夜明けの色を見る眼   作:にんら

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アンケートについて、あとがきにて報告というか、そんな感じのものがあるので、お読みいただけると嬉しいです。


蒼崎先生

三月二十日。春休み、二日目。午前九時。

 

 久遠寺邸の書庫の扉に、紙が一枚、画鋲で留められていた。

 

 ――蒼崎先生の魔術講座 第一回 九時開講 遅刻厳禁 出席者:日景忉利、静希草十郎

 

 紙の下の方に、小さな字で、追記があった。

 

 ――ロビンは、出席しても発言禁止。

 

「……なんだよ、これ」

 

 忉利は、白いマグカップを手に持ったまま、その紙を見下ろしていた。

 

 隣で、草十郎が、真面目な顔で紙を読んでいる。

 

「講座、と書いてある。……日景。蒼崎は、先生になったのか」

 

「なってねえよ。生徒会長だ」

 

「なら、なぜ先生と」

 

「知らねえ。……嫌な予感しかしねえ」

 

 書庫の扉が、内側から、がらりと開いた。

 

「――遅い!」

 

 青子が、立っていた。

 

 制服姿だった。春休みなのに。手に、教科書らしい分厚い本を一冊。もう一方の手に、細い木の棒――どこかで見た覚えがある。屋敷の物置にあった、古いカーテンの吊り棒だ。

 

 鼻の上に、黒縁の眼鏡が乗っていた。

 

 忉利の眼鏡だった。

 

「……おい。それ、おれの」

 

「先生は、眼鏡をかけるものなの。座りなさい。九時二分。二分遅刻」

 

「九時って書いてあるから九時に来たんだろ」

 

「先生は、九時と言ったら八時五十分に来るものだと言ってるの」

 

「それ、親父の台詞だろ」

 

「いいから座りなさい!」

 

 書庫の中には、樫の大机の前に、椅子が二脚、並べられていた。

 

 大机の向こうには、どこから持ってきたのか、小さな黒板が一枚、書棚に立てかけてある。屋敷の物置の奥にあった、子供用の黒板らしい。角が、少し欠けていた。

 

 黒板の上に、白墨で、大きく書かれていた。

 

 ――魔術とは何か。

 

 その横に、小さく、蒼崎青子先生、と。

 

 書棚の上の段に、ロビンが、ちょこんととまっていた。

 

 嘴に、小さな紙が一枚、貼りつけられている。

 

 ――発言禁止。

 

 ロビンは、恨みがましい目で、青子を睨んでいた。

 

 

 

 

「――さて」

 

 青子は、カーテンの吊り棒で、黒板を、こつんと叩いた。

 

「あんたたちは、この三ヶ月で、いろんなものを見た。人形。童話の怪物。ルーン。それから、魔法。……でも、何が何なのか、ちゃんとわかってないでしょ」

 

「わかってねえな」

 

「わかっていない」

 

「でしょ。だから、今日から、私が教えるの。魔術師の家に生まれた、蒼崎青子が。……先生と呼びなさい」

 

「呼ばねえ」

 

「呼びなさい」

 

「……蒼崎先生」

 

 草十郎が、律儀に言った。

 

 青子は、満足げに頷いた。

 

 それから、じろりと、忉利を見た。

 

「……忉利。あんたも」

 

 忉利は、椅子の背にもたれて、気だるげに手を挙げた。

 

「はーい、あおあおせんせー」

 

 ―――

 

 ―――

 

 ―――。

 

 書庫の空気が、凍った。

 

 青子の顔から、表情が、すうっと消えた。

 

 次の瞬間。

 

 ごすっ、と。

 

 吊り棒ではなかった。拳だった。

 

 忉利の頭のてっぺんに、生徒会長の拳骨が、まっすぐに落ちていた。

 

「――っ、て、てめ……」

 

「今、なんて言ったの」

 

「……言ってねえ」

 

「言ったわよね。あおあおって。言ったわよね」

 

 青子の声は、静かだった。

 

 静かすぎて、書棚の上のロビンが、発言禁止の紙の下で、羽毛をぶわりと逆立てた。

 

 忉利は、頭を押さえたまま、椅子の上で、身を縮めた。

 

「……小三の時、お前、フルネームで呼ばれるたびに、そいつの上履き隠してただろ」

 

「隠してないわよ。屋上に置いただけ」

 

「それを隠すって言うんだよ」

 

「――もう一発、いる?」

 

「いらねえ」

 

 草十郎が、真面目な顔で、手を挙げた。

 

「蒼崎先生。あおあおとは、何だ」

 

「――静希くんは、覚えなくていいの!!」

 

「そうか。……だが、今、日景が」

 

「覚えなくていいの!!」

 

 窓際で、有珠が、紅茶のカップを傾けていた。

 

「……あおこ、あおざき。青が、二つ」

 

「有珠っ!!」

 

「独り言よ」

 

 有珠は、何事もなかったかのように、紅茶を一口飲んだ。

 

 忉利は、頭を押さえたまま、机に突っ伏していた。

 

 たんこぶが、もう、できかけていた。

 

「まず、基本の基本から。……魔術って、何だと思う?」

 

 草十郎が、手を挙げた。

 

「すごいこと」

 

「……間違ってないけど、ざっくりしすぎよ」

 

「忉利」

 

「……変なこと」

 

「もっとざっくりしてどうすんのよ」

 

 青子は、黒板に、白墨で、大きく書いた。

 

 ――魔術=料理。

 

「いい? 魔術は、料理なの。レシピがあって、材料があって、手順通りにやれば、ちゃんとできる。……ただし、台所がある家の子だけね」

 

「台所?」

 

 草十郎が、首を傾げた。

 

「生まれつき、身体の中に、台所が付いてるかどうか。……付いてない人は、どんなに勉強しても、カップ麺止まり」

 

「……カップ麺は、作れるのか」

 

「お湯を沸かすくらいは、誰でもできるでしょ。そういうこと」

 

「……じゃあ、魔法は」

 

 忉利が、訊いた。

 

「魔法は、今の世の中の、どんなお店でも、どんな機械でも、絶対に出せない料理。……作れるシェフは、世界に、数人だけ」

 

 青子は、胸を張った。

 

「ちなみに、百年後に、ファミレスのメニューに載ったら、ただの魔術に格下げ」

 

「……格下げ、あんのかよ」

 

「あるのよ。昔は、空を飛ぶのも、魔法だったんだから」

 

 窓際から、静かな声が、した。

 

「……その数人のひとりが、目の前で、雑な説明をしているのだけれど」

 

「雑じゃないわよ。わかりやすいのよ」

 

 青子は、得意げに、付け足した。

 

「たとえば、私が作ると、なぜか爆発する料理とか」

 

「それは、お前の料理が下手なだけだろ」

 

「――っ、違うわよ!」

 

「チョコ、三回焦がしたって、晴華から聞いたぞ」

 

「……なんで知ってるのよ」

 

「……青子。魔法と、料理の失敗を、一緒にしないで」

 

「例えよ、例え」

 

「例えが、悪いわ」

 

「次。魔力」

 

 青子は、黒板に、人の形を描いた。

 

 棒人間だった。頭が、少し大きい。

 

 その横に、「MP」と書いた。

 

「魔力っていうのは、これ。ゲームの、MP。魔術を使うと減って、休むと戻るの」

 

 草十郎が、首を傾げた。

 

「えむぴー、とは何だ」

 

「……ゲーム、やったことないの?」

 

「ない。山には、なかった」

 

 青子は、しばらく、考えた。

 

「……じゃあ、お腹。魔術を使うと、お腹が減るみたいに、減っていくの。空っぽになると、動けなくなる」

 

「なるほど」

 

 草十郎は、深く、頷いた。

 

「なら、魔力が切れたら、飯を食えばいいのか」

 

「……だいたい、合ってる」

 

「合っていないわ」

 

 窓際で、有珠が、紅茶のカップを置いた。

 

「だいたいよ、だいたい。……遊園地の後、私、おにぎり五個食べたもの」

 

「それは、ただの空腹よ」

 

 有珠は、淡々と、続けた。

 

「魔力は、生命力を、回路で変換したもの。食事は、材料の補給にはなるけれど、おにぎり一個で魔力一杯、なんて計算はないわ。……それに、魔力は、身体の外にもあるの。大気とか、土地とか。マナ、というのよ」

 

「……つまり、外食もできるってことね」

 

 青子が、ぽんと手を打った。

 

「……違うわ」

 

 忉利が、マグカップの陰で、少しだけ、肩を揺らした。

 

「次。呪文」

 

 青子は、吊り棒で、黒板を叩いた。

 

「魔術を使う時に唱える言葉。……自分に、言い聞かせるためのものなの。今から魔術を使うぞ、って。だから、基本的には、長い方が、強い。言い聞かせ方が、深くなるから」

 

「……お前の、短えよな」

 

 忉利が、言った。

 

「指、ぱちん、ってやるだけだろ。いつも」

 

「あれは、早口じゃなくて、省略。……一工程っていって、呪文ごと、ばっさりカットしてるの」

 

 窓際で、有珠が、言った。

 

「……レシピを読まずに、手が覚えている料理ね」

 

「そ。その代わり、ちゃんと唱えた方が、威力は上。……私の場合、長く唱えるほど、派手になる」

 

「派手になる、のか」

 

「派手になるのよ」

 

 草十郎が、手を挙げた。

 

「俺も、山で、唱える言葉があった。獲物を獲った時に」

 

「……へえ。聞かせて」

 

 草十郎は、目を閉じて、手を合わせた。

 

 低い声で、何か、長い言葉を、唱え始めた。

 

 山の言葉だった。意味は、わからなかった。

 

 一分。

 

「……静希くん、まだ?」

 

「まだ、半分だ」

 

「……長いわね」

 

「長い方が、強いのだろう」

 

 青子は、何も言い返せなかった。

 

「次。使い魔」

 

 青子は、書棚の上を、吊り棒で指した。

 

「魔術師の、お手伝いをするもの。主人の言うことを聞いて、偵察とか、伝言とかをするの。……生き物の形をしてることが多いけど、道具みたいなのもいるわ。ほら、あれ。ロビン」

 

 ロビンが、嘴の紙を、器用に剥がした。

 

「おいらは、マイ天使の言うことしか、聞かないッス!」

 

「……ほら、ちゃんと、主人の言うことを――」

 

「姉御の言うことは、聞かないッス!」

 

「…………」

 

 有珠が、紅茶を一口飲んで、淡々と言った。

 

「……ロビンは、例外よ。参考にしないで」

 

「マイ天使!?」

 

「次。結界」

 

 青子は、黒板に、大きな丸を描いた。

 

「魔術で引く、『ここから内側』の線。……壁にもなるし、警報にもなる。中にいる人を閉じ込めることもできる」

 

「線か」

 

 忉利が、少しだけ、顔を上げた。

 

「で、その線の使い方の一つが、人払い。近づくと、なんとなく、帰りたくなったり、道に迷ったりする仕掛けよ」

 

「ああ」

 

 忉利が、頷いた。

 

「遊園地の時の、丘の上のやつか」

 

「そう、あれ」

 

「あれ、切ったぞ」

 

「……あんたは、切るんじゃないの。普通は、帰るの」

 

「帰りたくなったけどな。三回くらい」

 

 草十郎が、手を挙げた。

 

「俺は、帰りたくならなかった」

 

「静希くんは、効かないのよ。……なんで二人とも、人払いを、人払いとして使わせてくれないのよ」

 

 窓際で、有珠が、言った。

 

「……ちなみに、気づかれる結界は、三流よ」

 

「この家のは、一流よ。……二人とも、最初は、玄関の前で、迷ったでしょ」

 

「迷ってねえ。開けただけだ」

 

「――あんたは、もう、黙ってなさい」

 

「……この屋敷の住人には、結界の意味がないわね」

 

 有珠が、ぽつりと言った。

 

 少しだけ、遠い目をしていた。

 

「次。魔術回路」

 

 青子は、さっきの棒人間の身体に、細い線を、何本も、書き込んだ。

 

「さっきの、台所の話。……魔術師の身体の中には、見えない電線みたいなのが、通ってるの。これに、魔力を流すと、魔術が動く」

 

「……電線」

 

 忉利が、マグカップを置いた。

 

「家電みたいなもんか」

 

「――え」

 

 草十郎が、真面目な顔で、青子を見た。

 

「蒼崎は、家電だったのか」

 

「違うわよ!」

 

「だが、電線が通っていて、流すと動くのだろう。……家電だ」

 

「例えよ! 例え!」

 

 窓際で、有珠が、紅茶のカップを、口元に、運びかけて。

 

 止まった。

 

「……家電……」

 

 小さく、呟いた。

 

 それから、カップの陰に、顔を隠した。

 

 肩が、ほんの少しだけ、震えていた。

 

「――有珠! 今、笑ったでしょ!」

 

「笑っていないわ」

 

「肩、震えてるわよ!」

 

「……寒いのよ」

 

 有珠は、カップの陰から、出てこなかった。

 

 それから、ようやく顔を上げた時には、いつもの無表情に戻っていた。

 

「……青子。その本、上下逆さまよ」

 

 青子は、手元の分厚い本を、見下ろした。

 

 金文字の題が、逆さまだった。

 

「――っ」

 

 慌てて、ひっくり返した。

 

「……有珠。いつからいたの」

 

「最初から」

 

「見学?」

 

「監視よ。わたしの書庫で、わたしの本を使うのだもの。……それから、魔術回路は、電線ではなくて、擬似神経よ。しかも、発電所も兼ねているの」

 

「……発電所」

 

「魔力を、作るところ。……本数は、生まれつき決まっていて、増やすのは、臓器を一つ足すのと同じくらい、大変よ」

 

「ね? 電線と発電所。だいたい合ってる」

 

「合っていないわ。……家電になってしまったもの」

 

「――っ、蒸し返さないで」

 

 草十郎が、真面目な顔で、頷いた。

 

「発電所付きの、家電か。……蒼崎は、すごいな」

 

「すごくないわよ!!」

 

「私、理屈は好きなのよ。例えるのが、ちょっと、苦手なだけで」

 

 青子は、吊り棒を、ぎりぎりと握りしめた。

 

「なら、先生を名乗らないで」

 

「……とにかく。私にも、有珠にも、回路がある。で」

 

 吊り棒の先が、くるりと回って、忉利を指した。

 

「忉利には、回路が、一本もない」

 

「……ねえな」

 

「台所がないのに、あの目で、人の家の料理を、切るの。結界も、ルーンも。……魔力を、一滴も使わずに」

 

「…………」

 

「だから、魔術師が、あんたの目を見ると、みんな、顔色が変わるのよ」

 

 草十郎は、忉利の顔を見た。

 

「日景。見せてくれ」

 

「何を」

 

「顔色が変わるところを」

 

「お前は魔術師じゃねえだろ」

 

「そうか。……残念だ」

 

「最後。……これが、一番、大事」

 

 青子は、黒板の、いちばん上に、書いた。

 

 ――魔術は、ひみつ。

 

「魔術はね、人に言うと、弱くなるの。一人しか知らない魔術を、もう一人に教えたら、力は半分。もう一人に教えたら、三分の一。……だから、魔術師は、人に言わない。秘密なの」

 

 草十郎が、手を挙げた。

 

「なら、俺が、まっどべあで、言いふらしたら、どうなる」

 

「……やめなさい」

 

「……鳶丸に言ったら、次の日には、学校中に広まってんな」

 

 忉利が、ぼそりと言った。

 

「あんたも、やめなさい」

 

 窓際で、有珠が、紅茶のカップを、受け皿に、そっと置いた。

 

「……この講座が外に漏れたら、魔術が、少し弱くなりそうね」

 

「有珠」

 

 忉利は、マグカップの珈琲を、静かに啜った。

 

 ロビンが、書棚の上で、翼で口元を隠して、震えていた。

 

「――では、ここで、小テスト」

 

 青子は、大机の上に、藁半紙を二枚、ぱしんと置いた。

 

 手書きの問題用紙だった。青子の、少し右上がりの字で、四問。

 

「……聞いてねえぞ」

 

「言ってないもの。抜き打ちよ。五分」

 

 草十郎が、鉛筆を、両手で握った。

 

 山の子が、試験用紙に向かう時の顔だった。獲物を前にした時と、同じくらい真剣な。

 

 忉利は、欠伸をかみ殺しながら、問題を読んだ。

 

 ――問一 魔術と魔法の違いを答えよ。

 

 ――問二 久遠寺有珠の使い魔を三つ挙げよ。

 

 ――問三 魔術回路の本数を確かめる方法を答えよ。

 

 ――問四(配点五十点) 先生の好きなものを答えよ。

 

「……おい。問四」

 

「私語禁止」

 

「配点、おかしいだろ。半分じゃねえか」

 

「先生への理解が、一番大事なの」

 

 窓際で、有珠が、紅茶を一口飲んだ。

 

「……公私混同ね」

 

「有珠も私語禁止!」

 

 

 

 

 五分後。

 

 青子は、二枚の藁半紙を回収して、大机の向こうで、赤い鉛筆を握った。

 

 まず、草十郎の方から。

 

「問一。……『蒼崎が使うのが魔法で、蒼崎以外が使うのが魔術』」

 

「違うのか」

 

「……ちょっと、合ってるのが腹立つわね。三角」

 

「三角」

 

「問二。『ロビン、ロビン、ロビン』」

 

 書棚の上で、ロビンが、発言禁止の紙の下で、激しく羽ばたいた。

 

「……静希くん。なんで三回書いたの」

 

「一番よく見るのが、ロビンだから。三つ挙げろと言われたが、ロビン以外は、よく知らない」

 

「……ロビンは、正解。使い魔だから。でも、三回書いても、一つよ。三角」

 

「三角」

 

 ロビンが、書棚の上で、胸の羽毛をこれ以上ないほど膨らませていた。嬉しいのか、怒っているのか、わからなかった。

 

「問三。『数える』」

 

「数えればいい」

 

「……どうやって」

 

「一本ずつ」

 

「……模範解答は、『詳しい人に、診てもらう』。私は、有珠に診てもらったわ」

 

 窓際で、有珠が、紅茶を一口飲んだ。

 

「数えたわ」

 

「…………」

 

「……丸」

 

「丸」

 

「問四。『梅昆布茶』」

 

 窓際で、有珠の紅茶のカップが、受け皿の上で、かちりと鳴った。

 

「――静希君。それは、この屋敷では、口にしてはいけない言葉よ」

 

「そうなのか。……だが、蒼崎は、好きだと言っていた。三年飲んでいない、と」

 

「――っ、静希くん!!」

 

「……青子」

 

 有珠の声が、冬の湖の底の温度になった。

 

「屋敷の外で、飲んでいるのね」

 

「飲んでない! 飲んでないわよ! ……正月に、実家で、一杯だけ」

 

「そう」

 

「一杯だけよ!」

 

「三日」

 

「なんでよ!!」

 

 忉利は、机に突っ伏して、肩を震わせていた。

 

 青子は、真っ赤な顔で、赤鉛筆を、忉利の藁半紙に叩きつけた。

 

 

 

 

「――次! 忉利! 問一、『レシピで作れるのが魔術。どうやっても作れねえのが魔法。お前のチョコは、ただの失敗』。……最後の一文以外、丸。問二、『月の油、橋の巨人、薔薇の猟犬』」

 

「……丸でいいだろ」

 

「……丸。ただし、月の油は、遊園地で私が壊したから、そこだけ三角」

 

 窓際で、有珠が、カップを置いた。

 

「……それを、自分で、採点に書くのね」

 

「――問三! 『知らねえ』」

 

「知らねえもんは知らねえ」

 

「バツ。……問四」

 

 青子の赤鉛筆が、止まった。

 

 藁半紙の、いちばん下の欄を、じっと見下ろしている。

 

「…………」

 

「なんだよ」

 

「……なに、これ」

 

 忉利の字で、一行だけ、書いてあった。

 

 

 ――おれの淹れる珈琲。

 

 

 青子の耳の先が、見る見るうちに、赤くなっていった。

 

「……な、なによ、これ。自意識過剰じゃないの」

 

「違うのか」

 

「――っ」

 

「毎朝、飲んでんだろ。紅茶派のくせに」

 

「……い、いいわよ! 五十点! あげるわよ!」

 

 青子は、赤鉛筆で、問四の欄に、乱暴に丸をつけた。

 

 丸が、藁半紙からはみ出していた。

 

「結果発表! 静希くん、三十点! 忉利、……八十点!」

 

「おれの勝ちだな」

 

「問四がなかったら、三十点よ!」

 

「問四、作ったのお前だろ」

 

 窓際で、有珠が、藁半紙を覗き込んでいた。

 

「……公私混同ね」

 

「有珠!!」

 

 

 

 

「――理論は、ここまで!」

 

 青子は、黒板の字を、袖で乱暴に消した。

 

「実技に入るわ。……ここからが、本題よ」

 

 青子は、吊り棒を、忉利に向けた。

 

「日景忉利。あんたの目のこと」

 

 忉利は、カップを置いた。

 

「あんたの目には、扉がある。開けたり、閉めたりできる。……そうよね」

 

「ああ」

 

「でも、あんた、まだ、それを、ちゃんと使いこなしてないでしょ」

 

「…………」

 

「たとえば。今、私を見て」

 

 青子は、大机の前に立った。

 

 忉利は、青子を見た。

 

「扉、開いてる? 閉じてる?」

 

「……閉じてる。たぶん」

 

「たぶん、じゃ駄目なの」

 

 青子は、吊り棒で、大机を、こつんと叩いた。

 

「魔術師は、自分の回路が、今、どれだけ開いてるか、いつでもわかってる。あんたの扉も、同じ。……全開か、半分か、閉じてるか。自分で、いつでも、言えるようになりなさい」

 

「……なんでだよ」

 

「あんたの目は、見たものを切るのよ。切りたくない時に、勝手に開いてたら、どうなると思う」

 

 忉利は、黙った。

 

 旧校舎の夜。四枚目の壁。そして、その後の。

 

「――だから、練習するの。今日は、開け閉め」

 

 青子は、大机の上に、白磁のティーカップを一つ、置いた。

 

 有珠の食器棚から持ってきたものらしかった。

 

 有珠の眉が、ぴくりと動いた。

 

「……青子。それ、母のよ」

 

「壊さないから!」

 

「壊したら、一ヶ月、話しかけないわ」

 

「わかってるってば! ……忉利。このカップを見て。扉、全開」

 

 忉利は、カップを見た。

 

 目の奥の扉を、開いた。

 

 線が、見えた。

 

 白磁の、釜の中で焼き固められた線。釉薬の、薄い層の線。取っ手と、胴を繋ぐ、太い線。縁の、金の絵付けの、細い線。

 

「……見えてる」

 

「何本」

 

「……は?」

 

「線、何本あるか、数えなさい」

 

「数えられるかよ、何百本もあるんだぞ」

 

「じゃあ、取っ手と胴を繋いでる線だけ。何本」

 

 忉利は、目を細めた。

 

「……三本」

 

「じゃあ、扉を、半分閉じて」

 

 忉利は、扉を、半分、閉じた。

 

 線が、薄くなる。細い線が、消えていく。

 

「……取っ手の線、何本」

 

「……一本。太いのだけ」

 

「全部閉じて」

 

 閉じた。

 

「何本」

 

「……見えねえ。ただのカップだ」

 

「よし」

 

 青子は、頷いた。

 

「じゃあ、今度は、私が言った通りに開けて。……全開」

 

「ああ」

 

「半分」

 

「……ああ」

 

「閉じて」

 

「閉じた」

 

「全開」

 

「……おい、これいつまでやんだよ」

 

「目が、私の声に、勝手に反応するようになるまでよ」

 

「犬の芸かよ」

 

「――静希くんの首輪、借りてこようかしら」

 

「やめろ」

 

 草十郎が、自分の首の革の首輪に、手を当てた。

 

「蒼崎。これは、貸せない。……日景の首には、合わないと思う」

 

「そういう問題じゃねえ」

 

 書棚の上で、ロビンが、ついに我慢しきれずに、嘴の紙を剥がした。

 

「あーっははは! シャバ憎二号に首輪ッス! 姉御、いいセンスッス!」

 

「ロビン!! 減点!!」

 

「おいらは生徒じゃないッスって!!」

 

 その隣で、草十郎が、真剣な顔で、ティーカップを見つめていた。

 

「……蒼崎」

 

「なに」

 

「俺の目にも、扉はあるか」

 

「ないわよ」

 

「そうか」

 

 草十郎は、少しだけ考えて、目を閉じた。

 

「閉じた」

 

「それは、ただの瞼よ!」

 

「開けた」

 

「瞼!」

 

「半分」

 

「――半目で見ないで! 怖いから!」

 

 草十郎は、半目のまま、首を傾げた。

 

「日景と、同じことをしているつもりだが」

 

「全然違うわよ!」

 

 忉利は、扉を全開にしたまま、草十郎の半目を見てしまった。

 

 草十郎の線は、いつもどおり、まっさらだった。何も結ばれていない、白い紙のような線。

 

 それが、半目のせいで、ひどく眠たそうに見えた。

 

「……ぶっ」

 

「日景。笑ったな」

 

「笑ってねえ」

 

「今、扉が、半分閉じた。……蒼崎、日景の扉が、勝手に動いた」

 

「――集中しなさい! 二人とも!」

 

 三十分後。

 

 忉利は、大机に肘をついて、顔を伏せていた。

 

「……もう、無理だ」

 

「まだ二百回よ」

 

「二百回で十分だろ」

 

「開いて。半分。閉じて。開いて。閉じて。半分。……ほら、もう、私が言う前に、目が動いてるでしょ」

 

 忉利は、顔を上げた。

 

 青子の声が、「半分」と言った瞬間に、確かに、扉が、半分、開いていた。

 

 考える前に。

 

「…………」

 

「でしょ」

 

 青子は、得意げに、吊り棒を肩に担いだ。

 

「これで、あんたの目は、私の声を聞くようになったわ」

 

「……お前の声だけかよ」

 

「先生の声、でしょ」

 

 有珠が、窓際で、紅茶のカップを置いた。

 

「……青子。それは、良くない訓練よ」

 

「え?」

 

「彼の目が、あなたの声にだけ反応するようになったら。あなたがいない時に、彼は、どうやって扉を閉じるの」

 

 青子は、固まった。

 

「…………」

 

「自分の意志で開け閉めできなければ、意味がないわ。……声の主がいなければ動かない目なんて、危ないだけよ」

 

「わ、わかってるわよ! 次の段階の話よ! 今のは、その、準備運動!」

 

「準備運動で二百回」

 

「うるさいわね!」

 

 忉利は、額に手を当てた。

 

 それから、有珠の方を見た。

 

「……有珠。お前が教えた方が、早えんじゃねえのか」

 

「わたしは、教えないわ」

 

 有珠は、即答した。

 

「あなたの目のことは、青子が、あなたに教えるべきよ。……わたしは、監視するだけ」

 

 それから、有珠は、ほんの少しだけ、目を細めた。

 

「それに、見ている方が、面白いもの」

 

「――有珠!!」

 

 

 

 

「じゃあ、次!」

 

 青子は、大机の上に、新しいものを置いた。

 

 古い、刺繍の、テーブルクロスの端切れだった。

 

 白い麻布に、赤と青と緑の糸で、小さな花の模様が縫い取られている。

 

「これも母のよ」

 

「使ってないやつでしょ! 物置にあったやつ!」

 

「……使っていないだけで、母のものよ」

 

「終わったら返すから!」

 

 青子は、端切れを、忉利の前に、ぴんと広げた。

 

「この刺繍の中で、赤い糸だけ、切って。……青も緑も、麻布も、一本も傷つけずに」

 

 忉利は、端切れを見下ろした。

 

「……何のためにだよ」

 

「精度の練習よ。あんた、有珠の中の爆弾、繊維一本ずつほどいたでしょ。あれ、もう一回できる?」

 

 忉利は、黙った。

 

 あの時は、有珠が目の前で死にかけていた。だから、できた。

 

 落ち着いた書庫で、テーブルクロスの端切れを前にして、同じことができるかは、わからなかった。

 

「……やってみる」

 

 目の奥の扉を、開いた。

 

 半分。

 

 それから、もう少し。

 

 線が、見えた。

 

 麻布の、縦糸と横糸の、無数の線。その上に縫いつけられた、赤い糸の線。青い糸の線。緑の糸の線。全部が、互いに、くぐり、絡み、締めつけ合っている。

 

 赤だけ。

 

 息を、止めた。

 

 赤い糸の、線。それが、麻布の縦糸の下をくぐり、横糸の上を渡り、青い糸と交差する、その全部を、目で追う。

 

 一本。

 

 ぷつり。

 

 二本。

 

 三本。

 

 赤い糸が、花の形のまま、麻布の上から、ふわりと浮き上がった。

 

 縫い取りを、ほどかれて。

 

 けれど、切れた赤い糸の下の麻布には、傷ひとつ、なかった。青と緑の花は、そのまま、咲いていた。

 

「…………」

 

 青子は、端切れを、持ち上げた。

 

 光に、透かす。

 

 麻布の目は、一つも、破れていなかった。

 

「……できるじゃない」

 

 少しだけ、声が、掠れていた。

 

「当たり前だろ」

 

「当たり前じゃないわよ。……私、正直、半分くらい、麻布ごと切ると思ってた」

 

「思ってたのかよ」

 

「思ってたわよ! だから、母のじゃなくて物置のにしたんじゃない!」

 

 有珠が、窓際から、静かに言った。

 

「……それは、母のよ」

 

「――もう終わったから返すってば!!」

 

 有珠は、端切れを受け取って、赤い糸のなくなった花を、じっと見下ろした。

 

 それから、何も言わずに、外套のポケットに、しまった。

 

 忉利は、有珠の横顔を、ちらりと見た。

 

 無表情だった。

 

 けれど、ポケットの上に置いた白い指が、その端切れの上を、ほんの一瞬だけ、なぞったように見えた。

 

 昼を過ぎて、講座は、いつの間にか、昼食会になっていた。

 

 大机の上の黒板は、書棚の陰に押しやられ、代わりに、忉利が作ったサンドイッチの皿が置かれている。

 

 草十郎が、五つ目のサンドイッチを食べながら、言った。

 

「蒼崎。俺には、何か、練習はないのか」

 

「……静希くんは、いいの」

 

「なぜ」

 

「あんたには、切る目も、回路も、何もないでしょ。……教えることが、ないのよ」

 

「そうか」

 

 草十郎は、少しだけ、考えた。

 

「なら、蒼崎の講座で、俺は、何をすればいい」

 

「聞いてればいいのよ。……あんたが聞いてると、私、なんか、間違ったこと言えない気がするから」

 

 青子は、サンドイッチを齧った。

 

「暗示も人払いも通らない奴が、真面目な顔で聞いてるんだもの。……嘘、つけないじゃない」

 

 草十郎は、首を傾げた。

 

「褒められているのか」

 

「……たぶん」

 

「なら、小テストの三十点は、もう少し、上げてもらえないか」

 

「それは、上げないわ」

 

 忉利は、サンドイッチを片手に、青子の顔の上の、黒縁の眼鏡を見た。

 

「……そろそろ、眼鏡、返せ」

 

「嫌よ。明日も使うんだから」

 

「明日もやんのかよ」

 

「当たり前でしょ。明日は、実技の続き。……切らない練習よ」

 

 青子は、吊り棒を、指先でくるりと回した。

 

「あんたの一番、下手なやつ」

 

「…………」

 

 忉利は、何も言い返せなかった。

 

 それから、ふと、青子の背中に、目をやった。

 

「……おい。青子」

 

「なによ」

 

「背中」

 

「背中?」

 

 青子は、首をひねって、自分の背中を見ようとした。見えなかった。

 

 草十郎が、真面目な顔で、青子の背中を覗き込んだ。

 

「蒼崎。背中に、紙が貼ってある」

 

「え?」

 

「『発言禁止』と、書いてある」

 

「――――」

 

 書庫の中が、しんと、静まり返った。

 

 書棚の上の段で、ロビンが、そっと、そっぽを向いた。

 

 嘴に貼られていたはずの紙は、なくなっていた。

 

「……いつから」

 

「たぶん、小テストの採点の時から」

 

 窓際で、有珠が、紅茶のカップを傾けた。

 

「……わたしは、気づいていたわ」

 

「――なんで言わないのよ!!」

 

「言ったら、面白くないもの」

 

「ロビン――――っ!!」

 

 青子が、吊り棒を振り上げた。

 

 ロビンが、書棚の上から、一目散に、窓の外へ飛び出していった。

 

「おいらは! 生徒じゃ! ないッス――――!!」

 

 春の空に、駒鳥の悲鳴が、遠ざかっていった。

 

 忉利は、机に突っ伏した。

 

 肩が、しばらく、震えていた。

 

 草十郎が、最後のサンドイッチを、静かに頬張った。

 

「……町の学校は、楽しいな」

 

「ここは学校じゃないわよ!!」




 アンケートの内容がわかりずらい。という質問をいただいたので、答えます。

 単純に次書くヒロイン誰にする?というアンケートです。

 例えばライダー (Heaven's Feel)だと、

 ライダーをヒロインとして、Heaven's Feelのストーリーに沿って書くよ。
ということです。


――書いたはいいですが、橙子やアルクはどう作るつもりなんでしょうか…
 
 この部分については気にしなくていいです。
 単に、候補に挙げたはいいけど、どんなストーリーにすればいいのかマジで思いつかない。どうしよう。というぼやきです。

 確かに、勢い任せの文だったので、わかりにくかったですね。申し訳ないです。

 ちなみに、アルクが現在優勢で、非常に焦っています。誰か案ください。おねがいします。

 原作から大幅に逸れたストーリーにするのも嫌だし、かといって負けヒロインを横からかっさらうような展開も嫌です。どうしましょう。

 …シエルとか比較的書きやすそうなんですけどね。

 曇らせもりもりハッピーエンドとかで。皆さん好きでしょう?曇らせ。

 投票数が50いくか、あと5日くらい経ったらアンケートを閉め切ろうと思います。

 いろいろ勝手を吐きましたが、最多得票のキャラは、ちゃんと書きます。

 ほんとに浮かばなかったら、ほかのヒロインでお茶を濁すかもしれません。

 しっかり自分が納得いくものを書きたいんです。ゆるしてください。
 誰か案くださいほんと。

次作品 ヒロイン候補 書いたはいいですが、橙子やアルクはどう作るつもりなんでしょうか…

  • シエル (月姫R アルクェイドルート)
  • アルクェイド(月姫R シエルルート?)
  • 蒼崎橙子 (空の境界)
  • 遠坂凛 (Heaven’s Feel)
  • ライダー (Heaven’s Feel)
  • ジャンヌ・ダルク (Apocrypha)
  • ジャンヌ・ダルク (史実+FGO)
  • 久遠寺有珠 (魔法使いの夜)
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