当店で扱う材料は全て市販のものです。直送などではございません。ただ二点、素敵な妖精が魔法をかけ、私がお客様の弱さに寄り添った盛り付けをしているだけでございます」
親友って、どういう関係なんだろうなって思う。
ここぞというときに頼れる人? 一番よく会う人? 考えていることがわかる人?
私はまだ中学生。きっとまだそんなことを深く悩む必要はないのだと思う。
しかし、悩まずにはいられない。
だって、
「うぅ……なんか、恥ずかしいよぉ」
「だ、大丈夫だよ! ほら、怖くないよ。リラックスして、力抜いて……」
羞恥心でどうにかなりそうな私をみくるが宥めてくれる。でも、私たち二人そろって顔が真っ赤だ。
元の時代にも、親友と呼べるような人はいた。一方でみくるも、この時代では間違いなくただ一人の親友。
そう、思っているのだけれど。やっぱり疑問を抱かずにはいられない。
「じゃ、じゃあ、見せるよ……?」
「え、ええ! どどどどんとこーいっ!」
シャツの裾を掴む。微かに布の擦れる音。対面から聞こえるツバを飲む声。
自分で涙目になっているのがわかって、目をきつく瞑ってしまう。
私は今、
*
「裸の女性がモデルになる絵画が多いのはなぜか、ですか」
グラスを磨く窮屈そうな音が途絶える。タクミはニジーからの問いかけを復唱した。
「不躾な質問なのはわかっている。ただ、ここはそういうくだらない話でこそ花が咲く場所。そうだろう?」
大方、彼の背後のテーブル席で流れる会話が耳に入ったのだろう。キャップを被ったあの妖精たちは、よく自分たちを美術マニアだと誇っている。
「そうですね。私も絵は明るくありませんが……」
語り口だけなら一丁前にできる。そんな自己評価を持つタクミだが、専門的な知識はからっきしだ。こればかりは人生経験の不足が枷となる。
「神秘性や、清純さを謳っているのではないでしょうか。人は元来のありのままを恥じ、恐れ、着飾るのが普通です。その普通を外れ、隠されたものを曝け出すのですから、」
「ふーん……なるほど。僕らとは真逆を写す、鏡のような存在だね」
『僕ら』というのは、妖精を指している言葉ではない。彼が属している組織のことに他ならなかった。
「あなたにもありのままを願うことが? 気が楽になることもあるでしょうが……」
「まさか。このコスチュームで彩り手品で魅了し華麗に盗む。それこそが僕らの理想とする怪盗さ」
「ああ……そういうことですか」
星を宿す瞳がこちらを見る。
「今日来たのはそれが理由ですね」
「……やるねマスター。怪盗である僕から頭の中を盗むとは」
華麗に盗めなかったから、月を拝みたくなったというわけだ。
「犯罪を応援することはできませんが、同情くらいならサービスしますよ」
「よしておくれよ。更に惨めな思いをしろって? 冗談」
トンッ、トンッ、ニジーの細い指がリズミカルに木目を叩く。少しだけ耳を澄ませて、バックで流れるピアノメロディに釣られているのだと察した。
「悪いことをしているという自覚がないわけじゃない。ただ、それ以上に、僕らには成し遂げなければならないことがある」
「あなたが心酔する、ウソノワール様。ですか」
ニジーからは、「可哀想な方」だと聞いている。そう評されて激昂するであろうお方、とも。
「我々のやっていることは、一種の生存戦略に近い。マスターにはわからないだろう、『誰にも認めてもらえない』ことの辛さが」
「それは努力の話ですか? それとも、存在の話ですか?」
ニジーは儚く笑った。
「両方さ」
彼が覗く窓の外には、優雅な月が浮かんでいる。満月のように見えて、どこか欠けている。完全に偽れているのに、どうしてか相手にバレてしまう。そんな怪盗にぴったりな見世物だった。
「ここは、いいね。僕がこの装いで羽根を伸ばせるのはここくらいなものだ。僕が怪盗だと、悪人だと知っても、白い目で見るやつはいない」
「いいものではありませんよ。皆、指を差す正しさに疲れてしまっているだけです」
「ハハ……君も。かい?」
「さあ」不意を突こうとする発言に、タクミは動じない。「職業病だとは思っていますが、私の中に正解は用意しているつもりです」
なんの示し合わせもなく、タクミはボトルを手に取り、空になりかけていたニジーのグラスに注いだ。軽くお辞儀して、ニジーは口をつける。
「……店主を務めるだけのことはある。その
「……そんな。私には大した力はありませんよ」
「そうかい? なら、君の妖精の力とでも言うつもりかな?」
はぁ、とタクミの溜息。わかりにくいが、初めて彼が図星を突かれた瞬間だった。
「ここはとても不思議な喫茶店だ。時間も空間も歪み、特定の者だけを招き入れる。――僕らファントムのようにね」
怪盗団のメンバーたちは、自身の力によってフィールドを展開することで、一般の目から韜晦することができる。例外は、妖精と妖精に認められた人間。
ちょうど、喫茶ルナに当てはめても合点がいく。
「考えられる可能性は二つだ。君が実は妖精だったのか、あるいは、君をマスターと認めた妖精がどこかにいるのか」
「素晴らしい推理でございます。探偵にでもなったらいかがでしょう?」
問い詰めるような言動を店長はもろともせず、あくまで余裕綽々な接客をしている。伊達に癖のある客たちを相手にしてきていない。
「仔細はわからないが、教えてもらいたいものだね。なぜここがオープンしたのか、なぜさまよう者たちを誘うようになったのか、そしてなぜこの店を、マスターが切り盛りすることになったのか」
「それを知って……どうなさるおつもりですか?」
「
グラスがテーブルに立つ。
「かなりな大きさだ。きっと、君たちの背景が生み出した結晶だね。――欲しいな、それ」
「へぇ……どうやって?」
「決まっているだろう――」
ニジーは虚無から薔薇を生み出し、言った。
「
そこで、時が止まった。場が静止した。
金属の音、木板を蹴る音、自然が牙を剥く音。それらが、ほぼ同時に鳴って。死んだように店内が止まった。
「お言葉ですが、ニジー様」
冷たい声だった。静寂を破ったタクミの手元には無機質な死の形が握られている。
「ここは弱さを受け容れる場所であって、利用し嬲る場所ではございません」
冷や汗をかくニジーの背には、別の銃口が向けられていた。
夜空より暗い眼で、妖精たちが睨んでいる。ある者は頭、ある者は首、ある者は心臓を狙い、手をかざしている。
唐突に集められた殺意に、ニジーは動けなくなった。
「もし当店の規律を害するというのであれば――――いくらあんたでも出禁だぜ。ニジーくん」
渋味のある声は謙虚さも丁寧さもまるでない。
死の匂いが充満する。指先一つ動かすだけで息の根が絶えそうな感覚が、ニジーの中を迸る。
だが、彼はまがりなりにも数多の綱渡りを乗り越えてきた。これしきのことで、臆することはなかった。
「それは困るね……少々酔いすぎてしまったらしい」
そう言って両手を上げる。薔薇が滑り落ちて、ワインの海に沈んでいく。そのまま、躊躇わずに呷った。
「僕も何か冗談を言ってみようと思ったのさ。でもまだまだみたいだね、ベイビー。君のようにはいかないようだ」
安穏が返却されたことを悟り、妖精たちは各々の憩いに戻っていく。一弾指の間にがらりと店内の雰囲気が変わった。ニジーが胸の奥で垂らしていた冷や汗も徐々に乾いていく。
「ご自分で言ったでしょうに。当店のお客様は一風変わっていて、色々なことに敏感なんですよ?」
「僕の眉間に突きつけられた君の
タクミはすでに食器を洗う手に直っていた。再び人当たりのよい微笑みを浮かべている。
「それより、さっきのやつ、普段からやってはくれないのかい?」
「さっきのやつと言いますと?」
「そんな感じじゃなくて、ほら。ワイルドでキザな」
マスターは照れたように笑う。急に年相応な可愛げを見せるから、なかなかどうして魅力が増す。
「お客様ごとに適切な距離感は異なります。概ねはこれくらいがちょうどいいのですよ」
「これはショックだな。僕に対してはよそよそしいほうがいいって?」
「お客様は」タクミは眉をハの字にして、「ダル絡みが増えそうで……」
「ハァッ!? なんだいそのしょうもない理由!」
「じょ、冗談です。よ」
「わざとらしく言い淀むまないでもらおうかベイビー!」
タクミはマスターとして、二種類の顔を使い分ける。一つは優雅で誠実な、絵に描いた上品な好青年。もう一つは、ガサツさと豪胆さを垣間見せる渋い色男。後者のほうがレアキャラで、ジェットのような余程特殊な相手でないと使わない。
「とにかく、二度とあんな危険な真似はしないでくださいね?」
「はぁ……心得ているよ。ここは不可侵だからね」
「いえ、そうではなく」
しかし、本当に稀に見せるのは、
「さまようあなたが当店と縁を切ってしまうのは、何ともやるせないから」
制服で隠された、一人の若年の繊細な心。
「……ベイビー。マスター、ハグでもするかい?」
「生憎私は酔ってませんし、ソッチの気もないですよ」
「種族も性別もここでは無粋さ。ごらん、月がきれいだ」
「私の角度からは見えませんね」
「なら隣が空いている! 歓迎しよう」
「結局ダル絡みではないですか……アスパラ様」
「ビリジアンだ! あ、そうだ! 君に言いたかった文句を思い出したよ。昼間のことなんだが……」
ここは、喫茶ルナ。
妖精も人間も、老若男女も問わない喫茶店。経歴の善悪すらも、問うことはない。
当店のルールは一つ。
他の客の弱さを踏みにじらないこと。
今宵もゆっくりと、月は地平線へおちていく。
*
月はまだ、地平線を見下ろしている。
その厳そかな輝きを傍目に、私は紫のパジャマを着直す。
緊張と羞恥で高鳴っていた胸が、次第に落ち着いていくのを感じた。
「うーん……本当に大丈夫、よね?」
「私にもわからないけど……今はなんともないよ。本当だよ!」
強がるでもなく私は言い切った。
事のきっかけは、私が自分の身に起きたことをみくるに打ち明けたときだ。
私に纏わりついたハンニンダーの黒いインク。それは洗い流されず、剥がれることもなく、私の中に混ざって消えた。
ハンニンダーはすでに浄化された。私に溶けたインクも綺麗さっぱりなくなったと思っているけど……
「もしこの先、あんなの身に何かあったら、私……」
「今のところ解決法もわからないんだししょうがないよ。ジェット先輩が、もっと細かく調べられるプリキットを作ろうと頑張ってるみたいだけど」
何やら特別なルーペらしい。今夜はまじまじとみくるに体躯を観察される羽目になっちゃったけど、同じことは起こらないだろう。
はじめは私は気が乗らなかった。だって、その……お風呂とかでもないのに一人裸になって見られるとか、はなまる恥ずかしいもん……!
それを言ったらみくる、「だだだだったら私も一緒に脱ぐっ!」なんて言い出して、意味わかんない!
「ごめん、嫌だったよね……」
「あ……みくる」
「でも私、もしあんなが危険な目にあったらと思うと、恐くて」
みくるは私の袖を控えめにつまんで、俯いていた。
「ジェット先輩がピンチのとき、私何もできなかった」
「あれは、みくるの位置じゃ間に合わ」
「そういう問題じゃないの! あんなはジェット先輩を庇って……私がもっと、ちゃんとしていればっ」
理想と現実の差に、みくるは泣きそうでいる。
自分のことが許せないんだ。みくる自身が描いている、名探偵プリキュアの姿は、もっとずっと強いから。
「……みくる、私が言ってたこと、覚えてる?」
「え? ……たくさんの困っている人を助けたいって」
エリザさんからの依頼を遂げて、ジェット先輩に認めてもらったあの場で、みくるに続く形で私は宣言をした。
「助けたいって気持ちがあるのは本当。でも、私が一番助けたいのは、あなた」
「あんな……」
「みくるの力になりたい。みくるの隣にいたい。みくると、一緒に月を眺めていたい。そのために私は、私も名探偵でいることを決めたの」
なったきっかけは違った。弱くて情けない理由だった。
でも思うんだ。たとえそれでも、きっと大切な一歩だったって。大事なのは素敵な一歩を選ぶことじゃなくて、悩んで考えながら、なけなしの勇気で一歩を踏み出すことだって。
「ほら見て、みくる。月が笑ってるよ」
「笑って……? ――ううん、確かに。きれいね」
私は、月に見惚れるみくるの手を取った。
視線を私に戻したみくるの顔はほのかに紅く、やんわりと長い髪をはためかせて。月光に照らされるシルエットは幻想的で儚かった。
「今日は、ね。みくる。一緒に月を見ていたい。そんな幸せの中で、眠りたいな」
「……ふっ。ふふ、あんな、本当は意外と甘えん坊さんなんだ」
不安とか、寂しいとか、そういうのじゃなくて。ちょっとしたわがまま。
今は、今だけは、私の傍から消えて欲しくない。
私のささやかな願いに、みくるは微笑んで応えてくれた。
「任せて。今夜は私があんなの幸せになってあげる!」
嬉しくて、満ち足りて、私はこのときを噛み締めて笑った。
「うん!」
月の光は、ほんの少し強まって私を照らした。
ちょっと短めでしたが、今回はルナについて情報開示と、あんみくの幕間です。
最初はあんなちゃんが観察されているシーンもがっつり描いていたのですが、ちょっと健全ではない気がして全消ししました。生々しいのはるるくれで十分です。
視点に困っていましたが、恐らく店内パートは三人称、店外パートは誰かの一人称の方針です。気分で変わるかも。
ところで皆さんは、あんなちゃんの兄・姉になりたいと思ったことはありますか?
ときに「お兄ちゃんお姉ちゃん」と甘えられ、ときに膝枕耳かきで甘やかしてくれる。きっとあんなちゃんは「もう、しょうがないなあ」と言いながら満更でもなさそうに腿をぽんぽんするんですよ!
頭なでるともちもちあけちフェイスになってアホ毛は犬の尻尾みたいにぶんぶん振り回ってあからさまに上機嫌になるんですよ!
そしてあの無垢な笑顔でこっちまで幸せな気持ちになるんだよ!
※拙作であんなちゃんの兄も姉も予定されていません