いずれも共通しているのは、自分と他人の両方を救うことができる。ということです」
桜の舞いは、そろそろ幕が下りる時季。春の背中が見え始め、生温い風が頬をさわりと撫でる。
あんなは今日も新鮮な気持ちで扉を開けた。
一度目はわらにも縋りたい焦燥、二度目は期待と不安、そして今回は、特にない。
初めてあんなは、大きな目的もなく月明かりの下をくぐった。
二度の通いでお気に入りになった席は――やった、空いている。
「た・く・み・さん! また来ました!」
「おや。いらっしゃいませ、明智様」
前回よりも軽い返事だった。あんなの様子を察したのか、距離感を測れてきたからかはわからない。
席に着くなり、珈琲が出される。素早い対応だ。
「どうぞごゆっくり。――いつにも増してお元気そうですね」
「わかります? 今日は、なんていうか、悩みを持ち込むつもりはなくて」
頬をぽりぽりと、照れくさそうに搔く。その指は流れて顎元に当てられた。
「でも、私どうして来れたんでしょう? 本当に今は悩みがないつもりで」
「一度招かれたお客様は、ルナとの『
「へえ、鋭いんですね。まるで名探偵みたい」
普段とは違う深緑の帽子と、爽やかな海に似た青い上着を荷物入れにしまいながら、眉をハの字にして。
「あれ、じゃあ……今の私、あんまりよくない状態ってことですか?」
「まさか。そういうものは浮き彫りになったときに向き合えばよいのです。見えていない謎は解きようがないのと同じことです」
タクミの言葉を、特に疑うこともなく鵜呑みにする。彼の人柄以上に、店主としての知識を信頼してのことだった。
「なにより、明智様が幸せそうでしたので、バッチグーです」
「ばっち……ぐ? なんですかそれ?」
無垢な眼差し。マスターはすうと息を吸って虚無感を呑み込んだ。
「バッチリグッドの、略です。その……本当のホントに、ほんのちょっと前に流行った言葉です」
「おお、私のはなまるみたいなものですね」
「ええそうですともっ。はなまるグッドですとも」
立てた親指と上げた口角がキラリと光る。なんだかおかしくて、あんなは噴き出した。
「そういえば、アゲセーヌも似たようなことを言ってた気が……ちょべりぐ? だったっけ」
「それはバッチグーの後輩です。こっちは10年程前、チョベリグは数年前の流行語ですね」
「あの人、自分の中ではまだブームだって」
「そっとしてあげましょう、明智様」
これまでにない生温かな目だった。春風にも負けない、悟りでも開いたかのような穏やかな目。
何かを感じ取ったあんなは、にっこりと笑って追究をやめた。さすがは名探偵、ラインを弁えている。
「今日はのんびりされるということでしたら、何か食べていきますか? マイナーなものでなければ応えられますよ」
「ぜひ! 前はデザートだったから、がっつりしたのがいいです。おすすめとかありますか?」
「でしたら」紳士的な顔が刹那、思考の色を帯びる。「ナポリタンはいかがでしょう」
「それいい! お願いします!」
「承りました。30秒ほどお待ちください」
内心驚く。一般的な料理がそれほど短時間でできるはずがない。しかしこれまでを振り返ってみると、あんなに必要なものは即座に提供されていた。
うーーん、何かからくりがあるのかな。
顔を上に伸ばし、カウンターの向こう、タクミの手元をどうにか覗こうとする。敷板がなかなかな高さで思うようにいかない。
「ふぬうううぅぅ……!」
「あの、明智様」
「うええバレてたぁ!」
彼は怒るでもなく、むしろばつが悪そうにしていた。
「申し訳ありません……たとえ明智様であろうと、この境界線を跨がせるわけにはいかないのです」
「ごめんなさい、気になっちゃって」
すると、タクミの手元がほのかに輝き始める。
そういえば、前も同じことがあったような気がする。
「私は、
あんなは、マスターを見た。
「ここは元々、妖精が開いた喫茶店です。迷子を招く性格も、こうして実体を持つ虚像をつくる現象も――『喫茶ルナ』という仕組みは、その妖精の力でございます」
「妖精が……?」
例えばポチタンは、時空と空間を操る能力があるらしい。怪盗団ファントムも妖精らしいから、フィールドやハンニンダーは妖精の力の一部なのかもしれない。
「こんな素敵な力も、あるんですね」
「私は先代の遺産を継いだだけに過ぎません。レシピと料理の過程を頭の中で描けば、すぐにでも調理が完了します。おかげで準備も片付けも楽々です」
人に歴史ありという言葉があるように、妖精にも歴史がある。その事実が垣間見える話だった。
「お待たせいたしました」
唐突に告げられると同時、ポンと音を立ててあんなの目の前に料理が置かれた。
にわかに湯気立ち、トマトの赤みも使って全体で温かさを表現している。たまねぎの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「いい匂い……いただきます!」
「汚れも残りませんから、跳ねても問題ありませんよ」
「はなまる嬉しい!」
とはいえこの落ち着いた空間で行儀の悪いことをする気分にはならない。丁寧な所作でフォークを扱う。
渦に巻かれた太い麺は、バレエのごとくしなやかに踊る。
二度、優しく息を吹きかけて、
「ん……ふん〜〜♪ おいしいっ」
「ありがとうございます。明智様は本当に楽しそうに召し上がりますね」
目を閉じると、薄く油をまとったピーマンの食感や、仰け反ったウインナーの肉汁がより鮮明に感じられる。恍惚とした表情であんなは味覚を研ぎ澄ませていた。
「タクミさんは、自分の手で料理することはあるんですか?」
「普段はあまり。調理のビジョンが正確でなければ妖精の力も無用の長物ですが、経験豊富な方の手製には敵わないかと」
彼の言い条からして、食材とレシピが揃えば同じことはできるようだ。本人の器用さも、多少は影響するのだろう。
「正直なところ、極めようとは思っていないのです。誤解を招くかもしれませんが、趣味に近いものだと思っています」
「ふーん。じゃあ、そのコーヒーも?」
あんなの問いかけに応えるように、ゴリゴリとした音が奏でられる。ミルで豆を砕いているのだろう。
「まあ……そうですね」
「タクミさん?」
少しだけ雰囲気が変わった。タクミの見せた表情は、あんなにも覚えがあった。
遠きを懐かしんでいるような。
「喫茶店たるもの、珈琲にはこだわるべきだと心得ています。専門的な知識があるわけではありませんが、お客様に楽しんでいただけるマスターにはなれたと自負しております」
熱湯が注がれる音のあと、香ばしい匂いが店内を満たした。
大きく鼻を吸って、あんなは優しく笑った。
「なれてますよ。私が保証します!」
「名探偵のお墨付きとあらば、間違いありませんね」
慰めではなく本心で。タクミもそれをわかってくれたようで、目尻に皺をつくった。
「段々と暖かくなってきましたね……そういえば、明智様は本日もまた違ったお格好で」
暫し沈黙に身を委ねてもぐもぐしていたら、そんなことを言われた。
今のあんなは、黄色いフーディーと、スカートから下は紫を基調とした装いだ。特に紫は大好きなブルーベリータルトと同じ色で、可愛さと大人らしさが共存している気がしてお気に入りだった。
「最近みくると買い物に行ったんです。一着だけだと味気ないよって」
突然のタイムトラベルに着替えは持っていけない。ルームウェアだけでは日中の外は歩きにくいということで、気を利かせてくれたのだ。
自分だけ恵んでもらって申し訳ないと思っていたら、「私もちょうど新しいのを買いたいと思ってたんだ!」と言ってくれた。ジェットは財布を見つめて顔面蒼白になっていたが。
「それは、ご友人がお選びになったということですか?」
「はい。私もみくるに合うやつを見繕って」
「あなたがたは、互いをよく理解しているのですね。どうりでよく似合っているわけです」
自分自身と親友をどちらも褒められた喜びで、頬が緩くなる。
「私の新しい宝物です。元の時代に帰っても、きっと着続けます。ずっと……」
フードから垂れる紐を、慈しむようにいじって。
辛気臭い話になってしまったことの恥ずかしさで、妙にしおらしくうつむいた。
「とても大切なものを、手に入れましたね」
「え?」
当たり障りない台詞のはずなのに、その言葉の重さに違和感を覚える。特別な意味を、託しているように聞こえた。
「私は、みなさんとの繋がりを、手元に残る形で残したいと思います」
「……わかります。写真とか、手紙とかもいいですよね」
少なくとも、母との繋がりを失った今のあんなには、理解できる感情だった。
「我々は忘れていく生き物です。場所を、時間を跨ぐ度に、淡くぼやけて色褪せる。そして最後には、なかったことになる」
彼の手が覗く。淹れたてのカップが握られている。
「過去の積み重ねで今があるのに、不誠実なまでに忘れていくのです。なぜ、そんな寂しい機能が備わっているのでしょう」
それは問いかけですらなかった。自分自身に尋ねているようで、しかし解答を期待していない。彼の背景が編み出した命題に聞こえるのに、彼自身が本当に何とも思っていない響きを伴っている。
沈黙が流れる。空白が生まれて、誤魔化すようにタクミの啜る音が鳴った。
「……私、わかる気がします」
口を衝いて出た言葉だった。タクミから視線を受ける。動揺こそ顔には出ていないが、あんなの言葉をただ待っていた。
そう、待っているのだ。あんなを救ってくれたときとは違う。きっと今は、
「寂しくならないようにするため、なんじゃないでしょうか」
「……ほう。ですがそれは」
「悲しいことじゃないです。私たちは弱いから――弱くても、今を生きるために」
とうに食事はたいらげた。珈琲に口をつけて少し見上げた。
ついこの前、タクミから教えてもらったことを思い出しながら。
「ぼやけるから、今がはっきり見えるんです。色褪せるから、目の前の色を映せるんです。タイムスリップをして、お母さんと離れて、最初は不安で押しつぶされそうだった。でも、その気持ちを抱え続けていたら、私は今も笑えなかったと思います」
「ならば、明智様。嫌なことや余計なことは、全て忘れるべきだと思いますか? それが、前を向くということなのでしょうか」
静かに胸に手を当てる。眼を閉じると、瞼に映るものがあった。
「大切なものは、ここにあります。これだけは、いつまでも残って、私を支えてくれる。そしてこの支えは、思い出は、これからどんどん増えていくんです。それって、はなまるすてきなことだと思いませんか!」
あんなは笑う。タクミにも、笑ってほしいから。
私を救ってくれたあなたのことも、
「ええ、確かに――」
マスターは欠けた月を一瞥して、見慣れた微笑みを振り撒いた。
「それはそれとして、やはり形に残すのも粋なものかと」
「あはは、ですね! それに、忘れたらまた思い出せばいいんですよ、いっぱい笑える思い出を!」
暖かな夜はまだ長い。小さな喫茶店は月に浮かび、引き延ばされた時間を開く。
月光のようにぼんやりした世界の中で、二人は言葉を交わす。
決して記録には残らずとも、そのかけがえのない記憶が、思い出へと昇華されることを信じて。
セーーーフ!(今日は実質日曜日)
オリジナルエピソードなのと、こんだけ短くていいのかなと迷った結果今日になりました。有言実行は苦手な言葉です。
今回は喫茶ルナの情報開示と、あんなちゃんの中でタクミの印象がまたアップデートされる回です。タクミの様子は半分ガチで半分ワザと、それで様になることを自覚しています。彼は善人であって聖人君子ではないので、ちょっと悪いところもあったほうが味が出ることも考えています。
あとあんなちゃんの格好ですが、アニメ2クール目の間だけ見れたあの服装です。こんな経緯があったらなと捏造しちゃいました。一発で気付いた方はさすがです。
このクッションを経て、いよいよ喧嘩が始まります。ここから段々と改変だの独自設定・解釈が増えていくと思うので、何卒ご承知おきのほど。
それはそうと、あんみくはやっぱり無自覚にいちゃいちゃしているべきですよね。
やたら色気のある魔性の女あんなちゃんも個人的には癖ですが、解釈一致なのは純粋無垢でライクもラブも区別のつかないような太陽みたいに眩しい笑顔をするあんなちゃんなんだよな。あんなちゃん推しで変身後半の笑顔に惚れなかった人はいない。そのあとの肩甲骨は正直癖だったけど。
心は完全にラブなのにライクのつもりで大好きって言っちゃうから言葉も真を帯びるし、それをみくるちゃんは一瞬真に受けちゃうんだけど「違うよね…?」って理性がライクで受け取ろうとする。でもみくるちゃんも心は完全にラブだから胸の鼓動が不自然に高まっちゃう。
キスなんてしねえよ!だって二人は親友でライクのつもりなんだから!でも手はつなぐんだよ!二人とも「これって普通なのかな? 普通だよね?」って、自分がまだ中学生であることにかこつけて距離感バグったままいちゃいちゃするんだよ!
なあ…そうだろ、松ッ!!(『メガロマニア』が流れる)