銀河英雄伝説 後日談 フェザーン日和ー英雄の子供たちー 作:牛親方
「陛下、ご起床のお時間です」
ベッドから返事はない。
朝の光が、皇宮の広い寝室へ差し込んでいた。
侍従はしばらく待った。しかし、こんもりと盛り上がった掛け布団が動く気配はない。
「アレク陛下、学園の始業時間に間に合わなくなります」
「あと五分……」
「陛下!」
「うるさいなぁ、もう分かったよ!」
ようやく起きたアレクは、侍従に身支度を手伝ってもらい、朝食を摂るために食堂に向かう。
「母上、おはようございます」
「おはよう。アレク」
ヒルダは朝食を取りながら、その日の政務に関する資料に目を通していた。
「今朝は侍従に三度も起こされたようね」
「いやぁ……二回だったと思いますけど」
「三度でございます。陛下」
ヒルダは手元の書類を置くと、ふう、と小さくため息をついた。
「では、明日から十五分早く起こしてもらうようにしましょう」
「承知いたしました」
「母上!それはちょっと……」
「だったら、しっかり時間通りに起床なさい。銀河帝国の皇帝たる者が、学園に遅刻するなど、国民に示しがつきませんよ!」
「ぐっ……分かりました」
アレクは用意された朝食を口に運びながら、気まずそうに視線を逸らした。
朝食を済ませると、アレクは待っていた公用車に乗り込んだ。
アレクを乗せた公用車は、数台の護衛車両を伴って学園の校門前に到着した。
フェリックスは公用車から降りてきたアレクの姿を確認すると、わざとらしいほど姿勢を正し、恭しく一礼した。
「陛下。おはようございます」
「フェリックス!学園では陛下と呼ぶなとあれ程言ってるだろ!」
「いや、陛下は陛下だろ?」
顔を上げたフェリックスの口元には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
「フェリックス、お前なぁ!」
「あら? 朝から仲の良いこと。時間は大丈夫なのかしら?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには齢を重ねてもなお、伸びた背筋と立ち振る舞いに気品を感じさせる女性が、腕を組み、仁王立ちでこちらを見つめていた。
二人の表情が同時に固まった。
「が、学園長!」
「さぁ急ぎなさい。銀河帝国皇帝ともあろう方が、遅刻など許しませんよ!」
「フェリックス!お前が余計な事を言わなければ、注意されなかったんだぞ!」
「あのなぁ、そもそも遅刻ギリギリで学園に来る皇帝なんて、どうなんだよ」
「ふん! とにかく急ぐぞ!」
「はい陛下」
「陛下はやめろーー!」
「まったく……朝から騒がしいこと」
マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレは、走り去る二人の背中を呆れたように見送った。
二人が教室に駆け込むと、ほとんど同時に授業開始のチャイムが鳴った。
「起立。礼!」
「このように、ローエングラム朝銀河帝国の初代皇帝となったラインハルト陛下は、その後の銀河社会に大きな影響を残し……」
フェリックスは教科書と、その隣に座るアレクの横顔を交互に見た。
「なぁアレク、自分の父親が『初代皇帝』として教科書に載ってる気分ってどうなんだ?」
「複雑だよ……。俺には父上の記憶がないからな。偉大だったと言われても、正直あまり実感がないんだ」
「だよなぁ、俺も親父からラインハルト陛下の素晴らしさがどうだの、この時はこんなに凄かった、だの、酔っ払うたびに聞かされて耳にタコが出来そうだぜ」
「では、今日の授業はここまで。あーそれと、今日の授業内容はテスト範囲だからな。しっかり覚えておくように」
「はぁ……やれやれだな……」
そう文句を呟きながらも、二人は真面目に書き写したノートをカバンにしまった。
数学や語学などには抵抗がなく、それなりに優秀な二人であったが、歴史の授業だけは複雑な思いを抱いていた。
放課後。数台の公用車が校門前で待っていた。
アレクが校門を出ると、待っていた侍従が一礼し、公用車の扉を開けた。
「あー、今日はいいよ。フェリックスと歩いて帰るから」
「しかし陛下、皇帝ともあろう方が徒歩で下校など……」
「いちいちうるさいんだよ。皇帝が歩いて帰るって言ってるんだから、黙って従え!」
「……かしこまりました」
「あー、母上には俺から伝えておくから、お前が罰せられる事はないぞ。そう心配そうな顔をするな」
「承知致しました。では、お先に失礼いたします」
侍従は一礼すると、公用車へと戻っていった。
「相変わらず自由な皇帝だよなぁ、お前」
「ほっとけ!」
二人は並んで歩き出した。
しばらくして、アレクがちらりと後ろを振り返る。
数十メートル後方。街路樹の陰から、見覚えのある男がこちらを窺っていた。
「……まったく。過保護なんだよ」
「何が?」
「後ろ」
フェリックスが振り返ろうとすると、アレクがその肩をつかんだ。
「見るなって。気づいてないふりしてやってるんだから」
「ああ、護衛か。皇帝なんだから、あのくらい許してやれよ」
「俺はただ、友達とアイスを食って帰りたいだけなんだけどなぁ」
「でも、そんな好き勝手してていいのか? 皇帝陛下には政務ってもんがあるだろ」
「今は母上や大人たちがほとんどやってるからな。俺が口を出せることなんて、まだほとんどないよ。それよりあの店の新作アイスが食べたくてさぁ」
「ったく、政務より新作アイスかよ。分かった、分かった、付き合うよ」
二人が店に着くと、アレクは当然のように列の最後尾に並んだ。
すると前に並んでいた客の一人がアレクに気づき、慌てて道を譲ろうとした。
「へ、陛下! どうぞお先に!」
「いや、いいって。俺も普通に並ぶから」
「し、しかし……」
「アイスを買うくらい普通にさせてくれよ……」
隣でフェリックスが吹き出した。
「大変だな、皇帝陛下」
「うるさい」
ようやく二人は目当ての新作アイスを買い、再び歩き出した。
「やっぱり持つべきは話の分かる友だな。学園の他の生徒は、あまり俺に寄りつかないからなぁ」
「そりゃ皇帝なんだから仕方ないだろ。まぁ俺はいつでもそばに居てやるよ」
アレクは一瞬きょとんとしたあと、照れ隠しのようにアイスを一口かじった。
「……溶けるぞ。早く食えよ」
「はいはい、陛下」
「だから陛下はやめろって!」
アイスを片手に、くだらない話をしながら帰路に就く二人であった。
「んじゃ、俺はこの辺で」
「ああ、また明日な」
「おう、また明日な!」
フェリックスの背中が人混みの向こうへ消えていった。
アレクは一人になると、小さくため息をついた。
(もう帰るのか……気が重いなぁ)
ふと、ある人物の顔が浮かんだ。
(そうだ。伯母上のところに寄ってから帰ろう)
少しだけ足取りが軽くなった。
夕暮れのフェザーンを、一人の少年が歩いていく。
友人とアイスを食べ、明日の授業を気にしながら家路につく、ごく普通の少年。
ただ一つ違うのは、その少年がローエングラム朝銀河帝国第二代皇帝、アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムであることだった。