泣き虫魔女の夜想曲 作:匿名希望
「――ついに、完成した……!」
人里離れた古代遺跡の最深部、怪しく青白く発光する魔導陣の中心で、ヴェルリアは涙で腫れた目を擦りながら、震える声で歓喜の叫びを上げた。
「永遠の十歳」という呪縛に絶望し、夜な夜なベッドで泣き濡れていた日々は、今日この瞬間をもって終わりを告げる。
数年間に及ぶ古層魔術の解析、生命倫理の禁忌を侵すほどの術式構築、そして何より「大人になりたい」という執念の涙によって紡ぎ出された肉体時間促進魔法――名付けて『再誕の理(レ・ナサンス)』。
「見ているがいい、あのクソ魔女め!
私を永遠の子供として固定したつもりだろうが、この天才魔女ヴェルリアの知恵と魔力を舐めるなよ……!」
彼女は星屑のドレスの袖で鼻をすすり、誇らしげに胸を張った。
術式の準備は完璧だ。
自身の体内を巡る過剰な魔力を触媒とし、固定された肉体の「時間軸の歪み」を強制的に解除。
記憶と魂の深層にある「元々の成長軌跡」をトレースしつつ、女性体としての正常な二次性徴を急速に促す。
「ふふ、ふははは! これで明日からは、夜の暗闇に怯えて泣くこともなければ、小さな足でぴょこぴょこ歩く必要もない! 大人の余裕を身につけた、真の美しき大魔導士の誕生だ!」
ヴェルリアは小さな両手に全魔力を込め、呪文を解き放った。
――『再誕の理』、起動!
視界が眩い銀色の光に包まれる。
身体の芯から、燃えるような熱と、骨が軋むような激しい感覚が押し寄せてきた。
(ぐっ……! おお、伸びている! 骨格が、筋肉が、皮膚が……! 成長しているぞ……!)
かつて魔女に縮められた時の逆再生のように、視界がぐんぐんと高くなっていく。
短かった手足がしなやかに伸び、華奢だった胸元や腰回りに女性らしい柔らかな曲線が肉付けされていく。
着ていた星屑のドレスがメリメリと音を立てて弾け飛び、大人の体型に合わせた新たな魔力衣へと自動再構築されていった。
光が収まった時、そこに立っていたのは――。
姿見の鏡に映っていたのは、艶やかな栗色の長髪をなびかせ、しなやかで均整の取れた肢体を持つ、十五~六歳ほどの息を呑むほど美しい「思春期の少女」の姿だった。
高さの変わった視界、伸びた手足、手触りの変わった体。
「……勝った。勝ったぞ……!」
ヴェルリアは自身の胸に手を当て、感無量の面持ちで微笑んだ。声も少し低くなり、鈴の音の可憐さに、どこか妖艶で凛とした響きが加わっている。
「ふふっ、見ろ、この圧倒的な大人の風格を……。これで私は、二度と泣き虫などと――」
言いかけた、その時だった。
どっ、と胸の奥から、未知の「激流」が湧き上がってきた。
「……っ!? な、なんだ……これは……!?」
ヴェルリアは思わず自身の胸を強く押さえ、その場に膝をついた。
脳髄を直接揺さぶるような、凄まじい衝動。
それは、これまで経験したどんな攻撃魔法よりも強力で、いかなる精神干渉よりも抗いがたい、生体ホルモンの爆風だった。
「ひっ、あ……熱い……頭が、心が、ぐちゃぐちゃになる……!?」
肉体を一瞬にして「十歳」から「思春期(十五歳)」へと強制成長させた副作用――それは、思春期特有の過剰で不安定な性ホルモンと神経伝達物質の超絶な急増であった。
十歳の過敏だが純粋だった感情回路に、突如として怒涛の勢いで流れ込んできたのは、「反抗心」「自己嫌悪」「他者の視線への異常な過敏さ」「得体の知れない性的・感情的モヤモヤ」「万能感と無力感の支離滅裂な交錯」という、思春期の全感情セットだった。
(な、なんだこの感情は……!? 誰もいないのに、みんなが私を笑っている気がする……!
自分の存在が、たまらなく恥ずかしい……! 理由もないのに、世界中のすべてが気に食わない……!!)
「うぐぁぁぁっ! く、狂いそうだ……!」
ヴェルリアは頭を抱えて石畳の上に転がった。
かつての歴戦の団長としての冷徹な記憶も、十歳の無垢な恐怖も、すべてが「荒ぶる思春期の濁流」の中に飲み込まれて消え去っていく。
「私……私はなんでこんなところで一人で魔法なんて開発してるんだ……? バカじゃないの……?
そもそも、なんでこんなダサい魔法使ってるの……? 私って、何? 魔法使いって何? 生きてる意味あるの……!?」
突然の強烈な「自己存在への疑問(アイデンティティ・クライシス)」と「黒歴史への超感度」が彼女を襲う。
(待って、私、今まで『星の魔女ヴェルリア』とか名乗って、星屑のドレスとか着てドヤ顔してたの……!?
うわああああっ! 恥ずかしい! 死にたい! 過去の私を消し去りたい!!)
十歳の頃は「カッコいい」と思ってやっていたすべての言動が、十五歳の過敏な自我にとって耐え難い羞恥心となって脳内で爆発した。
顔が沸騰しそうなほど真っ赤になり、絶叫しながら地べたをのたうち回る。
「うわああああん! 嫌だ嫌だ嫌だ! 全員消えてしまえ! いや、私が消えたい!!」
さらにタチの悪いことに、肉体年齢が十五歳に達したことで、体内の魔力出力は十歳の頃の数倍に跳ね上がっていた。
彼女のコントロールを失った思春期のイライラと羞恥心が、自動的に周囲の空間に干渉し始める。
バチバチバチッ!
「あーもう! イライラする! なんでこんなに世界は思い通りにならないのよ!!」
ヴェルリアが叫んで地面を蹴飛ばした瞬間、超高密度の重力波が全方位に解放され、せっかく苦労して攻略した古代遺跡の天井と壁が、音もなく半径数百メートルにわたって木端微塵に吹き飛んだ。
青空が一面に広がる。破壊の規模としては国家壊滅級の現象であったが、当の本人はそれどころではなかった。
「ううっ……なんで私、こんなに攻撃的なの……。
本当は優しくしたいのに……誰も私のことなんて分かってくれない……誰も私を理解してくれないんだ……っ!」
今度は急激な自己否定感と孤独感が襲いかかり、ヴェルリアは膝を抱えて号泣し始めた。
「泣き虫魔女」は、体を成長させたことで、「超攻撃的メンヘラ情緒不安定魔女」へと悲惨なパワーアップを遂げてしまったのである。
数時間後。
夕暮れ時、吹き飛んだ遺跡の残骸の真ん中で、ヴェルリアはすっかり元の「十歳の姿」に戻っていた。
恐れをなした彼女が、泣きながら必死に解除術式を唱え、急いで元に戻したのだ。
星屑のドレス(十歳用)を再び身に纏い、膝を抱えて体育座りをしている彼女の目は、完全に死んでいた。
「……二度と……二度と、あの魔法は使わん……」
十歳の静かな過敏さにとりあえず戻ったことで、思考は冷静さを取り戻していた。
しかし、先ほど体験した「思春期の猛毒」の記憶は、トラウマとなって彼女の心に深く刻み込まれていた。
「大人の階段とは……あんなにも恐ろしいものだったのか……。
身体が大きくなるというのは、あんなにも精神が狂い乱れるものなのか……」
ヴェルリアはガタガタと震えながら、自分の小さな手を見つめた。
マロニエの実のように小さく、柔らかい、十歳の手。
「……うん。このままでいい」
彼女はしみじみと頷いた。
「永遠の十歳でいい。夜にちょっと暗闇が怖くて泣くだけの方が、100倍マシだ。
あんな、世界すべてを破壊したくなるようなイライラと羞恥心に比べたら、夜泣きなど可愛いものだ……」
そう自分に言い聞かせ、ヴェルリアは涙を袖で拭うと、夕日に向かってトボトボと歩き出した。
体は十歳のまま。情緒も泣き虫なまま。
しかし、彼女は自らの意思で「永遠の子供」として生きていくことを、本当の意味で受け入れたのだった。
(……でも、また数年後とかに、気まぐれで成長魔法の改良版とか試したくなったらどうしよう……)
そんな新たな不安に胸を痛めつつ、最強で、一番ワガママで、一番情緒が忙しい「泣き虫魔女」の明日は、どっちだ。