は、吹き上がる風の中を、まっすぐに抜けてきた。

 

パラゴンは、横へ跳んだ。跳びきれなかった。

 

左の腿に、矢が突き立った。

 

「――っ」

 

膝が、石畳についた。

 

茶屋の土間では、射手は外套の裾を縫い止めただけだった。脚の指一本ぶん外を狙って、それで足りた。

 

今は、違った。

 

腿から、血が流れていた。本物の血だった。

 

射手は、弓を下ろさなかった。まばたき一つしなかった。膝をついたパラゴンを、上から、測っていた。

 

「……傭兵。退け」

 

短い声だった。

 

 

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2

パラゴンは、腿の矢を、根元で折った。

 

歯を食いしばって、立ち上がった。

 

背中の庵から、釜の湯の鳴る音が、かすかに聞こえていた。中には、行かないと決めた神々がいた。コテンがいた。一会がいた。

 

退くわけには、いかなかった。

 

―――

 

射手の矢は、外れなかった。

 

外れる矢も、あった。最初の何本かは、パラゴンの脇をすり抜けて、後ろの壁に刺さった。けれど、ある矢からは、一本も外れなくなった。

 

肩。手の甲。腿。

 

パラゴンは、荒い息の中で、それを数えていた。

 

外れた矢と、外れなかった矢。その違いは、何だ。

 

「距離、十二」

「風、右から。二」

「銃。右手。癖、一」

「風、下から。四」

 

射手は、射る前に、必ず何かを口にしていた。

 

口にしたあとの矢は、外れなかった。

 

茶屋の土間を、思い出した。風の呪符で、二本目の矢が逸れた。射手は呟いた。風、右から。二。そして三本目は、風の中をまっすぐに抜けてきた。

 

測っていたのだ。

 

測りきったものには、必ず届く。それが、あの弓だった。

 

距離も、風も、パラゴンの癖も。一つずつ測られて、測られたものから順に、パラゴンの手の中から消えていった。

 

なら。

 

測らせなければいい。

 

 

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3

パラゴンは、懐から呪符を、ありったけ抜いた。

 

一枚目の紋をなぞる。風が起きる。二枚目。三枚目。

 

一枚ずつではなかった。続けざまに、休みなく。右から。左から。上から。足元から。

 

区画の通りに、風が吹き荒れた。

 

小屋と小屋のあいだに渡された紐から、干してあった布が、いっせいに舞い上がった。瓦礫の砂埃が、渦を巻いた。崩れかけた小屋の板切れが、からからと音を立てて転がり、宙に跳ねた。

 

布が、射手とパラゴンのあいだを横切った。砂埃が、それを追いかけた。板切れが、その前を掠めた。

 

一瞬ごとに、形が変わった。

 

「風、右から、三……」

 

射手の声が、途切れた。

 

「……左。いや、上から……」

 

測る声が、風に追いつかなかった。

 

パラゴンは、布の陰から陰へ走った。腿の傷が、一歩ごとに焼けた。

 

それでも、射手は射ってきた。

 

測れる数字だけを拾って、風の隙間から、正確に。

 

びぃん。

 

右の脇腹を、矢がかすめた。

 

びぃん。

 

左の腕に、浅く刺さった。

 

パラゴンは、転がるようにして、瓦礫の陰に身を伏せた。

 

血が、石畳に点々と落ちていた。呪符は、あと一枚しか残っていなかった。

 

―――

 

風が、弱まり始めていた。

 

布が、一枚、また一枚と、地面に落ちていく。砂埃が、薄れていく。

 

射手の目が、瓦礫の陰を見ていた。

 

パラゴンは、最後の一枚を握りしめて、立ち上がった。

 

射手と、目が合った。

 

布の最後の一枚が、二人のあいだを、ゆっくりと落ちていった。

 

射手の唇が、動いた。

 

「……一点」

 

弦が、鳴った。

 

その瞬間、パラゴンは、最後の呪符の紋を、自分の足元でなぞった。

 

風が、真下から、パラゴンの体を押した。

 

手のひら一つぶん。

 

横へ。

 

矢は、測ったとおりの一点に届いた。

 

さっきまでパラゴンの胸があった場所へ。

 

矢は、パラゴンの左の脇腹を裂いて、背中の向こうへ抜けていった。

 

胸ではなかった。

 

射手の目が、見開かれた。

 

 

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4

パラゴンは、踏み込んだ。

 

脇腹から、血が溢れていた。腿が、もう言うことをきかなかった。それでも、前に出た。倒れ込むように、一息に間合いを詰めた。

 

射手が、次の矢を番えた。

 

速かった。これまでのどの矢よりも。

 

弦を引き絞って、パラゴンに向けて――

 

射手の唇が、動いた。

 

「距離――」

 

止まった。

 

パラゴンは、射手の目の前にいた。

 

弓の、内側に。

 

矢の先よりも、近くに。

 

射手の唇が、もう一度動いた。数字が、出てこなかった。

 

距離が、なかった。線が、引けなかった。一点が、定まらなかった。

 

剣の切っ先が、射手の喉元で、止まった。

 

誰も、動かなかった。

 

射手の呼吸が、浅かった。至近距離で誰かと向き合うことを、何より嫌う神だった。

 

「……近い」

 

掠れた声だった。

 

パラゴンは、剣を引かなかった。突きもしなかった。

 

「神々は、自分で選ぶ」

 

息が、続かなかった。一言ずつ、絞り出した。

 

「出ていく者も、残る者も。……あんたが、決めることじゃない」

 

射手は、長いあいだ、パラゴンを見ていた。

 

測っていなかった。ただ、見ていた。

 

それから、弓を握った指が、ほどけた。

 

膝が、石畳に落ちた。

 

 

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5

射手の弓に、何かが巻きついていた。

 

錆びた鎖だった。

 

いつから、そこにいたのか分からなかった。射手の隣に、茶色い外套の男が、半分だけ目を開けて立っていた。

 

十三番だった。

 

足音は、しなかった。外套の裾が、どこか別の場所の煤で、黒く汚れていた。

 

「……遅くなりました」

 

誰に言うでもない、気の抜けた声だった。

 

「ほかの区画も、ずいぶん騒がしくて」

 

区画の壁の向こうの、あちこちの方角で、まだ警鐘が鳴っていた。今夜、騒ぎが起きていたのは、ここだけではなかった。

 

十三番が来たとき、ここでの決着は、もうついていた。

 

外套の下の、錆びた鎖の奥から、平坦な声が響いた。

 

『対象、神格を確認』

 

『神格レベル、判定――レベル2』

 

射手が、顔を上げた。

 

十三番を見て、それから、自分の弓に巻きついた鎖を見た。

 

何も言わなかった。

 

ただ、ほどけかけていた指に、もう一度、力をこめようとした。

 

鎖が、弓を巻き込んでいった。弓だけではなかった。弓の中に宿っていたもの。番えて、測って、一点で決める――その神の、神話そのものを。

 

射手の指から、弓が、するりと抜けていった。

 

鎖が、弓を完全に巻き込んで、十三番の外套の下へ戻っていった。

 

「すんません。仕事なんで」

 

射手は、空になった左手を見下ろしていた。

 

弦の溝が、骨まで刻まれた指だった。その溝に、もう何も、かからなかった。

 

―――

 

軍靴の音が、通りに雪崩れ込んできた。

 

煤色の外套の兵士たちだった。壁際で銃を縫い止められた隊とは別の、よその区画から回されてきた新しい隊だった。銃口を構えて、庵と、膝をついた射手と、血まみれのパラゴンを、半円に取り囲んだ。

 

そして、十三番を見て、止まった。

 

誰も、引き金に指をかけなかった。

 

兵士たちの後ろから、胸当てに徽章をつけた男が進み出た。指揮官らしかった。

 

「ダエーワか。……ご苦労」

 

指揮官は、区画の北の方角を指さした。

 

「北の外れで、影が消えていくのを見た兵がいる。神が逃げている。追え」

 

十三番は、そちらを見もしなかった。

 

「仕事は、あの弓だけなんで」

 

指揮官の顔が、布の下で強張った。

 

「これは命令だ」

「ダエーワは、そっちの命令系統じゃないんで」

 

十三番は、鎖を一本伸ばして、射手の手首にそっと巻きつけた。射手は、抵抗しなかった。

 

十三番は、射手を連れて歩き出した。

 

パラゴンの横を、すれ違った。

 

半分だけ開いた目が、ほんの一瞬、パラゴンの脇腹の血を見た。それから、庵の方を見た。壁を越えずに済んだ神々が、まだその中にいる庵を。

 

「……今度は、ちゃんと、やったんだ」

 

それだけだった。

 

足音も、最後まで聞こえなかった。

 

 

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6

パラゴンは、北へ歩いた。

 

走れなかった。腿を引きずって、脇腹を押さえて、崩れかけた小屋の壁に手をつきながら。

 

区画の北の外れの、小屋と小屋のあいだの暗がりの前に、小さな影が二つ、並んで立っていた。

 

マキナと、ノラだった。

 

ノラは、石の箱を背負っていた。行かずに、待っていた。

 

マキナが、パラゴンに気づいて、振り返った。

 

「パラゴン!」

 

ノラも、振り返った。

 

パラゴンの血まみれの脇腹を見て、尖った耳が、ぴくりと動いた。

 

「……ち、でてる」

「……ああ。出てる」

 

ノラは、少しだけ黙っていた。

 

それから、石の箱の肩紐を、ぎゅっと握り直した。

 

パラゴンを、まっすぐに見上げた。

 

「……いってくる」

 

パラゴンは、うなずいた。

 

「……ああ。いってこい」

 

ノラは、マキナの方を向いた。

 

マキナは、ワンピースの裾を握りしめて、ノラを見ていた。

 

「いってらっしゃい」

 

少しだけ、声が震えていた。

 

「……いも、また、ゆでよう」

 

ノラは、ふいと顔を背けた。

 

尖った耳の先が、赤くなっていた。

 

それから、何も言わずに、暗がりの方へ歩き出した。

 

一人で。

 

小さな影は、暗がりに溶けて、見えなくなった。

 

どの角を曲がったのかも、分からなかった。

 

―――

 

南の方角で、庵が、湯気がほどけるように消えていった。

 

神々が、一柱ずつ、通りに出てきた。行かないと決めた神々が、自分の小屋へ戻っていく。

 

コテンは、通りの真ん中で、一会の膝を枕にして眠っていた。

 

東の空が、白み始めていた。

 

 

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7

管理塔の上層の廊下を、十三番が歩いていった。

 

外套の下で、錆びた鎖が、何かを巻き込んで揺れていた。古い、華奢な弓の形をしていた。

 

廊下の突き当たりの窓辺に、二つの影があった。

 

一人は、窓枠に腰かけて、煙草を吸っていた。拳に、古い傷が走っていた。

 

もう一人は、窓の外の、白み始めた下層の家並みを見下ろしていた。ワンピースの上に、片側だけの半甲冑。白い髪。

 

十三番は、二人に目もくれずに、通り過ぎていった。

 

窓辺の女が、間延びした声で、ぽつりと言った。

 

「石を戻せる人、かぁ」

 

楽しげな声だった。

 

「……そういう話、どこから流れたのかしらぁ」

 

煙草の女は、何も言わなかった。

 

窓の外へ、細く煙を吐いただけだった。

 

―――

 

塔の別の階の、灯りを落とした一室。

 

窓辺に、誰かが座っていた。紫の袖と、丸い眼鏡の縁が、夜明け前の薄い光を受けていた。

 

その人は、膝の上で、片方の手のひらを上に向けていた。まるで、そこを何かが通っていくのを、確かめるように。

 

一つ。また一つ。

 

最後に、ひどく小さなものが一つ、通り過ぎていった。背中に重い荷を背負った、小さなものが。

 

「……今は、腐草為螢(くされたるくさほたるとなる)ですねぇ」

 

誰に言うでもなく、その人はつぶやいた。

 

(第13話 了)

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