この時期になんて運の悪い、というのが率直な感想だった。
我が子が生まれたという手紙を受け取り、家に帰るのを楽しみにしていたこの時期での指名。
妻が産気づいた時にもそばにいてやれなかったのに、生まれた我が子の顔を見ることすら叶わないとは。
帝国ではようやく待望の王子が生まれてお祭りムードだというのに、この様か。
私もその喜びを分かち合えるはずだったのだが、逆に憂鬱な気分になっている。
我が子に会えないというのがその最たる理由、そして任務の内容自体も私の気分を重くする。
“エルロー大迷宮に現れた謎のモンスターを手懐けよ”
“できなければ直ちにこれを抹殺せよ”
それが今回私が受けた任務、エルロー大迷宮入口がある小国のオウツ国からの支援要請が発端だった。
エルロー大迷宮は大陸と大陸を繋ぐほぼ唯一の移動手段、そのエルロー大迷宮の魔物の数が唐突に多くなるという異変。
帝国は国境付近に派遣されていた部隊をすぐさまオウツ国に送ったが、彼ら部隊は逃げ帰ってきた。
謎の蜘蛛型の魔物から、何も出来ずに逃げてきたと。
彼らの証言と報告書、現地案内人の証言からその蜘蛛型の魔物は少なくとも危険度Aランク。
いいや、彼ら自身はSランクでもおかしくないと語っていた。
それと同時に流れ出した噂、エルロー大迷宮には人を助ける蜘蛛型の魔物がいるとの話。
魔物使いである私は魔物について人一倍詳しい、明確な意思を持って行動する魔物など伝説クラスの高位の魔物でしかありえない。
つまりその噂が本当である場合、私達が討伐できるような相手ではないということ。
貧乏籤だ、生きて帰れるかすら怪しい任務。
「はー、まったく、この儂に迷宮探索などさせおって……」
私の隣には帝国が誇る大魔法使い、ロナント様。
彼が優秀な魔法使いであることは間違いないが性格に難があり、とにかく奔放で自分勝手。
具体的には、命令違反を平気で繰り返して周りを振り回す。
「ま、なにが来ようと儂がいれば安泰だが」
だが、彼が“人族最高の魔法使い”と呼ばれているのは事実。
そんな彼と私含めた帝国の魔法使い三十名に、四人の案内人という万全の構成。
念には念を入れていた、決して舐めてかかってなどいない。
ロナント様が適当なのはいつものことだが、彼ですら戦闘となれば気合いを入れて取り組むお方。
繰り返し言おう、私達は油断などしていなかった。
その考えこそが油断であり、傲慢であったというだけだ。
案内人の一人が蜘蛛の巣に引っ掛かった、巣を作るタラテクト種は知能が高い個体である。
下級の魔法とはいえ、火に弱いはずなのにロナント様の魔法で燃えなかったその糸。
その時点で違和感を覚えるべきだった、家主のことを考えるべきだった。
その蜘蛛の巣を燃やしてしまった時点で引き下がれないということを、もっと強く感じておくべきだった。
「なに、どんな魔物が来ようと儂がいる限りは恐れる必要などありゃせんわい」
普段なら頼もしく思えるロナント様の言葉が、今の私には根拠のない妄言に聞こえてしまった。
糸が燃え尽き火が消える、火の消えた道をまた慎重に進んでいく。
かなり広い範囲に広がった燃えカスを追っていけば、やがて大きな広場のような場所に出る。
「ここは?」
「中層の入り口です」
案内人が答える、そう言われてみれば確かに熱気を感じる。
しかし目立った収穫はなく、蜘蛛型の魔物の姿は見えない。
情報から考えるにその蜘蛛の魔物は転移を扱うことが出来る、この場に長居するのは危険かもしれない。
巣を燃やしてしまった以上友好的な交流は不可能だろうと、来た道を引き返すことにした私達。
その判断は遅かった、もう少し早く、いいや、きっと最初から手を出すべきではなかった。
悪魔の権化が、私達の目の前に転移してきていた。
それはやはり蜘蛛の魔物、強さから予想するにはかなり小さな姿をしている。
全体的に黒い姿に、背中にある白い髑髏のような模様。
その蜘蛛は全身から禍々しい、得体の知れない黒い気配を発していた。
八つある赤い目がこちらを睥睨する、その行動で全員が一斉に動揺したのが分かった。
鑑定するまでもなく、一目見ただけで理解出来る。
あれは我々がどうにかできる相手ではない、我々の理解の範疇にある存在ではない。
報告の通りだった、誇張された表現ではなかったことが今になってようやく分かる。
「お、ぉおおぉぉ?」
奇妙な呻き声を聞いて横を向けば、ロナント様がその目を大きく見開き身体を震わせている。
恐らく威圧系のスキルを使用しているその蜘蛛、しかしロナント様ほどの実力者が抵抗に失敗するとは思えない。
仮に彼が失敗するようなら、私達含めた他の兵士達も既に発狂している筈だから。
「なんという、なんということじゃ、ありえぬ、ありえぬ」
「ロナント様?」
ブツブツと、誰に語るでもなく呟き続けるロナント様。
「なんぞこれは、なんぞ……」
「……
「ロナント様!?」
「あ、ああ、すまぬ」
何度も呼びかけたことでようやく正気を取り戻したのか、私を見て言葉を返してくる。
ロナント様には私には見えない魔物の発動しているスキルが見えているのだろう。
それでもやはり、ブツブツと呟き続けるロナント様は正常な精神状態とは言い難い。
状況は良くない、先程まで呆然としていた蜘蛛の魔物が今は怒気を顕にしているのだから。
不意に襲いかかる不快感。
これは、これはまさか、鑑定か?
あの魔物が?こちらを鑑定したというのか?
ありえない、鑑定を使える魔物など聞いたことがない。
それを確かめるために、鑑定石を発動させてステータスの鑑定を試みる。
凄まじいまでのステータス、膨大な量のスキル。
勝ち目がないと、改めて思わされるその化け物。
エデ・サイネという名前のその魔物には見たことがないスキルが沢山ある、見たことのあるスキルですら保持しているのは上位のスキルばかり。
それに何故か、ステータス画面が二重に重なって見えるような……
「なっ!?」
スキルを眺めている最中のことだった、突如として鑑定結果の表示が消失した。
そこに表示された“鑑定が妨害されました”という一文。
鑑定を妨害できるなんて聞いたことがない、わからない、人である我々にもそんなことは不可能だ。
「ま、待ってくだされ!もっと見せてくだされ!」
「ロナント様!正気に戻ってください!」
狂乱したロナント様を叱咤する、それと同時に撤退の指示を出す。
しかしその指示はあまりにも遅すぎた、一番先頭にいた八人の兵士が倒れた。
何が起きたのか分からない、エデ・サイネは何もしていないように見えた。
ただそこにいてこちらを見つめていただけ、それだけで八人の兵士が何の前触れもなく倒れた。
仲間が倒れるのを見た兵士が恐怖に耐えかねたのか、エデ・サイネに対して斬りかかる。
その兵士は槍の形に変化したエデ・サイネの影に貫かれ、間も無く絶命した。
あれは影魔法か?影魔法にしては影が“孤立して動きすぎている”ように見える。
出し惜しみをしている場合ではない、私の持つ全ての手札を使い切る。
全て使った上でこの場を乗り切れれば、それで運がいいとさえ言える状況。
私の召喚のレベルは4、四体の魔物を同時にこの場に召喚することが出来る。
この四匹の魔物を使って、兵が逃げる時間を稼ぐしかない。
鳥型の魔物、キレコーク。
亀型の魔物、ロックタートル。
虎型の魔物、フェベルート。
水竜の魔物、スイテン。
本来なら捨て駒にするには惜しい強力な魔物達、あれら一つ一つがこの場にいる兵士よりも強い。
しかし必要なこと、召喚した魔物を突撃させると同時に私は兵に再度撤退を呼びかけた。
キレコークの風の魔法がエデサイネに直撃……いや、当たる前に“分解された”?
当たるとは最初から思っていなかった、しかし実際に起きたのはもっと難解なこと。
その魔法と連携を取ろうとしたフェべルートが、土の槍に貫かれる。
待て、さっき確認したエデ・サイネのスキル一覧に土魔法は存在していなかった筈だ。
スキルを使用せずに魔法を?ありえない、そんなことが出来るのか?
「スキルを使わずに、一から魔法を構築したというのか……?」
ロナント様が溢したその言葉、人類最高の魔法使いに出来ないことである以上それはきっと普通なら出来ないこと。
唖然としていたところで、キレコークが正体不明の攻撃により突如として地面に落ちた。
それと同時に、エデ・サイネの影が伸びる。
その影はスイテンを薙ぎ払い、その流れのままにロックタートルの身体を飲み込んだ。
惨殺だ、今まで数々の困難を共に乗り越えてきた召喚獣達が一方的に惨殺された。
だというのに今の私を支配しているのは悲しみでも怒りでも、復讐心でもない。
恐怖、心から湧き上がる恐怖だけがそこに存在した。
早くこの場から逃げたい、しかし部隊を率いるものとして部下より先に逃げ出すことはできない。
部下達は召喚獣がその身を挺して稼いでくれた僅かな時間で、撤退を開始していた。
しかし遅い、正気を失いかけていたロナント様を殴って強引に正気に戻す。
そして大規模転移の準備をさせる、それでも部隊全員が逃げるにはまだ時間がかかる。
その間僅か数秒、その数秒で悪夢は事を起こす。
乱雑に繰り出されたような土と風の魔法が乱れ飛ぶ、その適当に見える魔法が一撃ごとに兵士の命を散らしていく。
突如として倒れる兵士達もいた、転移の準備をしているロナント様に向かって魔法が飛んでくる。
私はMP切れを覚悟しながら、召喚した魔物をロナント様の身代わりにすることでそれを防いだ。
何度も打ち出される魔法、その度に私は魔物を召喚し盾にする。
やがて、手持ちの召喚獣の数が尽きた。
私のMPもこれ以上ない、防ぐ手段はもう残されていない。
その時、目の前のエデ・サイネがやる気をなくしたかのように突如として魔法の構築をやめた。
しかし周りを見れば、私達以外の生存者は残っていない。
この場にいるのは既にあの魔物と、私とロナント様だけだった。
「ロナント様」
「……致し方ない、か……」
視界が歪んでいく、発動した転移。
思わず目を閉じ開き直すと、そこは先程までいた迷宮の内部ではなかった。
目の前にいた人間が驚き硬直する、致命傷ではないが私もロナント様も満身創痍。
ここは……帝国の魔法研究所か、すぐさまあたりが騒がしくなった。
「……見逃されたと考えるべきじゃろうな、あれは」
その言葉に対して返事を返そうと思ったが、MPを使い切ったことによる疲労で上手く呂律が回らない。
生き残った、ほっとして息を吐き脱力する。
多大な犠牲が出た、それでも私達は生き残っている。
生き残ったが、あの蜘蛛の魔物に対して私たちはどうすることも出来なかった。
「何が、何が人類最強の魔法使いじゃ、人類という枠組みで満足して、何が……」
言葉は返せない、ロナント様に対して今の私は声をかけられない。
そのロナント様の苦渋に満ちた声を、表情を、私は鮮明に覚えている。