泣き虫魔女の夜想曲 作:匿名希望
「再誕の理」の暴走による思春期のトラウマから数年後。
ヴェルリアは幾度もの慎重な検証と、精神安定用の魔導バリアを何重にも構築した上で、再び「肉体年齢の引き上げ」に挑んでいた。
15歳のあの忌まわしいイライラと羞恥心(黒歴史)の爆風を教訓に、今度はホルモンバランスと魔力の出力を完全に調律しながら、段階的に時間を進めたのだ。
そして――ついに。
彼女は「20代の肉体」を手に入れた。
静まり返った古代の実験室。姿見の鏡の前に立ったヴェルリアは、自分の全身をじっと見つめていた。
伸びやかな手足、完璧に整った均整の取れた肢体。
15歳の頃のようなトゲトゲしい不安定さはすっかり影を潜め、そこには息を呑むほど妖艶で、かつ知的な気品を漂わせる大人の女性の姿があった。栗色のロングヘアは艶やかに波打ち、星屑のドレスは、かつての「着られている感」を完全に脱ぎ捨てて、完璧な美しさと威厳をもって彼女の体にフィットしている。
「……ふっ。見事だ」
ヴェルリアは低く、気品のある大人の声で呟いた。
「10歳の頃のあの子供っぽさも、15歳の時の見苦しい情緒の乱れもない。
これぞ、完璧な理知と美貌を兼ね備えた、真の『大人の魔女』の完成というわけだ」
彼女は満足げに微笑んだ。
これでもはや、夜の暗さに怯えて泣くこともなければ、子ども扱いされてイライラすることも、自分の過去の言動に絶叫して地べたを這い回ることもない。
完全無欠の知性と、圧倒的な魔力を併せ持つ無敵の存在。
そう、ヴェルリアは確信していた――その時が来るまでは。
第一の落とし穴:あまりにも現実的な「体の不調」
20代になって数日。ヴェルリアは悠々自適な研究生活を送るはずだった。
しかし、ある朝、ベッドから起き上がろうとした瞬間、彼女は眉間を抑えてうめき声を上げた。
「……っ……なんだこれ……?」
こめかみがズキズキと痛み、気だるさが全身を鉛のように重くする。
10歳の頃や15歳の猛烈な感情の爆発とは違う、もっとジワジワと、しかし確実に生活の質を削ってくる不快感だった。
(頭が痛い……それに、肩が……凝っている……?)
かつての歴戦の団長時代、どんなに激しい斬り合いの後にだって、こんな不快な筋肉のコリや原因不明の頭痛に悩まされたことはなかった。
10歳の頃の驚異的な新陳代謝と無限のスタミナはどこへ行ったのか。
調べてみると、20代の肉体とは、環境の変化、睡眠不足、栄養の偏り、そして気圧の変動という現実的なダメージを、ダイレクトに神経へと蓄積させる「非常にデリケートなシステム」であることが判明した。
「ふざけるな……。宇宙の理を操るこの私を、たかが『肩こり』と『気圧のせいの頭痛』が苦しめると言うのか……っ!」
ベッドの上でシーツを掴み、ヴェルリアは歯ぎしりした。
魔力で痛みを飛ばそうとしても、肉体の構造的な疲労は神経の奥底に根を張っており、完全に消し去ることはできない。
大人の階段を上るということは、同時に「肉体のメンテナンス」という名の絶え間ない面倒臭さと共生することを意味していた。
第二の落とし穴:世間の「お姉様」に対する幻想とのギャップ
さらに、20代の姿で外の世界へと足を踏み入れたヴェルリアを、さらなる精神的ダメージが待ち受けていた。
ある日のこと、街の魔導ギルドに立ち寄った彼女は、受付の若い新人冒険者(10代後半くらいの少年)に声をかけられた。
「あの、お姉様……? その、この古代遺跡の調査依頼書、どこに提出すればいいか教えてもらえませんか……?」
――おねえさま。
その言葉を聞いた瞬間、ヴェルリアの脳内で何かが盛大に音を立てて崩壊した。
(お……お姉様……? 私を……? いや、待て、私の実年齢は、前世の記憶を含めれば優に70を超えている。
それを、十代の若造に『お姉様』などと呼ばれる筋合いは――いや、待て、見た目は確かに20代の美女だが、精神的には祖母の年齢なのだぞ!?
なのに、世間からは『綺麗なお姉さん』の枠組みに入れられている……!?)
かつて10歳の時は「子ども扱いされること」にプライドを傷つけられ、15歳の時は「自分の幼さや黒歴史」に発狂したが、20代になって直面したのは、「世間から勝手に『頼りがいのある大人の女性(お姉さん)』として期待され、勝手に全うな社会人ロールを求められる」という、別の意味で息苦しい呪縛だった。
「わ、私に話しかけるな! 私は別に優しくないし、お前の人生の相談に乗る義理もない!」
思わず冷たい声音で突っぱねてしまったヴェルリアに、少年は「ひっ、冷徹な美人魔導士様だ……でもカッコいい……!」と勝手に感動して震え上がっている。
(違う! そういう目で見られたいわけじゃない! 私はただ、誰にも干渉されずに魔法の研究がしたいだけなんだ……!)
結び:10歳への「強制送還」
宿に戻ったヴェルリアは、ぐったりと椅子に倒れ込み、深いため息をついた。
肩は凝るし、寝不足は肌に出るし、世間からは勝手に「しっかりした大人の魔女」としての振る舞いを期待され、ちょっと機嫌悪くすると「クールでミステリアスな美貌」と勝手に美化される。
10歳の頃は「早く大人になりたい」とあんなにも涙を流して願ったというのに、実際に20代の荒波に揉まれてみると、そこにあったのは自由どころか、社会的プレッシャーと肉体的衰え(老化への第一歩)という名の地獄の沙汰だった。
「……もう、無理だ」
ヴェルリアはぶるぶると頭を振り、自分の両手を見つめた。
あの10歳の頃の、体調不良とは無縁の無限のスタミナ。
そして何より、「子どもだから」という免罪符のもと、多少わがままを言っても、泣き叫んでも、すべて「子供の癇癪」として周囲に見逃してもらえる(あるいは恐れられてスルーされる)あの圧倒的な気楽さ。
「私は……私は、大人の社会の荒波に向いていない……!」
彼女は即座に両手を組み、全魔力を注ぎ込んで『再誕の理』の逆転術式を唱えた。
「――即座に元の姿に戻る! 戻してくれえぇっ!!」
眩い光に包まれ、しなやかな20代の肢体が一瞬にして縮小していく。
数秒後、そこにいたのは、いつもの星屑のドレスに身を包んだ、滑らかな肌と栗色の三つ編みを持つ――あの「10歳の泣き虫魔女」ヴェルリアの姿だった。
「はぁっ……はぁっ……」
自分の小さな手を握り締め、背の低い椅子に座って床にきちんと足が届かない安心感を噛み締めながら、ヴェルリアは大きく息を吐き出した。
肩のコリは消え、頭痛も嘘のように引いている。
彼女は鏡に映る自分に向かって、ふんっと胸を張ってみせた。
「……やっぱり、私はこのままでいい。20代の大人なんて、百害あって一利なしだ。
世間の皆が私をどう見ようと、私は永遠の天才少女魔女、ヴェルリア!」
そう結論づけた彼女は、すっかり安心した様子でお気に入りのクッキーを口に放り込み、今日も今日とて、夜が来たら怖いので枕を抱えて寝る準備を始めるのだった。
大人の階段を上るには、彼女の情緒とプライドはあまりにも繊細すぎた――。