彼女が語ったその言葉は荒唐無稽で、それでいて嘘を吐いてる様子が一切感じられない。
それは“人”と対話する時の様子ではなく、まるで道端の虫に話しかけるかのような。
いいや、文字通り玩具に対して独り言を溢すかのような。
そんな、邪気を感じられないのに邪悪な思考の詰まった言葉が私達に突き刺さる。
『ホントに?アンタは邪神なの?』
『本物ですよ、人がもがき苦しむ様を見るのを楽しみにしている邪神です』
蜘蛛子ちゃんは……震えてる、怯えてるように、恐怖してるように震えてる。
目の前の存在が理解出来ないと、理解出来たとしても分からないといった様子で震えている。
一方私の方は疑問を抱いている、いや、疑問じゃない。
それはほぼ確信に近いようなもの、少なくとも私自身はそう信じている考え。
彼女が邪神であるという語りについて私は違和感を感じない、そして。
私はこの声の主が、この語り部の正体が……
『おっと』
不意に、空気が静止したかのような感覚を覚えた。
いいや、確かにそれは静止しているのだろう。
蜘蛛子ちゃんと“探知を共有している”筈の私が、何故かその“探知の効果を感じられなくなった”かのように。
周辺のマグマも流れることを止めており、私の目前にいる蜘蛛子ちゃんも震えを止めている。
私の周りに存在する全てが色を失ったかのように、世界そのものが動きを止めたような感覚。
私と、そこにあるスマホだけを除いて。
その世界にある全てのもの、全ての要素は動きを止めている。
『茉莉花 影さん』
それは“私”を知っていることの証明で、きっと“蜘蛛子”ちゃんを知っていることの証明にもなっていて。
その事実は本来不気味で不可解なことである筈、なのに私は安心感を覚える。
その存在がこうして私に語りかけてくることに、健在であることに一つの安心感を覚える。
『まだ
電話の向こう側から聞こえる声はあくまで平坦だ。
平坦であると同時に、その言葉は私の行動に枷をかけた。
それは私の意思ではなく、彼女が私にかけた枷。
尤も、こんなことされなくても最初から口に出すつもりなんてなかったけど。
未知は恐怖だ、知らないもの、理解の及ばないものっていうのは恐怖の対象だ。
蜘蛛子ちゃんもそう、目の前で起こる事象から外れた外枠にいる存在に対して恐怖している。
その存在が自分の行動を好き勝手に弄って、その上で楽しんでるんだから尚更だろう。
私もそうだ、私だってこの存在を理解出来ない。
『……D
理解出来ずとも知っている、私は彼女という存在を知っている。
『ええ、いいでしょう、Dちゃんです』
違和感、最初からずっとあった違和感だ。
それに対して特に思うことはなかったし、それは今も同じでどうでもいいと感じている。
そもそもそんな些細な要素を気にするタイプじゃないし、気にしたところで何も事態は好転しないと私は知っている。
だから私は気にしないようにしていた、忘れはせずともその先は考えないようにしていた。
ただそれでも言いたいことはあった、電話の向こう側の存在に対して言いたい言葉があった。
『蜘蛛子ちゃんに』
蜘蛛子ちゃんは凄い、最初から今までずっとそう。
私より強くて、私よりも先を見据えていて。
色々あったけど私を信じてくれて、今では私と会話をしてくれる。
そんな彼女に頼りきりで私はいいのかな。
いいや、良くない、それは良くない。
明らかに力不足な私が、蜘蛛子ちゃんの足を引っ張ってはいけないとずっと思ってる。
思ってるけど、それはそれとして。
『蜘蛛子ちゃんにだけ、ずるくない?』
それはそれとして、妬ましい。
『……はい?』
私の言葉に対して疑問を飛ばしてくるDちゃんの声は、やはり動かない平坦なもの。
しかし私の唐突な言葉に困惑はしているようで、一瞬言葉に詰まった様子が感じられた。
急なことを口走ったなと自分でも思う、思うけどそれ以上に言いたいと思っちゃったんだから仕方ない。
蜘蛛子ちゃんに対して嫌悪感とかのマイナスな感情は一切ないけど、単純な感情として妬ましい。
『私も、叡智みたいなの欲しかった』
スキルには適正があって、その人が取れる、伸ばしやすいスキルはバラバラだ。
だから私は嫉妬と純潔を、蜘蛛子ちゃんは傲慢と忍耐っていうとんでもスキルを持っている。
私はこれだけスキルポイントがあっても傲慢と忍耐を……そして、他にもあると予想されるとんでもスキルが取れなかった。
なのに蜘蛛子ちゃんには、このDちゃんから貰った叡智がある。
元々存在するスキルを取得したのではなく、蜘蛛子ちゃん専用にと用意された叡智を持っている。
『驚きました、本当に驚いています』
わざわざ念話を用いて会話せずとも彼女は私の心を読んでいる。
だから私の本心というか、心の中で考えていることとその発言に差異がないことは分かるだろう。
『その口から出るのはもっと根本的な文句だと予想していたのですが』
それは、彼女が私達がここにいる状況自体に関わっているという証明。
軽く言い放たれたその言葉はきっと、蜘蛛子ちゃんなら怒るだろうけど私にはあまり気にならない。
その理由は私が“死んだ時”の感覚をなんとなく知覚してるからかもしれないし、単純に価値観の問題かもしれない。
もしかしたら他の理由があるのかもしれないけど、今それ以上を考えるのは野暮というものだろう。
『いいでしょう、邪神Dからのプレゼントです』
その言葉を境に、私の脳内にノイズのような音が流れ始めた。
それはレベルアップとかスキルを取得した時に聞こえるシステム音声のようで、それでいて少し違うような。
そんな何とも言えない不快な音が、私の頭の中を埋め尽くす。
やがてそのノイズは少なくなり、不快感も消え、最後には普段通りのシステム音声が流れていった。
『あなたも精々足掻いて、彼女に喰らい付いて』
その様子を見て彼女は笑う、きっと笑っている。
平坦で理解出来ないその声の裏で、笑っている。
『その先で、私を楽しませてください』
最後にそんな言葉を残すと、そこに存在していたスマホが前振りもなく消え去った。
それと同時に世界が色を取り戻したように動き出して、私の感覚も普段通りのものへと戻って。
目の前から突然スマホが消えたことに驚いた蜘蛛子ちゃんの身体が跳ねたことで、ようやく私は現実へと引き戻される。
『……いつ消えた!?何が!?』
彼女は管理者D、恐らくはこの世界における部外者のような存在。
部外者でありながらこの世界に干渉する、捻じ曲がるだけの力を持つ存在。
蜘蛛子ちゃんにとってそれは恐怖の対象だろうし、私にとってもそれは同じ。
同じだけど、その恐怖の内容は少しだけ違う。
とにかく一つだけ言えるのは、私は彼女からちょっとした
***
Dちゃんとの邂逅、邂逅?から特に大きなトラブルもなく中層を進んでいった私達。
火龍以上の脅威なんてものがそんなポンポンと現れる筈もなく、そもそもあの火龍と遭遇したこと自体が不運なのだと理解する。
なんなら鰻すら見なかった、あれ以降道中で会ったのはタツノオトシゴとかナマズとかそれ以下の雑魚くらい。
でも蜘蛛子ちゃんにとってあの邂逅は大きなものだったらしく、あれからずっと悩んでいたのが伝わった。
そりゃそうだ、だって蜘蛛子ちゃんは叡智を取得した時からずっとそのことを気にしてたんだから。
でもまあ気にしても仕方ないというか、出来ることがないということで結局蜘蛛子ちゃんもそれ以上突き詰めない姿勢を取っていた。
スマホ、流暢な日本語、邪神を自称しているということ以外に気になることは沢山あったようだけど。
私はそれについて知らんぷりをする、だってそれに触れてもいいことがないから。
まあ私も気になることがないわけじゃなくて、特に鑑定を弾いたあの黒い鎧の男とかは正体が分からない。
なんて風にだらだらと考えながら進んでいくだけで、ほぼ敵無しの私達は中層を突破した。
スキルのレベルが色々と上がったりしたけど、タツノオトシゴを倒すくらいじゃ経験値が足りないのかレベルは19から変動していない。
蜘蛛子ちゃんが20レベで進化出来ると語っていたので、私も20レベまで上がったらまた進化出来るのかな。
叡智を持っていない私にそれは分からないけど、そんな希望を持って考える。
『長かった』
上へと続く長い坂、それを見つけた時蜘蛛子ちゃんが真っ先に言葉を溢した。
その声はほんの少し震えていて、ここまで来るまでの苦労や心労が詰まっている。
それもようやく一段落、このマグマ溢れる熱い場所ともお別れである。
凶悪な魔物が跋扈する下層に降りてきて、蜘蛛子ちゃんと出会って、一緒に行動するようになって。
私は自らその行動を選択したから大きな後悔はなかったけど、落とされた蜘蛛子ちゃんの苦痛は私より何倍も上だったと思う。
でも帰ってきた、上層にいた期間よりも下層と中層にいた時間の方が何倍も長かったけど。
いるだけで命が削られるような場所から、私達は上層へと戻ってきた。
『ほんっと疲れた……キツいわー……』
『お疲れ様、蜘蛛子ちゃん』
『うん』
少なくとも彼女の努力は私が知っている。
彼女がここまで何度も死地を乗り越えたことは、私の存在が証明している。
私はそれを一番近くで、その影の中から見ていたんだから。
とにかく私達は生きていて、とにかく蜘蛛子ちゃんは今上層にいる。
『私は!!私は帰ってきたぞー!!』
念話だから、その声が周囲に響き渡ることはない。
けれどその声は私の脳内に響いた、その叫びは私が受け取った。
私達は生きて、上層へと戻ってきた。
《同位:嘘は真実の在処を証明する》