「では、これが最後の警告だ。投降せよ、しからざれば発砲する」
降伏勧告への返答は、唸りを立てて投じられた短剣だった。だが、被服室の戸口の枠を粉砕しただけに終わった。ひょいと首を引っ込めただけで、アーチャーはあっさりと一撃を回避したのだ。再び廊下に突き出された銃は、位置を低くしていた。立座位姿勢から引き金が引かれる。
光の
「くっ……」
ライダーから苦鳴が上がった。魅惑的な肉体の、そこかしこから鮮血が滴っている。
回避は不可能だった。彼女がいかに敏捷を誇ろうとも、精々音を置き去りにする程度の速度しかない。一方の光線銃は文字どおりの光速だ。いかにヤンの射撃が下手でも、遮蔽物のない直線通路では関係ない。
下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる。これは全くの真理であるが、現実の光線銃にはエネルギーに制約がある。不器用なヤンはエネルギーパックの交換が大の苦手で、かなり減点を食らったものだ。だが、今は供給豊富なマスターの魔力でそれを気にしなくていい。そして、同じ武器で撃ち返す相手ではない。
これなら負けるはずはない。――人間が相手なら。しかし、相手は人間でないサーヴァントだ。ライダーの傷は、見る見るうちに消滅していく。
アーチャーはわずかに顔を顰め、独語する。
「厄介だな。急所に当たらないと死なないってのは、このことか」
アーチャーの戦闘行為に、凛は息を呑み呆然としていた。弱い、射撃が下手と自称していた彼だ。しかし、それを覆す手段を構築していたのだ。自分でも戦える戦場を設定して、相手に攻めさせる。それが処刑台への十三階段と気付かせることなく。
この四階は、結界の予想図の外周円の頂点付近にあたる。呪刻がそこかしこに配され、凛が今までせっせと魔力を流している。廊下には、人払いと霊体化防止の結界も施した。
特に、立てこもっている被服室は、天井以外のすべての面に呪刻がある。そして、屋上の呪刻の真下だ。霊体化すると無機物をすり抜けられるが、魔力の込められたものはその限りではない。魔術基盤である地球そのもの、地面には潜れないように。
ライダーは、教室の前後にある出入口以外から、この部屋には入れない。女性二十人の体重の動物というと、大型種の馬に相当し、腕力もそれに準ずるだろう。人間が殴られたらひとたまりもないが、鉄筋コンクリートの壁を壊せるほどのものではない。そして、ヤンが陣取るのは、ライダー側の出入口。凛を守るための布陣だった。
炭酸飲料のタブを何個も開けるような音がして、再び放たれる光弾。ホースで水播きでもするかのように、遠慮のない乱射だった。ライダーはたまらずに跳躍し、いくつか被弾しながらも壁を蹴り上がり、天井を蹴って、また反対側の壁に。変則的な軌道を描いて、アーチャーへの距離を詰めようとする。
神秘は神秘に打ち消される。千六百年後の武器と、それ以上に現代から時間を隔てたライダー。レーザー光線に変換されているとはいえ、そのエネルギーは凛の魔力。対魔力の高い彼女には決定打になりえない。
しかし、光というのが、アーチャーが意図したわけではない、ライダーにとっての弱点だった。影の島の魔物、蛇の眷属である吸血種を貫く白光の矢。
戦いには相性というものが存在する。ライダーにとっては、この弱いアーチャーは最悪に近い相手だった。弓矢を射るのではなく、光の魔弾の射手。攻撃動作に必要な空間は極端に小さく、攻撃範囲は広く、抜群の連射性能だ。
鎖つきの短剣の射程距離はたかが知れている。投擲武器としてはお粗末だ。なにより彼女は武人ではなく、遮蔽物の陰から見え隠れする、アーチャーに中てる技術を持っていない。
しかし、それでも銃の威力不足は否めなかった。ブラスターは、人間を殺傷できるだけの出力しかない武器だ。宇宙戦艦の内部で、機体や機器を損傷しないようにしてある。金属を溶解、切断することはできない。
ライダーはすぐさまそれに気がついた。短剣で顔と胸元、二つの急所をカバーし、敵手へと迫る。
ヤンの最大の賭けが見事に当たった。ライダーもまた、宝具に依存するクラス。
彼女がかの英霊ならば、その乗り物は屋内での使用に適さない。ゆえに飛び道具が天敵だと。銃撃をあえて防御させ、手を塞ぐ。あからさまに怪しい眼帯に触る
飛びまわるライダーを追いそこねた光線が、壁や天井を削る。しかし、命中したものも両手の指を超える。満身創痍でもライダーは怯むことなく、アーチャーの頭上に達し、天井を蹴るや頭上から襲い掛かった。
黒いベレーを乗せた黒髪が一瞬で霊体化し、現れたのはいま一人の黒髪の魔術師。くっきりとした翡翠の瞳に、鋭い輝きを乗せ、形よい唇が力ある言葉を放つ。淡青のアクアマリン、透明と深青のサファイアを投じながら。
「――七番、八番、六番、冬の河!」
水の檻がライダーを取り巻き、白く冷気を立てて瞬間的に凍りつく。その威力はAランクに達した。ライダーの対魔力をもってしても、完全には防げぬ攻撃。
ヤン・ウェンリーの思考誘導は、英霊にも完璧な効果を発揮した。マスター狙いを匂わせて、ライダー単騎での襲撃を余儀なくさせる。決定打にはならない飛び道具、そしてアーチャー自身は弱い。接近戦に持ち込めば彼は敵ではない。そう思い込ませるミスディレクション。
だが、本命はマスターの宝玉の一撃。視界の共有と心話という情報伝達が可能にした、黒髪の魔術師ふたりの
ライダーは声もなくのけぞった。その紫と黒の妖艶な姿を、純白が侵食していく。アーチャーが淡々と告げた。
「さて、君のマスターに言ったように、私の力とマスターの力も関係ない。
しかし、聖杯戦争はチーム戦だ。
君のマスターは君の危難を救ってくれないようだね。
ではさようなら、ライダーのサーヴァント」
制式銃が背後から延髄に押し当てられる。引き金にかかった指に力が篭る。そして、ライダーの姿は消失した。
「やったわ!」
歓声をあげる凛に、ヤンは首を振った。
「いや、違う。令呪による転移だ。まだ撃ってなかった」
「何ですって!? あんたがモタモタしてるからよ!」
「いやあ、ごめん、ごめん。ただね、収穫もあった。
あの凍りついたライダー、どうやったら解凍できるんだい?」
「それは、わたしの魔術を解くか、時間を待つしかないわ。七、八時間ぐらいはね。
あんたが、簡単に解除できず動きを止める魔術を使ってくれって、
言ったとおりにしたんだから」
「温めれば溶けるってものじゃないんだね」
凛は眉を吊り上げて、頼りない従者を叱りつけた。
「あたりまえでしょう! 霊体のサーヴァントに通用する術よ。
お風呂に突っ込んでも溶けたりしないし、
そこらの魔術師にも解除はできないようにしたわ。
半端な術じゃ、ライダー自身の対魔力に弾かれるしね」
「でも夜中までには解けてしまうんだろう?」
「それで充分よ。最後のほう、傷が消えなかったでしょ?
アーチャーが、随分魔力を消耗させたからだわ。
そして、私の魔力に覆われている間は、マスターからの魔力供給はできないの。
魔術が解けるのが先か、ライダーが魔力切れで消滅するのが先か。
ギリギリのラインよ」
アーチャーは感心して頷いた。
「すごいなあ。そいつを自称魔術師の慎二くんが解けるかどうか。
無理なら令呪を使って、ライダーの対魔力を底上げするだろうが、
決断が必要になる。二つ目の令呪の使用だ」
ライダーを消滅させることはできなかったが、実質的に行動不能に追い込んだのだ。
「でも、間桐臓硯がどう出るか……あいつは五百年も生きてる化け物よ」
アーチャーは首を振った。
「それはむしろ彼の問題になる。君が気にしても仕方がない。
今日はこれでよしとしよう。彼らにも選択肢を残したということさ。
令呪を使って君の術を解くか、君に詫びて我々の陣営に下らせるか。
あるいは、誰かほかの魔術師に頼むか、
ライダーの消滅を待って他のサーヴァントと組むか」
「うう、もう一個使って完全に止めを刺すようにすべきだったんじゃないの?」
ふたたびおさまりの悪い黒髪が振られた。
「いいや、マスターの選択肢を増やすのは、こちらにとって有効な手段だ。
ライダーが死ななかったからこそ、令呪をどう使うかと迷うことになる。
最後の選択肢は現実的ではないからね。
間桐慎二が他のサーヴァントと組むには、マスターのみを斃さねばならない。
ライダーの戦力なしには不可能だ」
ジェンガのように積み上げられた、重層的な罠だった。取れると思いこませ、手を出した敵の頭上へと集中砲火が叩きこまれる。ヤン艦隊司令官の十八番だ。
「ライダーを見殺しにし、君を倒して、手に入るのが私では割に合わないよ。
咄嗟に令呪を使ってしまったぐらいだから、そんな思い切った手は打てないさ。
衛宮陣営とアインツベルン陣営に注意喚起を行い、
あと十日あまりの防衛に成功すれば、君にとっての勝利は変わらない。
魔術を解いたとしても、マスターは魔力を供給しなくてはならない。
相当な魔力の喪失だというなら、今夜は吸血行為をする余裕はないだろう」
敵の退路を、掘削機で削りにかかるヤンだった。無辜の市民に重症を負わせている相手だ。聖杯に不備があるのではないかという懸念さえなければ、斃してもいいと思っていたほどだ。
「さて、凛。戦いは終わったが、この壊れた部分、どうすればいいかな?」
凛は士郎の電話番号を押した。高齢者向き携帯の登録ボタンに、同盟者のマスターの番号を割り振りしたおかげだ。やったのはアーチャーだが。
「士郎、話は終わった? じゃあ、師匠としての命令よ。
穂群原のブラウニーの活躍に期待するわ。
脚立と修理道具一式を持って、四階被服室前に来なさい。
なんでさ、ですって!?
あなたたちが談判している間に、ライダーと闘ってたのよ!
虎の子も放出したんだから! つべこべ言わずにさっさと来る!」
言うだけ言って携帯電話を切る凛に、呑気な声で質問が投げかけられた。
「うーん、こういうの、魔術でぱっと直せないのかい?」
もしも視線に物理的な力があるのなら、アーチャーの頭部は消失していたことだろう。
「本当ならそれぐらい出来るわよ!
これだけ呪刻に魔力を流して、そのうえ、
あんた、自分がどんだけ魔力をバカ喰いするかわかってんの!?
さっさと引っ込んでてちょうだい」
「は、はい、マスター。悪いねえ……」